黒地蔵

紫音

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16:戻れない

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 葵ちゃんたちが近くにいる。

 どこだろう、と私は辺りを見渡した。

 部屋の中には見当たらないので、壁をすり抜けて廊下の方を確認してみたが誰もいない。

 もしかしたら建物の外かもしれない。
 そう思って、今度は窓のない外壁から顔を出してみる。

 すると、

「……お前、もう一度言ってみろ!!」

 はるか下の方——ちょうど病院のエントランスの前あたりで、声を荒げる男性がいた。
 こちらに背を向けているため、顔は見えないけれど、その長身のシルエットと聞き覚えのある声から、それが私の兄であることがわかる。

 兄はいつになく荒々しい剣幕で、一人の少年の胸ぐらを掴んでいた。

 少年の顔は、私の方からよく見える。

 胸ぐらを掴まれてなお、怯えた様子もなくまっすぐに相手の顔を見上げているのは、金田くんだった。

「何度だって言いますよ。あなたの気が済むまで、俺を殴ってください。ましろさんを無理やり肝試しに誘ったのは、俺ですから」

 金田くんがそう言うと、今度は彼の後ろに控えていた葵ちゃんが悲しそうな声を出す。

「お願い、やめて朱志さん! 金田も、なんでそんなこと言うの!? ましろを肝試しに誘ったのは私だってば……!」

 一体何が起こっているのかわからなかった。

 兄と金田くんが何かを言い争っていて、葵ちゃんが泣いている。

 そしてよくよく見てみると、彼らの周りには例の男子二人と、数人の大人の姿もあった。
 大人の中にはどことなく見覚えのある顔もあって、おそらくは金田くんたちの保護者であることがわかる。

「なんや、ケンカか? 朝っぱらから迷惑なやっちゃな」

 いつのまにか、隣にミドリさんが戻ってきていた。
 彼女も私と同じように、顔だけを外壁の外に出して下の様子をうかがう。

「ど、どうしようミドリさん。あそこにいるの、私の友達なの。私のせいで、何かケンカになってるのかも」

「まあ、そうやろな」

 金田くんの発言を聞く限り、どうやら彼は、私がこんなことになった責任は全て金田くん自身にあると主張しているらしい。
 さらには兄の気が済むまで自分を殴れとまで言っている。

 激昂した兄はまだ胸ぐらを掴んだところまでで踏みとどまってはいるけれど、今にも拳を振り上げそうなその雰囲気に、葵ちゃんが泣き出すのも訳はなかった。

(お兄ちゃん……私のことで、誰かに何か言われたのかな)

 私がこんなことになって、何か責められるようなことを言われたのかもしれない。

 私のせいで、兄のプライドが傷つけられているのだ。

「不毛な争いやなぁ。周りの大人も早よ止めたれっちゅうねん」

 心底呆れた様子でミドリさんが呟く。

 その声を聞き取ったかのように、大人たちはやっと仲裁ちゅうさいに入った。

「いいから全員もう帰ってくれ。誰が見舞いに来たところで、ましろの意識が戻るわけじゃない……」

 兄は疲れたように言った。

 昨夜から寝ていないのだろうか。
 うつむきがちな目の下にはうっすらとクマが浮かんでいる。

 兄の語ったところによると、私の体は、ケガ自体はそれほど大したものではないらしい。
 MRI検査の結果も特に問題はなく、脳が損傷した様子もない。

 にも関わらず、私は一向に目を覚さない。

 医者もお手上げで、あとは意識が戻るのをひたすら待つしかないという状況だった。

「私が目を覚まさないのって、魂が元に戻ってないから、だよね……」

 保護者に連れられ、それぞれ解散していくクラスメイトたちを見送りながら、私は呟いた。

 体は問題ない。

 あとは、魂を元に戻すだけ。

「そういえば、クロから何か返事はあった?」

 ふと思い出して私が聞くと、

「ん? ああ。『俺にもわからない。すまない』やってさ」

「そっか……」

 どうやらクロも、元の体に戻る方法は知らないらしい。

 一体どうすればいいのだろう。
 途方に暮れていると、ぼんやりと眺めていた視線の先で、一度帰りかけた葵ちゃんが再びこちらへ歩み寄ってくるのが見えた。

「あのっ、朱志さん」

 おっかなびっくりといった様子で、彼女は兄に話しかける。

「葵ちゃんか……。悪いけど、今は一人にしてくれないかな」

「ごめんなさい。でも、最後に一つだけ」

 彼女がその後に続けた言葉に、私は耳を疑った。

「ましろが目を覚まさないのは、黒地蔵の呪いかもしれません。こんな話、信じてはもらえないかもしれないけど……。でも、ましろが土手を転げ落ちたのは、私たちが黒地蔵に近づいた瞬間のことだったんです!」
 
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