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第十四章 蒼き氷雪の曙光

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 死に瀕したはずの加奈は、驚異的な回復を見せた。市内の総合病院に転院し、わずか三日で歩行も可能になり、その二日後には腹部に挿入した管も抜け、近日中の退院が決まった。

 もっとも、そこまで危機的状況であったことは関係者以外には伏せられている。表向きは、イルミネーション会場での落雷の際に転倒し腹部を強打したため、会場近くの診療所で初期対応を受けた後、脾臓損傷の疑いから精密検査を受けるために転院した、ということになっている。検査の結果、少量の出血が見られたものの、手術は不要、点滴治療で回復した、と家族には説明されており、それを信じている様子である。
 樽筆山のイルミネーションイベントは、ライトの再設置に二週間近くかかるとのことで、十二月後半まで休業となった。山火事や谷津マリカによる刺傷事件は伏せられたままである。世間がそれで納得しているなら、それでいい。

『俊は納得がいかないかもしれないけど、そう言うことにしておいて』
 斎にはそう言われたが、最も被害を被った加奈がそれを受け入れているのだから、自分がとやかく言う権利はない、と俊は思っている。

 一連の出来事を考えれば、俊も十分当事者であるはずだが、その元凶たる『シバ』――井川英人の変貌を目の当たりにし、やや毒気が抜けてしまった感がある。

 健太が『Eight』と独特のアクセントで呼ぶと、幼子のような表情で健太に縋りつく井川英人に、初めは驚いた。あの出来事のあと、唐沢家の浴室で健太と二人、英人の血まみれの体を洗ったが、その時右の額にある疵も目にした。あとで斎から子供の頃の虐待の傷痕だと聞いて、憤りも感じた。「あの時に思い出したことだけど」と健太と英人が幼馴染であり不遇な幼少期を過ごしていたことを教えてもらい、その理由が俊に、正確には俊に宿るシヴァの存在を「宿していなかったから」であることを聞き、(万に一つも俊には責任はないから、と健太には言われたが)感じなくていい罪悪感まで持ってしまった。

 今は唐沢家の診療所で右額の疵を治療している。経過が長すぎて、完全に治癒することは難しいそうだが、化膿したり出血することがないようにはできるという。痛々しい包帯も、英人が身に付けていると、妙に背徳的というか、色気がある、と、これは真実の感想である。

 幼い『Eight』は加奈が回復するにつれ表に出ることは少なくなっていたが、時折不安そうに、健太を探すように視線をさまよわせているらしい。健太の姿を見つけると、ホッとしたように表情が柔らかくなる、と、こちらは珠美からの情報である。

『真実センパイ! 油断していると健太さん、持っていかれますよ! 絶対奪われないでくださいね! 私も協力しますから、絶対に!』
 と、珠美が真実にやたら強烈なエールを送っていた。

 煽られた真実が、今日も健太の腕にしがみついて離れない。正直目のやり場に困るのだが。それに、真実にしがみつかれて、へらへらと嬉しそうな健太を見れば、珠美の心配は無用だと思うのだが。

「真実先輩、病院の中では、ちょっと自粛してくださいよ」
「いいじゃない? 個室なんだし」
「そんなに牽制しなくても、当の相手は加奈先輩に夢中じゃないですか……珠ちゃんが変なこと言うから……」
 俊と同じく、美矢も目のやり場に困っている様子である。どうしてこの組み合わせで加奈のお見舞いに来てしまったのか、俊はちょっと後悔している。

 その加奈のベッドサイドでは、こちらも冬の最中だというのに、そこだけ春が来たように甘い雰囲気を漂わせているもう一組の恋人達がいた。

 今日は珍しく、『Eight』が顔を出し、加奈に甘えている。いつの間にか加奈は英人のすべての人格を受け入れたらしい。
 全ての人格……『シバ』も含めて、である。

『高天君には申し訳ないけど、あの人も含めて、私は英人が好きなの。高天君の前では、大人しくしてもらうよう頼むから、認めてほしいの』
 認めるも何も、一番の被害者で、英人の一番近くにいる加奈が受容しているものを、他人の俊が口出しできるわけがない。ここでも自分は当事者でなく第三者だという認識の俊は、加奈の意志を尊重している。が。

