あばらやカフェの魔法使い

紫音

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第3章

誰かのために

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 やっと口を開いた彼女からの返答は、私の予想とはまったく違っていた。

 思わず、彼女の腕を掴んでいた手を緩めると、途端にその細い腕はするりと私のもとから離れていく。

 そのまま後ろへ一歩下がった彼女は、私と微妙な距離を保ったまま、睨むような目をこちらに向けた。

「絵馬ちゃんはいつもそう。自分のことは二の次で、いつだって人の心配ばかりしてる。……あのときだってそう。あの日、車に轢かれそうになった私を道の端へ追いやって、そのまま、自分が轢かれそうになってたでしょ?」

(そう、だっけ?)

 言われて、私は当時のことを振り返ってみる。
 けれどあまりにも一瞬のことだったので、はっきりとは思い出せない。

 車は、気づいたときには私たちのすぐ後ろにいて。
 咄嗟に、いのりちゃんの腕を掴んだことだけは覚えている。

「絵馬ちゃんは、人の心配ばかりして……自分自身をないがしろにしてるんだよ。それを自分で気づいていないからタチが悪い。私なんかと一緒にいたら、絵馬ちゃんはきっと……いつか死んでしまう」

 一緒にいると、いつか死んでしまう――それはまるで、私がまもりさんに対して抱いていた不安と同じだった。

「私は……絵馬ちゃんのことを傷つけたくない。この気持ちは、わかってもらえなくたっていいよ。このままずっと仲直りができなくたって、私は……絵馬ちゃんが元気でいてくれるなら、それでいいから」

 言い終えるのと同時に、彼女はこちらに背を向けると、そのまま走り去ってしまった。

「いのりちゃん!」

 私の声に、彼女は振り向かなかった。

 遠くなる彼女の背中を、私はひとり路上に残されたまま、ただ見送ることしかできなかった。



          ◯



(いのりちゃんが私を避けるようになった理由は、私がまもりさんの店へ近寄らなくなったのと同じ?)

 いのりちゃんの本音を聞いてから、すでに数日が経っていた。
 梅雨も終盤に差し掛かり、教室の窓から差す陽射しも厳しくなってきた。
 もうじき夏休みがやってくる。

 いのりちゃんとはあれから一度も顔を合わせていない。
 そしてまもりさんの店にも、まったく顔を出していない。

(私……どうしたらいいんだろう)

 私は頭を抱えていた。
 何か行動を起こそうとすると、すべてが悪い方向へ行ってしまうような気がする。

 いのりちゃんは私と一緒にいると、いつか私が死ぬかもしれないと言った。
 それは心配が過ぎるような気もするけれど、彼女の心を苦しめている原因であることは確かだった。

 あれだけ彼女が過剰に心配するのは、もしかすると――消えてしまった記憶の断片が、心の中に少しだけ残っているからなのかもしれない。

 二ヶ月前、海で溺れたときのこと。
 自分の身代わりに、まもりさんが死んでしまったこと。

 そのこと自体を忘れても、心に負った傷だけはどこかに残っているのかもしれない。

 まもりさんが、忘れてしまった誰かを待つのと同じように。
 いのりちゃんもまた、忘れてしまった不安に押しつぶされそうになっているのかもしれない。

 そんな彼らの事情を知っている私は、いま何をするべきなのだろう?
 少なくとも、ここでただ何もせずに知らぬ顔をしている場合ではないような気がする。

 と、そんなことばかり考えて授業の内容をまったく聞いていなかったとき、不意にスマホのバイブが震えた。

 見ると、流星さんからメッセージが届いていた。

『今日から実家の店の手伝いに戻る。もし気が向いたらまた、まもりの様子を見に行ってやってくれ』

 その内容に、私はまた不安になった。

 流星さんが実家に帰ってしまう。
 また、まもりさんが一人になってしまう。

 こうして流星さんがメッセージをくれたということは、やはり彼もまもりさんのことが心配なのだろう。
 まもりさんが、また寂しい思いをするかもしれないから。

(でも、私が会いに行ったら……)

 また、彼を危険な目に遭わせてしまうかもしれない。

 けれど、だからといって、彼をひとりにさせたくもない。

 流星さんもきっと、私と同じ気持ちなのだ。

 私はしばらく悩んだ末、結局はその日の放課後に、久々にあの店へ寄ることにしたのだった。

 
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