引き籠りたい魔術師殿はそうもいかないかもしれない

いろり

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1章

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だだっ広い空間をアスレイヤは歩き続けていた。魔瘴が数か所から噴き出しているが、広い空間を汚染するには至ってない。瓦礫の下で潰された人の身体の残骸をこわごわと検分し、フェルレインでないことにほっと胸をなでおろす。それを繰り返しているうちに転移機を発見した。賊が冒険者から奪った転移機だろうとアスレイヤは見当をつけてマジックバッグに入れ、予備の帰還手段ができたことにほんの少し安堵した。

(もう夜だろうか)

休息どころか食事もろくにとってないことを思い出したが とてもそんな気にはなれなかった。フェルレインの行方が気になって、探す方法もわからないまま彷徨っていることに焦っていたのだ。転移機が作動するのか不明なことも不安要素だ。何もわからない現状で ただひとつ強制的に決定してしまったのは、フェルレインを見つけられなくても魔瘴汚染が進む前に脱出しなければならないということだ。魔瘴が噴き出す掠れた音がアスレイヤの焦燥感を煽った。

ひたすら歩きながらフェルレインの名を呼んでみるが何の返事もない。アスレイヤの視界は次第に霞がかかったようにぼやけ、足元が覚束なくなっていった。

(まただ。何なんだこれは)

この迷宮の中では頻繁に空間があやふやになる。探索記録には書かれていなかったことだ。ぼやけた空間をあてもなく彷徨ううちに意識が朦朧とし始めた。



―― シェラ、シェラ!


必死に名を呼ぶ幼い声が聞こえる。なんとなく覚えがあって歩を止めた。


―― あれは俺だ。


パタパタと軽い足音を速めて小さな子供が駆けていく。きっちり髪を結った細身の女性を目指してそのままぶつかるように飛びついた。

「いなくなるの? どうして!?」

首が折れそうなくらい見上げて責めるように問いかける。縋りつかれた女性は スカートの裾を握り込んだ小さな手を白い手でやんわりと包み、膝を折って目線を合わせ、ほとんど泣き被っている子供の顔を覗き込むようにしてなだめた。

「シエラは良いご縁があってお暇を頂くことになったのです。どうか笑ってくださいませ、アスレイヤ様」

「シェラ、しあわせになる?」

「はい」

そう言って花が綻ぶように微笑むシエラを見ると、アスレイヤはいつも傍にいた優しい彼女を失うことも悪くないように思えた。

「シェラのかぞく、見たい」

「ええ、きっと。次にお会いするときは ぞろぞろ連れて参りますわ。アスレイヤ様。失礼を……お許しください」

シエラの声は微かに震えていた。それに気づいたときには ぬくもりの中にいた。ぎゅう、とアスレイヤを包む腕はやわく、それでいて力強かった。
その後はメリダという年嵩の女性ひとりに全て任されることとなった。シエラとメリダはアスレイヤが生まれた時からそばにいるのが当たり前の女性達だ。彼女は口数が少なくいつも厳しい顔つきをしていたが、遠くへ行ってしまったシエラのことを根掘り葉掘り聞いても嫌な顔をせずにわかることは答えてくれた。アスレイヤに魔術の素養がないことが判明しても変わらず面倒を見てくれる数少ない者だった。

アスレイヤは実の親と過ごすよりも長い時間を彼女達と過ごしていた。物語に出てくる父親と母親の存在をとても不思議に思っていたが、時折見かける美しい女性が母親なのだと教えられ、アスレイヤの胸が弾んだ。しあわせになるのだと 喜びにあふれて輝いていたシエラの笑顔が、父と母と子という形の――家族へのあこがれをアスレイヤに持たせていたのだ。
母親はネフライヤ様と呼ばれていた。彼女が母親と知ってからは頻繁に面会を求め、会えなければ駄々をこねては共に過ごす時間を無理に作らせた。アスレイヤはいつもわくわくしながら母親と過ごしていたのだが、ネフライヤはあまり表情を変えない静かな女性だった。


