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第五章 『渋谷』ダンジョン 中層編
第93話 46万円パンチ
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「…っ」
モノクロ世界の一点が突如色着いた―――赤、危険な色だ。
予兆に応えるようにして今はまだ何もいない右の空間に向かい俺は幅広剣《ブロードソード》を振るう。
ガキンッ
瞬間、耳を劈く金属音。目の前には驚く小鬼剣士《ゴブリン・ナイト》の顔が。
しかし肝心の俺の右腕には衝撃一つなかった。
「違う、左だ」
「……みたいですね」
(あ~またしくじったぁ…)
いつの間にか隣に移動してきていた竜胆さんに指摘され悟る。俺はまた死んだ、救われたのだな…と。
彼女の指先と衝突した小鬼剣士《ゴブリン・ナイト》の剣は粉々に砕けていた。
「二回に一回か。悪くない、寧ろ出来過ぎなくらいだな……あぁ、とどめは任せた」
自分の身は自分で守る必要がある。そのための危機察知をスキルに頼らずとも出来るようにしろ…―――竜胆さんにそう言われた俺は二十五層に着いてからここまでの三時間、只管《ひたすら》に視界の悪い草むらの中で奇襲してくる怪物の相手をしていた。
そしてこれまでに五十回ほど察知に失敗し命を救われ、二十回ほど察知できはしたが接近戦の読み合いで敗れ命を救われ…合計七十回ほど竜胆さんと桜子さんのお世話になっているといったところ。
「了解…――ほいっ…」
「グギャっ…――」
指先だけで自慢の剣を砕かれ、呆然と立ち尽くす哀れな小鬼剣士《ゴブリン・ナイト》。その首を空振ったばかりの幅広剣《ブロードソード》で軽く撫で、炭化していったのを見届けると大きなため息を一つ。
訓練の途中、桜子さんが焼き払って作った安地の切り株に腰を下ろすと竜胆さんが寄って来るのが視界の端に見えた。
「接近には気づいていたし接敵のタイミングも合っていた。ただ読み合いに負けただけだ、そう落ち込むな」
「そうですよ海君。今は危機察知の能力を鍛えているんですから、戦闘中の読み合いはまたの機会にしましょう。二兎追うものは一兎も得ず、です」
「そう…ですね」
竜胆さんと後を追って来た桜子さんに言われて納得、確かに俺は何でもかんでも求め過ぎていたなと気付く。いくら戦闘が得意でも敵の接近に気付けなければ戦闘にはならないのだ。順序を間違ってはいけない。
「いやぁ、一番最初があまりにも出来過ぎていたのでつい」
ただ、そんな当たり前なことを忘れてしまうくらいに最初の察知から迎撃までの動作は見事なものだった。
「まぁ…確かにあれは文句なしの反応速度だったからな」
「私たちと同じタイミングで気づいていましたよね」
その見事具合たるや竜胆さんと桜子さんにべた褒めされるほど。あれさえなければ順序を違えることはなかっただろう。しかしあれがなければ今の危機察知能力はないと思う。
集中状態のモノクロ世界に現れた紅一点。何回も繰り返した今はその一点がだいぶ大きく見えるようになったからか見落とすことも少なくなったが、あの時はまだ針の穴くらい小さなものだった。
気付けたのは丁度その辺りを見ていたからだし、迎撃に至ってはもはや反射…――
(あ…)
「…そうか、反射か」
俺、ビビッと閃きました。この閃きを試さずにはいられない!
「お、再開するか?」
「お願いします」
竜胆さんと桜子さんに護衛されながら再び草むらに入り、再度集中状態に潜る、潜る……深く、深く。
集中度に比例して色褪せていく世界が完全なモノクロ世界になったところで小さな赤を見つけた。
(そこか)
敵を誘うためにわざと隙を見せればその赤は一気に大きくなりやがて怪物の姿に形を変える。
「ここ!」
速度的に犬人頭《コボルトリーダー》と予想し、接敵と同時に右に振る…――
(いや…左か)
――…おうとして瞬時に左の首元すれすれに刃を横たわらせた。
ジャリリィンっ
「…っ!」
「グルアァ?」
直後、思ったよりも早く左から金属音が耳を劈き、犬人頭《コボルトリーダー》…ではなく、精鋭犬人《エリートコボルト》の驚く顔が目の前を過ぎ去る。
(くそったれッ、マジで騙された!)
