地球の愛

綿柾澄香

文字の大きさ
上 下
6 / 6

エピローグ

しおりを挟む
 彼を無事に送り出して、私の使命は終わりを告げた。

 こうすることこそが私の役割だったのだろう。
 すべては、人類の肉体をかたどり、そこに自らの魂を込めたのが始まりだった。

 精神は、肉体の在り方に引っ張られるのだという。

 これまで星として観測し、愛でてきていた人類は、人類としての肉体を持って接することによって、よりその輪郭、細部がはっきりと見えるようになった。星としての視点と人としての視点では見える範囲が違うのだと、その時になってようやく私は理解したのだ。

 そんなことに、四十五億年も生きてきて、今さらながらに知ったのだ。

 まったく遅すぎるだろう、と自嘲する。

 これまで私はなにをしてきていたというのだ。人類以前にも愛でた生命体はいくつかある。それらのことも、私はきちんと理解できていなかったのだ。

 いや、恐らく人類のことだって、いまだにすべてを理解したわけではないのだろうけれど。

 結局のところ、私はこれまで人類の表層しか愛していなかったのだ。

 肉体を得た私は、そこで初めて人類としての思考を手に入れた。それはきっと、肉体から精神が得た情報なのだろう。

 私が人類を愛していた、という言葉に嘘偽りはない。人類という存在はとても興味深く、見ていて飽きない存在だった。けれども、その愛はどちらかといえば、愛玩動物ペットに向ける愛情に近いものだったのだろう。人類を地球から出したくなかったのも、愛着のある愛玩動物を逃がしたくなかったというだけのこと。

 けれども彼と出会い、私はほんの少しだけかもしれないけれども、人類のことを理解できた……のだと思う。

 地球である私にとっては、人類の年齢の差異というものは判別がつきにくい。赤ん坊や年寄りくらいの違いならばわかるものの、その中間の年齢層の違いはよくわからなかった。

 そんな私が創り出した肉体は、人間から見れば、およそ十四~十六歳くらいのもなのだという。そして、その年齢の人類はまだ大人と呼べるようなものではないらしい。

 そんな肉体に、私の精神は引っ張られて、彼にとっては私の言動は随分と幼く見えたのだという。

 そして、それくらいの年頃の女の子は、恋に焦がれる年頃らしい。
 そう、私は恋に落ちたのだ。

 人類を愛していた。けれども、それ以上に私は彼に恋をした。

 それは、肉体に精神が引っ張られたことによる副次的な作用だったのかもしれないけれども、それでも、こんな想いを魂に刻み込まれてしまっては、もう戻れない。

 私は、彼を手放したくなかった。

 はじめから手放すつもりはなく、彼を説得して引き留めるつもりだった。

 だって、私は地球として観測していた人類の特性をある程度知っていたから。彼が宇宙へと飛び出してしまえば、どうなるかはある程度予想していた。これまで人類の宇宙進出を阻んできていたけれども、ここでひとり、宇宙への打ち上げを成功させる人間が出てきたのならば、それに続く人たちが必ず出てくる、と。人類とは、そういうものなのだ、と。

 たったひとつの限界突破ブレイクスルーが、人類をあっという間に高みへと連れていく。
 だから、彼を止めたかったのだ。

 彼が宇宙へと出て行けば、他の人類もそれに続くだろう。そうなれば、私が愛した人類は次々にいなくなってしまう。

 それが怖くて、私は彼の宇宙進出の真意を直接確かめに行った。

 けれどもそこで、私は彼という人間に惹かれてしまった。恋に落ちてしまったのだ。

 はじめは彼の友達になることを目的としていた。

 そうすれば、彼は宇宙へと行こうとする理由を説明してくれる、と言ったから。けれども、話しているうちに、どんどん彼に興味を抱いていった。彼が、こっちに興味を示さなかったからだろうか。彼が私のほうを見ないから、余計にもっと彼のことを知りたいと思うようになっていったのだ。

