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第13回 難関! はじめての実習(病院編) その5

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 振り向いた指導者さんの顔を、夢歌さんはまっすぐに見ることが出来なかった。

「申し訳ありませんでした」

 絞り出すように、それだけ何とか口にする。

「ええ、これからは気を付けましょうね」

 たったそれだけ言うと。

「紙ごみは、こっちの可燃ごみに捨ててね。マグカップはこの流しで洗いましょう……茶渋がついているわね、ついでに落としましょう」

 何事もなかったかのように指導者さんに言われて、夢歌さん、流しでマグカップを洗い始める。
 ゴミを捨てた渡部さんは、いつの間にか後ろに来ていた丸光先生と先に病室に戻っていった。
 
 茶渋の汚れは頑固で、こすってもなかなか落ちない。それでも無心でスポンジでこすり続ける夢歌さん。
 
 今は何も考えず、ひたすら単純作業をしているのが心地よかった。けど。

「あら、きれいになったわね。じゃあ、水分を拭き取って持っていきましょう」

 指導者さんの誉め言葉にも、素直に嬉しいと思えなかった。この後患者さんのもとに再び行かなければならないと思うと、憂鬱になってしまう。
 
「あ、Aさん、今お風呂に行かれました。その間に、シーツ交換、しようって……」

 丸光先生と一緒に渡部さんが戻ってきて、指導者さんに報告する形で夢歌さんに状況を伝えてくれる。

 ほんの少し、患者さんと顔を合わせる時間が先延ばしになったことに、夢歌さんはホッとした顔を見せた。それを、指導者さんも丸光先生も見逃してはいなかったと思う。

 けれど、何も言わず、一緒に病室に戻り。
 他のメンバーを看るために指導者さんはそこから別行動になった。

「じゃあ、シーツ交換しましょうか」

 入浴の間に交換することの了承は得ている。夢歌さんがマグカップを洗っている間に、ベッド上の私物は片づけてあった。渡部さんが一緒に片づけたという。

「あとで、様子を伝えるね」

 小さな声で渡部さんが耳打ちする。そのささやくような声に労わりを感じて、夢歌さんはまた泣きそうになってしまった。

「そうそう、きれいに整えられたわね。包布は四隅を二人でしっかり持って……」

 学校で練習する時に使用しているリネン類と多少様式が違っていて、少し苦戦しながらもきれいにベッドを整えることができた。
 
 患者さんがいない状況でなら、こうやって落ち着いて作業できるのに……先生から褒められても、やっぱり夢歌さんはネガティブ思考から抜け出せないでいた。
 
「あら、きれいにしてもらって。嬉しいわ」

 ベッド周囲の拭き掃除が終わった頃。
 入浴から戻ったAさんが、ベッドを見て嬉しそうに声を上げた。
 でも夢歌さんはAさんの顔をまっすぐ見ることができずうつむいたまま。

「それに、九重さん、だったわよね? マグカップもきれいにしてくれたのね。ありがとう、嬉しいわ」

 本当に嬉しそうなAさんの言葉に、夢歌さんは必死で顔を上げた。

 その声と同じように、嬉しそうなAさんの顔が目に入った。

「いえ、落としてしまって、申し訳ありませんでした」

「いいのよ、端っこに置いといた私がいけないんだから。お茶も残したままで、逆に手間をかけさせちゃって申し訳なかったわ」

 優しいAさんの微笑みに、夢歌さん、目にじんわり涙が浮かび、慌ててこっそり深呼吸する。

 そのあとは、Aさんとお話したり、手術の痕を見せてもらったり、一緒にロッカーを整理したりして。

 あっという間にお昼になり。
 ちなみに今日の献立は、白ご飯に茹で鶏の香味ソースと中華風春雨サラダに茄子のお浸し。ほどほどボリュームもあり、でも野菜が多め。見ているだけでお腹がすいてきた。

「病院のご飯はおいしいですか?」

 すぐに渡部さんがAさんに質問する。こういう時、本当に渡部さんは積極的だ。

「おいしいわよ。最初は味が薄めだと思ったけど、慣れてきたのかしらね」

 Aさんは他に病気がないので、普通食を食べている。配膳の時に、ちらっと他の患者さんの食札が目に入ったが、そこには「塩分6g制限」と書いてあった。丁度他のメンバーの受け持ちさんだし、あとで味の感想を教えてもらおう。

 朝の失敗を気にしないで優しく対応してくれるAさんのおかげもあって、ようやくネガティブ思考から脱却しつつあった夢歌さん。



 少しだけ浮上した気分でお昼休みに入ることができた。



「朝はゴメンね」

 昼食は前日オリエンテーションをした大会議室を食堂としてお借りしている。

 お弁当を広げながら、夢歌さんは渡部さんや他のメンバーに謝罪した。

 夢歌さんの対応のため、指導者さんと丸光先生が予定外の動きになってしまい、いくらか援助にも遅れが出たらしいと聞いたので。

「別に想定内だよ。臨機応変にって、学内オリエンテーションでも先生、言ってたじゃん?」

 学内での事前オリエンテーションで、確かに丸光先生は「患者さんのスケジュールを含めて、予定変更はあり得ます」って言っていたけど。

 でも、まだ指導者さんや先生の見守りなしでは援助ができない1年生にとって、誰もいない状況はストレスだったと思う。

「ちゃんと部屋持ちさんが来てくれたし、大丈夫だったよ。うちの学校の先輩だったし。指導者さん以外の看護師さんともお話できて、色々援助も見学させてもらえたし、逆によかったよ」

 別の病室で患者さんを受け持っているメンバーがなんでもないことのように言ってくれる。

 Aさんといい、クラスメートといい、どうしてみんな優しいんだろう。

 逆に申し訳なくなってしまう。

「ほら、そうやってすぐ涙ぐむのは夢……九重さんの悪いところだよ。笑顔笑顔」

 渡部さんが冗談めかして言った後、ハイと夢歌さんの手にキャンディーを乗せてくれた。

「おすそ分け。泣いてばっかりいると、塩分足りなくなっちゃうぞ」

 甘いキャンディーではなく、熱中症予防の塩飴だった。

 お弁当を食べ終わって、もらった塩飴を口に含む。
 
 あまじょっぱい味が、まるで涙みたい。
 
 キャンディーと一緒に涙も飲み込んでしまおう。




 夢歌さんはそう決意して、最後に口の中に残ったかけらをカリっとかみ砕いて、飲み込んだ。
 
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