「どうして母上は、父上とけっこんなさって、どうして僕をうんだの?」

「……そうね」

きっと、微笑んでくれる。シエラが幸せそうに笑ったように。いつも冷たい顏をしたこの人でも微笑んでくれるに違いない。アスレイヤはそう思って聞いたのだ。

「そういう役割を、押しつけられたからよ」

「……? やくわり」

返ってきたのは難しい言葉で、アスレイヤはキョトンとして繰り返した。

「アスレイヤ様、奥様は少しお疲れのようです」

「やくわり?」

「さあ、メリダと一緒に行きましょう。お部屋にお菓子とご本を用意いたしますよ」

「母上にもお茶とおかしを」

「そのように致します。さあご挨拶なさって」

「お身体をおだいじに。しつれいします、母上」


―― 俺は何も知らなかった。


ぶわっと風が吹いて、目を開けるとアスレイヤは邸の中にいた。
壁付の棚に並ぶ書物とインクの匂いで 滅多に入ることのない父の書斎にいるのだとわかった。ペンを執る父親の表情は背後にある窓から差し込む光で影になって見えない。アスレイヤの手には勝手に断りの返事を出された茶会の招待状がいくつも握られている。


「お前には必要ない」

「なぜですか?同年代の貴族の子弟が交流すると聞きました。招待状だって」

「私の判断だ。これ以上話すことはない」

それは アスレイヤに一切の言葉を許さない厳しい音だった。


邸の使用人達がしきりに無駄口を叩いている。

「旦那様はお恥ずかしいんでしょうね。優秀な魔術士の家系なのにご嫡男があれじゃ、とても人前に出したくはないもの。また勝手に家庭教師を辞めさせたんですって。新しい世話係も次から次へと」

「ベルメロワなんかから妻を娶るからこんなことになったのよ。旦那様はほかに想う方がおいでなのに……お可哀想」

「しかも奥様の家はクアトラード直系じゃなくて遠い遠い傍系よ。馬鹿にしてるわ本当、舐められたものよねこれで友好ですって」

「旦那様が別邸に堂々とルゼリノ様を置かれるのも仕方ないわ。ガシェル様の方が魔術の素養もあるし当然と言えば当然よ。旦那様はガシェル様に全て引き継がれるおつもりじゃないかしら。そしたらもう、奥様の立場がないわね」

「最初にエインダール家をバカにしたのはクアトラードの方よ。私は気の毒だなんて思わないわ。いっそのことアスレイヤ様に武術の才能もなければいいのよ。クアトラードの恥になるわ」

「そうなれば面白いわね!」

彼らにはアスレイヤが見えてないのか話し続けている。吐き散らかされる泥のような言葉を振り切りながらアスレイヤは歩き続けた。
ふと顔を上げると 剣を交えた壮年の男がこちらを睨みつけて立っている。その眼の奥に燃える怒りと憎しみの激しさに、アスレイヤは目を逸らすことができずに立ち尽くした。まるで魂を掴まれたかのようだった。

「お前さえいなければ……!!!」

そう吐き捨てたオルノワの言葉を皮切りに、アスレイヤの周りに次々と誰かが現れた。それはアスレイヤが癇癪を起こして辞めさせた教師だったり使用人だったり、つい最近まで従っていたフルビオやソイラッド、いつも厳しい父親、冷たい眼差しの母親……皆が口々にそんな言葉を投げつけていく。耳を塞いでもアスレイヤを詰り責め立てる言葉が頭の奥まで響いて追いかけてくる。逃れようがないのだ。全くその通りだ、自分でも解ってる、そう叫んで認めてしまえば逃れられるかもしれない――そう思った時。


「彼らの言葉に耳を傾けてはいけない」


それは 静かな声だった。
一滴の水のように落ちてきた よく通る静かな音は、アスレイヤの頭の中に流れ込んでうねる濁流を 澄んだ湖の水面のようにしてしまった。なぜ今まで見えなかったのか、金色にふち取られた新緑の瞳が真っ直ぐにアスレイヤを見つめている。それを目を見開いてぼうっと見つめた。
耳を塞いでいたアスレイヤの手の上に手袋をした手が重なり そっと腕をおろさせた。左右の手はゆるく握られたままだ。手袋越しに伝わる熱を感じながら呆けたように見つめていると、新緑の眼が黄金色にきらめいた。

(きれいだ……)

