僕《わたし》は誰でしょう

紫音

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第二章

夏祭り会場にて

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 昼食をとるためにぼくらが向かったのは、夏祭りの会場だった。
 ぼくが祭りに興味を示していたから、井澤さんが気を利かせて車をそちらへ向かわせてくれたのだ。

「ありがとうございます。井澤さん」

「いや。もともとはこの夏祭りにキミを連れていきたかったから、俺はこの日を選んだんだよ」

 井澤さんはそう言って、車を会場の駐車場に停めた。
 氷張川の西岸、河川敷の土手を上ったところに、屋台がずらりと並んでいる。けれど祭りのメインは花火なので、まだ準備中の所が多かった。
 会場の入口付近でパンフレットの紙をもらうと、表面の上部には祭りの名前がでかでかと印字されていた。
 『氷張川納涼花火大会』。
 その名の通り、この氷張川の真上に花火が打ち上がるらしい。

「あっ! あそこの屋台はもうやってそうじゃない? 良いにおいがする!」

 沙耶が嬉しそうに言って、焼きそばの屋台に駆けていく。すぐ後ろにいた桃ちゃんも同じようについていくのかと思いきや、彼はいつになく神妙な面持ちでその場に突っ立ったままだった。

「桃ちゃんは買いに行かないの?」

 不思議に思ってぼくが聞くと、

「すず……」

 と、彼は反射的にこちらの名を呼んで、それから困ったように肩を竦めた。

「……いや。今のお前は、すずじゃないんだよな」

 その瞳は、あきらかに失望の色を滲ませていた。
 今のぼくは、比良坂すずじゃない。
 その事実を再認識した瞬間、先ほど車の中で聞いた井澤さんの話を思い出した。


 ——俺が用があるのは、比良坂すずのだけだ。

 ——右目?

 彼の発言の意味がよくわからず、ぼくは思わず聞き返していた。おそらくは後部座席にいる沙耶と桃ちゃんも同じような反応をしていたと思う。

 ——比良坂すずは今から十年前、七歳の頃に右目の角膜移植を受けている。公園で転倒した際に植木の枝で右目を負傷し、角膜を損傷して著しく視力が低下した。それを治療するために、臓器提供者ドナーから角膜の提供を受けて移植手術を行ったんだ。

 急に専門用語をいくつも述べられて、ぼくは戸惑っていた。
 角膜、ドナー、移植手術……。それらは病院以外ではあまり耳にしない、およそ日常会話ではそうそう使われない単語ばかりだった。

 ——角膜を移植……。そっか。確かにすずは子どもの頃、右目を怪我して入院してたよね。

 後部座席から、沙耶の証言が飛んでくる。
 井澤さんは続けた。

 ——怪我をしたのは六歳の頃で、そこからしばらくは右目は使い物にならなかったはずだ。ドナーから角膜の提供があるのを待って、一年後に移植し、視力を取り戻した。

 ——それ、オレも覚えてる。すずは一年ぐらいの間、ずっと右目に眼帯をしてた。すずが失明しちまうんじゃないかって、オレ怖くて怖くて……。

 桃ちゃんも当時のことを思い出したように言う。
 比良坂すずは十年前に、角膜の移植手術を受けた。それはどうやら本当のことらしい。
 けれど、

 ——でも、それが今回の記憶のこととどう関係があるんですか?

 不思議に思って、ぼくは尋ねた。比良坂すずの右目と、今のぼくの記憶。その二つが一体どう結びつくのか皆目見当がつかない。

 ——記憶転移、という事象を知っているか?

 そんな井澤さんの質問に、ぼくはハッとあることを思い出す。
 記憶転移。その単語の響きには聞き覚えがあった。確か、数日前に桃ちゃんが口にした言葉だ。
 臓器移植によって、記憶が転移すること。誰かの心臓を別の誰かに移植した際、元の心臓の持ち主の記憶が引き継がれるという話。嘘か本当かもわからない、時折フィクションで題材にされる都市伝説的なもの。

 ——今のキミは、比良坂すずの記憶を失っている。そして代わりに、別の誰かの記憶を思い出しつつある……。俺の見立てが間違いでなければ、今のキミはおそらく、その右目の持ち主だった人物の記憶を引き継いでいるんだ。

 まるで現実的ではない事象について、医者の一人である井澤さんが語っている。

 ——俺は、その右目の持ち主だった人物を知っている。そして、その人物と再び対話するために、俺はずっとキミたちのことを追っていたんだ。
 
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