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第二章
鬼
しおりを挟むやがて二人の進む先に、人だかりが見えてきた。
そのさらに奥には神楽殿がある。
舞台上ではすでに演目が始まっており、笛や太鼓が演奏される中、二人の演者が舞を披露していた。
「あの神楽の鬼は、ここの神様が予言した災いそのものを表してるんだって」
二人の演者のうち、鬼の面を被った方を見上げながら、狭野が言った。
「あの鬼が……」
同じように、高原も見上げる。
鬼は真っ赤な顔に金色の目と牙を持ち、怒りと悲しみをない混ぜにしたような表情で激しく舞い続ける。
対するもう一人の演者は面をしておらず、手にした刀で鬼を追い詰めていく。
「この神楽って確か、最後は鬼が負けるのよね?」
朧げな記憶を手繰り寄せながら、高原が言った。
子どもの頃に一度だけ、この神楽を最後まで見たことがある。
その記憶が正しければ、鬼は最後、刀で胸を一突きにされて絶命するのだ。
「鬼は『祓われるべきもの』の象徴だからね。過去に起こった自然災害や流行り病もみんな、神様の起こした祟りだと言われてる。この神楽は、そんな厄災を退けてきた人々の様子を再現しているんだ」
「厄災を退ける……。それって、神様の祟りを鎮めてきたってことよね? ならもしかして、この神楽の歴史を調べれば、その幽霊のことも何とかできるってことじゃないの?」
閃いた、とばかりに高原が狭野の方を見ると、隣で神楽を眺めていたはずの彼の顔は、すでにこちらを向いていた。
思いがけず至近距離で目が合い、高原はそれを認識した瞬間、カッと顔面が熱くなるのを感じた。
「えっ。な、何。なんでそんなに見つめてるのよ」
「いや……。舞鼓は昔から、幽霊とか神様とか、そういうのをあんまり信じてなさそうだったから。今日は意外と乗ってくれてるみたいだから、不思議だなと思って」
「も、もちろん信じてなんかないわよ! ただ、こういうのって縁起ってものがあるでしょ。いくら非現実的な話でも、放っておくのは気持ち悪いもの。厄年とかと同じで」
こういった迷信を鵜呑みにするのは自分らしくない、と自覚はしていたが、狭野の身に危険が迫っているかもしれないと考えると話は別だった。
たとえ杞憂に終わるとしても、不安の種があるなら、用心するに越したことはない。
それが他でもない大切な相手であるなら、尚更。
「ねえ。一度、龍臣に会って聞いてみましょうよ。彼なら神楽のことも、この地域の歴史のことも、きっと詳しく知っているはずよ」
この神社の跡取りであり、二人の共通の幼馴染でもある、祓川龍臣。
彼ならきっと力になってくれる——そう思って高原は提案したが、
「……僕は、祓川には会えない」
どこか歯切れの悪い声で、狭野が言った。
「えっ? どうして?」
高原が尋ねても、狭野は黙ったままだった。
珍しく、その表情は曇っている。
何かを言いにくそうにしている彼の様子を見て、高原はふと、子どもの頃の記憶を思い起こした。
「もしかして、あの時のことを気にしてるの? 昔、ここで三人で遊んだときの……」
彼らがまだ小学生だった頃、祓川に無理を言って、境内を案内してもらった覚えがある。
記憶違いでなければ、それがきっかけで、彼らは疎遠になってしまったのだ。
確かにあの時のことを思い出すと、祓川に会うのは気が引ける。
当時のことを彼がどれほど覚えているのかはわからないが、最悪の場合、今でもこちらのことを恨んでいてもおかしくはなかった。
「……わかったわ。なら、私が一人で行ってくる!」
任せなさい、とばかりに高原が胸を張って言うと、狭野は暗い表情のまま、再び彼女を見た。
「でも……」
「いいのよ。それに、久しぶりに龍臣にも会ってみたいし、丁度いいわ」
高原が言い終えるのとほぼ同時に、周囲から黄色い歓声が沸き起こった。
「きゃーっ、龍臣様ー!」
歓声というよりは、悲鳴に近かった。
神楽を見守る女性たちが、口々に祓川の名を叫んでいる。
見ると、鬼の面を被った演者が、もう一人の演者に何度も刀を振り下ろされているシーンだった。
ドッ、ドッ、と嫌な音を立てて、鬼の身体に刃が食い込む。
模造刀のため肉が斬れるようなことはないが、その打撃は容赦なく、見る者に恐怖を与えるほどの威力があった。
「もしかして、あの鬼の役……今年も龍臣がやってるのかしら」
「みたいだね。女性陣の顔を見れば一目瞭然だ」
相変わらず女性からの人気を博す彼の演技は、子どもの頃のそれに比べれば余裕があった。
昔はただ刀に打ちのめされるだけだった鬼は、今や自ら進んで受け身を取っている。
そんな彼の健気な姿を見て、高原も応援せずにはいられなかった。
「龍臣、頑張れー!」
周りの黄色い声に紛れて、高原も大きな声を出す。
すると、その刹那。
ほんの一瞬だけ、鬼の顔がこちらを向いた。
「あっ。今もしかして、私のことに気づいてくれた……?」
見間違いかと思うほどの、ほんのわずかな時間だった。
けれど確かに、祓川は高原の方を見ていた。
「私の声に気づいたのかしら。ねえ、笙悟も見た? 今の——」
思わず嬉しくなって、高原が隣の狭野の肩を揺すると、
「? 笙悟?」
彼からの反応はなかった。
高原が見ると、隣で神楽を見つめていた狭野は、どこか放心したように固まっていた。
まるで何か信じられないものでも見たように、その目を丸くしている。
「……祓川。キミは、もしかして」
そう、弱々しく呟いた彼の声を掻き消すように、背後からは花火の音が届いた。
ドン、ドン、と腹の底まで響く重低音とともに、夜空が光で彩られる。
川沿いの方からも歓声が上がり、夏祭りは盛り上がりのピークを迎えた。
やがて、演目も終盤に差し掛かった頃。
神楽囃子と花火の音に包まれる中、鬼は刀で胸を一突きにされ、今年もその役目を終えたのだった。
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