神楽囃子の夜

紫音

文字の大きさ
上 下
9 / 49
第一章

宝物殿

しおりを挟む
 

       ◯



 翌日の昼下がり。
 白い入道雲が立ち上る青空の下、雑木林に囲まれた境内では蝉の合唱が響き渡っていた。

「オリンピックが延期になったなんて話、俺は聞いたことがないな」

 いつもの袴姿で境内を歩きながら、祓川龍臣が言った。

 その後ろを、狭野と高原がヒナ鳥のようについてくる。

「やっぱりそうよねぇ。私もネットで調べてみたけれど、延期になったなんて話は全然見つからなかったわ。やっぱり幽霊なんて本当はいなかったんじゃないの?」

「いや、延期と中止を勘違いしたのかも。もし中止のことだったら、過去に五回あったらしいよ。特に一九四〇年のときは、本当なら日本で開催される予定だったんだって」

「一九四〇年って、戦時中? ……もっと前かしら? そんな昔に、ベビーカステラの屋台なんてあるの? やっぱりちょっと無理があるような気がするわ」

 あくまでも否定的な姿勢を譲らない高原の隣で、狭野はマイペースに「うーん」と唸っている。

「年代に関してはまだよくわからないけど……。とにかく、『キリシマミコト』っていう女の子の情報さえ見つかればそれでいいんだ。この街の歴史や、祭りのことを調べれば何か手掛かりが掴めるかもしれない」

 狭野が言い終えると、祓川は一度足を止めて振り返った。

「歴史について調べるのは結構だが……。本来なら、うちの神社に残る資料を勝手に閲覧するのは禁じられているんだからな。この宝物殿ほうもつでんも、ここ十数年ほどは一般公開されてない。今日はたまたま父が留守だから、特別、俺が内緒で案内してやっているんだ」

 だから今日のことは絶対に他言するなよ、と釘を刺す祓川の後ろには、平屋建ての古い建造物がひっそりと木陰に立っていた。
 入り口の表札に『宝物殿』と大きく書かれたこの建物には、この地域の歴史にまつわる貴重な資料が数多く納められている。

(ここへ勝手に人を入れたことが父に知れたら……おそらく只では済まないだろうな)

 想像しただけで、祓川は身震いした。

 厳格な父は不正を許さない。
 万が一見つかったら、昨夜の神楽以上に痛い目に遭わされるかもしれない――そう思うと、未だに痺れの残る両肩がじんじんと疼く。

 だが、他でもない高原の頼みとあれば仕方がない。

 彼女は狭野の捜す幽霊の少女について、決定打のようなものが欲しいのだという。
 すなわち、幽霊など存在しないという現実を突きつけるための証拠だ。

 『キリシマミコト』という名の少女は、過去のどこにも存在しなかった――それを証明するためにも、この街の歴史に関する文献をできるだけ多く読み漁りたいのだという。

「いいか。中に置いてあるものには勝手に触るな。どうしても気になるものがあるときは俺に言え」

 祓川は周囲に人がいないのを確認すると、施錠されていた扉を開け、素早く二人を招き入れた。

「わあ……。なんだか博物館みたいね」

 建物の中へ足を踏み入れるなり、高原は物珍しそうに辺りを見回した。

 壁際にずらりと並んだガラスケースの中には、刀剣類や絵巻物など、古い時代に使われていた品々が納められている。
 どれも希少価値のありそうな物ばかりだったが、しかし建物の奥へ行けば行くほど、それらの保存状態は乱雑になっていく。

 やがて突き当たりまで来る頃には、まるでレイアウトを変更する途中で投げ出してしまったかのように、ケースの内外を問わず、あちこちに物が散乱していた。
 最奥にある棚の上には、ボロボロになった冊子が何重にも積み上げられている。

「昔はここも自由に拝観できるようになっていたらしいが、今はこの有り様だ。ほとんどガラクタの倉庫みたいなものだが、一応、ここにあるのは歴史的価値のあるものばかりだからな。くれぐれも勝手に手を触れるような真似は――」