二人の周りが真っ白になり、凄まじい轟音が響くのにも気が付かずにアスレイヤは見惚れていた。


―― ドドドドド

―― ゴオオォ ドォォン ド、ド、ドオォォン……

―― ギャアアオオォォォォォ…… 



「……はっ」

引き攣れた叫びを遠くで聞いた気がして、アスレイヤは周囲を見回した。取り巻く景色はいつの間にかだだっ広い空間に戻っている。周りには 粉々に砕けた何かの身体の残骸が散らばっていた。ぎゅっと手を握り込むと ぎゅっと握り返されたことに驚いて、顔を上げたすぐそばに懐かしい新緑の瞳があることに再度驚く。


「あ……、ピホ」

「この怪我はどうしたんだアスレイヤ……痛いじゃないか」

耐え難い痛みを受けた顔をして アスレイヤに大きな怪我がないか確認している。

(そうだ。オルノワ卿に斬られたんだ)

治しきれずに中途半端で放り投げていた傷を思い出した途端、ふわりと撫でられた感覚がして傷が消えていくのがわかった。痛みを感じる前にすべての傷が治癒されたのだ。冷静さを取り戻したアスレイヤは目の前の、もう長いこと離れていたような懐かしい人物――シルガの様子をまじまじと見た。

「見つけられてよかった」

膝を付いて見上げ、アスレイヤの手を固く握り込む様は縋るような格好だ。ほんの一日も離れてないはずなのに焦燥しきった様子で、ようやく得た安堵を離すまいとしているようだった。


しばらく無言でそうしていたが、シルガは唐突に立ち上がった。

「帰ろう」

その有無を言わせぬ様子に呑まれたアスレイヤは反射的に返事をした。

「あ、ああ」

聞き慣れた声が紡いだ 帰る、という言葉にほっとして緊張がほぐれていく。途端にどっと疲れが押し寄せ、酷い空腹が頭を重くさせた。

そうだ、帰ろう。ようやく合流できたのだから。迷宮を脱出したら白狸亭に戻ってゆっくり休む。そして迷宮の出来事を話すのだ。不気味な化物と闘っていた謎の男が迷宮を墓だと言った。それと――……

「――だめだ!!」

どん、と肘を張ってシルガを遠ざけ、アスレイヤは転移の魔術式から飛び退いた。

「まだ、フェルレインがどうなったかわからない。だからまだ……帰りたくない」

そう言ったのが最後の記憶だ。アスレイヤの意識はそこで途切れて深い眠りに落ちていった。




「厄介だな」

帰らない、そう言って眠り込んだアスレイヤを抱え、シルガはどうすべきかを考えていた。二人の周りには倒した獣の残骸が散らばっている。それを見るともなしに眺めて思わず出てしまったのが先程の言葉だ。

「なんで死霊系の獣が……まるで亡者の巣窟だ。夜の墓地でもこんなの出ないぞ」

滅多に遭遇することのない不死者達は あまり馴染みのない敵だ。養い親に連れられて行った 幽囚の森と呼ばれる場所で出くわしたことはあるが、彼らはここまで攻撃的ではなかったように思う。

(……あの人が守ってくれていたんだろうか)

シルガは、確りとした足取りで前を進む養い親の背をぼんやりと思い出した。

「……」

けれど今はそんなことを考えている場合ではない。小さく首を振って頭を切り替え、テントを設置してアスレイヤを休ませた。魔瘴は徐々に濃度を増している。こうして休んでいる間にもどんどん汚染が進んでいく。

燃える火がパチパチと音を立ててシルガの眠りを誘う。アスレイヤとはぐれて必死になって探し回って疲れていたのだ。主従契約印の魔力を辿ってみたり 人を見つけては尋ねてみたり、精霊の力を借りてようやく居場所がわかったはいいが、アスレイヤはかなりの深部にまで到達していた。なのでシルガは、更に精霊の力を借りて階層を捻じ曲げ無理に抉じ開けるようにして転移した。そんなことシルガ一人ではできない芸当で、迷宮に於いて精霊は何故か、強者だったのである。魔瘴の中で強者だということは知っていたがこれは新しい発見だった。
やっと辿り着いた深部でアスレイヤに合流できたのだから、正直なところ今すぐにでも帰りたい。けれどアスレイヤは、友人(おそらく)を探すために拒否したのだ。もし勝手に連れて帰ったら この先許されることはない気がした。なのでシルガは帰ることができなかった。
つまり、何をするかはすでに決まっているということだ。