 この雰囲気は、ちょっと、キツイ。

「先輩、私達、先に失礼しましょう?」
 健太は斎に頼まれて英人の身を、病院の外で待機している唐沢家の担当者に引き継がなければならないという。まだ不安定な英人は、現在は治療がてら唐沢家にお預かりの身なのである。
 美矢の提案にうなづいて、一足早く病室をあとにする。そのまま、院外に出る。

 今日は少し冷え込んでいるが、体感的にも精神的にも暑いくらいの室温から解放されて、寒風が心地よい。

「当てられちゃいましたね」
 美矢も頬をほんのり紅潮させて、しばらくはコートを羽織っても襟を開いたままにしていたが、やがて寒さを感じ始めたのか、襟元のボタンをはめる。
 濃い灰色の、大きめの襟のショートコートである。裾が広がっているデザインは、何だかテルテル坊主みたいでかわいい。

「コート、新しくしたんだね」
「弓子さんが……叔母が、買ってくれて」
「そうなんだ。……よく似合うよ。テルテル坊主みたいだ」
「……一応、褒めてくれたんだ、と、好意的に受け取っておきますね」
 また、言葉を間違えたらしい。女の子の服装を褒めようなんて慣れないことをしても上手くいかない……俊はがっくり落ち込んだ。

「でも、口下手な先輩が、褒めようと頑張ってくれたのは……嬉しいです」
 はにかみながら言われて、少しだけ報われ、気持ちも上向いてくる。

「ありがとう。ゴメンね。気を遣わせて」
「もう、先輩、すぐ謝るの、やめてください。先輩が口下手なことなんて、私、もう十分承知していますから。だから……その」
「?」
「……少し、寒いかな、なんて」
「ああ、もう十二月だしね」
「…………」

 また、外したらしい。美矢の沈黙を受けて、俊は落ち込みながらも思案する。

 寒い、って言っているんだから、温かくすればいいってことかな? どうしようか、自販機かコンビニで、温かい飲み物でも買えばいいのかな? あ、カイロとか? 店、この辺にあるかな? 病院の中に戻れば、売店とかあるかな?

「カイロ……とか買おうか? どこか、店……」
 その一言で、どんどん斜め上の方向にずれていっている恋愛音痴の俊の思考を察して、しびれを切らした美矢が、諦めて助け船を出す。

「それもありがたいんですけど。できれば、今、この場で、あっためてほしいかな、なんて」
「?」
「その、私、今、手が冷たいんです! とっても!」
「手……あ……」

 ようやく察したらしい俊が真っ赤になるのを見て、美矢は心の中でガッツポーズを取った。

「……あ、うん。寒いね……手、あっためよう、か?」
 視線を外して、それでも美矢の方に手を伸ばす俊。
 美矢は、その手を、そっと握りしめ。それから。

 美矢は重大な事実に気が付いた。
「……先輩。あの、私も忘れていたんですけど」
「……何かな?」
「あの、その、多分、順番とか、もう今更な気もするんですが。私、……高天先輩が、好きです」
「あ……」

 そう言えば、いろいろすっ飛ばして、何で手とか、握っているんだ?!

 しかも、美矢から言わせてしまった。正彦に、「こういうことは、男がガツンとキメるんだゾ!」と、何度も念押しされていたというのに。

「あの、ゴメ……じゃなくて!」

 スウ、ハア、スウ……何度も、何度も深呼吸を繰り返し。

「僕も、君が、遠野さんが……………………………す、好きだよ」

 幾分長いタメはあったが、言えた。少しどもってしまったが、ちゃんと言えた。

「……嬉しいです」
 美矢の満面の笑みを見て、ようやく俊はホッとした。

 思いが通じ合い、照れくさそうに視線を交わしあう二人の背後で、小さな咳払いが聞こえた。その後に、少しあきれたような声が続く。

「……え、っと、うん、さっきの言葉を返しちゃおうかな? 病院の前では、自粛したほうがいいかも、ね?」
 


 ……脱兎のごとく逃げだした二人の手は、しっかりつながれたままだった。
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