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第十二章 哀哭の二重奏

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 十一月最後の土曜日。
 この日、加奈は十七歳になった。

「誕生日おめでとう」
「ありがとう」

 午後三時に待ち合わせた駅前で英人は挨拶もそこそこに祝いの言葉を伝える。
「まだ時間も早いし、少しお茶でも飲んでから行こうか」
「うん。どこに行こうか」
「加奈の好きなところでいいよ。昨日ケーキ食べたんなら、クレセントのアップルパイとか、希香堂の抹茶セットとか?」
「よくケーキ食べたって分かるわね?」
「だって家で昨日お祝いしてもらったのかな、って」
「英人には何でもお見通しね。……そうね、和菓子、希香堂がいいな」
 
 今日の夜に出かけることを家族に告げると、前倒しで昨日誕生日祝いをすることになった。母親は英人の存在に何となく感づいているらしく、笑顔で祝福してくれた。何も知らない父には「友達と出かける」って言っておきなさい、とアドバイス付きで。
 美矢の存在を匂わせ、招待券を貰ったと話すと、何の疑いもなく信じてくれた。ちょっと後ろめたいが、おかげで夜の外出も許可された。

「改めて、誕生日おめでとう」
 店に入り季節の上生菓子と抹茶のセットを注文すると、英人はかしこまって、ブレザーの内ポケットから小さな箱を取り出し、加奈に差し出した。
「これ……」
「誕生日プレゼント。気に入ってもらえると嬉しいけど」
 
 淡く光沢を放つパール色の箱には、水色のリボンが掛かっている。
 正直リボンを崩すのももったいなくて、英人の顔と箱とを交互に見比べていると、英人が微笑みながら「開けてみて」と促す。

「……かわいい」
 ピンクゴールドのオープンハートのネックレス。ハートを描く曲線部分の片方には小さな四つ葉のクローバーが象られて、その中心にオレンジがかった黄色の小さな石がはめ込まれている。雑誌やネットで見たことがある。十一月の誕生石、黄玉トパーズだ。

「すごい……嬉しい……」
「加奈? ……気に入らなかった?」
「……ううん、ホントに、嬉しくて。私、自分の誕生石のついたアクセサリーを贈ってもらうのって、憧れていたの、ずっと。だから、本当に、嬉しくて」
「よかった。……トパーズの石言葉って、知ってる?」
「え、っと、確か『誠実』、だったかな?」
「うん、あと、ギリシャ語で『探求』とか、サンスクリット語で『炎』とか、色々あるんだけど。全部含めて、僕の気持ち」
「?」

「僕はもっと加奈のことが知りたい。加奈に対して誠実でありたい。これからもずっと、加奈といたいって気持ちが、炎のように僕の心に宿っている」
「……」
「あと、他にも石言葉があってね。……『愛する人との幸せを導く』。……加奈と、幸せになりたい」
「……私も。私も、あなたと、英人と、ずっと一緒にいたい」
 そう答えて、加奈はじっと、英人の瞳を見つめる。

 しばらくそのまま無言の時が過ぎる。不意に、英人は視線を外す。立ち上がると、英人は加奈の隣に移動し、箱からネックレスを取り出すと、留め具をはずして両手を加奈の首に回す。その指と金属の冷たさに、加奈は一瞬身を竦めるが、じっとして耐えると、英人は手を戻す。首元に手を伸ばすと、冷たいペンダントトップが指に触れた。
「似合うよ。とても」
「……ありがとう」

 優しい、とても優しい笑み。なのに。
 永遠を誓うに等しい言葉を交わした、その直後だというのに。
 例えようのない不安が、加奈の心に影を落とす。
 やがて運ばれてきた菓子を口にしても、味が分からず、機械的に口に入れては、飲み下すだけで終わり。
 英人の車が停めてある駅前の駐車場に移動する時になって。

「やっぱり、今日はやめようか?」
「え?」
「何だか、乗り気じゃないみたいだ」
「……違う、違うの」
「でも」
 いぶかる英人の腕に、加奈は無言で身を寄せる。
「加奈?」
 手をつなぐのも躊躇していたはずの加奈が、自ら体を寄せることは、初めてだった。
「怖いの……きっと、幸せ過ぎて、逆に不安なのよ。英人が私を嫌いになったらどうしよう、って想像するだけで、英人がいなくなったらどうしようって、怖くてたまらないの」
「……嫌いになんて、ならないよ。絶対」
 そっと、加奈の肩を引き寄せ、英人は、そっと頭をなでる。
「一生、愛してる」
 そのまま、加奈の手を握りしめる。加奈がうなづき、再び二人は歩き始めた。

 嫌いにならない、絶対。

 加奈の不安を払拭するように誓った英人の言葉に、「いなくならない」ことへの誓いが含まれていなかったことに、加奈は気が付かないまま。

 そして。
 二人を静かに追跡する少女の存在にも、気付くことはなかった。






「あの、よかったんですか? ホントに」
「いいのよ。今日は予定も空いてるし。逆にごめんね。予定変更させちゃって」
「いえ、どっちにしても、昨日も行けなくなっちゃったんですし」
 平身低頭の真実に乗車を勧めて、隣に健太を押し込むと、弓子が愛車のエンジンをかける。遠野家の駐車場に鎮座しているのは、七人乗りの白いミニバンである。
「ホントなら車だけ貸せればいいんだけど。笹木君も免許持ってるんだし」
「いや、事故ったら怖いですから」
 保険の関係で家族以外には運転させられないため、今日のお出かけは弓子が運転手を買ってでてくれたのだ。

 お出かけ……樽筆山のイルミネーションイベントである。
 本来の予定では前日の金曜日、学校帰りに皆で出かける予定にしていたのだが、乗車予定だったシャトルバスがエンジントラブルで運行しないことになり、イベント参加は中止となった。弓子が車を出せないか、和矢が訊いてくれたが、その日は先約があり難しいと返事が来た。土曜日なら大丈夫、と返答があり、皆の都合もよかったため、急遽土曜日に変更になった。

「えっと、駅で高天君とお友達を乗せればいいのよね」
「はい。残りのメンバーは、家が樽筆山に近いから、現地集合で。……あと、和矢君も」
「なんで和矢はそっちなんだ?」
「ここ最近、そのお友達の家がお気に入りなんですよ。兄さん。旧家で、興味のある古文書が沢山あるとか……昨日もお泊りしています」

 へえ、そうだったんだ、と真実は心の中でつぶやく。先週の作戦決行日以外は普通に登校していたので気が付かなかったが、和矢はあれ以来斎の家に入りびたっているらしい。

 知らなかったといえば、健太だってそうだ。和矢のことを呼び捨てにするほど親しいとは聞いていなかった。まあ、弓子さんの仕事つながりで夕飯にもお呼ばれするほどの付き合いなら、年の近い同性同士、親しくなるのもうなづけるが。
 そういう真実も、今日は遠野家で健太とともにお昼ご飯を御馳走になった。先日御馳走し損ねたから、という理由だったが、そもそも元々招待を受ける理由がない。まあ、とはいえ、憧れの弓子の招待だから、理由がなくても謹んで受けさせていただくが。

 駅に着くと、俊と正彦が待っていた。
「こんにちは」
 美矢が助手席から降りてあいさつし、二人を後部座席に誘導する。
「あ、ゴメン。俺、ちょっと車酔いしやすいから、助手席でもいいかな?」
「え? 正彦、車酔いしたか?」
「そう、最近な。遠野さん、いいかな?」

 正彦の言葉に美矢がうなづいて、助手席に置いてあった自分のバッグを手に持ち、場所を譲る。必然的に俊と美矢が、最後尾の三人掛けのリアシートに座ることになる。

 ……吉村君、グッジョブ!

 俊の反応を見るに、本当は車酔いなどしないのだろう。美矢と俊を隣合わせにするための方便だ。部員でもないのにいつの間にか参加する流れになっていてあきれたけど、流石は気働きの人。いい仕事をする。

「じゃあ、これで、現地へ直行するわね。……あ、ゴメン、念のためガソリン入れたいから回り道させてね」
 まだ五時前だが、あたりはすでに薄暮だ。山に到着する頃には、ほどよく日が暮れてくるだろう。市街地から近いとはいえ、山の中で万が一ガソリン切れになったら大変だ。

 ふと、窓の外に見慣れた人影が映った。加奈と英人だ。市営駐車場に入っていくところを見ると、車で出かけるのだろうか?
「もしかして、またブッキングしちゃったかな……」
 加奈もイルミネーションイベントには出かけるようだったし。ちなみに、昨日中止にしたことも、今日に変更したことも、加奈には知らせていない。
 現地で遭遇したら、少し気まずいな。
 でも、あの二人のラブラブぶりを見たら、俊も少しは刺激されるかもしれない。後ろの席で緊張気味に並んで座っている俊と美矢が、ルームミラーに映っている。健太がたまに気遣って声をかけると、俊にしては珍しく反応よく返答しており、それを美矢は黙ってみている。緊張はしているが、気まずいというほどでもないらしい。
まあ、元々物静かな二人だ。今は丸まる一人分空けている空間が、帰りにはせめて半分は縮まることを祈ろう。
 そんな恋人未満の二人に気を取られていた真実は、だから気付かなかった。
 加奈たちの後をつける、少女の姿に。
 
 その後、駅前のバス乗り場に向かった、谷津マリカに。



 バス停に、滑り込んだバスの電光掲示板には、「樽筆山イルミネーション会場行」の文字が点灯していた。家族連れはマイカーが多いのか、乗客は若者のグループが多かった。和気あいあいとおしゃべりしながら乗り込む乗客達は、一人静かに混じる少女には気を留めることなく、これから始まるイベントへの期待に胸を躍らせていた。そのバスを追い越すように走り抜ける車種とナンバーを確認し、少女は微笑んだ。
 間違いなく同じ目的地に向かっている。

 駅前で落ち合った二人をずっと追いかけてきた。和風喫茶から出てきた二人が諍いを始めた時は心が浮き立ったが、その後あの憎らしい女は、甘えながら男にしだれかかり、何事もなかったかのように、……さらにべたべたと男にまとわりついて歩いて行った。途中、駅前に掲示してあった大きな掲示板の前でしばらく立ち止まり、その中央に張り出されていたポスターの写真を指差して談笑していた。それは、今乗っているシャトルバスの行先――樽筆山イルミネーション『冬のレインボー幻想イリュージョン』の案内ポスターだった。

 そのあと車に乗り込んでいったのを見て、とっさに自分もシャトルバス乗り場に走った。折よくバスが到着し、勢いで乗り込んだが、予想は間違っていなかったらしい。

 今日こそ、今夜こそ、あの二人を引き離してみせる。そのためには、シバ様との約束を破ることも、致し方ない。シバ様が、本当の運命の相手と結ばれるためには、時には傷つく覚悟も必要なのだ……自分が傷ついたように。
 これは、真実愛し合う二人が結ばれるための、試練なのだから。

 窓の外の風景が街中から林に変わり、徐々に闇が深くなる。窓ガラスに映る自分の鏡像も次第に鮮明になるが、マリカの目には映っていなかった。
 その目に宿る昏い闇も、冷酷な喜びに浸る笑みも。
 ただひたすら、叶うはずと信じ切った恋の成就の夢想にのみ、囚われて。

 バスは、何も知らない乗客と共に狂気を乗せて、逢魔が時を走り続けていた。
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