「海君ッいけそうですか!?」
「頑張ってみます!」
俺が謀殺されたと確信していたのだろう。いつの間にか精鋭犬人《エリートコボルト》の後ろに回り込んでいた桜子さんから戦えるかと聞かれたので、戦えますと返事して態勢を整える。
いや、それにしても危なかった。接敵する僅か数瞬前まで完全に敵は犬人頭《コボルトリーダー》であると思っていた、思わされていた。
恐らくだがこちら側から自分の姿が見えていないのを予想して奴《エリートコボルト》は意図的に速度を犬人頭《コボルトリーダー》に変えていたのだ。もしそうだとしたらずる賢いにもほどがあんだろ。流石は犬人頭《コボルトリーダー》の上位互換――六等級怪物『精鋭犬人《エリートコボルト》』である。
マジで反射、まぐれで初撃を凌いだよね。接敵する直前に左の首元がピリリと痛んだから『お?』と思い左に刃を添えたら案の定受け流された化け物がビュンと通り過ぎてくれました。
「……」
「……」
でも冒険者の上位層は案外こういった戦い方をするのかもしれない…と相手に隙が一つもなくて動けない俺は思います。
要は格上との戦闘は常に落ちたら即死の綱渡りみたいなものだということ。
そして今俺と正眼に構え合っている精鋭犬人《エリートコボルト》はまさしく格上の存在だった……周りに絶対怪物殺すウーマンがいるという安全ばっちりな状況で。
であれば、だ。ちょっとくらいはその上位層の戦い方に憧れてみてもいいんじゃないか?反射に頼り切った戦いってやつをさ。
「ふぅぅぅぅ………」
脚で大地を踏みしめ、少しだけ腰を捻る、背中からは鈍器《メイス》を取り出してなんちゃって二刀流に。するとモノクロの世界が突然真っ赤に色付いた。一点だけではない、濃淡はあるが全部が赤色の世界。
こいつにはどうやったって勝てないと本能が叫んでいた…―――
「悪かねぇなぁ…」
―――…だが、それでいい。格上ってそういうもんだろ?
一歩踏み出せばそこは死地、至る道はあの世への一方通行。
嘗て感じたことのない死の匂いが全身を包み込み感覚を麻痺させる。視界は真っ赤、手足は鉛のように重く、もはや音すらも聞こえない……けど、集中するには持って来いの状況だった。否、集中する以外には何もできない状態だった。
(竜胆さん、桜子さんお願いしますッ)
今奴《エリートコボルト》が踏み込んできたところで俺に一体何が出来るというのだろうか。だったら集中するためにもういっそのこと視界も塞いでしまおうと他人任せの極みを発動。
ニヤリと意味深な笑みを奴に見せつけながらそっと目を閉じれば、そこは水底だった。
(深く…深く……深く……ふか…―――)
自分の中の心の声さえも聞こえなくなったその時、水底がどぷりと音を立てて俺自身を呑み込み始める。
水よりも沈み辛い泥のようだ。それでもゆっくりと、しかし確実に身体は沈み込んでいき再び底に足が付く。とても不安定な足場だが立てないほどではない。むしろこの不安定さが心地良い。
集中の極地―――。
眼を開くともうそこに真っ赤な世界はなかった。代わりにより一層濃淡が強くなったモノクロの世界が広がっている。手足も重くないし耳だって聞こえる。
しかし戦場は何一つ変わっていない。疑り深い性格なのか、将又動けなかっただけなのか精鋭犬人《エリートコボルト》は眼を閉じる前のまま……いや、ちょっとだけ変わってるか。
