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ナポリの風

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 ナポリ。
 仕事を放り出し、モーリツ・エステルハージは、ウィーンへの旅支度をしていた。


 軍での活躍も昇進も、それどころか、宮廷を離れることすら許されなかった、ライヒシュタット公。
 だが、彼の頭の中には、何か、素晴らしい計画があるようだった。

 プリンスが何を考えていたのか、モーリツは知らない。彼の考えが固まる前に、モーリツは、ナポリへ飛ばされてしまったからだ。


 ナポレオンの息子に与することは、多くの危険を示唆した。
 彼には、宰相メッテルニヒの厳しい監視がついている。幼いころから彼と共に生活してきた家庭教師達や、最近つけられた軍の付き人達も、結局は、彼を見張るアルゴスの役目を担っていた。

 手紙のやり取りは危険だった。プリンスは、監視されている。

 また、ためらいもあった。名門、エステルハージ家の長男として、モーリツは、失うものが、多すぎた。


 ハンガリーの、有力貴族エステルハージ家は、オーストリア皇帝に、絶対的な服従を誓っている。皇帝や宰相メッテルニヒの意に背き、一族を危険に晒すことは、モーリツにはできなかった。
 放蕩者の息子に期待をかけ続け、その庇護の下に護りつつ、年々老いていく父と母のことも、心配だった。

 下された辞令に逆らうことはできなかった。彼は命じられるままおとなしく、イタリアまで赴任してきた。


 だが、ここ、ナポリに来て、考えが変わった。

 ナポリ。明るい太陽と、乾いた海風の街。ギリシアやローマを偲ばせる遺跡。
 うすら寒く威圧的で、湿気の多いウィーンとは、全然、違う。

 ……エステルハージ家は、古くから続く家柄だ。そう簡単に潰れることはないだろう。
 ……父と母は、いずれ、わかってくれる。

 モーリツは思った。
 ……しかし、プリンスは……。

 彼は、たったひとりだ。
 たったひとりで、戦っている。
 ナポレオンの残した負の遺産と。

 ……人生は、一度しかない。

 エステルハージの名を背負って、生きていくか。
 それとも、先の見えない冒険の中へ飛び込んでいくのか。ライヒシュタット公に忠誠を誓った友として。

 ……俺の人生は、一度きりだ。

 モーリツの心は、決まりかけていた。


 
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