 言いながら、祓川が後ろを振り返ったその瞬間、その目に飛び込んできた光景にギョッとした。

 狭野が、部屋の隅に置かれた棚へと手を伸ばしている。

「こっ、こら! 触るなと言っているだろう!」

 びくり、と反射的に狭野は手を引っ込めたが、遅かったらしい。
 彼の指先がわずかに触れた品が一つ、バランスを崩して棚の上から落下した。

 ぱりんっ、と乾いた音が屋内に反響する。

「きゃっ! ちょっと笙悟、何やってんの!?」

「ご、ごめん祓川! つい……。ど、どうしよう」

 珍しく動揺する狭野の隣で、祓川は足元で粉々になったそれを呆然と見つめていた。

 落下したのは、手のひらサイズの円鏡まるかがみだった。
 かなり年季の入ったものだったが、割れた破片の一つ一つには今もしっかりと三人の顔が映し出されている。

 この惨状を父が見たらどうなるだろう。
 説教だけでは済むはずがない。
 想像するだけで恐ろしい未来が待っている。

 けれど、

「……ふっ……」

 どうしようもない窮地に立たされたはずなのに。
 なぜかその現状が、たまらなく面白いことのように祓川には思えた。

「ふはっ……あはははは!」

「た、龍臣……?」

 堪えきれずに笑い声を上げた祓川に、高原は戸惑うような視線を向けた。

「ははっ……。君は本当に可笑しな奴だな、狭野。あれだけ忠告したのに、まさか鏡を割ってしまうなんてっ……くく」

 笑いが止まらない。
 面白くて仕方がない。

 つい先程まで、祓川は息苦しいまでの緊張感を持っていた。
 父に隠れて不正を働いている、その後ろめたさに目眩がしそうだった。

 けれど、それが今はどうだ。
 もう取り返しのつかないところまで来てしまえば、いっそ清々しいほどの開放感が全身を包む。

 緊張の緩和、というのだろうか。

 それはまるで、幼い頃にくだらないイタズラが成功したときのような、ささやかな喜びに似た、懐かしい感覚だった。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白雪姫症候群~スノーホワイト・シンドローム~

紫音
恋愛
 幼馴染に失恋した傷心の男子高校生・旭(あさひ)の前に、謎の美少女が現れる。内気なその少女は恥ずかしがりながらも、いきなり「キスをしてほしい」などと言って旭に迫る。彼女は『白雪姫症候群(スノーホワイト・シンドローム)』という都市伝説的な病に侵されており、数時間ごとに異性とキスをしなければ高熱を出して倒れてしまうのだった。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

【完結】俺のセフレが幼なじみなんですが?

おもち
恋愛
アプリで知り合った女の子。初対面の彼女は予想より断然可愛かった。事前に取り決めていたとおり、2人は恋愛NGの都合の良い関係(セフレ)になる。何回か関係を続け、ある日、彼女の家まで送ると……、その家は、見覚えのある家だった。 『え、ここ、幼馴染の家なんだけど……?』 ※他サイトでも投稿しています。2サイト計60万PV作品です。

催眠教室

紫音
青春
「では皆さん、私の目をよく見てください。あなたたちはこれから一年間、私の思い通りに動いてもらいます」  高校の入学式の日、教壇に立った女教師はそう言い放った。彼女の催眠術にかからなかったのは、どうやらクラスの中で俺一人だけらしい。  催眠術が使える怪しい担任と、情緒不安定なクラスメイトたち。そして、人間不信からくる幻覚症状を持つ俺。問題児だらけのこの教室には、ある重大な秘密が隠されていた。  心に傷を抱えた高校生たちの、再起の物語。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

僕《わたし》は誰でしょう

紫音
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

あやかし警察おとり捜査課

紫音
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

俺がカノジョに寝取られた理由

下城米雪
ライト文芸
その夜、知らない男の上に半裸で跨る幼馴染の姿を見た俺は…… ※完結。予約投稿済。最終話は6月27日公開

処理中です...