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16、貴方の話を聞かせて
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薄暗い部屋の中で拓光は目を覚ました。
室内は埃っぽく、呼吸をするたびに咳き込みそうになる。窓の方を見ると、オレンジ色の光が差し込んでいる。
――俺はここでなにを……
考えてはみるものの、うまく思い出せそうにない。
「あら、目が覚めたのね」
と、声がして、慌てて拓光は立ち上がる。
「安心して。私は貴方に危害を加えるつもりはないわ」
「お前は……」
そこには一人の女の人が窓の外を眺めて立っている。
青いワンピースドレスを着た、長く黒い髪が美しい女性。
「お前だなんて言わないで。私は魔女よ」
と、彼女は不機嫌そうに振り返る。
――魔女? 魔女がどうしてここにいるんだ? この街にアリサ以外の魔女が?
疑問がいくつも浮かんでくるものの、どれも今、この場で口に出すようなものではないような気がして、拓光は何も言えない。
「貴方は私を見てどう思う?」
そう言って、魔女はその場でひらりと一回転してみせる。
踊るようにワンピースの裾は彼女の脚に巻き付き、そしてふわりと広がる。その長い髪も彼女が回転した勢いそのままに、彼女の顔に巻き付くものの、すぐにストンと肩に落ちる。そして、現れたその顔はとても白い。とはいえ、幽霊や死人のような白さではなく、生きた白さだ。とても美しい、白百合の花弁のような白。
気だるげな表情だけれども、その表情に、少し厚めの瑞々しい下唇がよく似合う。その儚さと愁いを帯びた表情に、拓光は思わず見惚れてしまう。
以前にも一度、こんな風に一人の女の子に見惚れたことがある。その子も魔女で、廃墟で魔法を操る神秘的な光景に、息を飲んだのだ。
――はっ。俺は、魔女に惚れてしまう魔法でも掛けられてるのか。
と、拓光は少し自嘲気味に笑う。
それを見て、魔女は苛立ったのか、もう一度拓光に問い掛ける。
「ねえ、貴方は私をどう思うの?」
「えっと、綺麗だと思います。とても」
「……それだけ?」
「……それだけ、って?」
「他にはなにか無いか、って聞いてるの」
確かに、女性を褒めるのに、一か所だけ褒めるのはよくない、と何かの雑誌で読んだことがあるような気もしないこともない。とはいえ、初めて出会った相手の褒めるべき点なんて、そうそう見つかるようなものでもない。
結局、それ以上なにも言えずに、拓光は小さく首を横に振る。
「……ああ、そう。まあ別に期待はしていなかったけれど」
そう言って、魔女は一歩、拓光に近付く。
「今、貴方が置かれている状況はわかっている?」
と訊かれて、拓光はもう一度考えてみる。けれども、わからない。今朝、起きてから朝食を食べて、いつものように学校へ行く準備をして、玄関を出たところまでは覚えている。けれども、そこから先の記憶はまったく思い出せない。
両腕を組んで考え込む拓光を見て、魔女は呆れたようにため息をつき、手をかざす。すると、その手の先の空間が小さく歪む。その歪んだ空間の中に、街の光景が映し出された。ぽっかりと浮かぶ、都市。
「これが、今のこの街の状況よ」
「これは……街が浮かんでいるのか?」
「いえ、切り取ったのよ」
「切り取った……?」
その言葉の意味がよくわからなくて、拓光は首を傾げる。
「ええ、私が。魔法の力でね」
「どうしてそんなことを?」
「私はね、今よりもずっとずっと遠い未来からやってきたの。長い長い時を生きてきた中で、私にとっては今のこの時代のこの街こそが、もっとも幸福な瞬間だった。一番幸せな時期をずっと残しておきたい、と思うのは当然のことじゃない?」
確かに、そう言われればそうかもしれない。幸せな瞬間を切り取るという発想は、写真を撮るという行為に共通するものかもしれない。
「だからね、私はこの街を切り取った。この宇宙から、時間軸から。永遠に、この街が幸福であり続けるために。私の計画が全て滞りなく遂行されたのならば、その結末に不変の幸福が訪れる。老いも、病もなく、変化さえもない、完璧な理想郷で、この街の人々は今のこの生活を永遠に続けられる」
「永遠……」
「そう、永遠に。ただ、この計画を実行するための不安要素がこの街にはある」
不安要素。
彼女の言うその不安要素に、拓光は心当たりがある。
「柏木アリサ……か」
「ええ、そうね。柏木アリサ。この街に存在する純血の魔女。彼女だけが、唯一私の計画を妨害することが出来る可能性を持つ。彼女は私の計画に否定的なのよ」
彼女が言うことは理解できる。
魔法の力は、奇跡だ。これは柏木アリサの口癖ではあるものの、間近で彼女の魔法を何度か見たことのある拓光も、それを体感してきて、実感している。魔女である彼女の計画を阻止するものがあるとするのならば、それは魔女である柏木アリサしかいない。奇跡を覆すには、奇跡しかありえない。
「彼女に会ったんですか?」
「ええ、そうよ。彼女は永遠を望まないらしいわ。貴方はどうなのかしら?」
そう問われて、拓光は考える。
彼女が成そうとしていることは、決して最悪のものではないはずだ。彼女のこれまでの経緯はわからないし、そこにどんな葛藤があったのかも知らない。けれども、きっと、彼女なりに考え抜いた結果、こういう選択に至ったのだろう。
永遠に変わらない今が続いていく。
それは、ある意味で究極の幸せなのだろう。それに魅力を感じないといえば、嘘になる。けれども、その幸せはなんだか、壁一面に貼られた昆虫の標本のようだ。昆虫たちはとても美しく残っていく。蝶の羽はその光沢や模様を保ち続けるし、カブトムシやクワガタの角は折れることはなく、当然、標本になった昆虫たちが争い始めることもない。けれども、それらはみんな死んでしまっている。
彼女がしようとしているのは、そんな世界の創造なのではないだろうか。虚構のような楽園。ならば、そんな世界は生きているとはいえない。そんな世界では生きていけない。
それに、柏木アリサがそんな世界を望んでいないのだという。それならば、拓光もそんな世界は望まない。
拓光は小さく首を振る。
――それに。
「永遠は、少し怖い」
と、そう呟いて左手で頭を少し掻く。永遠という言葉を実際に口に出してみると、思ったよりもずっとむず痒くて仕方がなかった。確かに、永遠という言葉は実際に口にする機会というのはそうそう無いものだ、ということに拓光は気付く。
けれども、永遠について考えたことはある。きっと、誰だって考えたことくらいはあるはずだ。
その時に、拓光は思ったのだ。どんなものにだって、終わりがある。それは、とても悲しくて、恐ろしい。けれども、それと同じくらいに永遠に終わりが無い、というのも恐ろしい。結末が、ゴールが見えない。果てがない、膨大な時を前に足がすくみそうになる。
「……そう、まあいいわ。貴方の意思がどんなものであれ、私の計画に変更はないのだし。永遠が怖いというのも――」
まあ、わかる。と、その言葉尻が拓光に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、魔女は囁く。
「とにかく、今の私の最大の不安要素は柏木アリサで、彼女に私の計画を邪魔させないための交渉の手札として貴方をこうしてここに連れてきた、というわけよ」
「ああ。つまり俺は人質というわけか」
「端的に言ってしまえば、そういうことよね。でも、さっきも言ったけれども、貴方に危害を加えるつもりはないわ。私はただ、柏木アリサと交渉さえできればいい。交渉さえできるのならば、彼女を説得するための材料はある」
そう言い切るだけの自信が彼女にはあるというのか。まあ、街ひとつを切り取るなんていう、前代未聞の大規模なことを成し遂げようとしているのだ。ちゃんと策も講じているのだろう。講じていて当然だ。
拓光は歩いて室内を見て回る。人質として魔女に捕らわれているはずなのに、両手両足を拘束されるわけでもなく、椅子に縛り付けられるわけでもない。自由に動けるのはきっと、彼女の言葉が真実だからなのだろう。拓光に危害を加える気はないし、そして自らの力に絶対の自信を抱いている。拓光が何か行動を起こそうとしても、すぐに押さえ込めるのだ、と。
室内にある唯一の扉のノブを掴んでみるものの、まったく回せそうにない。ドアノブが壊れている、とかそういう次元ではなく、扉そのものの時が止められてしまったかのように、微動だにしない。他にも壁や床を叩いてみたり、朽ちかけた本棚に仕舞われている古い本を開いてみたりして見るものの、とくに特別なものはなく、この状況を打破できそうな要素は見つけられない。
そんな拓光の様子を魔女はただじっと見つめている。
拓光は室内を一通り見て回った後、ため息をついて、部屋の隅にあった椅子に座り込む。
「……どう? 自分の置かれた状況は理解した?」
と、魔女は拓光に訊ねる。
「ああ、大体は」
今のこの状況が自分の力ではどうすることもできない状況なのだということはちゃんと理解した。
「そう、それじゃあ私とお話しましょう」
そう言って、魔女は拓光の向かいに椅子を置いて、座る。
