引き籠りたい魔術師殿はそうもいかないかもしれない

いろり

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1章

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白狸亭の厨房を大改造した結果、店主が厨房から出てこなくなってしまった。シルガが練りパイ、折りパイの2種類をせっせと作っている間、店主は子供みたいな歓声をあげてあちこち見て回っていた。

「冷凍室で寝てたりしないよな」

不安になったシルガは小分けしたパイ生地を冷凍室に入れるついでに地下を確認し、安全面に配慮した魔術式を追加して部屋に戻った。予定通り進んだので明日の朝にはアイスクリームも出来ているだろう。

(今日は疲れた。風呂に入ろう)

白狸亭の宿にはバスタブが設置されている。蛇口を捻ればお湯が出る……なんてことはもちろんなくて、ひたすら人力だ。シルガは水魔法と火魔法を合わせてバスタブにお湯を張ると手早く服を脱いで湯に浸かった。清浄魔法で簡単にさっぱりすることもできるが疲れた時は湯船に入って温まるに限る。目を閉じて肩まで深く入ればじんわり身体が温まり全身から力が抜けていく。

(だめだこれ……寝そう)

シルガが眠気を払うために首を振って目を開くと正面の鏡に映った自分と目が合ってぎょっとした。

「うわっ!  ……あ、 俺だ俺」

自分の顔でも心臓に悪い。見慣れないのは日ごろから鏡を見ないからだ。

(アスレイヤにああ言っておいてなんだが、自分の顔、よく知らないな)

いい機会だし、シルガは自分を観察することにした。

まず瞳の色は灰色、と。放置した排水溝に発生するあのヘドロみたいな薄い灰色、経年劣化した感のあるグレーだ。瞳のフチが少し濃くなっていて、色があるような無いような……はっきりしない。以前はもっと濃かったような気がするから、そのうち白目と区別つかなくなるくらい色が抜け落ちるんじゃないだろうか。しかも目の周りが落ちくぼんで影が付き、眼球がギョロリとして見える。
髪はパッサパサの白。理由はわかる。人間の髪は魔力を蓄える性質があるのだ。魔力枯渇状態で切羽詰まって髪から魔力を引き抜いたんだろう。もし魔力がフルになることがあるなら、髪に行き渡るのは一番最後だ。
で、肌。何というか……呪われた化物とか言われた要因の一つがここにありそうだ。顔全体にヒビが入ったような細かい亀裂が走っている。触った感じは硬い。そしてざらざらしている。唇はしぼんで老人みたいだ。しかも青白い顔に青と赤の血管がうっすらと透けて見えて不気味だ。手足も同じように末端から亀裂が広がりつつあるので普段は手袋をしている。料理する時は 異世界でいうところのビニール手袋が必須なのだ。この亀裂は魔瘴を取り込んで中和するとミシミシと音をたてて広がり、酷く痛むときもある。時間を置くと多少は引っ込んでたりもするので、魔瘴が関係してるんだろう。

「…………魔化?」

いやそれはない、はずだ。瘴気をため込んでいるわけではない。

「人間が魔化することなんてあるのか?」

太古の昔にいたといわれる魔族は、魔化した人間のことだろうか。
もしそうだとしたら魔化した獣は……あれは何にあたるんだろうな。
まあ、魔化自体が謎現象だし。
そもそも魔瘴が何なんだって話だ。
ついでに迷宮は何者なんだ出てくる目的はなんだあれは。

「……ぇっくし!」

(アスレイヤが待ちくたびれてるかもしれない)

シルガは再び肩までお湯につかって温まると最低限の身支度を整えた。


*********


向かいの部屋のドアを叩くと入れと短く答えがあった。

「遅い」

「ゴメン、寝そうになってた」

「主を待たせて自分だけ寝るつもりだったのか」

昼間のしおらしさは気のせいだったのか、アスレイヤは寝台の中央にどっかり胡坐をかいて居丈高だ。低い位置に目線があるのに見下ろされてると感じさせるのがすごいな、とシルガは思った。

白狸亭の客室数は5部屋程度だ。シングルだと8畳くらいの一間で、シンプルなベッドと小さな机と椅子、衣服掛けが置かれている。タイル張りの洗面所にはバスタブがあり 寝床とは簡単な仕切りで区切られているだけだ。小さくても魔道具の暖房機具が設置されているのは良かった。暖炉だと色々と問題があるのだろう。
なので二人入ると狭い。シルガが図鑑や本を見せてもらうときはベッドを背もたれにして床に座っている。もちろんアスレイヤはベッドの上だ。

