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第二章
笑顔
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予定よりも奉仕が長引いてしまった。
午後八時過ぎ。
やっと務めから解放された祓川龍臣は、いの一番にスマホを手に取った。
高原をこんな時間まで待たせてしまった。
せっかく、彼女が連絡をくれたというのに。
逸る気持ちを抑えながら、通話ボタンを押す。
しかし、何度コールしても彼女は出ない。
(気づいてないのか? それとも……)
待ちくたびれて、愛想を尽かされたのではないか——そんな不安が脳裏を過ぎると、祓川の胸はちくりと痛んだ。
彼女に会いたい。
ずっと、胸の奥に仕舞い込んできた感情だった。
たとえ叶わぬ想いだとしても、捨て去ることができなかった。
この十数年間、どれだけ忘れようとしても駄目だった。
境内の掃除の途中や、祈祷を終えてほっと息を吐いた時、ふとした瞬間にいつも思い出すのは高原の笑顔だった。
スマホは依然として無機質な呼び出し音を繰り返している。
後でまた掛け直そう——と、祓川が一度諦めようとしたそのとき、プツ、と音が途切れた。
「もしもし」
高原の声だった。
やっと繋がった。
ひとまず連絡がついたことに安堵する祓川だったが、スピーカー越しに聞こえた声がやけに元気がなかったような気がして、それが少し引っ掛かった。
「遅くなってすまない。いま終わった。着替えたらすぐに——」
と、そこまで言いかけたところで、不意に耳に入ってきた微かな音に祓川は気づいた。
小さく、鼻をすするような音。
それから、喉元の痙攣を押し殺すような、不自然に息を呑む音も。
「……高原。もしかして、泣いているのか?」
直感で、そう尋ねた。
高原からの返事はない。
沈黙は肯定、ということか。
「高原。今、どこにいる?」
祓川は居ても立っても居られず、袴姿のまま、すぐさま外へと飛び出した。
◯
高原の居場所をなんとか聞き出した祓川は、例の河川敷まで走った。
神社の隣に流れる大きな川。
先日は夏祭りの会場となっていたそこは、今は屋台も照明も何一つなく、人の気配すら感じられない。
本当にこんな場所に、高原は一人でいるのか。
生温い夜風が肌にまとわりつくのを疎ましく思いながら、祓川は土手の上に立って辺りを見回した。
すると暗闇の中、川べりに一人の女性らしきシルエットがぼんやりと浮かんでいるのが見えた。
目を凝らしてみると、背中まで伸びる髪が風に靡いているのがわかる。
「高原……?」
顔は見えないが、こんな夜更けに別の誰かがいるとも思えない。
高原と思しきその女性は、川の方を見つめたまま微動だにしない。
まるで、次に動いたときにはそのまま川の中へ飛び込んでしまうのではないか——と、そんな不安を煽るような、危うげな雰囲気があった。
「高原!」
嫌な予感がして、祓川は再び走り出した。
土手を勢いよく滑り降り、彼女の背中へと駆け寄る。
そうして彼女の後ろから、その華奢な右腕を掴んでこちらを振り向かせた。
「! ……龍臣?」
たったいま祓川の存在に気づいたとばかりに、彼女はわずかに目を見開いていた。
「一体どうしたんだ、高原。こんな場所で、ひとりで泣いているなんて……」
すでに嗚咽はおさまったようだったが、彼女の涙に濡れた頬は月の光に照らされてキラキラとしていた。
「その、私……なんだか、ちょっと疲れちゃったみたいで。ごめんなさい。余計な心配をかけちゃったわね」
そう言って、彼女は困ったように笑った。
やけに落ち着いた、大人の笑い方だった。
実際に大人になったのだから当たり前なのだけれど、子どもの頃の、祓川の記憶の中にある彼女と比べると、どこか寂しげな印象を受ける笑みだった。
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