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Chapter #1

ホームシック

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 ホストファミリーの女性——『ホストマザー』の名前はレベッカといった。
 事前に聞いていた通り、彼女はこの家で旦那さんと二人で暮らしているという。

 そして、

「Hi, puppies!」

 ぱぴーず。

 レベッカの掛け声で、庭を駆け回っていた三匹の犬たちが一斉にこちらへ走り寄ってきた。

 案内された庭は玄関よりも低い位置、つまり一階にあって、そこは広々としたドッグランになっていた。

「Good boys.」

 大、中、小。
 ちょうど三種類のサイズのワンコたちが、レベッカの元へと集まった。
 あまり見かけないタイプの外見だけれど、ミックス犬だろうか。
 名前は大きい方から順に、『スペストス』、『バディ』、『タップロウ』。

(たっぷ郎……?)

 三匹ともすごく人懐っこくて、初対面の私にもベロベロと執拗に挨拶をしてくれた。



 それから私の寝室として案内されたのは、白い壁に囲まれた清潔な部屋だった。
 広いスペースの真ん中に、キングサイズのベッドが鎮座している。

(これ、私が一人で使っていいの……?)

 なんだか勿体ないような気もするが、レベッカは「好きに使っていいよ」的なことを言ってくれた。

 部屋の隅にはクローゼットと、一人用の机とイスもある。
 そしてその机の上には、私へのプレゼントとして可愛らしいヘアアクセサリーと、アロマのセットが置かれていた。

 まさに至れり尽くせり。
 贅沢すぎて、まるでお姫様にでもなったかのような気分だ。

 何から何まで、してもらってばかりでは申し訳ない。

(私もお返ししなきゃ……!)

 慌ててスーツケースを漁り、中から持参したプレゼントを取り出す。

「いっつ、じゃぱにーず、すーべにあ!」

 日本のお土産です! と、私はそれをレベッカの方へ差し出した。

「Wow. For me?」

 レベッカはお礼を言いながら大事そうにそれを受け取ると、包みを開けるなり嬉しそうに声を弾ませた。

「Oh! ××××! ×××× ××××.」

 少しテンションが上がったのか、彼女はいつになく早口で何事かを述べた。
 たちまち私は聞き取れなくなってしまう。

 お土産は、日本茶の三点セットだった。

 一時期、海外で抹茶が健康食として人気になったというニュースを見たことがある。
 口に合うかどうかはわからないけれど、体に良いものなら受け入れてもらいやすいのではないかと思い、これをお土産に決めたのだった。

「××××, ××× Matcha ×××」

 レベッカの口から、抹茶という単語が確かに聞き取れた。
 やはり抹茶のことは知っているらしい。
 しかしこの様子からすると、彼女はこのお土産が三つとも抹茶の一種だと思い込んでいる可能性もある。

 私がプレゼントしたのは、抹茶、ほうじ茶、玄米茶の三点セットだ。
 三つのうち二つは抹茶ではないので、そのことをちゃんと説明した方がいいのだろうか、と思い、

「えっと、いっつ、のっと、抹茶。あ、でもこっちは……」

 結局、私の超下手くそな説明は五分以上にも及んだ。
 レベッカはその間、嫌な顔一つせずに私の話を聞いてくれていた。

 改めて、己の英語力のなさに愕然とする。

 こんなことなら、最初から何も言わない方が良かったのかもしれない。
 レベッカに無駄な時間を取らせてしまったことへの申し訳なさと、自分への不甲斐なさとで、穴があったら入りたい気分だった。

 その後もレベッカはいくつかの話題を振ってくれたけれど、その度に私はプチパニックになって満足な受け答えができなかった。



 それから小一時間ほど話して自室へ戻る頃には、私の頭はもうヘトヘトに疲弊していた。
 普段から使っていないものを急にフル回転させるとパンクしそうになる。

(私って、本当にダメな奴だなぁ……)

 キングサイズのベッドにうつ伏せで倒れ込み、その体勢のまま深い深い溜息を吐く。
 自己嫌悪から、思わず涙目になった。

 伝えたいことを上手く言語化できない。
 日本語なら簡単にできる表現でも、英語では一体どう言えばいいのかわからない。

 早くも日本が恋しくなってくる。
 これがいわゆるホームシックというやつなのだろうか。

 めそめそと枕を濡らしていると、そこへかすかに、小さな足音が聞こえてきた。

 見ると、開け放したままの入口のドアの足元に、ちょこんと一匹のワンコが立っている。
 三匹の中で一番小さな子。
 名前は確かタップロウだ。

 チワワとビーグルを足したような見た目の、可愛らしい小型犬。
 彼は軽やかなジャンプでベッドに飛び乗ったかと思うと、涙に濡れた私の目元をペロペロと舐め始めた。

「もしかして、慰めてくれてるの?」

 猫は泣いている人間に寄り添ってくれると聞いたことがあるけれど、犬もそうなのだろうか。

「……あはは。くすぐったいって」

 初対面の私に優しくしてくれるタップロウ。
 ペットは飼い主に似るというが、やはりレベッカのような人のそばにいると、自然とこういう性格になるのかもしれない。

「そうだよね。泣いてたって仕方ないよね」

 鬱屈としていた気持ちが段々と楽になってくる。

 そうだ。
 レベッカも、タップロウも、そしてカヒンも、みんな私に優しくしてくれた。
 誰も私を馬鹿になんかしていない。

 ——もっと正直にさ、思ったことは口に出して伝えた方がいいよ。言わなきゃ伝わらないことって色々あるんだからさ。

 舞恋も言っていた。

 会話はキャッチボールなのだ。
 いくら英語が苦手でも、話さなければ何も始まらない。

 みんなが優しくボールを投げてくれているのだから、私もいつまでもビクビクしていないで、そのボールを投げ返す姿勢にならなきゃ——と、そんなことを思いながら。
 身も心も疲れ切った私の意識は、いつのまにか深い眠りの底へと落ちていった。
 
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