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Chapter #1
ブリスベン空港にて②
しおりを挟む言った。
言ったよ舞恋……!
さて肝心の彼の反応は、と恐る恐る見上げてみると。
はさっきまで柔らかな表情を浮かべていた彼の顔から、なぜか笑みが消えている。
(えっ!?)
真顔な彼も迫力があってカッコいい……じゃなくて!
私、何か変なことを言ってしまっただろうか。
挙動不審な自覚はあるけれども。
それとも声が小さすぎて聞こえなかったのだろうか。
念のため、もう一度口に出してみる。
「pardon?」
うん、なんだか様になってきたぞ。
口に馴染んできたっていうか。
今度こそどうだ、と期待する私の前で、彼は口角を再び緩めたかと思うと、もう堪え切れないといった風に吹き出した。
「Pardon……Hahaha!」
「……え?」
笑われた。
盛大に笑われた。
さわやかな笑い声が辺りに響く。
(どうして?)
やはり私の発音が悪すぎたのだろうか。
また、あのときと同じだ。
小学生の頃、クラスの男子たちに笑われて、一日中私の発音を真似されたあのときと。
当時のことを思い出して、思わず目頭の奥が熱くなる。
恥ずかしい。
ここから逃げ出したい。
けれど、
「You, ……so cute!」
目の前の彼の反応は、あのときのクラスメイトたちとは違っていた。
「へ……」
(いま、『cute』って言われた?)
きゅーと。
かわいい。
私のことを、可愛いって言ってくれたの?
彼は可笑しそうに眉尻を下げながらクスクスと笑っている。
その柔らかな笑い声は、人を馬鹿にしたような不快さはなく、確かな温かみが感じられた。
「Are you Japanese?」
あーゆーじゃぱにーず?
あなたは日本人ですか?
彼に改めて聞かれて、私は慌てて答える。
「い……いえす、Yes! あいむじゃぱにーず!」
すごい。
私いま、外国人と会話してる。
初歩的な挨拶だけれど、それでもこうして、授業でも何でもない普通の英会話をしていることが、私にとっては奇跡だった。
「Youは、その……ええと」
相手がどこの出身かを尋ねるときは、どう言えばいいんだっけ。
考えているうちに、目の前の彼はこちらの意図を察したらしく、
「I’m Hongkongese.」
あいむほんこにーず。
私が聞き取りやすいように、ゆっくりと発音してくれる。
ほんこにーず。
ほんこんにーず。
ほんこん……香港?
(この人、香港人……?)
おそらく、香港人で間違いない。
香港なら日本からもそれほど遠くはない国だったはずだから、顔の造りや肌の色が似ていてもおかしくはない。
「What’s your name?」
さらに彼は易しい英語で、私の名前を尋ねてきた。
あなたの名前は何ですか?
「あ……あいむ Misaki.」
「Misaki? OK, Misaki. I’m Kahin.」
『カヒン』。
それが、彼の名前だろうか?
「みさきち、お待たせー!」
と、そこへ聞き慣れた威勢の良い声が届く。
「いやー、参った参った! なんか抜き打ち検査とかそういうのだったらしいんだけど、あれってランダムで人を選ぶから別に私じゃなくてもよかったみたいで……って、誰よそのイケメン!?」
ようやく空港のスタッフたちに開放されて戻ってきた舞恋は、カヒンの存在に気づくや否や、その目を輝かせて走り寄ってきた。
「Your friend?」
キミの友達? とカヒンに聞かれて、私はこくこくと頷く。
「My name is Maiko~! Nice to meet you~~!!」
とろとろに甘い声を上げながら、舞恋は彼に握手を求める。
「Where are you from? We are from Japan!」
けして英語が得意ではないものの、彼女は物怖じすることもなく、どんどん質問を重ねていく。
対する彼もまた、舞恋に負けないテンポで会話を弾ませる。
私には、そんな二人についていけるだけの技量がない。
(舞恋、いいなぁ……)
私の英語力では、こんな風に会話を盛り上げることはできないだろう。
自分と違って積極的な舞恋を、ちょっぴり羨ましく思ってしまう。
「みさきち、今の聞いた!? 彼、私たちと同じ大学に留学しに来たんだって!」
「えっ?」
同じ大学、ということは。
「えっと……『ぐりふぃす・ゆにばーしてぃ』……だっけ?」
「Yeah!」
すぐさま肯定してくれたのはカヒンだった。
それだけで私は嬉しくて、ほんのりと顔が熱くなってしまう。
グリフィス大学は国内に五つのキャンパスを持つ大規模な大学で、海外からの留学生も数千人単位で在籍している。
「同じ学校ってことはさあ、同じクラスになっちゃうかもよ? そしたら毎日顔を合わせられるんじゃない?」
舞恋は嬉しそうに私へ耳打ちする。
こんなカッコいい人に毎日会えるだなんて、想像しただけで足が震えそうだった。
「とりあえずさ、出口の方まで向かおうよ。確か大学の誘導員の人が送迎してくれるって話だったよね」
舞恋が言って、三人で歩き始める。
現地に着いたら誘導員がいる、とだけ聞いていたけれど、待ち合わせ場所まではわからない。
車で送ってくれると言っていたから、空港の外まで出た方がいいのだろうか?
と、建物の出口付近までやってきた所で、あるものが目に入った。
プラカードを持った一人の女性だった。
金髪碧眼の、たぶんオーストラリア人?
よく見ると他にも同じような人が数人待機していて、それぞれが手にしたプラカードには英語が書かれている。
「あれじゃない? ほら、『Griffith University』って書いてある!」
舞恋の指差す方へ、私たちは近寄っていく。
やがて目の前までやってきたところで「はろー?」と声をかけてみると、こちらに気づいた誘導員らしき女性はとびきりの笑顔を見せ、
「Oh! ××××××! ××××××! ××××××……」
まるで機関銃のように喋り出した彼女の言葉を、私は1ミリたりとも理解することができなかった。
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