放浪探偵の呪詛返し

紫音

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第六章 静岡県伊豆市

第一話 湯回廊菊屋

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 緑豊かな日本庭園と、脇の池を泳ぐ錦鯉にしきごい。その景色を閉じ込めるようにして、周りを取り囲むのはガラス戸の並ぶ回廊だった。
 レトロ感の漂う木枠に嵌め込まれたガラスは明治・大正時代に造られたもので、この旅館がいかに老舗であるかを物語っている。

「はぁー。やっぱりええ宿やなぁ、湯回廊菊屋きくや。盆休み前の出張なんて憂鬱やったけど、帰りにこっちまで足伸ばしたんは正解やったな」

 うんうん、と満足げに頷くのは二十代後半の美丈夫だった。
 落ち着いたチャコールグレーのスーツに、爽やかな印象のある短めの髪。精悍せいかんな顔つきに、どこか異国の血を思わせる色素の薄い瞳。すらりとした長身の佇まいは、周囲の宿泊客、特にマダム層の注目の的である。

「あら。素敵な殿方……」
「横顔も綺麗だわ。もしかして俳優さん?」
「スーツ姿が似合い過ぎ。写真を撮らせてほしいぐらい……」

 ほう……と熱烈な視線を向けられるも、当の本人は特に気づいた様子もなく、旅館の内装に目を奪われている。
 創業四百年を誇るそこはかつて明治の文豪・夏目漱石なつめそうせきが訪れたことでも有名であり、本人が宿泊した客室は、当時の面影のまま現存している。

「ん」

 と、不意にスーツの内ポケットでスマホが震えた。仕事の電話か? と男がすぐに取り出して見ると、画面には『璃子りこちゃん』の文字が表示されていた。珍しいなと思いつつ、応答ボタンを押して耳元へ持っていく。

「もしもし、璃子ちゃんか?」

「ご無沙汰しております。兼嗣かねつぐさま」

 スピーカーの向こうから、まだ幼さの残る少女の声が届く。

「久しぶりやなぁ。元気にしとんか?」

「おかげさまで。兼嗣さまも、お元気そうで何よりです」

 その言葉とともに、少女はわずかに微笑んだ気配があった。釣られて兼嗣も口元を緩める。

「そんな風に労いの言葉を掛けてくれるんは、本家の中では璃子ちゃんだけや。璃子ちゃんは、ずっとそっちにるのしんどくないんか? 本家を抜け出したくなったら、いつでも言いや。俺が手伝ったるで」

 冗談っぽく、けれど半分以上は冗談ではない心持ちで兼嗣は言った。東京にある永久ながひさ本家の屋敷に住むなど、彼にとってはこの上にない罰ゲームである。

「ふふ。お気遣いありがとうございます。でも、私は今のところ大丈夫です。それより、ちょっとお願いしたいことがあるのですが」

「ええで。璃子ちゃんの頼みやったら何でも——」

 そう言いかけたところで、ふと嫌な予感が過ぎる。
 こんな風に璃子が頼み事をしてくるのは、決まってあの用件の時だけである。

「では、お言葉に甘えて。兼嗣さま、今どちらにおられますか?」

 そんな質問を投げかけられて、嫌な予感はどんどん加速していく。

「……えーと。いまは出張が終わったとこで、静岡県伊豆市の……修善寺しゅぜんじ温泉の方まで来てるけど」

「修善寺ですか? ちょうどよかった!」

 そんな彼女の反応に、兼嗣の予感はいよいよ確信に変わった。

「実は、問題児の一人がそちらに向かっているようなんです。お疲れのところ申し訳ないのですが、兼嗣さまのお力で呪いを返してきていただけませんか?」

 やっぱりな、と兼嗣は天井を仰ぐ。大正ロマンを感じさせる館内は美しいが、瞳に映る景色は一気に色褪せたように感じられた。

「……暇人の三男坊さまがおるやろ。あいつはどうしたんや?」

「天満さまは今、お腹を壊してダウンしてます。千葉県の方まで出掛けているそうなんですが、梨狩りで梨を食べ過ぎたようで」

「なんじゃそら。ほんまに使えん奴やな」

 梨狩りの時期は主に八月から。おそらくは今年のシーズンが始まってすぐに参加し、ほぼ一番乗りで腹を下したのだろう。

「どうかお願いします。兼嗣さまの他に頼れる人がいないんです」

 そらそうやろな、と内心毒づく。
 永久家の呪いを解決する『呪詛返し』の力を持つのは、一族の中でも本家の血筋の人間だけである。普段から身動きの取れる天満がダウンした今、頼みの綱は腹違いの自分しかいない。

 ふう、と深い溜息を吐いた後、兼嗣はようやく腹を括った。

「わかった。永久家のためにってのは嫌やけど、璃子ちゃんの頼みなら引き受けたるわ。俺が呪いを返り討ちにしたる。その代わり、あのボンクラの三男坊さまが帰ってきたら、きついお灸を据えたってや、璃子ちゃん」
 
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