神楽囃子の夜

紫音

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第三章

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 土手の下に広がる河川敷一帯には、淡いオレンジの光がずらりと並んでいた。

 よくよく目を凝らして見ると、それらは全て祭りの屋台のものだった。
 色とりどりの屋根に淡い電球の光が灯され、その周りを多くの人が楽しげに行き交っている。

(どういうこと?)

 霧島は混乱した。

 つい先程まで、確かにこの場所には何もなかった。
 それがこの短時間で、こんなにもたくさんの人や店が集まっただなんて。
 とても現実的だとは思えない。

 そもそも、今日ここで祭りが開かれるなんて話は聞いていない。
 それに、たとえその予定があったとしても、イベントなどの自粛が推奨されているこのご時世では開催そのものにも無理がある。

 さらに驚くべきことには、霧島が気づいたときには、空は真っ暗になっていた。

 いつのまにか夜になっている。

 まだ日没前の時間帯のはずなのに、いま霧島の目に映る世界は、明らかに夜の帳が下りていた。

 まるで狐か狸に化かされているとしか思えなかった。
 何か不可思議な世界に自分は迷い込んでしまったのだろうか。

 しかし、いつまでもその場に突っ立っているわけにもいかない。
 恐る恐る、霧島は足を踏み出した。

 雑木林を出て目の前の土手を下り、屋台に群がる人の波へと入っていく。

 祭りの客らしく、周りには浴衣を着た人がちらほらと見えた。
 その他の人々の服装も、あきらかに夏物だった。

 にしても、彼らのファッションセンスにはどこか全体的に違和感があった。
 女性はやけにスカートの丈が短く、髪の色は男女共に明るく染めている人ばかりで、今の主流である黒髪はほとんどいない。
 手にしているのはスマホではなくガラケーで、なんだか時代錯誤のように感じる。

 と、ちょうどすぐ横を通りがかった女性の手に、祭りのパンフレットらしきものが見えた。
 その見出しには、『平成十七年度 納涼花火大会』とある。

(平成……?)

 懐かしい元号に、霧島は目を奪われていた。

 平成十七年——二〇〇五年といえば、今から十五年も前のことだ。
 まだ霧島は生まれてすらいない。

 と、ついパンフレットに気を取られていた霧島のもとへ、今度は近くで走り回っていた幼い兄妹が迫ってきた。
 どちらも幼稚園児ぐらいの小さな子。
 二人ともお互いを追いかけるのに夢中で前を見ておらず、こちらへまっすぐに突っ込んでくる。

「! あぶな——」

 このままではぶつかる、と霧島が身構えた瞬間、彼らはするりと霧島の身体をすり抜けた。

「……えっ?」

 思わず、素っ頓狂な声が漏れる。

 二人の兄妹はまるで何事もなかったかのように、そのまま走り去っていった。

 おそらくはこちらの姿が見えていない。
 どころか、触れることさえできないようだった。

(もしかして私、ここに居ないことになってる……?)

 試しに近くを歩いていたカップルに声を掛けてみたが、気づいてくれる素振りはなかった。

 誰も霧島の存在に気づいていない。
 まるで幽霊にでもなったかのようだった。
 やはりこれは夢か、あるいは幻なのだろうか。

 疑問ばかりが浮かぶ中、さらに歩を進めていくと、やがてベビーカステラの屋台が見えた。

 その看板を目にした瞬間、霧島はほとんど反射的に足を止めて、狭野のことを思い出した。

 彼はいつも、霧島への手土産にベビーカステラを買ってきてくれた。
 それを思うと、きゅっと胸が苦しくなる。

 この河川敷で、彼と二人で過ごした時間。

 幸せだった。

 あの時間が、これからもずっと続けばいいと思っていた。

「……狭野先生」

 つい感傷に浸って泣きそうになっていると、そこへ突然、ベビーカステラを焼いていた屋台の男性が、不機嫌そうな声を上げた。

「どうした、坊主。買わないのか?」
 
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