僕《わたし》は誰でしょう

紫音

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第四章

ショートムービー

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          ◯


 翌朝。
 僕はまだギリギリのところで自分を保っていた。
 気を抜けばすぐにでも意識を持っていかれそうだったけれど、終始ぼんやりとしながらも、なんとか記憶を繋ぎ止めている状態だった。
 ほとんど執念のようなものだったかもしれない。


 いつものように比良坂すずの家の前で集合した僕らは、そのまま桃ちゃんの家へと向かった。どうやらコンテスト用に制作していたショートムービーが完成したらしい。

「昨日から徹夜で編集したんだ。まだ微調整は終わってないけど、とりあえず観れる形にはなってると思う」

 そう言ってパソコンを弄る桃ちゃんの顔は眠そうで、目の下にはくっきりとクマができていた。
 夏の終わりに締め切りがあるという、学生向けのショートムービーコンテスト。桃ちゃんの作品が果たして受賞できるのかどうか、その結果を、できるならこの目で見届けたかった。
 けれど今はまだ八月の半ばで、お盆の時期だ。今にも記憶を失ってしまいそうな僕は、おそらく夏の終わりまでここにいることはできない。
 桃ちゃんが徹夜で編集してくれたのもきっと、それを危惧してのことだろう。美波ぼくを被写体にした映像を、僕自身に見せるために、急ピッチで仕上げてくれたのだ。

「桃ちゃんが作った、記念すべき第一作目だね。楽しみー!」

 沙耶がパチパチと拍手をしながら言うと、隣の凪がギョッとした顔を見せる。

「お、おい。今回のが本当の本当に第一作目なのか? それってつまり完全なド素人ってことじゃ……」

 僕も内心、凪と同じ反応をしてしまう。
 受賞してやる、なんて本人が大口を叩いていたので、てっきりこれまでにもいくつか制作したことがあると予想していたのだけれど、とんだ思い違いだったようだ。

「おっし。それじゃ、再生するぞ! コンテストの募集テーマは、『最高に夏を感じるショートムービー』だ!」

 桃ちゃんの声を合図に、部屋の照明が落とされる。ド素人の割には機材だけは立派なものが備えられているらしく、家庭用のプロジェクタースクリーンに映像が映し出された。
 上映が始まってすぐにわかったことだが、その出来栄えはやはりお世辞にも上手いとは言えなかった。最初に出てくる画面も、黒背景に白地の文字がぼんやりと浮かんでいるだけ。ナレーションもなければBGMもない。
 ただ、そこに表示された文面に、僕は思わず心を惹かれた。

『人の魂は、人の記憶に宿る。』

 何の説明もなく、唐突に現れた短い一文。
 僕以外の人間が見たところで、きっと心動かされることはないだろう。けれど僕にとってその一文は、何かの答えを凝縮したような、とても重要なもののように思えた。
 人の魂が宿るのは、人の記憶の中である。
 脳でも心臓でもなく、ましてや全身の細胞でもない。極端に言えば、体そのものがなくても、記憶さえあれば、そこに人の魂は宿る——とでも言っているのか。

『えっ、ちょっと。もしかしてもう撮ってるの?』

 不意に、映像の中で声が響いた。それまで黒一色だった画面が急に切り替わって、見覚えのある病室の風景が映し出される。部屋の中央には、青い病衣を纏った比良坂すずの姿があった。
 これは先月の、まだ桃ちゃんたちと出会って間もない頃の僕だ。
 自分の正体も思い出せず、わからないことばかりで、疑心暗鬼になっていたあの頃。カメラに向けている瞳も、あきらかに不安の色が滲んでいる。沙耶と桃ちゃんの明るさにただただ圧倒されて、表情も強張っていた。
 思えばあの時、二人は普段以上に明るく振る舞ってくれていた気がする。きっと、僕が不安な顔をしていたから。僕を元気づけるために、わざとそうしてくれていたのだと、こうして映像を観ると改めて感じる。

『すず——っ! 退院おめでとう!!』

 場面は変わって、すぐに退院の日を迎えた。病院のエントランスで、花束を渡された僕と、その隣に光希くんの姿が映っている。
 その後も目まぐるしくカットが切り替わって、今度は退院パーティーの場面になった。
 
『すずちゃんは本当に良いお友達に恵まれたわねぇ。お母さん、泣けてきちゃう……』

 比良坂すずの両親が映っていた。
 この半月ほどの間、彼らにもずいぶんとお世話になった。愛情深い、優しい両親だった。あまり混乱させたくはないので、お別れを言うことができないのが少し残念だ。

『ほら、もう時間がないから出発するぞ。車に乗らない奴はここに置いていく』

 凪が登場した。
 これは確か、僕が比良坂すずの姿で初めて氷張市に向かった日のことだ。朝の六時に病院前に集合して、なぜか沙耶と桃ちゃんも一緒に行くことになったあの日。僕ら四人の思い出は、ここから始まったのだ。
 桜ヶ丘パークでやったバドミントン。沈み橋の上から眺めた川の風景。そして、花火大会……。そのどれもが、十年前の凪との思い出を想起させた。
 僕がまだ生きていた頃、凪と二人で、この街を駆け回った。お互いの家にも行ったし、学校でもずっと一緒だった。

「懐かしいな……」

 どれもがかけがえのない、大切な記憶だった。十年前の思い出も、この数日で新たに作った思い出も。
 海辺でバーベキューとスイカ割りをして、山の上の河原で流しそうめんを食べて、炎天下の中、僕の墓参りをして。
 ここ半月ほどで撮った映像を継ぎ接ぎしただけの、素人感溢れるショートムービー。最後にはご丁寧に『fin』なんて白文字で締め括ってあり、いかにも初心者が作りましたという出来栄えだった。

「どうだ? なかなかだろ?」

 桃ちゃんは自信満々の笑みを浮かべて感想を聞いてくる。その無邪気な様子に、僕は笑ってしまった。と同時に、勝手に涙が溢れてくる。

「わっ。どしたの美波。大丈夫!?」

 ぽろぽろと止めどなく雫が落ちてきて、いくら手で拭っても追いつかない。

「あはは……。さすがは桃ちゃんだよ。この映像、コンテストに出すんだよね?」

 僕たちの、この夏の思い出を並べただけの、他人には一切関係がないホームビデオ。内輪ネタにも程がある。

「これなら受賞間違いなしだろ。なんたって、オレたちの思い出は最高に夏を満喫したからな!」

 確かにコンテストの趣旨には合っているかもしれない。僕らのこの数日間は、最高の夏を楽しんだのだから。

「にしても、すごいよね。この映像……映ってるのはすずの姿なのに、ちゃんと美波だってわかるんだもん」

 沙耶はしみじみと言った。
 僕からすれば、比良坂すずの普段の様子はわからないけれど。それでも、この映像の中にいるのは確かに僕なのだと、そう感じる。
 
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