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第十三章 冬空を貫く雷光

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 もともとゲレンデにあった建物を改築したというゲストハウスは、ログハウス調で、ピザ用の石焼窯も設置されているレストラン兼休憩所である。
 石窯とは別に暖炉や薪ストーブもそこかしこに置かれており、暖かな空間を醸し出していた。

「はあ、あったまるわね。それにいい豆使っているわね。メニューも充実しているし」
 弓子はホットコーヒーを飲んで一息つきながら、テーブルに置かれたメニュー表をくまなく調べる。
 マグカップにたっぷりのホットコーヒーという、冬山では嬉しい、あったかドリンク提供スタイルだ。
「和矢、他に何か頼む? 甘いものもあるわよ?」
「夕食に差し支えるから、今はいいですよ。あと三十分もすれば、みんな集まってくるだろうし。……っていうか、ちゃかり席予約リザーブしていたんですね」
 テーブルをはさんで正面に座った甥っ子が、こちらもマグカップ入りの温かいカフェオレを堪能しながら、少しあきれたように言う。

「ちがうわよ。あっちで気をきかせてくれたのよ。受付で人数伝えたら、もうキープされていたんだもん」
「主催者の親会社の大株主が観に来たなんて聞けば、それは気を遣うに決まっているじゃないですか? 受付の人、招待券見て真っ青になっていましたよ。大方、招待券に目印でもついていたんでしょう? 大物は一言伝えてから訪問しないと、相手がかわいそうですよ。というか、僕らだけで来ることにならなくて、良かったですよ。僕も事前に確認するべきでしたけど」

 主催者のスギヤマ電機が遠野家が創業した会社の子会社だと知ったのは、つい先ほどだ。弓子の持っていた招待券を渡され慌てふためく受付係の様子を見て、斎が「あ、そうか、スギヤマ電機、和矢の家の会社の子会社だっけ」と、さもうっかりしていたように教えてくれた。もっとも斎の飄々とした様子から考えると、知っていて黙っていた可能性も多分にある。弓子の方は……おそらく、本当にうっかりしていたのだろうと思うけれど。

「今まで、あんまり気にしてこなかったんですけど。もしかして、遠野の会社って、結構な規模なんですか? 地元に古くからある、精密機械の会社、っていうことしか知らないんですけど」
「あ、そうね。株式会社遠野は、精密機械の工場がここ以外に国内に二つ、だったかな? まあ、そこそこの規模なんじゃない? 一部上場もしているし、中の上くらいかな」
「でも、スギヤマ電機が子会社ってことは、他にも関連企業があるんですよね?」
「直接経営権を持っている子会社は、四つくらいだったと思うけど。幹部が出向して業務提携しているところは……たぶん十社くらい。抱え込み過ぎると、連鎖倒産しかねないから、抑えているって聞いたけど。直接関わっていないから、このくらいしか分からないわ」

「……それで、弓子さんの個人資産は?」
「一応、一生食べるのには困らない、程度かな? 倒産しちゃっても大丈夫なように、会社とは切り離してあるから、大丈夫よ? ちゃんと和矢と美矢にはしっかり財産遺していくわよ」
「そんなこと、心配していません。……組織に入るために、かなり使ったんでしょう?」
「気がついちゃったか。最近のあなたの様子からして、もしかしたらそうかな、って思っていたんだけど。うん、まあ、ちょっと大きな買い物だったかもね。まあ、九桁は行ってないわよ」

「ゼロが、とか言わないですよね?」
「……さて、どうだったかな?」

 最低でも一億円以上の寄進を組織にしているらしい。個人会員としては破格の寄進額だ。どおりで、ハイスピードで上位会員に昇格するはずである。
 この間の一階部分のリノベーション工事の費用も、見積もりを見ながら散々頭を悩ませ、「えーい、思い切ってやっちゃえ! 必要経費!」とやっとの思いで工事に踏み切るほど、意外とお金の使い道には細かいところを見ていた。ただ光熱費に関しては、「せめて快適な環境で生活しなくちゃ。ケチケチしない!」と自分に優しく地球に厳しい発言をして、エアコンの設定や電灯の点けっぱなしなど、色々無駄遣いが多く和矢に叱られることもあったが。日頃の買い物は、衝動買いをするよりは、カタログやネットを見比べて熟考してから購入する様子もあり、節度を持って金銭管理をしているように見えた。
 決して清貧とは言わないが、浪費をするわけでもない、親の遺産とそこそこ高収入でクリエイティブな仕事を得て、ちょっと裕福な生活レベル、くらいに感じていた。

