19 / 20
19
しおりを挟む
***
寒さが厳しくなってきた冬の夜、ストーブの側でお気に入りのロッキングチェアに腰掛け、妻お手製の膝掛けを掛けて、ルイは緩やかに揺られている。
彼の右手を優しく包み込む両手は、細く、皺だらけで、温かい。
今日まで二人は、笑い合い時にぶつかりながら、種族の違いを乗り越えて愛を育て、慌ただしくも幸せな日々を過ごして来た。二男一女の三人の子宝にも恵まれ、昨年は三人目の孫も誕生した。
あの時交わした契約の時まで、後十年。だが、ルイにはもう、妻との別れが近い事が分かっていた。この所酷く眠く、目を閉じて過ごす日が増えて来たからだ。もう角を隠す力さえ残っていない。
「……そろそろだと思う」
彼がゆったりと呟くと、妻の紬は穏やかに微笑んだ。
「そう……やけに気が早いのねぇ。約束は、まだ後十年も残っているのに……」
「そうだったか? ……お前との日々が楽しくて、月日を数えるのを忘れていた」
ルイはクスクスと小さく笑う。彼はこの五十年で、とてもよく笑うようになった。
「……最後の晩餐はいかが? 私を食べる約束でしょう?」
紬が静かに問うと、自分の手を包む彼女の小さな手を、ルイは左手を重ねて握る。そんな妻に穏やかな視線を向けたルイは、ゆっくりと首を横に振った。
「だって、約束でしょう? …………私を、連れて行ってはくれないの? 私の魂は、もう美しくはなくなってしまった……?」
涙を滲ませる妻を、ルイは優しい眼差しで見詰めていた。
「いいや? お前の魂は、今まで見た誰よりも、強く美しいよ。以前も今も、ずっと変わらず、綺麗なままだ……だからこそ、あの初めの時も、我に惑わされる事が無かったのだろう」
「だったらっ……私を、食べてよ……」
紬の瞳から、ボロリと大粒の涙が零れ落ちる。彼女の皺だらけの手を撫で、ルイは本心を口にした。
「もう、充分に食べたよ……」
ルイは本当にそう思っている。晴れやかに笑う彼の胸は、幸せで満たされているのだ。
「お前の、その美しい魂の輝きを、最後の瞬間まで、ずっと眺めていたいのだ……」
うっとりと満足げな夫の顔に、紬は息を吐く。
「じゃあ、待っていて……迎えに来て? 私もきっと、そう遠くない内に逝くでしょうから」
紬にとって、『死が二人を分かつまで』では足りないのだ。それはきっとルイも同じだと思うのは、彼女の自惚れでは無いだろう。それほどに、彼は紬を大切にしてくれた。
「……ああ、約束しよう。今は、死が二人を分かつとしても……必ずまた……」
「ええ、ええ……」
夫の新たな誓いに、年老いた妻はぽろぽろと喜びの涙を流す。
「お前と過ごした時間は、ニ千年の中のほんの僅かな時間だが……我の長過ぎる生の中で、この五十年が、一番、幸福だった……」
ルイが、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「こんなにも、誰かを愛しく思う感情を、体験出来るとは、思って、いなかった……お前は人間の身で我を愛し、可愛い子供達を与えてくれ、孫を抱く事も出来た……」
走馬灯のように、これまでの温かな思い出の数々がルイの目の前に浮かんでは消える。同じように、紬の脳裏にもルイと過ごした日々が再生されていた。
結婚してすぐに子供を授かり、二人で涙を流して喜んだ事。
長男は角、次男は翼、末娘は尻尾を持って産まれ、お産に立ち会ったルイが慌てて周囲に幻術をかけて誤魔化した事。
初めての人間の子育てに戸惑うルイを、紬が力強く叱咤した事。
眠る子供達を起こさないようにドキドキしながら、こっそりと睦み合った事。
末の娘が可愛くて可愛くて、ルイの人格が年々崩壊して行った事。
溺愛する娘の結婚式が終わった夜、久しぶりにルイが紬を抱き潰し、年なんだから加減してと紬が怒った事。
長男に子供が産まれ、初孫に大喜びした事。
どれもこれも、幸せで幸せで幸せな、二人の大切な思い出だ。
「紬……我の愛しい人……ありがとう……何よりも、誰よりも……愛しているよ……」
二人は確かにあった幸せな記憶に包まれながら、互いを愛しげに見詰め合う。
「私も……貴方を、愛してる……ずっと……」
やがてルイは笑顔のまま、静かに目を閉じる。ただ眠りに落ちただけに見える夫の手を握り、紬がじっと見詰めていると、次第に彼の身体は黒い砂粒になり、サラサラと崩れて行く。
やがて砂粒もふわりと空気に溶ける。紬の左手に輝く指輪だけを残し、ルイの身体は跡形も無く消え去った。
寒さが厳しくなってきた冬の夜、ストーブの側でお気に入りのロッキングチェアに腰掛け、妻お手製の膝掛けを掛けて、ルイは緩やかに揺られている。
彼の右手を優しく包み込む両手は、細く、皺だらけで、温かい。
今日まで二人は、笑い合い時にぶつかりながら、種族の違いを乗り越えて愛を育て、慌ただしくも幸せな日々を過ごして来た。二男一女の三人の子宝にも恵まれ、昨年は三人目の孫も誕生した。
あの時交わした契約の時まで、後十年。だが、ルイにはもう、妻との別れが近い事が分かっていた。この所酷く眠く、目を閉じて過ごす日が増えて来たからだ。もう角を隠す力さえ残っていない。
「……そろそろだと思う」
彼がゆったりと呟くと、妻の紬は穏やかに微笑んだ。
