飛べない少年と窓辺の歌姫

紫音

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第1章

二人で

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「明日って、あなた、まだ全然足が治ってないじゃない。まさか承諾したわけじゃないでしょうね?」

 烏丸が気まずそうに目を逸らすと、少女はすぐに察しがついたらしい。
 はああ、と呆れたように溜息を吐くと、キッと鋭い視線を再び向けて声を荒げた。

「電話して断りなさい。今すぐ!」
「えっ、今?」
「じゃなきゃ間に合わないでしょ!」

 烏丸はしばらく迷っていたが、少女の剣幕に圧されて、やがて渋々とスマホを取り出した。
 しかし何度コールしても鷹取は出ず、留守番電話サービスにも繋がらない。

 せめてメッセージを送っておけと少女に言われ、それに従った。

「明日の朝にはちゃんと話をつけなさいよ。また馬鹿なことしてケガでもしたら許さないから」

 まるで母親のようなセリフだった。
 本当にお節介な子だな、と思いつつも、なぜか烏丸はそれが嫌なわけではなかった。

 けれど一方的に言われっぱなしなのもしゃくなので、

「なら、あんたも約束してよ」

 と切り出す。

 途端に嫌な予感でもしたのか、少女は「何よ」と身構えた。

「言っとくけど、歌を歌うな、なんて言われても聞かないわよ。歌は私が生きる理由そのものなんだから」

 あきらかに警戒する少女に、烏丸は「わかってるよ」と前置きして言った。

「歌をやめろなんて言わない。病室をこっそり抜け出すのだって止めはしない。けど、もし次にまた夜中に抜け出すことがあるなら、そのときは……俺も一緒に連れてってよ」

 烏丸が言い終えると、少女はまるで拍子抜けしたように、ぽかんとした顔を見せた。

「何それ。なんであなたまで連れてかなきゃいけないの?」
「夜中に一人で出歩いたりしたら危ないでしょ。身体、弱ってるんだし。もし途中で倒れでもしたら、誰にも見つけてもらえないかもしれないし」

 あまり考えたくはないが、最悪の場合もありうる。

 「それに……」と、烏丸はそこで一度切ると、今度は少しだけ上擦った声で言った。

「一人でいるよりは、二人でいる方が……ちょっとはマシでしょ?」

 言いながら、なんとなく気恥ずかしくなって、明後日の方角に視線を泳がせた。

 一人でいるのは寂しいから。
 二人で一緒にいれば寂しくないでしょ。

 なんて言ったら怒られそうなので、烏丸はあえてそうはっきりとは言わなかった。

「……何それ」

 口癖なのか、少女はぶっきらぼうにそう言うと、同じように視線を逸らした。

 けれど烏丸が再び彼女を見ると、心なしか、その横顔は先程よりも少しだけ穏やかになったように思えた。

「……だめ、かな?」

 最後の一押しとばかりに烏丸が聞くと、

「あーわかった。わかったわよ。交換条件ね」

 仕方ないわね、という風に少女は承諾した。

 その返答に、烏丸はホッと胸を撫で下ろす。

 彼女が約束を守ってくれるかどうかはわからない。
 けれど、もしも自分を少しでも頼ってくれるのなら、烏丸はできる限りそれに応えたいと思った。

 らしくないな、と自分でも思う。
 けれど、彼女がいつも一人でいる姿を見ると、どうしても放っておくことができなかった。

 そして、もう一つ。

 これはただの願望だから、彼女にとっては余計なことなのだろうけれど。

 それでも、もしも叶うのなら。
 いつか中庭で歌っていた彼女が浮かべていた、あの満ち足りた笑顔がもう一度見たいと思ったのだ。

 と、そこへ遠くの方から声が届いた。

 二人が同時に見ると、三階の病室の窓から看護師が何かを叫んでいた。
 どうやら部屋を抜け出したのがバレたらしい。

「そろそろ戻らなきゃね」

 そう言って先に歩き出したのは少女の方だった。

「あ、待って。その、あんたの部屋って……」

 部屋の場所を尋ねようとすると、少女は数歩進んだ先で立ち止まり、くるりとこちらを振り返って言った。

「本館の、三〇七号室よ」
「え……」

 意外とあっさりと部屋の場所を教えてくれた――ということよりも、それ以上に烏丸が意表を突かれたのは、目の前で振り返った彼女の、その穏やかな表情だった。

 さっきまで泣いていたのが嘘のように、まるで憑き物が取れたような安らかな微笑。
 優しげに目尻を下げた可憐な瞳は、淡い照明の光に照らされてキラキラと輝く。
 思わずハッとするような、幻想的で美しい姿だった。

「もしあなたが寂しくなったら、私に会いに来てもいいわよ」

 彼女はそういたずらっぽく笑って言うと、再びこちらに背を向けた。

「私は羽丘。三〇七号室の、羽丘雲雀ひばりよ」

 羽丘雲雀。
 それが、彼女の名前。

 半ば夢の中にいるような心地で彼女の後ろ姿を見つめていると、やがてその背中はゆっくりと遠ざかり始めた。
 そこでやっと我に返った烏丸は、離れていく彼女に慌てて声を掛ける。

「俺は、三〇五号室の烏丸翔!」

 お互いの部屋は近い。
 わずか二つ隣の部屋だ。

 この先、あとどれくらいの時間を彼女と共有できるのかはわからない。
 もしかしたら明日にでも、それは終わってしまうのかもしれない。

 けれど、会いにきてもいい、と彼女は言っていた。

 だから、その言葉が嘘や冗談でないのなら、可能な限り。
 その情けに甘えてみるのも悪くないな――と、烏丸は淡い期待を抱きながら、数歩遅れて彼女の後を追った。
 
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