「そこか」
モノクロの世界に一点の青が現れた―――。
その一点を目掛けて地面を蹴り上げ前進する…が、青はすぐに赤の危険色に変わり左首筋がピリリ。直後、突然の猛チャージに一瞬怯みはしたものの相手が格下だと思い出した精鋭犬人《エリートコボルト》による一撃必殺の右爪攻撃が襲う。
(速っ)
目にもとまらぬ速度とはまさにこのこと。
しかし攻撃を何とか受け流そうとした直前、またモノクロの世界に一点の青が現れ、そこ目掛けて捨て身で幅広剣《ブロードソード》を振るうと慌てて攻撃をキャンセルした精鋭犬人《エリートコボルト》の左腕と衝突し金属音が草原地帯に轟いた。
(硬っ)
なるほど、原理は一切わからないがどうやら一点の青は敵の弱点を表しているようだ。それも隙を晒しまくった俺の首が目の前にあったとしても防がなければいけないほどの大きな弱点。そこさえ突ければ形勢は180度変わってくれる。
けれども逆に言えば弱点に到達しなければ俺に勝ち目はない。そしてそこに至るまでの道はあまりにも遠すぎた。
「……」
「……」
距離をとったことで再び始まる頭脳戦が戦場を膠着させる。
決して精鋭犬人《エリートコボルト》から目を離すことなく、視界の端で右手に握る幅広剣《ブロードソード》と左手に握る鈍器《メイス》を見た俺は顔を歪ませた。
――そう、精鋭犬人《エリートコボルト》の武器《爪》と俺の武器には性能差があるのだ。
俺の幅広剣《ブロードソード》と鈍器《メイス》は対七等級武器《各25万》であるのに対して精鋭犬人《エリートコボルト》の爪は言うなれば天然《無料》の対六等級武器。ズルい、せめて金払え。加えて武器を扱う使用者側にも能力差が存在するのだ。遠いどころの騒ぎじゃない、もはや千里の道である。
「……」
「……ガッ!」
しかしブーブーと文句を垂れたところで戦況が有利に傾くはずもなく。今度は膠着状態に焦れた精鋭犬人《エリートコボルト》の方から仕掛けてきた。策なんてあったもんじゃない身体能力任せの猛チャージだ。故に厄介極まりない。
左脇腹がピリリと痺れ反射的に幅広剣《ブロードソード》を突き出し受け流そうとする……が、行動をとった瞬間に今度は右膝を痺れが襲う、と同時に目の前の精鋭犬人《エリートコボルト》の身体が残像を残して沈み込む。
ガギャンッ
アッパーカット――スピード重視のシャープな一撃が何とか突き出した鈍器《メイス》と交錯し、もちろん力負けした俺の鈍器《メイス》が無様に宙を舞った。
その様を見て精鋭犬人《エリートコボルト》は口元を愉快に歪め、右爪を突くようにして斜め下から顎目掛けて伸ばしてきた…が、これもまた直前に感じ取っていた俺は反射的に顎を上に向けそのままの勢いでムーンサルトキックを一点の青――奴の下顎《弱点》目掛けて繰り出す。
そして案の定、弱点攻撃を嫌った精鋭犬人《エリートコボルト》は次の攻撃モーションに入るのを中断しこれまた身体能力任せに後ろっ飛びで余裕を持った回避を見せつけてきた。
「……」
「グルァッハぁ♪」
う~ん…まずい。こちらは毎回未来予知にも似た危機察知を使ってようやっと紙一重でかわせるかどうかなのに奴は身体能力任せの後出しができる上に余裕もある。
しかも精鋭犬人《エリートコボルト》の野郎、お互いの持つ武器に明らかな性能差があることに気づきやがった。自分の爪に傷一つ見当たらなかったのだろう、顔を歪ませる俺に爪を出したり引っ込めたりして見せつけて嗤っている様子は弱者を甚振る強者そのものだ。
