46 / 51
第四章
二十年前の真実
しおりを挟む「お、おい。ばか! 危ないから出てくんなって! 下がれ!」
栗丘は慌てて駆け寄ろうとしたが、それよりも早く、周囲の空気が変わった。
息の詰まるような重い霊気。
直後、地響きとともに視界が揺れ始める。
微弱な振動が辺り一帯に広がり、栗丘たちは思わず足を止めて周囲を見渡した。
あやかしの気配が、先ほどよりも一層濃くなっている。
「まさか……」
マツリカは呟きながら、すぐ隣にある『何もない空間』を見つめた。
そこにあやかしはいない。
けれど、明らかにその気配がする。
鼻がもげそうなほど濃いニオイを放つ『それ』は、今にも開かれようとしていた。
「危ない、マツリカさん!」
絢永が叫ぶ。
しかしマツリカはまるで聞こえていないかのように、その場から動かなかった。
彼女の目の前で、『それ』は開いた。
あちらの世界へと繋がる門。
漆黒の闇を抱えたそれは、見る見るうちに巨大化していく。
オオオォ……と猛獣の雄叫びのようなものが空気を震わせる。
やがて十七階建ての本部庁舎とほぼ変わらない大きさにまで膨れ上がったそれの奥から、ぬっと五つの黒い塊がせり出てきた。
細長い、柱のようなもの。
一つ一つが何メートルにも及ぶそれは、まるで巨大な指先のようにも見える。
——例の巨大なあやかしが門を通れるのは、せいぜい指先程度。
栗丘の脳裏で、御影の言葉が蘇る。
目の前に現れたそれは、間違いなく件のあやかしだった。
「逃げろ、マツリカ!」
喉が破れそうなほどの大声で叫ぶが、マツリカの耳には届かなかった。
彼女はぽかんと口を開けたまま、迫り来る漆黒の指先を見つめている。
「迎えに来てくれたの? あたしを」
やがて彼女が口にしたのは、そんな言葉だった。
このままではまずい、と栗丘と絢永は再び駆け出す。
そうして一箇所に集まった三人の体を、巨大な黒い指先が包み込む。
銃を構えた二人は同時に発砲したが、呪符も、トドメの弾も一切効いている様子はない。
そのまま視界を真っ黒に塗りつぶされた三人は、全身が門の方角へと引っ張られるのを感じながら、唐突にやってきた強い眠気に抗えず、あえなく意識を手放した。
◯
それから、どれほどの時間が経っただろうか。
ゆらゆらと、揺り籠のような優しい感覚に包まれながら、栗丘は目を覚ました。
あたたかな光の差す窓辺。
見覚えのある部屋の中で、誰かの体温をそばに感じる。
「みつきは大きくなったら、一体どんな人になるんだろうね?」
聞き覚えのある声が、頭の上から降ってくる。
見上げると、やわらかな微笑みをたたえた女性がこちらを見下ろしていた。
(母さん?)
母だった。
彼女は二十年前と変わらぬ姿で、栗丘の幼い体を膝に乗せて語りかけてくる。
「やっぱりパパに憧れて警察官になったりするのかな?」
そのセリフは一言一句違わず、栗丘の記憶の中にあるものだった。
(これは夢、なのか?)
母の腕に抱かれて、やわらかなまどろみがやってくる。
このまま、眠ってしまいたい。
(だめだ、俺は……こんなことをしている場合じゃ)
頭がうまく働かない。
つい先程まで、自分は何か大事な用事を抱えていたはずだ。
しかし、ぼんやりとした思考では具体的なことが思い出せない。
母の肌が、あたたかい。
できるならこのまま、ずっとこうしていたい。
不安も、焦りも、悲しみも全部、煩わしいものは全て忘れて、ただ優しい母の腕に抱かれたまま、ここで永遠に眠ってしまいたい。
けれど、そんな甘い幻想を吹き飛ばしたのは、すぐ隣から聞こえてきた男性の声だった。
「やめとけ、やめとけ。警察官の仕事なんて実際には地味なことばっかりで、刑事ドラマみたいなカッコいい活躍なんてほとんどないんだぞ」
警察、という単語を耳にして、栗丘の意識は一気に現実へと引き戻される。
そうだ。
自分は父親に憧れて、警察官になった。
そうして二十年前の事件の真相を追ううちに、あのあやかしの存在にたどり着いたのだ。
栗丘が顔を上げると、視線の先には同じく記憶に残る男性の姿があった。
くたびれた寝巻き姿であぐらをかき、困ったような笑みをこちらに向けている。
二十年前の、栗丘瑛太だった。
へらへらと人懐こそうに笑う顔は、どことなく息子である自分と似ている。
「父……さん」
栗丘がそう呼ぶと、彼は不意打ちを食らったように目を丸くした。
「ん、なんだ? どうした。いつもみたいに『パパ』って呼んでくれないのか?」
まるでリアルタイムでの出来事のように、栗丘瑛太は反応する。
「父さん。俺、今まで何も知らなかったんだ。父さんがどんな目に遭って、母さんがどんな風にして死んだのかも」
その言葉で、栗丘瑛太の顔からは笑みが消えた。
無表情のまま、じっとこちらを見つめて、
「御影から聞いたのか?」
と、わずかに声のトーンを落として聞く。
栗丘はこくりと頷くと、事前に御影から聞いていた話を口にした。
「二十年前、母さんは……あのあやかしに襲われて、式神になったんだろ。だから殺すしかなかったんだ。式神にされたら、もう助からない。憑代と違って、式神は自我も残らないから。警察が、母さんを殺したんだ」
0
お気に入りに追加
66
あなたにおすすめの小説
神楽囃子の夜
紫音
ライト文芸
地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。年を重ねるごとに想いを募らせていく狭野は、やがて彼女に秘められた意外な真実にたどり着く……。四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。
※第6回ライト文芸大賞奨励賞受賞作です。
君の屍が視える
紫音
ホラー
七日以内に死ぬ人間の、死んだときの姿が視えてしまう男子大学生・守部 結人(もりべ ゆうと)は、ある日飛び込み自殺を図ろうとしていた見ず知らずの女子大生・橘 逢生(たちばな あい)を助ける。奇妙な縁を持った二人はその後も何度となく再会し、その度に結人は逢生の自殺を止めようとする。しかし彼女の意思は一向に変わらない。そのため結人の目には常に彼女の死体――屍の様子が視えてしまうのだった。
※第7回ホラー・ミステリー小説大賞奨励賞受賞作です。
白雪姫症候群~スノーホワイト・シンドローム~
紫音
恋愛
幼馴染に失恋した傷心の男子高校生・旭(あさひ)の前に、謎の美少女が現れる。内気なその少女は恥ずかしがりながらも、いきなり「キスをしてほしい」などと言って旭に迫る。彼女は『白雪姫症候群(スノーホワイト・シンドローム)』という都市伝説的な病に侵されており、数時間ごとに異性とキスをしなければ高熱を出して倒れてしまうのだった。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!
夜間救急事務受付
ファンタジー
仕事中、気がつくと知らない世界にいた 佐藤 惣一郎(サトウ ソウイチロウ)
安く買った、視力の悪い奴隷の少女に、瓶の底の様な分厚いメガネを与えると
めちゃめちゃ強かった!
気軽に読めるので、暇つぶしに是非!
涙あり、笑いあり
シリアスなおとぼけ冒険譚!
異世界ラブ冒険ファンタジー!
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
僕《わたし》は誰でしょう
紫音
青春
交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。
「自分はもともと男ではなかったか?」
事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。
見知らぬ思い出をめぐる青春SF。
※第7回ライト文芸大賞奨励賞受賞作品です。
※表紙イラスト=ミカスケ様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる