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第1章
変わらない関係
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消灯時間を過ぎると、病室内はしんと静まりかえる。
たまに誰かのイビキや呻き声が聞こえてくるものの、隣同士のベッドでいつまでもお喋りをしているような者は一人もいない。
昼間は窓の外を飛び回っていたツバメの声も聞こえない。
薄暗闇の静寂。
ほのかな月明かりの差す窓辺では、ベッドに横たわった烏丸が、妙に冴えた目で無機質な天井を見つめていた。
今日はいつにもまして寝付きが悪い。
やけにはっきりとした意識の中で、何度も繰り返し思い出されるのは昼間の雛沢の言葉だった。
――鷹取くんを選んだのは、あなたの方でしょう?
あれはどういう意味だったのだろう。
鷹取を『選んだ』だなんて。
そんな選択肢に迫られるようなことが過去にあっただろうか。
それに、いつもの彼女なら、悩み事があればどんな些細なことでもすぐに相談に乗ってくれる。
こんな風に突き放されたのは初めてで、烏丸は胸に渦巻く不穏な風を振り払うことができなかった。
明日は土曜日だ。
鷹取と約束した土曜日。
明日の夜になれば、彼はここへやってくる。
そしていつも通りスマホのカメラを回して、ネット上に投稿するための動画を撮る。
今までもずっとやってきたことだ。
一般的に『危険』とされていることに自ら挑戦して、その動画をたくさんの人に見てもらう。
何が楽しくて始めたのか、今となってはもう覚えていない。
ただ惰性で続けてきた。
いや、ムキになって無理やり続けてきたのだ。
幼馴染に対する対抗心。
負けたくないという意地。
そんなくだらないもののために、なぜ自分はこうも心を縛られてしまうのだろう。
――待ってるからな、翔。
別れ際に聞こえた、どこか寂しげな鷹取の声。
あのとき廊下の奥に消えていった彼の後ろ姿は、いつになく弱々しかった。
あんな乱暴なことをするくせに。
いつも高圧的で、思い通りにならないことはすぐに力でねじ伏せようとするくせに。
なのに時折、やけにしおらしくなって、ともすれば今にも消えてしまいそうな儚さを見せることもある。
あんな声で「待ってる」なんて言われたら、烏丸も行かないわけにはいかなくなってしまう。
(これも負けず嫌いの一環なのか?)
本音では乗り気ではないはずなのに、つい鷹取の期待に応えようとしてしまう。
いつまでも変わらない関係。
切っても切れない腐れ縁。
おそらくこの関係は、どちらかが死ぬまで続くのだろう。
このままだと本当に、
――あなた、いつか死ぬわよ。
脳裏で少女の声が蘇る。
死ぬ、という単語が、まるで呪いのような響きを持って胸を侵食する。
「……どうしたらいいんだよ……つぐみさん」
頼みの綱である雛沢には拒絶されてしまった。
たった一人、彼女になら相談できると思っていたのに。
暗い病室の片隅で、烏丸は人知れず溜め息を吐く。
と、そこへかすかに、歌声のようなものが耳に届いた。
「……?」
か細く、やわらかな音色。
どこかで聴いたことのあるメロディー。
歌詞は英語っぽいことだけはわかるが、内容はほとんど聞き取れない。
(この声……もしかして)
歌は窓の外から聞こえてくる。
その声に誘われるようにして、烏丸はカーテンの隙間から外を眺めた。
しかし夜の帳が下りたそこには、ひと気のない駐輪場が広がっているだけで、声の主は見当たらない。
一体どこにいるのかと考えたとき、烏丸がふと思い浮かべたのは、つい数日前の中庭の光景だった。
すでに散り始めていた桜の木の、その足元。
淡い青の病衣をまとった少女が、ひとり歌を口ずさんでいる。
その横顔は遠目でもわかるくらいに穏やかで、まるで束の間の幸せを噛みしめるような満ち足りた笑みを浮かべていた。
(あの子……また、あそこにいるのかな)
こんな夜更けに。
ただでさえ入院しなければならないほど体調を崩しているはずなのに、それでも彼女はまた、あの場所で歌っているのだろうか。
彼女の容態が今どの程度のものなのかはわからない。
けれど看護師たちが無理やり部屋に連れ戻すくらいなのだから、あまり安心できるものではないだろう。
下手をすればあの中庭で、それこそ桜の木の足元で、最悪の状態で見つかる可能性だってある。
ただの杞憂かもしれない。
けれど一度考え始めてしまうと、妙に胸騒ぎがして落ち着かない。
(……ちょっとだけ、覗いてみるか)
烏丸はベッド脇に立て掛けていた松葉杖を手に取ると、極力物音を立てないようにして、そっと病室を抜け出した。
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