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第2章
理想
しおりを挟む「あの日、あなたは鷹取くんを選んだわ」
雛沢が言って、烏丸は身構えた。
「あなたは鷹取くんに誘われて、コウノトリのヒナを助けに行った。私は危ないからやめてって言ったのに、あなたは聞いてくれなかった」
そういえば、そんなこともあっただろうか。
「私はね、翔くん。あなたのことを特別に思ってたのよ。悪い言い方をすれば、贔屓って言うのかしら。本来なら、あの施設にいるみんなのことは平等に接しなきゃいけないのに。でも、あなたが私に懐いてくれたから、私も嬉しくなっちゃって。……この子は私を必要としてくれてる。この子には私が必要なんだって、自惚れてたの。それこそ、あなたを自分の養子にしたいなんて考えたこともあったわ。今だから言えることだけれど、当時は本気であなたを引き取りたいと思って、施設に相談したこともあった。もちろん、周りからは止められたけどね」
「そんな、話……」
初耳だった。
それが事実なら願ってもない。
憧れの人が、まさか自分を引き取ろうとしてくれていたなんて。
「最初はね、周りからどれだけ反対されても、私はあまりピンと来なかったの。一人の人間を引き取ることがどれだけ大変なことかとか、母親になる覚悟がどうだとか……。そんなことよりも、気持ちが何より大事なんだと思ってた。私は翔くんのことを大切にしたいと思っていたし、翔くんもきっと私のことを信頼してくれていると思ったから」
そこは烏丸も同意見だった。
どうせ誰かに引き取ってもらえるのなら、好きな相手の方が良いに決まっている。
もしも雛沢が自分と養子縁組をしてくれていたなら、どれだけ良かっただろう。
「でもね。……その後すぐに、目が覚めたわ。私の考えは浅はかだったって。思い知らされたの。鷹取くんが、あの施設に入ってきてから」
どくん、と心臓が跳ねた。
また、鷹取だ。
「私があの施設に来てから、一ヶ月後くらいだったかしらね。鷹取くんがあの施設に引き取られたのは。彼も翔くんと同じように、友達も作らずに一人浮いていたわよね。彼は私も含め、どの職員にも心を開いてくれることはなかった。けれど、あの日ーー」
その先を想像するのは容易かった。
脳裏を駆ける、あの日の記憶。
コウノトリの巣を目の前にして、あの日の鷹取は、あろうことか、ほとんど面識のない烏丸にいきなり声を掛けてきたのだ。
ーーなあ。お前、いつも退屈してんだろ? 俺と一緒に、あのカラスを追っ払ってやろうぜ。
それまで互いの存在を認識することはあれど、会話すらしたことがなかったのに。
挨拶すらもすっ飛ばして、鷹取は烏丸の懐に土足で入ってきた。
それがなぜだか、妙に清々しくて。
無遠慮にこちらへ伸ばされた手を、烏丸は少しの躊躇もなく掴んだ。
コウノトリのヒナを守るために、あの電柱を登った。
雛沢は危ないからやめろと言っていたけれど、その言いつけを破ることすら興奮材料になって。
心の底からワクワクした。
誰かと一緒に何かをすることで、あんなにも楽しい思いをしたのは生まれて初めてだった。
「……あなたは、鷹取くんと一緒にあの電柱を登った。私は危ないからやめてって言ったのに、あなたは鷹取くんを選んだ。その瞬間に、私は目が覚めたの。ああ、私はただ、あなたに幻想を抱いていただけなんだって。どんな時も、あなたは私を選んでくれると思ってた。それこそ私を母親のように慕って、雛鳥のようについてきてくれるって。……夢を、見すぎたのよ。私は、鷹取くんにあなたを取られて、それだけでショックだった。あんなことだけで、こんなにも失望する私が、あなたの母親になんてなれるわけない。あなたが私の理想の息子にはなってくれないように、私も、あなたの理想の母親にはきっとなれないんだって」
そこまで言うと、雛沢は自らの手を腹の辺りに添えて、壊れ物を扱うようにそっと撫でた。
まるで、そこにある何かを慈しむように。
その仕草を目にしたとき、烏丸はハッとした。
「……つぐみさん、もしかして」
雛沢は自らの腹に視線を落とすと、愛おしそうに目を細めて言った。
「お腹にね、赤ちゃんがいるの。……ずっと待ち望んでいた、私の子どもよ。他の誰でもない、私だけが母親になれる子」
耳を疑った。
雛沢が妊娠していた。
一体いつから?
いや、そんなことよりも。
彼女にそういう相手がいることすら、烏丸は知らなかった。
ずっと連絡は取っていたのに、彼女はそんな大事なことを烏丸に一度だって話したことはなかった。
「そんな……。だって、そんな話、今まで一度も」
「黙っててごめんね。私、結婚するの。仕事も辞めて、遠くへ引っ越すわ。今日ここへ来たのは、用事のついでだって言ったけど、本当は……あなたにお別れを言いに来たの」
淡々と発せられたその言葉は、鋭い痛みを持って烏丸の胸を襲った。
まるで見えない手で、心臓が握り潰されるようだった。
「あなたが鷹取くんを選んだように、私も、自分の大切な人をやっと見つけることができたの。だから、私たちはここでお別れ。私は私の家族と、あなたは鷹取くんと……お互いに、一番大事な人のそばにいましょう。鷹取くんにとって、あなたはきっと特別だから。最後まで一緒にいてあげてね」
窓から漏れる朝の光に照らされて、穏やかな微笑を浮かべる彼女の姿は、さながら聖母のようだった。
しかし、その口から語られた内容は、烏丸にとってはまるで死刑宣告のようだった。
最後まで、という表現が、まるで近い未来を示唆しているような、そんな気がした。
ーーあなた、死ぬわよ。
頭の片隅で、羽丘の声が蘇る。
ーー度胸試しなんてバカみたいな真似は今すぐやめることね。そんなことを続けてたって何の意味もないし、あなた、いつか死ぬわよ。
もしもこのまま、鷹取と最後まで添い遂げるとしたら。
最後はきっと、死ぬときも一緒なのだろうーーと、まるで他人事のように、ぼんやりと思った。
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