拓光は小さく首を傾げ、片眉を上げて、どうして、と問いかけようとして、やめる。どうして彼女がそんなことを言いだしたのかはわからないけれども、拓光がその提案を断る理由はなかった。この室内に話し相手は彼女しかいないわけだし、このままいつまでも言葉を発さないのはそれなりに苦痛だ。それに、彼女と会話を重ねることによって、もしかしたらこの状況に何らかの変化を与えられる活路が見出せるかもしれない。
「ああ、わかった。いいよ」
と、拓光は椅子に座ったまま、身を乗り出す。
「で、何を話す?」
「そうね……貴方の話を聞かせて」
「俺の?」
「そう、貴方のこれまでの生い立ち、そして生きてきた中で何を思い、何を感じ、何を選択してきたのか、聞かせて」
それは、想定していたよりもずっと平凡な会話の話題の要求で、想像していたよりもずっと柔らかい声だった。やはり、この魔女は決して悪いものではないのだろう、と思わせる。
「どうしてそれが聞きたいんだ?」
「別に、ただの暇潰しよ」
そう言って、つまらなさそうに魔女は窓の外を見る。
「柏木アリサとの交渉の日まではまだ時間がある。それまで、するべきこともないし、暇なのよ」
できれば、彼女に話させて、情報を引き出したいところではあるけれども、特に断るようなことでもない。先に自分の話をしてから、彼女の話を聞いてもいいだろう。と、拓光は彼女の求める通り、自分の物語を話し始める。
「えっと、両親はまあ、良くも悪くも普通で……」
なんてことのない、平凡なひとりの男子高校生の人生に、大きな展開なんてない。普通の家庭に生まれ育ち、普通の保育園、幼稚園に通い、普通の小学校、中学校に通った。その間に大きな事件や事故に巻き込まれることはなかったし、やっぱり物語としては何の面白みもない。
唯一、大きな変化があったといえば、この春に人生で初めて転校というものを体験した、くらいのものだろうか。その転校先の高校に魔女である柏木アリサがいて、アリサと出会ってからは、少し普通ではない経験もいくつかしてきていたので、その部分についてはやや語ることが多くなってしまったものの、なんとか語り終えて、拓光は小さく息を吐き出す。
自分で自分の人生について細かく説明する、というのは多くの人々がきっと経験したことがないものだろう。拓光にとっても初めての経験だったので、うまく語れたのかはよくわからない。
拓光はそっと魔女の表情を窺ってみるものの、その表情からは、今の話をどういう風に聞いてくれていたのかは読み取れない。話の合間合間に質問を挟んだり、相槌を打ったりしてくれてはいたけれども、暇潰しと言っていた以上、そもそもこの話自体に興味がない可能性だってある。
「そう、ふうん。なかなか面白かったわよ」
そう呟いて、魔女は座っていた椅子から立ち上がろうとする。
「あ、ちょっと待って」
そんな魔女を拓光は慌てて引き留める。彼女から何らかの話を引き出したいと思っているのに、このまま終わってしまっては、どうにもならない。
「なによ」
「俺の話をしたんだから、今度は貴方の話を聞かせてよ」
「私の?」
と、意外そうな顔を浮かべて、魔女は目を見開く。きょとんとしたその表情は、なんだかさっきまでより少し幼く見える。まるで同級生くらいの女の子が目の前にいるような気がしてくる。
「そう。俺、貴方の名前さえもまだ知らない」
「ああ、そういえばそうね。私、まだ名乗ってなかったわね……」
そう言ったところで、魔女の動きはピタリと止まる。虚空を見つめて、小さく瞳が揺れた後に、唾を飲み込む音が聞こえる。
それはきっと、たった二人しかいない、この静まり返った室内のこの至近距離だからこそ、拓光の耳にまで届いた音なのだろう。
その音の直後、取り繕うように魔女は笑みを浮かべる。
「……やっぱり教えない」
と、まるで悪戯好きの無邪気な少女のように笑って、言う。その口元に、野良猫のような八重歯が光る。
「そっか……」
「でも、名前は教えないけど、私の物語は話してあげる」
どうせ暇だしね。と言って、魔女は再び椅子に座る。そして、彼女は自分の物語をゆっくりと語り出す。
室内は埃っぽく、呼吸をするたびに咳き込みそうになる。窓の方を見ると、オレンジ色の光が差し込んでいる。
――俺はここでなにを……
考えてはみるものの、うまく思い出せそうにない。
「あら、目が覚めたのね」
と、声がして、慌てて拓光は立ち上がる。
「安心して。私は貴方に危害を加えるつもりはないわ」
「お前は……」
そこには一人の女の人が窓の外を眺めて立っている。
青いワンピースドレスを着た、長く黒い髪が美しい女性。
「お前だなんて言わないで。私は魔女よ」
と、彼女は不機嫌そうに振り返る。
――魔女? 魔女がどうしてここにいるんだ? この街にアリサ以外の魔女が?
疑問がいくつも浮かんでくるものの、どれも今、この場で口に出すようなものではないような気がして、拓光は何も言えない。
「貴方は私を見てどう思う?」
そう言って、魔女はその場でひらりと一回転してみせる。
踊るようにワンピースの裾は彼女の脚に巻き付き、そしてふわりと広がる。その長い髪も彼女が回転した勢いそのままに、彼女の顔に巻き付くものの、すぐにストンと肩に落ちる。そして、現れたその顔はとても白い。とはいえ、幽霊や死人のような白さではなく、生きた白さだ。とても美しい、白百合の花弁のような白。
気だるげな表情だけれども、その表情に、少し厚めの瑞々しい下唇がよく似合う。その儚さと愁いを帯びた表情に、拓光は思わず見惚れてしまう。
以前にも一度、こんな風に一人の女の子に見惚れたことがある。その子も魔女で、廃墟で魔法を操る神秘的な光景に、息を飲んだのだ。
――はっ。俺は、魔女に惚れてしまう魔法でも掛けられてるのか。
と、拓光は少し自嘲気味に笑う。
それを見て、魔女は苛立ったのか、もう一度拓光に問い掛ける。
「ねえ、貴方は私をどう思うの?」
「えっと、綺麗だと思います。とても」
「……それだけ?」
「……それだけ、って?」
「他にはなにか無いか、って聞いてるの」
確かに、女性を褒めるのに、一か所だけ褒めるのはよくない、と何かの雑誌で読んだことがあるような気もしないこともない。とはいえ、初めて出会った相手の褒めるべき点なんて、そうそう見つかるようなものでもない。
結局、それ以上なにも言えずに、拓光は小さく首を横に振る。
「……ああ、そう。まあ別に期待はしていなかったけれど」
そう言って、魔女は一歩、拓光に近付く。
「今、貴方が置かれている状況はわかっている?」
と訊かれて、拓光はもう一度考えてみる。けれども、わからない。今朝、起きてから朝食を食べて、いつものように学校へ行く準備をして、玄関を出たところまでは覚えている。けれども、そこから先の記憶はまったく思い出せない。
両腕を組んで考え込む拓光を見て、魔女は呆れたようにため息をつき、手をかざす。すると、その手の先の空間が小さく歪む。その歪んだ空間の中に、街の光景が映し出された。ぽっかりと浮かぶ、都市。
「これが、今のこの街の状況よ」
「これは……街が浮かんでいるのか?」
「いえ、切り取ったのよ」
「切り取った……?」
その言葉の意味がよくわからなくて、拓光は首を傾げる。
「ええ、私が。魔法の力でね」
「どうしてそんなことを?」
「私はね、今よりもずっとずっと遠い未来からやってきたの。長い長い時を生きてきた中で、私にとっては今のこの時代のこの街こそが、もっとも幸福な瞬間だった。一番幸せな時期をずっと残しておきたい、と思うのは当然のことじゃない?」
確かに、そう言われればそうかもしれない。幸せな瞬間を切り取るという発想は、写真を撮るという行為に共通するものかもしれない。
「だからね、私はこの街を切り取った。この宇宙から、時間軸から。永遠に、この街が幸福であり続けるために。私の計画が全て滞りなく遂行されたのならば、その結末に不変の幸福が訪れる。老いも、病もなく、変化さえもない、完璧な理想郷で、この街の人々は今のこの生活を永遠に続けられる」
「永遠……」
「そう、永遠に。ただ、この計画を実行するための不安要素がこの街にはある」
不安要素。
彼女の言うその不安要素に、拓光は心当たりがある。
「柏木アリサ……か」
「ええ、そうね。柏木アリサ。この街に存在する純血の魔女。彼女だけが、唯一私の計画を妨害することが出来る可能性を持つ。彼女は私の計画に否定的なのよ」
彼女が言うことは理解できる。
魔法の力は、奇跡だ。これは柏木アリサの口癖ではあるものの、間近で彼女の魔法を何度か見たことのある拓光も、それを体感してきて、実感している。魔女である彼女の計画を阻止するものがあるとするのならば、それは魔女である柏木アリサしかいない。奇跡を覆すには、奇跡しかありえない。
「彼女に会ったんですか?」
「ええ、そうよ。彼女は永遠を望まないらしいわ。貴方はどうなのかしら?」