「それじゃ始めよう」

アスレイヤがベッドの淵に腰かけたので、シルガは普段通り床に腰をおろして徐に手袋を外した。アスレイヤがひゅっと息をのむのがわかる。

「貴様、それは……  痛むのか?」

「いや」

亀裂が入り血管が浮き出た青白い手をじっと見て、出た言葉が気遣うものだったことに、シルガは胸のあたりが温かくなって笑みがこぼれた。

「君の掌を俺の掌と合わせてくれ」

「触ってもいいのか?」

「他人に感染るものじゃないから触っても平気だ」

そう言うなりアスレイヤはガッと乱暴に手を掴んだ。シルガの右手を両手で包むようにして凝視している。

「血は出てないな……」

「じゃ、さくさくいこう。俺の魔力と君の魔力を繋げてくれ」

「……? つなげる……? 魔力を?」

「?? そう、魔力を繋げる」

「……なんだ、それは」

「え……」

暫しの沈黙が落ちた。
アスレイヤの話によると、個々の魔力は他人が気軽に介入できるものではないらしい。

「それじゃ魔力を分けたりできないじゃないか」

「だから魔法薬があるんだろうが。他人の魔力に直接介入する方法は、その、きわめて深い接触くらいだ」

「きわめて深い接触?」

「……自分で調べろ」

アスレイヤが分厚い本を投げるように置いたので、シルガは有難く拝見した。

『魔力は個々の支配下にあり、他者からの支配、介入を拒むのが正常である。何人もこの拒絶を侵すことはできない。ただし、きわめて深い接触――性交は例外である。魔力の交わりは交歓によって行われ、喜びをもって与奪される』

「貴様が言ってる、他人と魔力を繋げて循環させることは、他人と血管を縫い合わせて血を行き来させるようなものだ。無茶苦茶だ」

そういえばそうだな。
魔力回復の魔法薬は輸血における血液製剤みたいなものだ。でも何で性交が魔力介入の手段になるんだろう。ただ普通に性交するだけで勝手に魔力介入が始まるんだろうか。それにここに書いてある性交……交歓ってのも曖昧だ。見るだけ、放置されるだけで快感を得る人もいるし、罵られて喜ぶ人もいれば、他人をいたぶって気持ち良くなる人もいる。どのあたりから対象になるのか色々なケースを具体的に書いてほしいんだが。同意の有無や複数相手時、商業目的とか、そういうことは影響するのか……

「ある種の契約みたいな扱いかもな」

「なんだ?」

「うん……まあ、魔力と血は違うし、なんか別の理があるんだろう。それはそうと、実際できるからとりあえず始めよう」

魔力を繋げる行為が一般的ではないようなので感覚で理解してもらうことにして、シルガは右手の掌をアスレイヤの左手の掌と合わせた。

「掌に集中してくれ。……さて、何か感じるかな」

「……固いし、ガサガサしてる。あと、 温かい」

「よし、じゃ……ちょっと絵面がひどいけど我慢してくれ」

いちおう断りをいれてシルガはアスレイヤの左手の指と指の間に自分の指を絡めた。恋人繋ぎ状態だ。
指の間から互いの、血の流れる音がどくどくと聞こえる。身体を巡る魔力の流れをわかりやすく見てもらうために魔法を発動する直前の待機状態になると、シルガの身体が薄く光を纏った。シルガはアスレイヤの微かな魔力の流れを探し、繋げた。シルガの身体を覆う、ゆるく輝く魔力にアスレイヤの魔力が反応して徐々に光り始める。

「……今が、魔力を繋げた状態だ」

「強いて言うなら……魔法を発動できそうで出来ない、そんな感じだな。ほかは何も」

「今は俺が制御してるから、ただ繋がってるだけだ。3つ数えて制御を放棄するから覚悟していてくれ」

「わかった」

3、 2、 1、……

アスレイヤの身体に、全身を激しく殴打され押しつぶされたような衝撃が走った。

「はっ……!? は、」

反射的に手を振り解こうとしたが しっかりと握りこまれていて解けない。自分の左腕をたどって手先の方まで視線をやれば、シルガの魔力と思われる光の奔流がアスレイヤの微かな魔力の流れに絡みつき、ジュルジュルと吸い上げ飲みこみながら、生き物が這うようにして肩まで近づいてくるのがわかった。と同時に、アスレイヤの生命に関わる何かがゾワゾワと引きずり出される感覚に、頭の芯と心臓が冷たくなっていく。

「おい、……ッ、 離…… はぁっ、 は…」

全身がずしりと重くなり身体がうまく動かない。身体が酸素を求めていたがうまく呼吸が出来なかった。このままでは声も出せなくなりそうだ。生命を削り取られているという確信がじりじりと焦燥を煽りアスレイヤの目の奥を焼き上げてチカチカさせた。アスレイヤは恐怖を覚えてシルガを見た。

(――この男は誰だ?)

