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第五章
第七話
しおりを挟むこの寒いのに、よくそんな声が張れるな。
「とぉーしぃーさんっ! コソコソしちゃってぇ、どぉこ行く気?」
マズイところを最もと言っていい程マズイ相手に見つかりつつ、寒がりな土方は呆れの三分の一程は羨ましくもある。
「別にコソコソなんてしてねぇだろ」
返答など鼻で笑うようにして、伊庭はさらに調子付いた。
「あっそう? なら、カズさんにみっちり扱かれ中の皆を呼んでみっか!」
カズさんとは、仏式調練の指導に当たってるカズヌーヴのことらしい。最初の印象通り無口な外国人で、土方も自分から歩み寄る性質ではないので殆ど話したこともないが、その徒名、本人は承知してんのか、と心配になる。
「歳さんとお出かけなんつったら、奴ら大喜びだろうなぁ」
「やめろバカ。訓練の邪魔すんな」
この非常事態に、土方としたことがつい正論を説いた。
深雪に阻まれて、冬の間は薩長も攻め込めない。軍備を整える好機だ……互いに。
「じゃあ俺が行く! どうせ女だろ?」
「お前じゃあるめぇし」
肩に右手を組もうとするのを、腕を回して防いだ。
「またまたぁ。この界隈の遊里は美女だらけって、まさか知らねぇとは言わせねぇぜっ」
いつのまに遊び歩いてたんだこのスケコマシ、とボソリとぼやく。
「女遊びは卒業したんだよ」
「はぁー?」
元々女コドモのようににパッチリした眼をひん剥くのを放置して、さっさと行ってしまおうと城郭の門を出た。
「ナニソレ悪いモンでも食った?」
予測通り、しつこく軽快な小走りで追ってくる。
天狗め。こっちは雪が重くて得意の鬼脚も発揮できねぇってのに。
心形刀流の御曹司である伊庭があまりのすばしっこい剣技から小天狗と称され、奉公先が嫌になって九里の道を夜通し歩き続けて出戻った土方が韋駄天や鬼脚と揶揄されていたのも随分前の話だ。
「俺はゲテモノ食いはしねぇ」
警備中の新撰組隊士達が伊庭に負けずの大声で挨拶してくるのに、手を挙げて応えながら呟く。
「まさか……おハチというものがありながら他の女と? ヒドイ!」
せめて奴らに聞こえなくなったところで妄言吐け、と思いつつ
「すまん、おハチ。俺のことは忘れてくれ」
「イヤッ! 捨てないでぇ!」
「歳サマのイケズ!」
土方まで乗ったところでバッチリ聞き付けた隊士達が身を捩りながら無理矢理出した擦れ気味の高音猫撫で声で加わるが、伊庭だけは意外にもしんみり感じ入った。
「……え、マジで?」
「マジで」
まだ引き続きやんやと騒ぐお気楽隊士共から遠ざかりながら、伊庭はこれでもかの笑顔になった。
この屈託のない童顔に、女は騙されるんだな、と自分には出来ない芸当を客観視する。
「おめでと! キチク歳さん廃業だね!」
誰が鬼畜だ。
「めでてぇことなんざ、一つも無ぇよ。ここがどこか、知らねぇお前じゃねぇだろ」
今は自然の城塞に守られているが、ここは紛れもなく戦場だ。白刃の嵐を掻い潜ってきたが、生涯の内で一番、死地に近い場所。
「……でも、一度きりの人生で心底惚れ合う女ができたってのは、やっぱめでたいよ」
とか話してる間に、目的地まで付いてきてしまった。
「へっ? ほとがら?」
箱舘は見渡す程に洋風建築が多く、閑かな雰囲気を歩いていてもどこか懐かしいような感慨が湧かない。新しく珍しげなものばかりだ。
裏返り声の伊庭と見上げる写真屋も、白壁の二階建てで赤い三角の屋根、所々にポコリと出っ張った真四角い縁取りの窓、土方は初めて見た出窓が付き、幾層にも模様が重なった薄布、つまりカーテンで目隠しされている。
「ほとがら撮るの? 歳さんが? 槍でも降るんじゃない?」
写真嫌いだと、伊庭は知っていたようだ。
「ジッとしてられるの? イッテェ!」
俺はいくつだ、と少し見当違いの苦言を吐きながら元気な右上腕を拳で殴り付け、中に入った。
「だからそんなにオメカシしてたんだねぇー」
別にいつもの軍服だろう……新品だが、と付け加えるのを余所に伊庭は絶え間無く無駄口を利いていた。
「あらっ! いい男」
真っ白い扉を閉めると鈴鐘のような音がコロコロ鳴るのとほぼ同じに、少なく見積もっても土方より一つ二つ年増の女が口を手で押さえた。輪っかで広げたような若草色にふわりとした異国のドレスを身につけ、女髷とは違う形で髪を結い上げている。洋風の髪型なら前髪を顔に垂らした月野がしていたので土方も見慣れたが、この女も相当の新しいもの好きらしい。
「ヘヘっよく言われるぅー。おねぇさんもかわいいよっ」
「ありがと、僕ちゃん。よく言われるわ」
「そりゃねぇよぉー」
てんでガキ扱いにしょぼくれる伊庭と噎せ返るような色目の女は気にせず、そう広くはない室内を見るとそれらしい機材は揃っているようだが、他の人間の気配が全くしない。この写真屋は、坂本龍馬を撮った国内髄一の写真家・上野彦馬に次ぐ腕前だと土方は聞いていたのだが。
店番は女に任せてるのか?との不安と不満を土方は隠そうとしない。
「にいさん、撮ってくんだろ? こっち座んなよ。日本中の女がぶっ倒れるぐらい二枚目に撮ってあげるからさ」
女が、黒幕に覆われながらも大きな円硝子が光る、写真機らしき物の前に立った。
「へっ? おねぇさんが、ほとがらを?」
土方と同じ疑問を伊庭が投げると、仁王立ちの勢いでムッとされていた。
「他に誰が撮るっていうんだい? 僕ちゃんは次ね」
「い、いや! 俺はいいよっ!」
女だてらに写真家か……大したもんだな、と思い直し、任せることにした。土方は元々、女は家に篭っていろなどという考えはなく、むしろ男並みに働き者の女が好きである。
「にいさんも安心しな。腕はパリ仕込みの一級品だからね」
留学までしたのかと感心しながら、椅子に腰掛けた。
慣れねぇ異国みてぇな町で聞くハキハキした江戸弁は、やっぱホッとすんな……こんなうるさくなければ。
「ダメよ、こっち向いちゃ!」
「躰ごとチョイ斜めがいいっしょ」
「そうそう! 遠くを見るみたいに視線を外した方が映えるわよ」
「おっ! いいねぇ! ヨッ女ったらし!」
ああでもない、こうでもないと、当然の如く伊庭まで注文付けてくるから騒めきは二重になり、これでイラつくなとは拷問だろと憤る。
だからヤだったんだ。月野に言われたんじゃなきゃとっくに帰ってるぜ、と月野の名を出して無理矢理気を落ち着ける。
かっちゃんが撮ってた時より倍程時間が掛かったんじゃねぇか、と思うが従順に“指導”を聞き入れつつやっと解放された。
半身と全身の二枚を撮った。これからまた現像作業を行い、完成するのだ。
「明るくて気が強そうでちょっと気位が高くて、歳さんの好みじゃない?」
底冷えする夕方の帰り道、土方は長身を縮め気味だというのに伊庭はぐんと伸びをして、一仕事終えたとでも言うように首を鳴らした。沈みかけの陽が、雪霞に曇る。
「そうか? お前の女版みたいじゃねぇか」
やなこった、と不機嫌というより寒さで腕を組んだ。
「えっ! 俺と? 似てる?」
伊庭は声を引っ繰り返して、人差し指で鼻を示した。
さてはコイツ……。
「惚れたな?」
「ちっ違ぇよ! 歳さんのバーッカ!」
「取り持ってやろうか? “僕ちゃん”」
あまり冷やかし過ぎるとまた隊士の前で何されるか想像するのも遠慮したいので、後しばらく愉しんでから少しばかり話題を変えてやった。
「せっかくのお近付きに、お前も撮ってもらえばよかっただろ」
「いいよう! ほら、俺ってカッコよすぎだから!」
突然、早歩きを始めた。
「……ホントに、いいんだ。この腕、家族に見られたら心配されちまうから」
この眼が治るなんて、少しインチキそうな西洋医学書で読めるだけの、夢のような仮説だと思っていた。長い間、辛い思いをさせて悪かったと、良順先生は深々と頭を下げてくれた。
「や、やめてください!」
月野は上摺る心を抑えながらひたすら恐縮して、それでも嬉しさに涙が出そうだった。診察の手伝いで忙しくしている時は平気だが、一人になると、いつ見えなくなるのかと我慢できない恐怖を思い出していた。
蝦夷に行っても見付けられない、見付けてもらえないと悲観していた。何より、自分のこと以上に嘆かれてしまう。
「俺の知り合いっつか、師匠のダチだな。英国にジョ―(Joseph Panacea)っつう医者がいる。仙人みてぇなじいちゃんで、眼科の専門だ。気難しい頑固ジジイで難儀したが、予約客でいっぱいだから春まで待てるなら診てやる……治してやるってよ」
俺の腕が適わないのは悔しいが、と優しい苦笑いで前置きして、皺皺に歪む笑顔で伝えた。
「ありがとう、ございます」
あまりの出来事に驚いてその時はボンヤリするばかりだったが、鼓動を保ってみても喜びが次々に喉まで上る。
春になったら英国に行って、帰ったらすぐ……帰り道の船で蝦夷に行ってしまいたい。
その為に、もっと勉強しなくちゃ。土方さまの大事な新撰組隊士さん達がもしも傷を負っても、心配のないように。
「勿論、俺も一緒に行くけどよ。英語の勉強もしとけよ」
「ええ! 英語ですか?」
膨大になりそうな準備作業に気が遠くなりかける。こんなことなら置屋のお母さんの言い付けを聞いて、小さい頃から少しは書物に慣れておけばよかったと悔やみながら、決心が削がれることはなかった。
一本木関門……大森海岸と箱館港が隔たれた柵付近の取り締まりの仕事をしていた市村鉄之助は背中を体当たりで押されて、ふかふかの雪に倒れた。
「てっちゃぁーん! とぉっ!」
「っわあ!」
「あっ! いいなぁー! 俺もっ!」
続いて自分から真っ白い雪に飛び込んできたのは田村銀之助だ。一度も踏まれていない、新しい雪。
「気持ちいいなっ! 久しぶりっ!」
榎本総裁の小姓になった田村とはしばらく会えなかったので、引っ込み思案の市村はまた人見知りをしてしまいそうだった。
「おーい、遊ぶなよぉ」
苦笑いされながら叱られてワタワタと、足を滑らせつつ立ち上がってお互いの雪を払った。
「怒られちったなっ」
「……銀ちゃん、どうしたの? 今日は」
榎本はブリュネ達と城内で会議中のはずだ。
内心市村は、無邪気に笑う田村に落ち着きぶったことを訊いてしまったことをふと気に病む。
「鉄ちゃん背ぇ伸びないなぁ」
答えない田村はまたスラリと、市村との差を広げている。
「遊んでちゃダメじゃない」
しかし市村の手では届かず払いきれなかった髪の粉雪を、犬のようににフルフル頭を揺さ振って落とす仕草は子どもらしい。
「今日はさ、土方先生に呼ばれてんだっ」
え……なんで?
「ここに、先生はいないよ」
前にもあったことだが、計られてるのかと思うくらいの機で、田村は襟足をグイと掴まれた。
「ナニ油売ってんだ」
土方がとっておきの説教顔を見せる。
「迎えに来てくださったんですか!」
やはり田村は、その姿勢から首だけ動かしてケロッとしている。
なんだろう……呼ばれたって……。僕は……違う仕事に別れても、この親友が羨ましくて仕方がない。どこか、おかしいのだろうかと、市村はまた小さな頭を悩ませる。
市村は蝦夷地特有のパサパサの雪に足を滑らせないようにしながら、だから下ばかり向いて歩くことに必死なのに、追う二つの背中はどんどん遠くなっていく。
「鉄、お前は来なくていい」
立ち止まって迷惑そうに、でも土方はわざわざ振り返る。
「副長! そんなおっしゃり方はないですよ!」
平気だよ。ああして腕を組んで、待っててくれてるんだってわかってるから。
「……副長ってお前な……すぐ島田の奴らの真似しやがる」
新撰組古参の隊士、今でも土方をそう呼んでいた。
市村は与えられた持ち場を離れていながら、護衛としてお供をしますと自分でも幼過ぎると感じる理屈を捏ねると、こうしてかなり遅ればせながらどこまでも白い、二つの足跡で作られた道を進んでいる。
陸軍隊が巡羅する、亀田村に向かっているのだとわかってきた。
遠くから見ても、田村が嬉しそうなのがわかる。常にピンと張った緊張感を少し緩めて、市村と同じ役目だった頃の無邪気さだ。
大鳥の下でも榎本の下でも、いつでもキリリと引き締まった表情で務めていた“小姓・田村銀之助”は立派だった。
万が一にも落ち度があれば新撰組の、先生の名を貶めるからと、誰も口にしなくても心得ているのだ。
だから、この話が来たのだろうなぁ、と市村は一歩も二歩も後ろから眺める。
「春日、連れてきた」
陸軍隊隊長の、春日左衛門だ。浮世絵に描いたような秀麗な姿形の男だが、野村と真剣を抜いての大喧嘩をした、という意味でも有名になっている。野村は誰にでもカラッと明るいが、春日の話になると毒虫でも見るばかりに眉間を寄せて、大嫌いなんだとありありと伝わってきた。
「あっ……すみません」
市村ら小姓でさえ“すんげえヤな奴”と野村に聞いていた印象とは一見違い、土方の登場に動揺してキョトンとしていた。
「俺に言わねぇで、コイツに言ってくれ。本人同士のことだろ」
土方は素っ気無さげに、田村の肩に手をやった。そうされた“本人”は怪訝な、というか頼りない顔で土方を見上げる。当然に、野村からいろいろと評判を聞いているからだ。一方、春日も弱り果てた風に土方をチラチラ窺っている。短気さにおいて滅多に負けることの無い土方はすぐに耐えかねた。
「この春日が、お前の親父になりたいんだってさ」
「……はぃい?」
春日が悲しむであろう反応であるがつまり、養子にしたいということだ。
「ど、どうして俺! ……なんですか?」
「……それは……」
春日は口籠もる。
こんな無口な人が、どうやって野村さんと喧嘩したんだろう? という点は市村にも疑問だが、養子縁組の理由はなんとなくわかる気がする。
まず田村は同年代の兵……つまり市村も含めて……その中で抜き出て優秀だ。局長が指揮していた頃からの新撰組隊士で、土方の小姓だった。そして、かなり馬が合うらしくて野村と仲が良い。
オトナの事情ってところかなぁ? などと変に納得していた。
「つか俺に許可取らなくてもよ。ガツンと言ってやればいいだろう」
それは、銀ちゃんは先生から言い付けられたら断れないって、知ってるからですよ、などと口には出さないがオトナの事情とやらも結構わかっている。
「帰るぞ、鉄」
「へっ? は、はい!」
この後ガツンと言われたのかは不明だが、春日と田村は無事家族となった。
間もなく、春日としては“まだ”訊ねるつもりなど無かったのに、見透かすように田村は言った。
「利三郎さんはあの通り真っ直ぐな人だから、パッと謝っちゃえばカラッと気を良くしますよ」