そう問われて、拓光は考える。
彼女が成そうとしていることは、決して最悪のものではないはずだ。彼女のこれまでの経緯はわからないし、そこにどんな葛藤があったのかも知らない。けれども、きっと、彼女なりに考え抜いた結果、こういう選択に至ったのだろう。
永遠に変わらない今が続いていく。
それは、ある意味で究極の幸せなのだろう。それに魅力を感じないといえば、嘘になる。けれども、その幸せはなんだか、壁一面に貼られた昆虫の標本のようだ。昆虫たちはとても美しく残っていく。蝶の羽はその光沢や模様を保ち続けるし、カブトムシやクワガタの角は折れることはなく、当然、標本になった昆虫たちが争い始めることもない。けれども、それらはみんな死んでしまっている。
彼女がしようとしているのは、そんな世界の創造なのではないだろうか。虚構のような楽園。ならば、そんな世界は生きているとはいえない。そんな世界では生きていけない。
それに、柏木アリサがそんな世界を望んでいないのだという。それならば、拓光もそんな世界は望まない。
拓光は小さく首を振る。
――それに。
「永遠は、少し怖い」
と、そう呟いて左手で頭を少し掻く。永遠という言葉を実際に口に出してみると、思ったよりもずっとむず痒くて仕方がなかった。確かに、永遠という言葉は実際に口にする機会というのはそうそう無いものだ、ということに拓光は気付く。
けれども、永遠について考えたことはある。きっと、誰だって考えたことくらいはあるはずだ。
その時に、拓光は思ったのだ。どんなものにだって、終わりがある。それは、とても悲しくて、恐ろしい。けれども、それと同じくらいに永遠に終わりが無い、というのも恐ろしい。結末が、ゴールが見えない。果てがない、膨大な時を前に足がすくみそうになる。
「……そう、まあいいわ。貴方の意思がどんなものであれ、私の計画に変更はないのだし。永遠が怖いというのも――」
まあ、わかる。と、その言葉尻が拓光に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、魔女は囁く。
「とにかく、今の私の最大の不安要素は柏木アリサで、彼女に私の計画を邪魔させないための交渉の手札として貴方をこうしてここに連れてきた、というわけよ」
「ああ。つまり俺は人質というわけか」
「端的に言ってしまえば、そういうことよね。でも、さっきも言ったけれども、貴方に危害を加えるつもりはないわ。私はただ、柏木アリサと交渉さえできればいい。交渉さえできるのならば、彼女を説得するための材料はある」
そう言い切るだけの自信が彼女にはあるというのか。まあ、街ひとつを切り取るなんていう、前代未聞の大規模なことを成し遂げようとしているのだ。ちゃんと策も講じているのだろう。講じていて当然だ。
拓光は歩いて室内を見て回る。人質として魔女に捕らわれているはずなのに、両手両足を拘束されるわけでもなく、椅子に縛り付けられるわけでもない。自由に動けるのはきっと、彼女の言葉が真実だからなのだろう。拓光に危害を加える気はないし、そして自らの力に絶対の自信を抱いている。拓光が何か行動を起こそうとしても、すぐに押さえ込めるのだ、と。
室内にある唯一の扉のノブを掴んでみるものの、まったく回せそうにない。ドアノブが壊れている、とかそういう次元ではなく、扉そのものの時が止められてしまったかのように、微動だにしない。他にも壁や床を叩いてみたり、朽ちかけた本棚に仕舞われている古い本を開いてみたりして見るものの、とくに特別なものはなく、この状況を打破できそうな要素は見つけられない。
そんな拓光の様子を魔女はただじっと見つめている。
拓光は室内を一通り見て回った後、ため息をついて、部屋の隅にあった椅子に座り込む。
「……どう? 自分の置かれた状況は理解した?」
と、魔女は拓光に訊ねる。
「ああ、大体は」
今のこの状況が自分の力ではどうすることもできない状況なのだということはちゃんと理解した。
「そう、それじゃあ私とお話しましょう」
そう言って、魔女は拓光の向かいに椅子を置いて、座る。