(……こりゃぁやばいな)
そしてさらにまずいのは俺の集中力が時間経過とともに低くなり続けているということ。人間はずっと集中し続けられるようには作られてはいないので当然といえば当然なのだが、今集中力が切れるのは本当にまずい。
集中力が切れる=モノクロ世界の崩壊なのだ。弱点看破《一点の青》はもちろんのこと危機察知能力も大部分が失われてしまう。そうなればぎりぎりで釣り合っている力の天秤は一気に精鋭犬人《エリートコボルト》の方へと振り切られることになり俺の負けが確定する。
(あと一回ってところか…)
ただ幸いなことにチャンスはまだ残されていた。だいぶ小さくなり霞んできているがモノクロ世界に浮かぶ一点の青を俺はまだ見ることができている…次の攻防で見えなくなってしまうだろうが。だから次の一撃、それにすべてを注ぎ込もう。
「……――」
身体能力と武器の性能差。一瞬だけでも良いからこの二つを覆す方法はないだろうかと考えを巡らせ、やがて不確かだが可能性のある道に辿り着く。
(……見ぃけっ)
辿り着くに至った時間はなんと十秒。絶体絶命の状況をひっくり返す策を考えついたにしてはあまりにも短く、一秒ごとに変わりゆく戦場の中ではあまりにも長すぎる時間を精鋭犬人《エリートコボルト》は許してくれた。強者の余裕様様である…――
「ふぅぅぅぅぅ……ッ」
(―――【渾身の一撃】)
ドガンッ
――…その余裕が自分を殺すのだから愉快で仕方ない。
最後の集中力を絞り切るかのようにして息を吐きスキルを発動。
地面を蹴り爆発的な推進力を得た俺の身体は奴の右胸に浮かぶ一点の青目掛けて飛んでいく。
「グルアッ!?」
相手が動き出してから動けばいいか。そう考えていたであろう精鋭犬人《エリートコボルト》の表情にあった油断が一瞬にして驚愕の色へ変わる…――そして俺の視界に映る一点の青もまた赤色へ変わり、奴の身体を覆うようにして空気が僅かに歪んだ。
(主演男優賞ものだな)
そう、奴は身体強化魔法を使ったのだ。それも全力ではなく、よくよく見なければ見逃してしまいそうなほど僅かなもので俺の速度を少しだけ上回るだけの強化。
先ほどといい今といい常に罠に嵌める気満々である。集中の極地に片足を突っ込んでいなければ俺も見逃していただろう。
(―――【投擲】)
けれども気づけた…―――俺の勝ちだ。
「ガゥッ!?」
衝突寸前でスキルを使い幅広剣《ブロードソード》を一点の赤目掛け投擲。今度こそ本当に驚いた様子の精鋭犬人《エリートコボルト》が右胸の前で両腕をクロスさせて飛来した幅広剣《ブロードソード》を防ぐ。
「るあ゛っ!」
「ガッ――」
直後――新しく奴の首に浮かんだ青い点を俺の左裏拳が捉え骨ごと粉砕した。手の甲に命を奪った感覚が直接伝わってくる。
「値段分の価値はあるってことか」
どさりと音を立てて崩れ落ちる精鋭犬人《エリートコボルト》。首がくの字に曲がった黒ずんでいく変死体を見下ろしながら左手を見つめる。
アドレナリンかそれとも流石は柊大志《ひいらぎたいし》監修の『ダンジョンルーキー』がいい働きをしてくれたのか、いつになっても左手の甲が痛むようなことはなかった。
(対六等級武器っていくらするんだ…?)
