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第一章
もう二度と
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怒号は雑木林の中まで届いた。
時折乾いた破裂音のようなものが聞こえ、おそらく祓川が体罰を受けていることがわかる。
高原舞鼓は両手で耳を塞ぎ、もつれそうになる足を必死で動かしながら走った。
やがて河川敷の方まで出ると、すでに日の暮れた空はわずかに黄昏の色を残して、うっすらと星の姿を見せ始めていた。
無事に逃げ切られたことに安堵する一方で、祓川に対する罪悪感が全身を這い上がってくる。
「龍臣……。ごめんなさい。ごめんなさい……!」
涙に濡れた顔を両手で覆いながら、高原はその場に膝をついた。
「……もう、祓川とは会わない方がいいかもね」
隣で呆然と空を見上げながら、狭野が呟くように言った。
「そんな。だって、せっかくあんなに……楽しそうにしてくれたのに」
あの宝物殿の中で、祓川は笑っていた。
いつも無表情で、他人に関心のなさそうなあの彼が。
大口を開けて、珍しく年相応の少年らしい顔を見せてくれたのだ。
「僕らが関わると、祓川はまた今日みたいな目に遭うかもしれない。祓川もきっとそれがわかっていたから、今まで学校でも誰とも遊ぼうとしなかったんだ」
わかっている。
彼は神社の跡取りで、父親の教育も厳しいことは学校の誰もが知っていた。
「あの神社には、もう行かない方がいいかもしれない。……僕も、これからは一人で調べ物をしようと思う。次の夏祭りも、僕は一人で行ってくるよ。だから舞鼓は、来年は他の友達を誘ってね」
淡々と告げられた狭野の言葉に、高原はショックを受けた。
邪魔だ、と言われた気がした。
これ以上は干渉して来ないでほしいと、暗に厄介払いをされたようだった。
だが、たとえ縋りついたところで今さら意味がないことは高原にもわかっていた。
だから、
「……うん。わかった」
感情を押し殺して、同意する。
その日から、彼らが互いに関わり合いになることはなくなった。
夏が過ぎて、冬が来て、一度は姿を消した花々がまた芽吹く頃、彼らは中学生になった。
小学校のときよりも一学年の人数が増え、新しい顔ぶれの女子グループの中に高原は納まった。
一方で、狭野と祓川はそれぞれ孤立していることが多かったが、当人たちは特に気にしていないようだった。
狭野は相変わらず少女の絵を黙々と描いているし、祓川は徹底してクラスメイトと距離を取っている。
たまに祓川の容姿に惹かれた女子が寄ってくることもあったが、以前にも増して塩対応となった彼に堂々とアプローチする者はほとんどいなかった。
「狭野くんってさ、いっつも同じ絵ばかり描いてるよね。飽きないのかな?」
「不思議よね。でも、すごく上手いのよね。将来は画家とか、美術の先生でも目指してるのかなぁ」
狭野の話題が挙がる度、高原は何も知らないフリをした。
彼女らの言う通り、狭野の絵の腕は日に日に上達している。
最初は見るに耐えない代物だったが、今ではクラスメイトたちから一目置かれるほどの立派な絵描きとなっていた。
また同時に、一時は下がっていた学業の成績もここのところ盛り返してきている。
いずれ美術の先生にでもなるのではないか、というクラスメイトの予想は、あながち間違ってもいないような気がした。
そうして季節は巡り、今年もまた、花火大会の日がやってくる。
狭野と一緒にいられない、中学一年の夏祭り。
いつもの女子グループで向かうことになったその場所は、七月の猛暑と人々の熱気に包まれているのに、胸の内はやけに寒々しくて。
記憶の中に残る狭野の手の温もりが、高原は泣きそうなほどに恋しかった。
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