拓光は小さく首を傾げ、片眉を上げて、どうして、と問いかけようとして、やめる。どうして彼女がそんなことを言いだしたのかはわからないけれども、拓光がその提案を断る理由はなかった。この室内に話し相手は彼女しかいないわけだし、このままいつまでも言葉を発さないのはそれなりに苦痛だ。それに、彼女と会話を重ねることによって、もしかしたらこの状況に何らかの変化を与えられる活路が見出せるかもしれない。
「ああ、わかった。いいよ」
と、拓光は椅子に座ったまま、身を乗り出す。
「で、何を話す?」
「そうね……貴方の話を聞かせて」
「俺の?」
「そう、貴方のこれまでの生い立ち、そして生きてきた中で何を思い、何を感じ、何を選択してきたのか、聞かせて」
それは、想定していたよりもずっと平凡な会話の話題の要求で、想像していたよりもずっと柔らかい声だった。やはり、この魔女は決して悪いものではないのだろう、と思わせる。
「どうしてそれが聞きたいんだ?」
「別に、ただの暇潰しよ」
そう言って、つまらなさそうに魔女は窓の外を見る。
「柏木アリサとの交渉の日まではまだ時間がある。それまで、するべきこともないし、暇なのよ」
できれば、彼女に話させて、情報を引き出したいところではあるけれども、特に断るようなことでもない。先に自分の話をしてから、彼女の話を聞いてもいいだろう。と、拓光は彼女の求める通り、自分の物語を話し始める。
「えっと、両親はまあ、良くも悪くも普通で……」
なんてことのない、平凡なひとりの男子高校生の人生に、大きな展開なんてない。普通の家庭に生まれ育ち、普通の保育園、幼稚園に通い、普通の小学校、中学校に通った。その間に大きな事件や事故に巻き込まれることはなかったし、やっぱり物語としては何の面白みもない。
唯一、大きな変化があったといえば、この春に人生で初めて転校というものを体験した、くらいのものだろうか。その転校先の高校に魔女である柏木アリサがいて、アリサと出会ってからは、少し普通ではない経験もいくつかしてきていたので、その部分についてはやや語ることが多くなってしまったものの、なんとか語り終えて、拓光は小さく息を吐き出す。
自分で自分の人生について細かく説明する、というのは多くの人々がきっと経験したことがないものだろう。拓光にとっても初めての経験だったので、うまく語れたのかはよくわからない。
拓光はそっと魔女の表情を窺ってみるものの、その表情からは、今の話をどういう風に聞いてくれていたのかは読み取れない。話の合間合間に質問を挟んだり、相槌を打ったりしてくれてはいたけれども、暇潰しと言っていた以上、そもそもこの話自体に興味がない可能性だってある。
「そう、ふうん。なかなか面白かったわよ」
そう呟いて、魔女は座っていた椅子から立ち上がろうとする。
「あ、ちょっと待って」
そんな魔女を拓光は慌てて引き留める。彼女から何らかの話を引き出したいと思っているのに、このまま終わってしまっては、どうにもならない。
「なによ」
「俺の話をしたんだから、今度は貴方の話を聞かせてよ」
「私の?」
と、意外そうな顔を浮かべて、魔女は目を見開く。きょとんとしたその表情は、なんだかさっきまでより少し幼く見える。まるで同級生くらいの女の子が目の前にいるような気がしてくる。
「そう。俺、貴方の名前さえもまだ知らない」
「ああ、そういえばそうね。私、まだ名乗ってなかったわね……」
そう言ったところで、魔女の動きはピタリと止まる。虚空を見つめて、小さく瞳が揺れた後に、唾を飲み込む音が聞こえる。
それはきっと、たった二人しかいない、この静まり返った室内のこの至近距離だからこそ、拓光の耳にまで届いた音なのだろう。
その音の直後、取り繕うように魔女は笑みを浮かべる。
「……やっぱり教えない」
と、まるで悪戯好きの無邪気な少女のように笑って、言う。その口元に、野良猫のような八重歯が光る。
「そっか……」
「でも、名前は教えないけど、私の物語は話してあげる」
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