神楽囃子の夜

紫音

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第三章

天罰

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 やがて西の空へ日が落ちると、辺りは真っ暗になった。
 空に月は出ているが、境内を囲む雑木林が闇の色を一層深めている。

 例年ならば花火の音が上がり始める頃、狭野と祓川は神楽殿の舞台に立った。

 狭野が纏うのは緋色の狩衣かりぎぬで、手には金の扇、顔には赤い鬼の面を付けている。

 対する祓川は紫の袴に白衣の袖をたすき掛けして、手には鞘に収まったままの刀、面は被っていなかった。

 辺りを照らすのは松明の火と、周囲の木々にぶら下がる赤い提灯だけ。

 観客はいない。
 神楽囃子の奏者たちも、今回ばかりは参加を控え、代わりに録音された音源を使っている。

 たった二人だけの、ささやかな演舞。
 花火の音さえ聞こえない、神楽囃子の音色だけが響く夜。
 ここでこれから何が起ころうとも、邪魔が入ることはない。

 図らずも、狭野を殺すには絶好の機会だった。

「祓川」

 舞が始まってすぐ、金の扇を翻しながら、狭野がこちらに声を掛けてきた。

「キミは、神様の存在を信じる?」

 唐突に投げかけられたその問いに、祓川は思わず身を強張らせた。

 これは去年、父の臨終の間際にも問われたものだ。

 ——お前は、神の存在を信じるか?

 愚問だった。
 神様なんて、今までどこにもいなかったじゃないか。

 しかし今はそんなことよりも、

「喋るな。演目の途中だぞ」

 剣舞を舞いながら、祓川はそう注意した。
 神楽の最中での私語は御法度だ。

「少しくらい良いじゃないか。誰も見てやしないよ」

 確かに観客はいない。
 それに肝心の神様も、どこを見渡したって居るはずがない。

 誰も見ていない。

 そう思うと、途端に馬鹿馬鹿しくなってくる。
 たとえこの神楽を奉納したところで、結局は誰のためにもならないのだ。

 あまりにも虚しくて、祓川はつい、ふっと笑みを漏らした。

「君は本当に自由な奴だな、狭野。これは神事だぞ。神の御前でそんなことを言うなんて、さては君は無神論者だな?」

「いいや」

 鬼の面越しに、狭野の目がこちらを射抜くように見つめていた。

「神様はいるんだよ、祓川」

 いつになく力強い、有無を言わせない声音だった。

「僕はこの目で、今まで何度も神様の姿を見てきたんだ」

「何を、言っている?」

 狭野の意図がわからず、祓川は困惑した。

「言葉通りの意味だよ。僕は神様に会ったことがある。だから、神様はいる。そして僕らのことを、ずっと見守っているんだ」

 とんだ戯言だった。

 狭野がこんな風に冗談を言うなんて珍しい。

「生憎だな。俺は神に仕える身だが、今まで一度だって神に会ったことはない。君の言うように、この世に本当に神が存在するのなら、それこそ今、こうして無駄口を叩いていると天罰でも下るんじゃないのか?」

「天罰か……。そうだね。僕はもともと信心深い人間でもなかったし、子どもの頃、あの宝物殿で鏡を割ってしまった前科もある。だから、バチが当たったのかもしれない」

「バチ?」

 囃子の笛が甲高い音を響かせたのを合図に、狭野と祓川は互いの身体を向かい合わせた。
 それぞれの持つ扇と刀とを、紙一重のところで交差させる。

 そのまま今度は背中合わせとなり、互いの顔が見えないまま、狭野は言った。

「僕は今日、この舞台で、キミに殺されるんだ」

 どくん、と心臓が跳ねた。

 思わず、祓川は手にした刀を取り落としそうになった。

「……何の冗談だ、それは」

 まさか気づかれていたのか。

 いや、そんなはずはない。

 今日のことは今の今まで、誰にも気取られないように心の奥へ隠してきたはずだ。

 なのに、

「冗談なんかじゃないさ。神様が僕に教えてくれたんだ」

 狭野はそう言うと、再び扇を翻しながら、祓川から距離を取った。
 
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