「精霊」

――― なに

「人を探している」

――― ばらばらのばっかりだよ

「それはこの階層に限った話だ。ざっとじゃない、アスレイヤを探したように探すんだ。名はフェルレイン」

――― じゃあまたさがす、よ。けいやく。どんどんおおきくなるよ

「構わない。対価は何でも、過不足なく、望むままに」

――― フェルレイン、さがす

「それと、しばらく見張っていてくれ。少し眠る」

――― いいよ


いくらかの精霊を残して去ったのを確認するとシルガはようやく心から安堵し、襲い来る眠気に任せてそのまま眠ってしまった。



********



暫しの休息を得てスッキリと目覚めたシルガは朝食を用意した。消化に良いものからしっかり食べられるものまで、あれこれ考えながら準備しているとテントで人の動く気配がした。


「おはようアスレイヤ。まずは食事にしよう」

「……おはよう」

寝起きでぼんやりしているアスレイヤに席を勧めて食事を出すと、いただきます、と小さく呟いて食べ始めた。しばらく黙々と食べているうちに目が覚めてきたのか、幾分しっかりした声でアスレイヤが溢した。

「なんで貴様ここに……どうやって」

「主従契約の印、あれを辿って追跡したんだ。かなりテキトーな契約印だから精霊にも手伝って貰って、探すのに手間取ったのはすまなかった。なんかここ迷宮の深部だしさ……最高到達記録は君のものかもな、アスレイヤ」

「……」


お茶もどうぞと差し出したところで突然アスレイヤが大声を出した。

「なんでそんなに普段通りなんだ!」

「なんでって、まずはしっかり食べないと力が出ないぞ。友達を探すんだろ」

「! そうだが……!」

デザートにりんごのパイを差し出せばアスレイヤはパッと顔を輝かせた。手づかみで食べられるように作ったパイをちまちま食べる姿がなんとなく可愛い。シルガが呑気にそんなことを考えていると、眉間に皺を寄せてジト目でこちらを見ている。

「何故、諦めろと言わないんだ」

それは小さな呟きのような声だった。

「ちょっと難しい質問だな」

うーん……、とシルガは考えた。

「俺はこのまま脱出するのがいいと思う。けど君は、友達の無事と帰還の両方が欲しいから、もうちょっと頑張りたくて駄々をこねてるわけで」

「なっ、駄々なんか……!」

「俺が君の部下なら文句を言ってるところだ」

「……」

「けど 臣下なら、何もかも手にした主の姿を見たいと思ったりもする。なんかそんなあれだよ……まあ、主従契約ってだけでやってるわけでもないんだけど」

言ってるうちにシルガにもよくわからない答えになっていた。どんな言葉で説明してもシルガの心を伝えるのが難しかったのだ。

「つまりどういうことだ」

「君の望むままに頑張りたい俺が 君の下僕だってこと」

色々と妥協してひねり出した答えである。まだ納得してない様子のアスレイヤに身支度をさせ、野営を片付けて準備を整えていく。魔瘴濃度は日中のルーンシェッド大森林ほどではないが確実に汚染が進んでいる。

(最悪、アスレイヤを先に帰らせて俺だけで探すことも考えておこう)

二人の準備が終わった頃、昨夜シルガが探しに行かせた精霊たちが戻ってきた。


――― シルガ、いたよ


「精霊に力を借りたのか」

「ああ」


――― こっち

――― フェルレインいる


「だってさ。我侭を言った甲斐があったな。友達は置き去りにされずに済むかもしれないぞ」

「わ、我侭だと?」

「我侭は悪いばっかりじゃない。行こう、見失ってしまう」

沢山の光の粒がぽわぽわと移動を始めたのだ。速度を変えたり散らばったりと精霊は気紛れに先導するので ついて行くにも集中力が要る。速足で追いかけながら、アスレイヤは先を行くシルガに遠慮がちに聞いた。

「……対価は何だ」

「たいしたものじゃない」

そんなわけあるかと叫びたいのを我慢してアスレイヤはついて行った。
ふよふよ漂う精霊と前を進むシルガの背を見ながら無心に歩いた。いつの間にかそこは薄暗い森になっていて、黒く影を落とす木々の間をアスレイヤは光の粒を頼りに進んだ。


しばらく無言で歩いていると 目の前を小さな子供がよたよたと横切った。何かから逃げるように時折後ろを振り返り、両腕で頭を覆って顔を隠している。
どさり、と鈍い音をたてて子供が倒れた。蹲って頭を押さえた子供の指の間を伝って赤い血がこぼれ落ちている。あっと思った瞬間、次々と何かが空を切った。色が抜け落ちたぼさぼさの白髪の、服の上からでもやせているのがわかるみすぼらしい子供は 石を投げつけられているのだ。

「やめろ!」

けれど一点に向けて放たれた沢山の石は、間に入ったアスレイヤをすり抜けて不快な音をたて続けている。

―― こいつは他人の命を貪り喰らう化物だ!

―― 何故こんなものが存在するんだ、殺してしまえ!

―― 殺したら不幸が襲ってくるぞ

―― 消えろ!

―― いなくなれ!

―― どこかで、誰にもわからないところで

―― ひとりで死んでしまえ……!


「アスレイヤ」

呼ばれてハッと顔を上げた。

「平気か?」

気遣う新緑の瞳をぼうっと見つめ返してコクコクと首肯した。ふと微笑んで和らいだ両眼にたまらなくなってアスレイヤは ぎゅっとシルガの腰に抱き着いた。

「うん? どうしたんだ」

「俺を探してくれた。その、 ……ありがとう」

微かに笑う気配がした。急に恥ずかしくなって慌てて離れて周囲を見回すと、そこは森でなく石造りの空間で、不気味な姿をした人のような黒いものが恨めしげに二人を睨んで彷徨っている。


「俺に幻覚を見せていたのは……奴らは不死者なのか? すごい数だ」

「そう、あれは死霊、亡霊、亡者と呼ばれる不死者達だ。よく知ってるな」

「本には ただ呪いを使うとだけしか書かれてない。対処法もよくわからない。死なない不死者なんかどうやって倒せばいいんだ」

不満気に憤るアスレイヤを見ながら、やはり戦闘狂は敵を倒す術を常に考えているんだな、とシルガは感心した。

「死なない、というよりも……彼らは”死”を抵当に入れてるようなものだ。単に”死”を放棄しただけのもいるだろうが、”死”を取り返すまで彼らに安らかな眠りはない。生きることもできないままだ。死すら忘れている可能性もある」

「抵当? 奴らは何を得たんだ?」

「さあ。でもかなり……大きなものだろう。”死”を質に出したのだから。ひょっとしたら買い叩かれたかもしれないけどな」

「成程。だから首が回らなくなって他人からむしり取ろうとするのか……そうだ、奴らは魔法を使わないのか?」

「生命を持たない彼らは魔法を使うことができないんだよ。代わりに呪いを――強い情を動力にして、言葉によって呪いを行使する」

「呪いとは何だ」

「そうだな……」

シルガはちらりと精霊を見た。

「呪いは魔法の片割れだと、俺は考えてるよ。たとえるなら歌みたいな」

「歌だと? 貴様のたとえはいつも意味不明だ」

「呪いと魔法の関係は歌におけることばと旋律の関係に似てる。呪いが詞で魔法が旋律、音は魔力だな。音階は魔力を制限する規則」

アスレイヤはふと思った。

「呪いを制限する規則はないのか?」

「ありすぎて手に負えない。たとえばある二人が友達になったとする」

一方は互いに信頼し合う対等な関係だと考えていたが、一方は利益を融通することで関係を維持するものだと考えていた。

「全く違う認識だということだな」

「同じ言葉で個人間でもズレがあるんだ、国や言葉が違えばもっとズレが出る。古くにされた契約とか、時代が違っても解釈に差が出る。つまりそういう制限があるってこと。けど、普遍的なものがある。それが情で――呪いの動力となる」