いずれ武器だけでなくダンジョンスーツまで買い替える時が来るのだろうか。
ひたひたとにじり寄ってくる金欠の足音を感じながら俺は意識を手放した。
モノクロ世界の一点が突如色着いた―――赤、危険な色だ。
予兆に応えるようにして今はまだ何もいない右の空間に向かい俺は幅広剣《ブロードソード》を振るう。
ガキンッ
瞬間、耳を劈く金属音。目の前には驚く小鬼剣士《ゴブリン・ナイト》の顔が。
しかし肝心の俺の右腕には衝撃一つなかった。
「違う、左だ」
「……みたいですね」
(あ~またしくじったぁ…)
いつの間にか隣に移動してきていた竜胆さんに指摘され悟る。俺はまた死んだ、救われたのだな…と。
彼女の指先と衝突した小鬼剣士《ゴブリン・ナイト》の剣は粉々に砕けていた。
「二回に一回か。悪くない、寧ろ出来過ぎなくらいだな……あぁ、とどめは任せた」
自分の身は自分で守る必要がある。そのための危機察知をスキルに頼らずとも出来るようにしろ…―――竜胆さんにそう言われた俺は二十五層に着いてからここまでの三時間、只管《ひたすら》に視界の悪い草むらの中で奇襲してくる怪物の相手をしていた。
そしてこれまでに五十回ほど察知に失敗し命を救われ、二十回ほど察知できはしたが接近戦の読み合いで敗れ命を救われ…合計七十回ほど竜胆さんと桜子さんのお世話になっているといったところ。
「了解…――ほいっ…」
「グギャっ…――」
指先だけで自慢の剣を砕かれ、呆然と立ち尽くす哀れな小鬼剣士《ゴブリン・ナイト》。その首を空振ったばかりの幅広剣《ブロードソード》で軽く撫で、炭化していったのを見届けると大きなため息を一つ。
訓練の途中、桜子さんが焼き払って作った安地の切り株に腰を下ろすと竜胆さんが寄って来るのが視界の端に見えた。
「接近には気づいていたし接敵のタイミングも合っていた。ただ読み合いに負けただけだ、そう落ち込むな」
「そうですよ海君。今は危機察知の能力を鍛えているんですから、戦闘中の読み合いはまたの機会にしましょう。二兎追うものは一兎も得ず、です」
「そう…ですね」
竜胆さんと後を追って来た桜子さんに言われて納得、確かに俺は何でもかんでも求め過ぎていたなと気付く。いくら戦闘が得意でも敵の接近に気付けなければ戦闘にはならないのだ。順序を間違ってはいけない。
「いやぁ、一番最初があまりにも出来過ぎていたのでつい」
ただ、そんな当たり前なことを忘れてしまうくらいに最初の察知から迎撃までの動作は見事なものだった。
「まぁ…確かにあれは文句なしの反応速度だったからな」
「私たちと同じタイミングで気づいていましたよね」
その見事具合たるや竜胆さんと桜子さんにべた褒めされるほど。あれさえなければ順序を違えることはなかっただろう。しかしあれがなければ今の危機察知能力はないと思う。
集中状態のモノクロ世界に現れた紅一点。何回も繰り返した今はその一点がだいぶ大きく見えるようになったからか見落とすことも少なくなったが、あの時はまだ針の穴くらい小さなものだった。
気付けたのは丁度その辺りを見ていたからだし、迎撃に至ってはもはや反射…――
(あ…)
「…そうか、反射か」
俺、ビビッと閃きました。この閃きを試さずにはいられない!
「お、再開するか?」
「お願いします」
竜胆さんと桜子さんに護衛されながら再び草むらに入り、再度集中状態に潜る、潜る……深く、深く。
集中度に比例して色褪せていく世界が完全なモノクロ世界になったところで小さな赤を見つけた。
(そこか)
敵を誘うためにわざと隙を見せればその赤は一気に大きくなりやがて怪物の姿に形を変える。
「ここ!」
速度的に犬人頭《コボルトリーダー》と予想し、接敵と同時に右に振る…――
(いや…左か)
――…おうとして瞬時に左の首元すれすれに刃を横たわらせた。
ジャリリィンっ
「…っ!」
「グルアァ?」
直後、思ったよりも早く左から金属音が耳を劈き、犬人頭《コボルトリーダー》…ではなく、精鋭犬人《エリートコボルト》の驚く顔が目の前を過ぎ去る。
(くそったれッ、マジで騙された!)