いつもアホみたいに呑気で たまに話が微妙に噛み合わない。声も行動も淡々としているが自分を見る目の奥には確かに優しさがあった。感情が揺れると色をのせて輝く、意外とよく笑うその瞳がきれいだということを知ってる。だがこの魔術師は一度に3頭のウォーハウンドを相手取り、容易く倒すこともできる。

ざわり、と肌が粟立つ。ローブの奥に隠れた魔術師の瞳が、キラリと黄金色に光った。

「……め、はぁっ、 やめっ……  やめろ!!!」 


手はあっさりと離された。
ぶつりと魔力の流れが断たれた途端、一瞬浮くほど身軽になったかと思えば、どっと重しを背負ったような疲労感が全身に押し寄せた。落差の激しさに耐え切れずアスレイヤは床に倒れ込んでしまった。

「…………ごめん」

それは いつになく途方に暮れたような、戸惑いを含んだ声だった。

「……っ、はぁ、……はっ……」

怖かったよな、と微かに聞こえたが、アスレイヤはイラッとしたのでそれを無視した。

「俺は長いこと魔力不足の状態なんだ。だから他人と魔力を繋げて俺が制御を放棄すると、今みたいにがっついて他人の魔力を喰らう……相手の魔力を俺の方に引きずり込んでしまう。相手の魔力が無くなるまで、たぶん、俺が満ちるまで」

「そ、……っ、そん、なこ……は、はぁっ……」

「そういうことなので君が、俺が魔力を奪うのを撥ね退けるか、逆に俺から魔力を奪うことが出来るようになれば、魔力制御はかなり上達したと見ていい」

両手を床について身体を支え、なんとか息を吸い込んで呼吸を整えながらアスレイヤは目の前の魔術師を見上げた。ベッドの淵を背もたれにして床に座る様子は普段通りだ。ローブに覆われた黒い影の奥から、いつも通りの薄い灰色の、静かで理知的な目が、アスレイヤを見ていた。――それなのに

(何故今まで気付かなかった?)

そこに居るのに居ない、そう錯覚させるほど気配がない。目を合わせて話す声もはっきりしている。だが、その魔術師の存在はひどく曖昧だった。それはアスレイヤ自身が 彼の顔も名前も何も知らないことに加えて、特殊なローブの効果もあるのかもしれないが、まるで元から存在しなかったかのように消え去ることができる……そんな得体のしれない不気味さがあった。

「……アスレイヤ?」

肩で息をしながら、どこか夢の中にでもいるような気がして、アスレイヤは不安げに名を呼ぶ魔術師を凝視した。

この男はアスレイヤを嘲笑うでもなく失望するでもなく、押しつけるでも支配するでも、何か見返りを求めるでもなく、静かに雨が降るように ただ心を注ぐだけだ。
十日も過ごしていないというのに、この魔術師ほど誠実に、真摯なまなざしをくれたものをほかに知らない。

(――この男が何者か、なんて、何者でも構うものか)

だが苦情はきっちり言わないと気が済まない性質である。

「っは、き、様、魔力制御、出来るはず、だ! いきなり、こんな……ふざっ、けるなっ!」

「本当にすまない。俺も自分がこんなにがっつくとは思わなかった」

他人の魔力を奪っていたのは ずいぶんと昔のことで、今はそこまで切羽詰まった状況ではない。この事態はシルガにとっても若干想定外のことだった。

「君の怒りは尤もだ。けど、俺が制御して 加減して魔力を奪うと多分いまいちわかりにくい……いつの間にか魔力が減ってたって結果が残るだけで、奪われる感覚に気付けないと思う」

「…………」

「魔力をギリギリまで減らす、これを筋トレみたいに毎日繰り返せば身体を巡る魔力の流れが徐々に太くなるんだ。使える魔法も増えるよ。もちろん、君がきついなら無理しなくても……

「やめるとは言ってない」

アスレイヤはシルガの目をまっすぐに見据えて高らかに宣言した。

「ふん、かつえた野良犬め。浅ましく貪り喰らう醜態を、せいぜい晒し続けるがいい!貴様の食い意地の張った魔力など すぐに蹴散らしてやるからな!」

「なんか罵倒の語彙力上がったな」

そういうことなら遠慮なく……と、シルガの心は少しだけ軽くなった。
記憶の中でこちらを見る いくつもの怯えた目がほんの少し遠のいていった。




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