「いったいどこからそんなお金……」
「たまたま相続税対策で家を手放して、現金が手元にあったのよね。まあ、本来は兄さんが受け継ぐお金だし、兄さんのために使うのならご先祖様も許してくれるかな、って。ごめんね。和矢達に遺すお金使っちゃって」
「だから、そんなことはいいんですって。家を捨てた父のために、弓子さんが不利益を被っていることが問題なんです」
「不利益じゃないわよ。おかげで、あなた達と出会えたし、暮らせているし。最高の利益、ハイリターンよ」

 あの時も、こんな風に微笑んでいたのだろうか? 健太とのやり取りを立ち聞きした際は、声しか聞こえなかったから、弓子が『一日でも長く、和矢と美矢と暮らしたい』という言葉を、どんな表情で言ったのか、今分かった気がした。

 自分が、どれほどの愛情で包まれていたのかも。

 金銭では愛情は測れない。それは事実だ。弓子がしたことは、見方を変えれば札束で頬を殴るような、富めるものにしかできない、強者の手段であった。しかし。

 自分の持ち得る武器を惜しげもなく使い、身の安全すら危機にさらして飛び込んできたその行為には、確かに愛情が存在するのだ。それが、兄に、自分達の父に対するものであっても。その愛情を、今は自分達兄妹に惜しげもなく注いでくれている。それも、まぎれもない事実なのだ。

「ねえ、和矢。あなたが私を守ってくれようとしているのは、知っているわ。甥っ子に、そんな風に思われて、叔母冥利に尽きるわよ。とっても嬉しいわ。でもね」
 空になったマグカップを弄びながら、弓子の目に悲し気な光が浮かぶ。

「あなたが私を守りたいと思うように、私もあなたを守りたいの。あなたと美矢は、私にとってたった二人の血縁で、愛する兄の忘れ形見で、……代えがたい家族なんだから。例え、私にはその力が不足しているとしてもね。そう思うことだけは、許してほしいの。いつか、あなたが心を許して羽を休めるような誰かに出会うまでは、その役目をやらせてほしいの。きっとあなたは、あっという間に私の保護なんて飛び越えて、羽ばたいていってしまうでしょうけど。だけど、今は、私の家族でいてください」

「……僕を抱え込むことが、どれだけ危険なことか、分かっているのに? 僕の身の処し方次第では、たとえ兆の金を積んだって、組織は見逃してくれませんよ」
「そうならないように、あなたがうまく立ち回ってくれるって、信じているもの。だから平気」

 根拠もない信頼の言葉。自分を守りたいと言いながら、最後は和矢に守られることを肯定され、その全幅の信頼がプレッシャーでありながら、強く自分を励ます。

 ああ、自分はきっと、一生この人には敵わないな。誰かを守ることでしか確立しえなかった自分の存在価値が、誰かに守られることで強く在れるなんて、思いもしなかった。

「任せてください」
 そう答えて、和矢は久しぶりに、心から微笑んだ。
 その時。

 バキーッ!

 何かが割れるような、大きな音が鳴り響いた。ついで、ゲストハウス内の照明が、一瞬揺らぐ。
 ゲストハウスにいた他の客の間にも動揺が走り、なんだなんだ、と声が上がる。落ち着かせようと声をかける従業員自身も訳が分からず浮足立っている。

「ちょっと、外の様子を見てきます。弓子さんは、ここにいてください。美矢達が戻ってきたら、一緒にいてください。決して、危ないことはしないで」
 それだけ言うと、返答も聞かず、和矢はゲストハウスの二階に上がる。そこからテラス席に出た。事前に確認した会場の地図を思い浮かべる。

 広い会場で、皆がそれぞれ別行動しているとは言っても、集合時間に戻ってこれるコースを選んでいるはずだ。そして、斎と正彦以外は、男女のペア。とすれば。
 東側の展望台にある「赤いリンゴのモニュメント」が、恋人向けイベントのイルミネーションだったはず。ゲストハウスはイベント会場の中央に位置し、他の場所よりもやや低い立地にある。逆に、ここからなら四方を見渡せる。和矢は、東側に面したテラス席に移動する。目を凝らすと、ぼんやり赤く輝いている。

 風が、焦げたにおいを運んでくる。先程までいた室内の薪ストーブとは違う、湿り気を帯びた煙の臭いがする。
 それは、電飾イルミネーションの灯りではなく。


 夜の山並みをじわじわと染め上げる、炎の、赤だった。
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