「海君ッいけそうですか!?」
「頑張ってみます!」
俺が謀殺されたと確信していたのだろう。いつの間にか精鋭犬人《エリートコボルト》の後ろに回り込んでいた桜子さんから戦えるかと聞かれたので、戦えますと返事して態勢を整える。
いや、それにしても危なかった。接敵する僅か数瞬前まで完全に敵は犬人頭《コボルトリーダー》であると思っていた、思わされていた。
恐らくだがこちら側から自分の姿が見えていないのを予想して奴《エリートコボルト》は意図的に速度を犬人頭《コボルトリーダー》に変えていたのだ。もしそうだとしたらずる賢いにもほどがあんだろ。流石は犬人頭《コボルトリーダー》の上位互換――六等級怪物『精鋭犬人《エリートコボルト》』である。
マジで反射、まぐれで初撃を凌いだよね。接敵する直前に左の首元がピリリと痛んだから『お?』と思い左に刃を添えたら案の定受け流された化け物がビュンと通り過ぎてくれました。
「……」
「……」
でも冒険者の上位層は案外こういった戦い方をするのかもしれない…と相手に隙が一つもなくて動けない俺は思います。
要は格上との戦闘は常に落ちたら即死の綱渡りみたいなものだということ。
そして今俺と正眼に構え合っている精鋭犬人《エリートコボルト》はまさしく格上の存在だった……周りに絶対怪物殺すウーマンがいるという安全ばっちりな状況で。
であれば、だ。ちょっとくらいはその上位層の戦い方に憧れてみてもいいんじゃないか?反射に頼り切った戦いってやつをさ。
「ふぅぅぅぅ………」
脚で大地を踏みしめ、少しだけ腰を捻る、背中からは鈍器《メイス》を取り出してなんちゃって二刀流に。するとモノクロの世界が突然真っ赤に色付いた。一点だけではない、濃淡はあるが全部が赤色の世界。
こいつにはどうやったって勝てないと本能が叫んでいた…―――
「悪かねぇなぁ…」
―――…だが、それでいい。格上ってそういうもんだろ?
一歩踏み出せばそこは死地、至る道はあの世への一方通行。
嘗て感じたことのない死の匂いが全身を包み込み感覚を麻痺させる。視界は真っ赤、手足は鉛のように重く、もはや音すらも聞こえない……けど、集中するには持って来いの状況だった。否、集中する以外には何もできない状態だった。
(竜胆さん、桜子さんお願いしますッ)
今奴《エリートコボルト》が踏み込んできたところで俺に一体何が出来るというのだろうか。だったら集中するためにもういっそのこと視界も塞いでしまおうと他人任せの極みを発動。
ニヤリと意味深な笑みを奴に見せつけながらそっと目を閉じれば、そこは水底だった。
(深く…深く……深く……ふか…―――)
自分の中の心の声さえも聞こえなくなったその時、水底がどぷりと音を立てて俺自身を呑み込み始める。
水よりも沈み辛い泥のようだ。それでもゆっくりと、しかし確実に身体は沈み込んでいき再び底に足が付く。とても不安定な足場だが立てないほどではない。むしろこの不安定さが心地良い。
集中の極地―――。
眼を開くともうそこに真っ赤な世界はなかった。代わりにより一層濃淡が強くなったモノクロの世界が広がっている。手足も重くないし耳だって聞こえる。
しかし戦場は何一つ変わっていない。疑り深い性格なのか、将又動けなかっただけなのか精鋭犬人《エリートコボルト》は眼を閉じる前のまま……いや、ちょっとだけ変わってるか。
「そこか」
モノクロの世界に一点の青が現れた―――。
その一点を目掛けて地面を蹴り上げ前進する…が、青はすぐに赤の危険色に変わり左首筋がピリリ。直後、突然の猛チャージに一瞬怯みはしたものの相手が格下だと思い出した精鋭犬人《エリートコボルト》による一撃必殺の右爪攻撃が襲う。
(速っ)
目にもとまらぬ速度とはまさにこのこと。
しかし攻撃を何とか受け流そうとした直前、またモノクロの世界に一点の青が現れ、そこ目掛けて捨て身で幅広剣《ブロードソード》を振るうと慌てて攻撃をキャンセルした精鋭犬人《エリートコボルト》の左腕と衝突し金属音が草原地帯に轟いた。
(硬っ)