「そう……やけに気が早いのねぇ。約束は、まだ後十年も残っているのに……」
「そうだったか? ……お前との日々が楽しくて、月日を数えるのを忘れていた」
ルイはクスクスと小さく笑う。彼はこの五十年で、とてもよく笑うようになった。
「……最後の晩餐はいかが? 私を食べる約束でしょう?」
紬が静かに問うと、自分の手を包む彼女の小さな手を、ルイは左手を重ねて握る。そんな妻に穏やかな視線を向けたルイは、ゆっくりと首を横に振った。
「だって、約束でしょう? …………私を、連れて行ってはくれないの? 私の魂は、もう美しくはなくなってしまった……?」
涙を滲ませる妻を、ルイは優しい眼差しで見詰めていた。
「いいや? お前の魂は、今まで見た誰よりも、強く美しいよ。以前も今も、ずっと変わらず、綺麗なままだ……だからこそ、あの初めの時も、我に惑わされる事が無かったのだろう」
「だったらっ……私を、食べてよ……」
紬の瞳から、ボロリと大粒の涙が零れ落ちる。彼女の皺だらけの手を撫で、ルイは本心を口にした。
「もう、充分に食べたよ……」
ルイは本当にそう思っている。晴れやかに笑う彼の胸は、幸せで満たされているのだ。
「お前の、その美しい魂の輝きを、最後の瞬間まで、ずっと眺めていたいのだ……」
うっとりと満足げな夫の顔に、紬は息を吐く。
「じゃあ、待っていて……迎えに来て? 私もきっと、そう遠くない内に逝くでしょうから」
紬にとって、『死が二人を分かつまで』では足りないのだ。それはきっとルイも同じだと思うのは、彼女の自惚れでは無いだろう。それほどに、彼は紬を大切にしてくれた。
「……ああ、約束しよう。今は、死が二人を分かつとしても……必ずまた……」
「ええ、ええ……」
夫の新たな誓いに、年老いた妻はぽろぽろと喜びの涙を流す。
「お前と過ごした時間は、ニ千年の中のほんの僅かな時間だが……我の長過ぎる生の中で、この五十年が、一番、幸福だった……」
ルイが、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「こんなにも、誰かを愛しく思う感情を、体験出来るとは、思って、いなかった……お前は人間の身で我を愛し、可愛い子供達を与えてくれ、孫を抱く事も出来た……」
走馬灯のように、これまでの温かな思い出の数々がルイの目の前に浮かんでは消える。同じように、紬の脳裏にもルイと過ごした日々が再生されていた。
結婚してすぐに子供を授かり、二人で涙を流して喜んだ事。
長男は角、次男は翼、末娘は尻尾を持って産まれ、お産に立ち会ったルイが慌てて周囲に幻術をかけて誤魔化した事。
初めての人間の子育てに戸惑うルイを、紬が力強く叱咤した事。
眠る子供達を起こさないようにドキドキしながら、こっそりと睦み合った事。
末の娘が可愛くて可愛くて、ルイの人格が年々崩壊して行った事。
溺愛する娘の結婚式が終わった夜、久しぶりにルイが紬を抱き潰し、年なんだから加減してと紬が怒った事。
長男に子供が産まれ、初孫に大喜びした事。
どれもこれも、幸せで幸せで幸せな、二人の大切な思い出だ。
「紬……我の愛しい人……ありがとう……何よりも、誰よりも……愛しているよ……」
二人は確かにあった幸せな記憶に包まれながら、互いを愛しげに見詰め合う。
「私も……貴方を、愛してる……ずっと……」
やがてルイは笑顔のまま、静かに目を閉じる。ただ眠りに落ちただけに見える夫の手を握り、紬がじっと見詰めていると、次第に彼の身体は黒い砂粒になり、サラサラと崩れて行く。
やがて砂粒もふわりと空気に溶ける。紬の左手に輝く指輪だけを残し、ルイの身体は跡形も無く消え去った。
0
お気に入りに追加
113
あなたにおすすめの小説
大事な姫様の性教育のために、姫様の御前で殿方と実演することになってしまいました。
水鏡あかり
恋愛
姫様に「あの人との初夜で粗相をしてしまうのが不安だから、貴女のを見せて」とお願いされた、姫様至上主義の侍女・真砂《まさご》。自分の拙い閨の経験では参考にならないと思いつつ、大事な姫様に懇願されて、引き受けることに。
真砂には気になる相手・檜佐木《ひさぎ》がいたものの、過去に一度、檜佐木の誘いを断ってしまっていたため、いまさら言えず、姫様の提案で、相手役は姫の夫である若様に選んでいただくことになる。
しかし、実演の当夜に閨に現れたのは、檜佐木で。どうも怒っているようなのだがーー。
主君至上主義な従者同士の恋愛が大好きなので書いてみました! ちょっと言葉責めもあるかも。
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました
utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。
がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。
——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない)
※完結直後のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる