41 / 62
第三章
ある雨の日
しおりを挟む◯
その日は朝から雨が降っていた。
分厚い雲に覆われた空には太陽も見えず、今が夏であることを忘れるくらいに風も冷んやりとしていた。
(なんか、嫌な雨だな……)
雨足はどんどん強くなり、昼頃にはまるで夜のように外が暗くなった。
俺は自室でひたすら受験勉強に打ち込んでいた。壁にかけられた時計の秒針が一定のリズムを刻む中、屋根やシャッターを叩く雨の音が聞こえる。そんな雑音混じりの静寂の中で、机の上のスマホが振動したのは夕方の四時を過ぎた頃のことだった。
画面を見ると、そこには『美波・母』の文字が表示されていた。美波の母親からの電話だった。
美波本人ならともかく、彼女の母親から直接俺にかかってくるのは珍しい。過去に学校行事関連で一度だけ連絡を取ったことがあったけれど、それきりだった。
「もしもし。井澤ですけど」
もしかしたら間違い電話かもしれない、と思いつつ応答すると、
「凪くん。急にごめんなさいね。いま、美波とは一緒にいる?」
挨拶もそこそこに、スピーカーの向こうからはどこか焦った様子の母親の声が聞こえてきた。
「え? いや。今日は会ってないですけど——」
「美波と連絡がつかないの。どこに行ったか知らない?」
こちらの声に被せるようにして、母親は一刻を争うような声で言う。
胸騒ぎがした。美波の居場所がわからない。こんな大雨の中で、彼女は一体どこへ行ってしまったというのか。
俺は早々に通話を切ると、着の身着のまま、傘も差さずに外へ飛び出した。通学用の自転車を駆り、雨の中をひた走る。
嫌な予感がした。虫の知らせのような、ざわざわとした不快な感じが胸に広がる。
脳裏で、いつか美波が口にしていた言葉が甦る。
——この橋ってさ、雨がたくさん降った日には川の中に沈んじゃうよね。
学校からの帰り道。氷張川に架かる沈み橋の上に寝転がって、彼女はそんなことを言っていた。
——ここでずっと僕が何日も寝転がっていたら、そのうち僕は川に流されて死んじゃうのかな。
あんな場所にずっと寝転がっていたら、いつかは川に流されるに決まっている。あの橋は、少しでも増水すればたちまち川の中に沈んでしまうように設計されているのだから。
まさかとは思うが、彼女はあの言葉通り、川に流されて死ぬつもりなのではないか——そんな予感がした。
彼女は常日頃から、男になることを望んでいた。自分の体が女であることに悩んでいた。そして、いつか自分が死んだ時には、臓器移植によって男に生まれ変わることができるのではないかと夢見ていた。
彼女は、自ら死んで生まれ変わることを望んでいたのではないだろうか。
「美波……。美波……!」
不安で胸が押し潰されそうになる。心臓がばくばくと脈打ち、呼吸が上手くできなくなる。俺は雨の中を一心不乱に自転車を漕ぎ、ずぶ濡れになりながら山を下りて、やがて氷張川の沿道に立った。
案の定、川は増水している。いつもは透明で穏やかな水面は、今は土砂を含んだ茶色になって荒れている。沈み橋の姿はもはや見えない。暴れる川の底に沈んで、まるで最初からそこに何も存在していなかったかのようだ。
「美波。どこだ。いるなら返事をしてくれ!」
必死に張り上げたその声は、雨と川の音に掻き消される。どこを見ても、美波の姿はない。
そのうち、ポケットに突っ込んでいたスマホが震えて、俺はすぐにそれを手に取った。
父からの着信だった。今は病院で仕事中のはずだが、そんな父から電話がかかってくるのは珍しい。俺は恐る恐る応答ボタンを押して、それを耳に当てた。
「……もしもし?」
「凪。確認したいことがあるんだが、今から病院に来られるか?」
スピーカー越しに届いた父の声は、やけに低かった。
俺は心臓の早鐘を聞きながら、半ば現実味のない心持ちで父の言葉を受け止めていた。
父の勤務する病院に、急患が運ばれてきたらしい。助かる見込みは薄く、身元もまだわからないというその患者は、おそらく俺の知り合いではないか、ということだった。
14
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あやかし警察おとり捜査課
紫音
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。

好きな人がいるならちゃんと言ってよ
しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話
神楽囃子の夜
紫音
ライト文芸
※第6回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。
年を重ねるごとに想いを募らせていく狭野は、やがて彼女に秘められた意外な真実にたどり着く……。
四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる