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第一章 フーバスタン帝国編

第28話 〈雨は未だ止まずに……〉

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「さっきギルドで嫌な話聞いたんだけど」

「嫌な話?」

 俺たち三人が暮らす一軒家のリビングで、用事から帰って来たミレーヌがお茶を飲んでいたアンナに話掛けている。
 俺はと言うと、何故か留守番させられていたクッキーの相手をしている。


「なんかこの近くの町が、魔王軍残党に無茶苦茶にされたらしいわ」

「そんな……魔王はもういないのになんで……」

 その手の話か……引越しの日に街中で聞いた噂話でも魔王軍残党の事は言っていたからな。


「私達、転職ジョブチェンジなんてしちゃって良かったのかな……」

「そういう話聞いちゃうと考えちゃいますよね~……」

 二人は転職ジョブチェンジさえしていなかったら、自分達の活躍で町が滅茶苦茶にされる事はなかったと考えているのだろう。


「オイオイお前ら。俺たちが転職ジョブチェンジ前いくら強かったとは言え、全ての被害を無くす事なんて出来ないからな!?」

「そうですけど~。わかってはいるんですけど~」

「でも私達なら、魔王軍残党をもっと減らせていたはずなのは確かよ」

 ミレーヌの言う事ももっともだろう。
 俺たちなら、全滅させるとまでは言えないが、魔王軍残党の数を今よりは減らせていただろう。
 つまり、その分の被害は減らせていたはずなのだ。


「なんか責任感じちゃうわ」

「ですよね~。私なんて神官だったから、死人の数に直接関わってしまいますし……」

「何でもかんでも背負い込み過ぎだって! 俺たちは何十年も誰も倒せなかった魔王を倒したんだから! それで充分だって!」

 俺たちの間を沈黙が包んだ。
 みんな分かっている。
 俺たちに責任が無いことも。
 そして責任がある事も。
 だからこそ、誰も何も言えないでいた。


「あ……そう言えば、復興支援のボランティア募集してたわ」

「滅茶苦茶にされちゃった町の?」

「そうそう。人手が全く足りてないんですって。報酬は出せないけどってギルドで募集かけてたわ」

「……仕方ない。罪滅ぼしじゃないけど、ボランティアに行くか?」

「そうね。それがいいと思うわ」
「大賛成~!」


 こうして俺たちは、魔王軍残党にほぼ全壊させられてしまったウェイカプの町のボランティアに参加したのだった。

 当日は生憎の雨で、瓦礫の片付けなどもなかなか捗らず、主に損傷が少ない建物が雨で水浸しにならないように、補修作業に追われていた。

 そんなところに五体の五分ゴブリンは突如として現れたのである。

 魔物なんているはずがなかった。
 しかも一体でさえ厄介な五分ゴブリンが五体もまとめて出てくるなんて、誰にも想像が出来なかったのである。

 ボランティアを集めて作業を開始する前に、フーバスタン正規軍が徹底的に魔物の駆除を行ったはずだったからだ。
 それ故、五分ゴブリンの襲撃は誰にも予測できなかっのだ。


「五分ゴブリンだ!! 逃げろーーー!!」


 こうして俺たちは、ボランティアとウェイカプの町人を逃がしてから、五分ゴブリンとの戦闘になだれ込んでいったのである。


 ◇  ◇  ◇  ◇


 アンナとミレーヌを失い、そして自分自身も【五分五分の致命】の一撃をくらってしまい、雨の中倒れ込んでいた。

「あれは……」

 俺は運良く【五分五分の致命】での即死だけは避けていた。
 そして道具入れから転がり落ちた、砂時計を見ていた。

 この砂時計は転職ジョブチェンジした際に、職を司る女神インティーナ様に渡された物だ。
 持っていれば何かは分かると言われ、肌身離さず持ち歩いているが、死にそうな今になっても何なのかは分からないでいた。


 そして砂時計を見ながら思い出した事がもう一つ。

「……ポーション」

 そう、錬金術師に調合してもらった例のポーションだ。
 回復の手段を持たない俺たちパーティーの生命線だ。


「もしかして……色違いのポーションなら……」

 通常は青系統の色しか存在しないはずのポーションだが、俺が錬金術師から受け取ったポーションの中には赤や緑といった見た事のない色のポーションが混じっていた。

 もしかしたら、それらなら死んでしまったアンナやミレーヌを蘇生させる効果を持つ物が混じっているかもしれない。
 俺は藁にもすがる思いで、その可能性に賭ける事にした。

