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13:噂
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病院の場所は想像以上に遠かった。
かれこれ数時間は山の中を歩いている気がするけれど、一向に到着する気配がない。
魂の姿なので疲労を感じることはないけれど、ずーっと同じような景色の中を歩き続けるのも段々と気が滅入ってくる。
あとどのくらいで着くのかをミドリさんに聞いてみようかと思うものの、聞き方によってはまた怒らせてしまうかもしれないと思うと気が進まない。
どうしようかな——と悩んでいるうちに、ミドリさんは思い出したように口を開いた。
「あんた、クロのことをどう思てるんや?」
薮から棒にそんなことを聞かれて、私は面食らった。
「クロのこと? どうって……」
「あいつのこと、怖ーい地蔵やと思っとんのやろ? 人間たちの間では有名やもんな。人気の心霊スポットやって」
否定はできなかった。
クロと出会った今でこそ、怖いイメージは薄れつつあるけれど。
夕べはもともと肝試しが目的で、私たちは黒地蔵のもとへやってきたのだ。
「肝試しとかな、ほんまによう来んねん。そんであんたみたいにケガした奴もいっぱいおったわ。んで、ケガした原因も、黒地蔵の呪いやーって大騒ぎすんねん」
「わ、私は……。確かに、初めは黒地蔵のことを怖いと思ってました。でも、今は……クロのことは、優しい人だと思ってます」
クロは無口で、無表情で、一見冷たい印象を受けるけれど、怖がっている私の手を引いて、帰り道を案内してくれた。
「あんなに優しい人が、人間を呪ったりするとは思えません。あの噂も、きっと何かの間違いで……」
「いいや、否定はせんよ。あいつは確かに『呪いの地蔵』や」
「え……?」
急に手のひらを返されて、私は困惑した。
「あんたも見たやろ、クロの右手。あの手は人間にも触れることができる。そんで、力もかなり強いんや。大の大人も、クロなら片手で投げ飛ばすこともできるやろ。……わかるか? あいつがその気になれば、人間なんて簡単に殺せるんやで」
殺す、というワードに私は身構えた。
ミドリさんが淡々と話す内容は、残酷で、私の知っている日常とはかけ離れている。
「それに考えてもみいや。普段からあれだけ忌み嫌われて、怪談のネタにされてるんやで。クロにだって感情はあるし、たまには怒ることだってあるやろ。あまりにも素行の悪い奴らが肝試しに来たら、ちょっとぐらい手を出してもおかしくないと思わんか?」
「それは……」
有り得なくはない、と思う。
たとえクロ本人にその気がなかったとしても、それだけ強い力を持っているのなら、何かの拍子に、手違いで相手にケガをさせてしまうことだってあるのではないか。
「噂の全てがホンマとは言わん。でも、火のないところに煙は立たんって言うやろ。案外、けっこうな数の人間を殺してる可能性はあるで、クロは」
呪いの地蔵とは、そう呼ばれるだけの所以があるということだろうか。
わからない。
何が真実なのか。
でも。
——目に見えるものだけが、真実じゃないこともあるのよ。
ふと、そんな言葉を思い出す。
これは確か、私がまだ小さかったころに、祖母から聞いたものだ。
——目に見えるものだけが、全てじゃないの。世の中には、誰にも信じてもらえないようなことが、真実だったりすることもあるの。
いつのまにか忘れていた、祖母の言葉。
当時の私はまだ小さくて、その意味を理解することはできなかったけれど。
今なら、少しだけわかるような気がする。
クロの姿は、普通の人間の目には見えない。
だから、みんな憶測だけで黒地蔵の噂をする。
誰もが『呪いの地蔵』だと彼を呼ぶ。
きっと、私がどれだけ反論したところで、クロの存在を証明することができない以上、誰も私の言葉を信じてはくれないだろう。
それでも、
「私は……。私にとっては、クロは恩人です」
祖母も言っていた。
大事なのは、『本当のことを知ろうとすること』なのだと。
「私は、クロに助けてもらいました。それに、彼が紹介してくれたミドリさんだって、今、私を病院まで道案内してくれています。それは確かな事実です。だから……私は、クロのことを『呪いの地蔵』だとは思いません」
たとえ誰にも信じてもらえなくても、私は彼の優しさを知っている。
黒地蔵は、優しい人。
それはまぎれもなく、私にとっての真実だった。
「……はぁ。あんた、呆れるぐらいに純粋なんやなぁ」
本当に呆れた、という風に、ミドリさんは溜め息を吐く。
「あーあ。やーめた。このまま山の中であんたのこと迷子にさせたろって思てたけど、気が変わったわ。しゃーないから、病院まで案内したる」
「…………えっ?」
それってどういうことですか、と私がうろたえていると、彼女は「にししっ」とイタズラっぽい笑みを浮かべて言った。
「いま言った通りや。もともと人間の案内なんてまっぴらごめんやったけど、あんただけは特別や。ほら、ついてきい。さっきまで山ん中ぐるぐる回ってただけやけど、病院はそんな遠くないで」
悪びれた様子もなく、彼女は再び歩き出す。
しばらく呆気に取られていた私は、やっとのことで我に返り、彼女の後を慌てて追う。
「ひっ……ひどいですよ、ミドリさん!」
彼女の進む先に見える木々の隙間からは、夜明けの光が頭をのぞかせていた。
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