なるほど、原理は一切わからないがどうやら一点の青は敵の弱点を表しているようだ。それも隙を晒しまくった俺の首が目の前にあったとしても防がなければいけないほどの大きな弱点。そこさえ突ければ形勢は180度変わってくれる。
けれども逆に言えば弱点に到達しなければ俺に勝ち目はない。そしてそこに至るまでの道はあまりにも遠すぎた。
「……」
「……」
距離をとったことで再び始まる頭脳戦が戦場を膠着させる。
決して精鋭犬人《エリートコボルト》から目を離すことなく、視界の端で右手に握る幅広剣《ブロードソード》と左手に握る鈍器《メイス》を見た俺は顔を歪ませた。
――そう、精鋭犬人《エリートコボルト》の武器《爪》と俺の武器には性能差があるのだ。
俺の幅広剣《ブロードソード》と鈍器《メイス》は対七等級武器《各25万》であるのに対して精鋭犬人《エリートコボルト》の爪は言うなれば天然《無料》の対六等級武器。ズルい、せめて金払え。加えて武器を扱う使用者側にも能力差が存在するのだ。遠いどころの騒ぎじゃない、もはや千里の道である。
「……」
「……ガッ!」
しかしブーブーと文句を垂れたところで戦況が有利に傾くはずもなく。今度は膠着状態に焦れた精鋭犬人《エリートコボルト》の方から仕掛けてきた。策なんてあったもんじゃない身体能力任せの猛チャージだ。故に厄介極まりない。
左脇腹がピリリと痺れ反射的に幅広剣《ブロードソード》を突き出し受け流そうとする……が、行動をとった瞬間に今度は右膝を痺れが襲う、と同時に目の前の精鋭犬人《エリートコボルト》の身体が残像を残して沈み込む。
ガギャンッ
アッパーカット――スピード重視のシャープな一撃が何とか突き出した鈍器《メイス》と交錯し、もちろん力負けした俺の鈍器《メイス》が無様に宙を舞った。
その様を見て精鋭犬人《エリートコボルト》は口元を愉快に歪め、右爪を突くようにして斜め下から顎目掛けて伸ばしてきた…が、これもまた直前に感じ取っていた俺は反射的に顎を上に向けそのままの勢いでムーンサルトキックを一点の青――奴の下顎《弱点》目掛けて繰り出す。
そして案の定、弱点攻撃を嫌った精鋭犬人《エリートコボルト》は次の攻撃モーションに入るのを中断しこれまた身体能力任せに後ろっ飛びで余裕を持った回避を見せつけてきた。
「……」
「グルァッハぁ♪」
う~ん…まずい。こちらは毎回未来予知にも似た危機察知を使ってようやっと紙一重でかわせるかどうかなのに奴は身体能力任せの後出しができる上に余裕もある。
しかも精鋭犬人《エリートコボルト》の野郎、お互いの持つ武器に明らかな性能差があることに気づきやがった。自分の爪に傷一つ見当たらなかったのだろう、顔を歪ませる俺に爪を出したり引っ込めたりして見せつけて嗤っている様子は弱者を甚振る強者そのものだ。
(……こりゃぁやばいな)
そしてさらにまずいのは俺の集中力が時間経過とともに低くなり続けているということ。人間はずっと集中し続けられるようには作られてはいないので当然といえば当然なのだが、今集中力が切れるのは本当にまずい。
集中力が切れる=モノクロ世界の崩壊なのだ。弱点看破《一点の青》はもちろんのこと危機察知能力も大部分が失われてしまう。そうなればぎりぎりで釣り合っている力の天秤は一気に精鋭犬人《エリートコボルト》の方へと振り切られることになり俺の負けが確定する。
(あと一回ってところか…)
ただ幸いなことにチャンスはまだ残されていた。だいぶ小さくなり霞んできているがモノクロ世界に浮かぶ一点の青を俺はまだ見ることができている…次の攻防で見えなくなってしまうだろうが。だから次の一撃、それにすべてを注ぎ込もう。
「……――」
身体能力と武器の性能差。一瞬だけでも良いからこの二つを覆す方法はないだろうかと考えを巡らせ、やがて不確かだが可能性のある道に辿り着く。
(……見ぃけっ)
辿り着くに至った時間はなんと十秒。絶体絶命の状況をひっくり返す策を考えついたにしてはあまりにも短く、一秒ごとに変わりゆく戦場の中ではあまりにも長すぎる時間を精鋭犬人《エリートコボルト》は許してくれた。強者の余裕様様である…――
「ふぅぅぅぅぅ……ッ」
(―――【渾身の一撃】)
ドガンッ
――…その余裕が自分を殺すのだから愉快で仕方ない。
最後の集中力を絞り切るかのようにして息を吐きスキルを発動。
地面を蹴り爆発的な推進力を得た俺の身体は奴の右胸に浮かぶ一点の青目掛けて飛んでいく。
「グルアッ!?」
相手が動き出してから動けばいいか。そう考えていたであろう精鋭犬人《エリートコボルト》の表情にあった油断が一瞬にして驚愕の色へ変わる…――そして俺の視界に映る一点の青もまた赤色へ変わり、奴の身体を覆うようにして空気が僅かに歪んだ。
(主演男優賞ものだな)
そう、奴は身体強化魔法を使ったのだ。それも全力ではなく、よくよく見なければ見逃してしまいそうなほど僅かなもので俺の速度を少しだけ上回るだけの強化。
先ほどといい今といい常に罠に嵌める気満々である。集中の極地に片足を突っ込んでいなければ俺も見逃していただろう。
(―――【投擲】)
けれども気づけた…―――俺の勝ちだ。
「ガゥッ!?」
衝突寸前でスキルを使い幅広剣《ブロードソード》を一点の赤目掛け投擲。今度こそ本当に驚いた様子の精鋭犬人《エリートコボルト》が右胸の前で両腕をクロスさせて飛来した幅広剣《ブロードソード》を防ぐ。
「るあ゛っ!」
「ガッ――」
直後――新しく奴の首に浮かんだ青い点を俺の左裏拳が捉え骨ごと粉砕した。手の甲に命を奪った感覚が直接伝わってくる。
「値段分の価値はあるってことか」
どさりと音を立てて崩れ落ちる精鋭犬人《エリートコボルト》。首がくの字に曲がった黒ずんでいく変死体を見下ろしながら左手を見つめる。
アドレナリンかそれとも流石は柊大志《ひいらぎたいし》監修の『ダンジョンルーキー』がいい働きをしてくれたのか、いつになっても左手の甲が痛むようなことはなかった。
(対六等級武器っていくらするんだ…?)
いずれ武器だけでなくダンジョンスーツまで買い替える時が来るのだろうか。
ひたひたとにじり寄ってくる金欠の足音を感じながら俺は意識を手放した。
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これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

Hしてレベルアップ ~可愛い女の子とHして強くなれるなんて、この世は最高じゃないか~
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孤児院で育った少年ユキャール、この孤児院では15歳になると1人立ちしなければいけない。
旅立ちの朝に初めて夢精したユキャール。それが原因なのか『異性性交』と言うスキルを得る。『相手に精子を与えることでより多くの経験値を得る。』女性経験のないユキャールはまだこのスキルのすごさを知らなかった。
この日の為に準備してきたユキャール。しかし旅立つ直前、一緒に育った少女スピカが一緒にいくと言い出す。本来ならおいしい場面だが、スピカは何も準備していないので俺の負担は最初から2倍増だ。
こんな感じで2人で旅立ち、共に戦い、時にはHして強くなっていくお話しです。

俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
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俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。

日本列島、時震により転移す!
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2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
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アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

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