 最初は好奇心だけだと思っていたのだけれど。どうやら、好奇心と恋心というものは紙一重らしかった。その紙一重を勘違いして、私は彼に恋をしたのかもしれない。まあ、今となってはそんなものはどちらでもいいだろう。勘違いであろうと、一度抱いた想いは消え去らないのだから。

 そうしてある日、彼は自らの心中を語った。
 誰にも馴染めない、自らを欠陥品と語る彼。

 けれどもきっと、それは必然だったのだろう。人類愛が欠落しているという彼はきっと、人類が宇宙へと飛び出すために、状態で生まれ落ちたのだ。

 それだけ、人類は宇宙への進出を渇望していたのだと、私は解釈した。

 それが正解なのかどうかはわからない。もしかしたら、私がただ勝手にそうだと思い込んでいるだけなのかもしれない。

 それでも、彼がそれを望むのならば、叶えてあげるべきだと思ったのだ。

 私が願うのは、私自身の願いの成就ではなく、彼の幸福。

 地球にいる限り、彼が幸せを得られないというのならば、ほんのわずかな可能性であっても、宇宙に出てそれを見つけ出せる可能性に賭ける彼を支える。

 そうすることが正しいのだと思った。

 打ち上げに成功し、白煙だけが取り残された青空。
 それを眺めながら、周囲の人々はそれぞれが様々な反応を示している。

 なぜ打ち上げは成功したのだ? 神の意志はどうなった? これから神の怒りがあるに違いない。まさか、もう一度宇宙へ出る人類が生まれるなんて。これは歴史的な瞬間か? いや、たまたまだ。もう一度同じことをしようとすれば、今度こそ神の鉄槌が下るはずだ。

 等々。

 きっと、そのうち彼らも富良西ふらにしへりに続くようにいずれは宇宙へと旅立っていくのだろう。数多の人類が宇宙へと行き、そしていずれはこの地球上に人類はいなくなる。けれども、そんなことはどうだってよかった。だって、私にとって一番必要な人がもうここにはいないのだから。もはや人類に対する興味は薄れてしまった。正直に言ってしまえば、彼の居ない世界なんて、どうだっていい。

 未だ、周囲の人々はくだらない言葉を空に投げ掛け続けている。
 彼らの戯言を聞き流しながら。

 私は空を見上げたまま、ただ彼の幸福を祈る。
 おかしな話だ。

 かつて私は、打ち上げられたそれを眺めながら、あれほど墜ちろ、墜ちろと願っていたというのに。
 気が付けば彼が乗る宇宙船に対して、正反対の祈りを捧げていた。

 ――飛べ、飛べ、飛べ……お願い、飛んで!

 と。彼が無事にこの地球から飛び立てますように、なんて。

 きっと、彼の旅は絶望的なくらいに孤独な旅だ。

 だって、この宇宙はあまりに広大で、光の速さでさえ遅すぎてやきもきするくらいなのだから。光速には足元にも及ばない彼の宇宙船では、太陽系を抜けるのでさえ数年を要するだろう。そんな程度のスピードでの航行では、彼の求めるようななにかを見るけられるような場所への到達なんて、到底かなわない。

 絶対に追い付かない蜃気楼を追いかけているようなものだ。

 けれども。それでも、いつかその蜃気楼を掴むと信じて彼は進み続けるのだ。

 どうか、そんな彼の奇跡のような願いが叶いますように。

 そう願うと同時に、もう彼とは再び会うことはないのだ、と思うとこれまでに感じたことのない感情が込み上げてくる。

 胸が苦しい。
 息がうまくできない。

 鼻の奥がツンと熱くなる。
 気が付けば、頬を雫が伝っていた。

 ――ああ、これが。

 と、私はようやくすべてを理解した。
 私はすべてを失ったのだ。

 これは地球ほしが人に恋をして、そして失恋したというだけの物語。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...