情に至る経緯は違っても喜怒哀楽の情は共通する。それを言葉にしたものが詞で、もっと言えば言葉は、魂を記す術になり得る。多くはとりわけ負の感情を呪いと呼ぶが、喜びや愛などといったものも呪いであり のろいである。一つの言葉が何かの切欠で意味を覆されるように 呪いと祝いはくるくると回りながら存在している。


「どうして呪いと魔法が歌に似てるんだ?」

「言葉はただ書いただけで詞として成立する。旋律も何もない、音にせず書かれただけの詞を呪いとすると、音階の音を使って奏でられた詞を持たない旋律、それが魔法だ。面白いのは 言葉で音を表現することも 旋律で情を表現することも可能ってところで……」

「呪いは呪い、魔法は魔法で片付くということになるぞ。歌は関係ないじゃないか」

シルガは頷いた。

「詞と旋律が単独で成立するように 呪いも魔法もそれぞれ単独で成立する。けど歌は 詞と旋律の両方が必要だ」

黙って聞いていたアスレイヤは授業で聞いた言葉を思い出した。

―― 魔法は行使する者の魂を映すといわれています。

シルガがざっと握って固めて見せた ひと掴みの泥の塊。あんなふうに魔力と呼ばれる自分の生命に形を持たせて出来た魔法が、魂を映しているということだ。アスレイヤは今になってなんとなく理解できた。

「詞が求める旋律を得て 旋律が求める詞を得た時、文字の集合と音の羅列が歌になるように――呪いと魔法、ふたつを合わせてひとつの完成された何かになる可能性が……ありそうだってこと」

「魂を記す術……言葉によって行使されるのが呪い、そう言ったな」

「ああ」

「不死者は魂を持つのか?」

「おそらく持たない。不死者に残されたものは強い情動のみ……魂の名残だ。そんなわけで彼らは亡霊なんだろうな」

「なんだ、そうなのか」

アスレイヤは不気味な死霊たちを見回した。今まで散々ひどい目に合わされたが、彼らの見せる幻覚や呪いはそこまで脅威ではないように思えた。取り返すべき死さえ忘れてわけもわからず他人から奪おうと彷徨う彼らは、哀れな存在に思えたのだ。
それよりも気になったのはシルガが最初に言ったことだ。歌における詞と旋律の関係が 呪いと魔法の関係に似ているのなら、詞と旋律が求め合うように 呪いと魔法も求め合うということになる。情を動力に魂を記す言葉で行使する呪い、命を削ることで行使し魂を映すといわれる魔法。

「……呪いは生命を求め、魔法は魂を求めているのか?」

「いい視点だ」

シルガの瞳がきらりと輝いた。

「……そうかもしれない」


気づけば二人は円状の広間に辿り着いていた。その中心に光の粒が集まり留まっている。


――― このさきだよ

――― フェルレインいる


シルガは、足元に刻まれた転移術式をじっと見つめて言った。

「この術式は血を望んでる――生贄が要る」

「なんだと?」

「精霊によるとこの先にフェルレインがいるはず」

だから生贄になったのは別の何かで……アスレイヤは賊の死体が一人分足りなかったのを思い出した。

「……術式に血を流せば勝手に展開される仕組みになってるみたいだ。不運な偶然が続いてフェルレインはこの先に転移してしまったんだろう」

シルガは魔力で転移術式をなぞり描き出した。無理やり起動させた術式の中心は真っ黒な沼のようになっている。生贄を飲み込むための沼だ。

「俺達は血を払わない。精霊!」


――― けいやく


「構わない。手伝ってくれ」

シルガがそう言うといくつもの光の粒が集まって一つの塊になった。集合した精霊が何かを唱え始め、アスレイヤがよく聞いてみればそれは音階を持った音のようだ。何の意味を持つのか判らない言葉がいくつも重なって広間に響き渡る。

「……歌?」

「ああ。精霊は歌が好きなんだ」

「精霊はこんなふうに力を使うのか……」


はじめは微かだった精霊達の歌は木霊していくつも重なり声量を増し、同時に転移式の中の沼が波立っていく。真っ黒だった中心部は次第に薄れ、転移術式の展開が始まった。広がった術式はシルガとアスレイヤを飲み込むと、何もなかったように消えてしまった。


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