 だが、即死は避けられたとは言え、五分ゴブリンにナイフで刺されたの紛れもない事実。
 雨に濡れ流れ続ける血のせいで、かなりの体力が奪われていた。


「まずは自分にポーションを……」

 そう言いながら、ふと俺を刺したあとの五分ゴブリンがどうなったかと気になり頭だけ動かして探してみると、奴はとんでもないことをしようとしていた。


 五分ゴブリンは、息絶えたミレーヌの服を破り捨て、吠え続けるクッキーを無視し、その身体を弄ぼうとしていたのだ。


 ───ドクン──。

 何かが俺の中で脈打つのを感じる。

「……ヤメロ」

 怒りと共に血が沸騰しているのではと思うほど身体が熱くなる。

 カラン。

 小さな音に目をやると、転がっていた砂時計が反転してサラサラと砂が落ちているのが見えた。

「ヤメロ、クソ野郎が!」


 その瞬間、俺の身体にあの頃のフィーリングが戻ってくるのを感じた。
 誰に説明されたわけでもない。
 だが、今の俺があの頃の俺に、【星屑の魔導士】と呼ばれたころに戻っているのを俺は確信していた。
 力が戻るにつれ、五分ゴブリンに刺された傷もみるみる塞がっていく。


「そのうす汚い手をミレーヌからどけろ。そしてその醜くおっ立てたイチモツを早くしまえ」

「キキ!?」


 己の後方で、今にも死にそうだった男からあり得ない量の魔力の高まりを感じた五分ゴブリンが驚き身構えた。

「俺の怒りは二人の絶望……さあ、オマエに絶望を与えよう」

 あの頃の決め台詞を言いながら、右手の人差し指を五分ゴブリンにそっと向ける。


「〈衝撃一点突破ポットショット〉」

 パシュン。


 雨粒を切り裂き空気の塊が飛ぶ。
 軽い音と共に五分ゴブリンの肩に直径一センチほどの穴が開く。

「ギギ?」


 穴を開けられた当の五分ゴブリンも、何が起きているのか分かってはいない。

 〈衝撃一点突破ポットショット〉は、高密度に圧縮したただの空気を飛ばすだけのシンプルな魔法だ。
 だがシンプルな魔法故に、詠唱がいらないという利点がある。

 パシュン……パシュン、パシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュンパシュン。

 いつの間にか、五分ゴブリンの身体には直径一センチほどの無数の穴が開き、何が自分に起きているのか気づく頃には、五分ゴブリンはとっくに息絶えていた。


 俺はミレーヌの亡骸に駆け寄り、五分ゴブリンだった肉塊を蹴ってどかす。

「良かった……乱暴はされていない」

 俺はマントを脱いでミレーヌの亡骸にかけた。

 すぐにミレーヌとアンナを蘇生しなくてはならないが、レベル218の魔導士に戻っていても、俺には蘇生魔法が使えない。


 ────カラン。

 砂時計が反転する音がして、急速に身体から力が失われていくのを感じる。

 だが今はそんな事を気にしている場合ではない。
 俺は道具入れから、ありったけのポーションを取り出した。


「頼むぞ!」

 俺はミレーヌの亡骸の側に、アンナの亡骸を運び、次々とポーションをかけていった。

 青系統はやはりダメ。
 緑もダメ黄色もダメ。
 最後の一本、赤色のポーションをかけても、二人が蘇生する事はなかった。


 まだ雨は止まずに降り続けていた。


「なんでだよ……なんでお前らが死ななくちゃならないんだよ!」

 泥まみれになりながら地面を叩く。


「やだよ……一人にしないでくれよ。帰ってきてくれよ!」

 大粒の涙が頬を伝い、ぐしゃぐしゃの顔になるが、それすら分からなくなるほどの雨が頬を叩く。


「アンナの間延びした話し方も、ミレーヌの汚い食べ方も、もう聞けないなんて嫌だよ……もう見れないなんて嫌だよ」

 二人の亡骸に縋り付くように話し続ける。


「お前ら魔王倒した英雄だろ!? たった一回の死くらい抗えよ……抗って抗って帰ってきてくれよ……お前らがいなきゃもう……冒険なんて出来ねえよ……」


 雨はまだ勢いを衰えさせる事なく降り続けている。


「どれだけでも酒に付き合うから……どれだけでも美味い物食わせてやるから……帰ってきてくれよ」

 涙はとうに枯れ、声も枯れ始めていた。



「……本当……ですか? お酒……付き合ってください……ね?」

「え?」


 アンナが目を開けていた。
 祈りが通じたのか奇跡が起きたのか、アンナが蘇生したのである。

「アンナ! ごめん……ごめん。俺……俺……!」

「大丈夫ですよ、アッシュさん」

 俺はアンナを抱きしめて、また涙を流していた。
 アンナも優しく抱き返してくる。


 雨の勢いが、少しだけ弱くなっていた。
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