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第1章 春風の使者

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「見ました?」
「見ましたわ!」

 石高美術部の期待の新星(自称)である河野こうの優茉ゆま瀬川せがわ絵梨えりは、腕も組んで歩いていく恋人達の姿を見送り、十分離れたことを確認して、物陰から姿を現した。

「いや、噂には聞いていましたが、さすがは我らの『芙蓉の君』のお相手。見目麗しさもさることながら、見ました? あのさりげない口づけを! そのくせ、何事もなかったかのようにちょっと照れて澄ましているところもポイント高いです! 尊い!」

「その前に現れた方も、素晴らしかったですわね。ちょっと遠目でしたけど、かなりのイケメンでしたわ。『芙蓉の君』にグイグイ迫って。それを颯爽と現れて救い出す、彼氏さん……これは、先輩方にもお伝えして、早くふさわしい二つ名を考案しなければなりませんわ」
 この場合の「先輩方」は、美術部でなく、兼部しているCLSの方である。

「蘭か牡丹か、あの華やかな美貌に喩えるとなると、もう選択肢はこれくらいでは?」
「牡丹はいかがかしら? そうしたら、もうお一方は芍薬で。どことなく、似通ったお二人ですもの」

「『牡丹』と『芍薬』、甲乙つけがたい美貌の主に迫られる『芙蓉の君』が最後に手を取るのはどちらの花か……! あぁ! 双子シチュエも捨てがたい! 邂逅した恋のライバルが、生き別れの双子だった! 愛しい女性を巡り競い合ううちに芽生える、禁断の恋! あぁっ! 脳内麻薬出まくりです!」
「素敵……! 早く帰って執筆したいですけれど、でも、お約束の場所に向かわなくては」

「そう、そうなのよ! せっかく伝手で手に入れた大学サークルの新歓イベのご招待! 会員限定の平日即売会に参加できるなんて! 今年から平日休みができてよかった!」
 次の土日の公式イベントでは、手に入らない会員限定本もあるというし。

 高校生の二人が大学にいた理由。この大学に籍を置く、近隣でも名高い漫画サークルのイベントに、CLSの先輩を通じて招待されたのである。時間にゆとりがあったので、その会場を探しつつ散策していたところ、加奈とその彼氏のラブシーンに行き当たった。
 脳内妄想をつい口に出してどんどん暴走するパワーあふれる優茉を、さらに煽る、一見おとなし気なお嬢様キャラの絵梨。高校で出会った二人は、その趣味が合致してすぐに意気投合した。入学してすぐにCLSに入部したが(ちなみにCLSは今年、同好会から部に昇格した)、そこで読ませてもらった過去作品に衝撃を受けた。花に喩えられた美しい登場人物達が、実在の、しかも現時点で校内に存在することを知り、迷うことなく美術部の体験入部に参加した。ちなみにその過去作品のシリーズ名が『美術の花園』である。
 そして無事入部を果たし、腐女子トークをしたい時はCLSへ行き。目の保養と創作意欲刺激の補充を兼ねて、ついでに堂々と生『美術の花園』の面々をモデルに絵画制作にも取り組みつつ美術部の活動に参加し。
 充実した高校生活を満喫している二人だった。


「そういうわけで、目撃しちゃたんですよ、私達」
 次の日の放課後。そわそわしている優茉と絵梨の様子が気になって、珠美は二人を片付け名目で美術準備室に連れ込み、事情を聴いた。
 美術部でこの手の話をしていいのは珠美だけ、と言われているので(真実も理解はしているが、そのテンションについて行けないと、珠美に押し付け……もとい、一任している)、二人は素直に、かつハイテンションに報告してくれた。
 ……まあ、そんな状況があったらしいことは、もう報告受けているけどね。
 大学に復帰したとはいえ、未だ唐沢家の保護下にある英人の様子は、常に監視されている。もちろん、ある程度のプライバシーは守っているが、公衆の場で起きたことは、逐一報告される。なので、件の留学生とトラブルになったことまでは聞いていたが、さすがに……キスシーンのことまでは、聞いていない。
 うー、見たかった。つい心の中で本音も漏らしてしまう珠美である。
 珠美は珠美で、昨日は俊と美術館に行くという美矢を見張り……でなく、見守りに行っていた(きっちりカモフラージュに巽を同行し)。もっとも、健全過ぎる微笑ましい姿を見るだけで、何事もなく終わっていたが。……本当に、何事もなく!
 まあ、こと恋愛に関しては、俊に色々期待するのは無駄である。今まで聞いた感じでは、どうも美矢が何とか誘導して、一つひとつ進展している感じだし。
 とりあえず、平穏平和なあの二人は、置いといて。

 ……英人さんそっくりな、留学生、か。
 加奈に接触したのは、単なる偶然なのだろうか? それだけ目立つ風貌なら、数日中に素性は判明するだろうが。何やら、不穏な空気を感じる。
 ……加奈の警護を固めた方がいいかもしれない。
 例の事件の時に、加奈の警護を怠っていたことを珍しく斎は後悔していた。その現場近くにいながら、防げなかった自分達の力不足で、斎にそんな思いをさせてしまったことが、珠美も悔しくてならない。
 谷津マリカの存在を見逃していたことも、大きな失態だ。しかも、真実はその兆候に気付いていたらしい。
 もっと、アンテナを広げないと。
 案外、素人の方が、重要な情報に気付いていることがある。ただ、それを有効に活用できていないだけで。
 好奇心旺盛なこの一年生たちは、よい情報源になるだろう。

「まあ、これからも何かあったら、教えてね」
「ハイ! 先輩と語り合いたいです!」

 そんな珠美の思惑には気付かず素直に喜ぶ後輩の姿に、……ほんのちょっとだけ、心が痛んだ。
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