ここ……蝦夷を占領した幕軍は、春になれば新政府軍の総攻撃を受けるだろうに、何がそんなに楽しいのかいつも笑っている子どもだ、とは春日の感想だ。
「意地を張ってるから苦しいんですよ。素直になるのなんて、箱館で雪だるまを作るよりよっぽど簡単です」
雪が乾いているから固まりにくい、ということだ。
土方の部屋に小さな雪だるまを置いてきたとかで直々に叱り付けられているのを春日は見かけたことがある。
同じく小姓の市村と共に、苦労して作ったのだろう。無闇に好かれてしまっている土方の、隠した苦笑いと同じく、想像に容易い。
「仲直りついでに一緒に雪だるまでも作っちゃえばいいですよ」
いくら野村さんでもそれはしないだろう……というか誰より私が、と全く気乗りはしなかったが、田村の言った通り、どちらが謝辞を述べるでもなく、野村は春日の姿を見ただけで破顔した。
恐らく、春日が現れた理由を田村から聞いていたのだ。
羨ましいくらいに、私とは正反対の男だ、と春日は性格上当然に隠して賛ずる。
「よっ、お久! どう? 一緒に雪だるまでも作る?」
「……遠慮しておく」
しかしものの数十分後にはこうなる。これも互いの負けず嫌いな性格ゆえの結果だ。
「野村さん、そこ崩れているじゃないですか。キレイな形にしてください」
「っせぇな。今やるとこだっつの」
「てめぇら……何してやがる」
そして土方に見られたのは、春日としては最大の屈辱だった。
誰に言われるともなく田村は役目を知っている。野村と春日の溝はだんだん埋まっていくように見えた。田村は与えられた使命を全うした。病室の春日を看取るまで。それはまだ、少し先の話だが。
なんでまたお前が付いて来んだよと、質してしまう程に土方は野暮野郎ではないつもりだ。
出来上がった写真を受け取りに、あの風変わりな女写真家の店を訪ねる日、また当たり前のような顔をして伊庭も追い掛けてきた。
「なんで来るかって? 歳さんが浮気しないようにだよっ」
訊いてもいないし、するわけもない。
隊士達が寒ぃ寒ぃと文句を言いながらブリュネとカズヌーヴ指揮の野外調練に励むのを、腰が引けてる、気合い入れろと他人事に叱咤しながら箱館の町に出た。
あちらから頻繁に機嫌伺いを試みてくるブリュネとは対照的に、未だにカズヌーヴとはろくに話もしていない。
慣れているからわかるが、恐らく嫌われているのだ、と土方は特に不満とも思わずにいた。
「一音さんさぁ、ダンナと別れたばっかりなんだって」
熱心なことだな……いつのまに通い詰めてたんだよ。
伊庭はついぞ見たこともない神妙な横顔で、足元に目を落としながら雪を踏み締める。
名前すら初耳だったが、一目惚れに惚れ込んだと見える伊庭のぼんやりともした表情から、すぐに女写真家の話だとわかった。
「つかさぁ、死んじまったんだって」
……なら、だいたい想像付くな。
死別した夫の遺志を継いで、店をやってるわけか、と土方は察した。
「気の毒なことだ。……お前も。死んだ奴に勝つってのは並大抵じゃねぇぞ。心してかかれ」
伊庭は気の抜けた顔に戻り、吹き出した。
「あはっ……実感込もってんね。なんでぇ?」
身振りだけは面白がって眼力強く凝視してくるのを、外方を向いてやめさせた。
「……一般論だ。死んだ人間は、その日から老いることも汚ぇ部分見せることもなくキレイなまんまだろ。嫌われることもねぇ。良いところだけ思い出で残って、しかも月日が美化していくからな」
ヤバッ……なんかマズいこと聞いたかも。
とは、意外にも機微に敏感な伊庭の感想。この寒いのに、少し冷や汗が出るくらいだった。
「ああ、お前のことだから、もうやることやってるか」
ありゃ、気のせいだった? というかさぁ、歳さんもうちょっと察してよね。
「それが結構堅くってさぁ……ってちょっと!」
カラカラと笑い出す土方の、憎ったらしく小刻みする頬にぶつけようとした拳は、手の平で止められた。
「俺、用事があるから。お前が代わりに行ってくれねぇか」
しかも魂胆丸見えだ。伊庭は素直に行くが。
柄にもなく緊張すんだよね、この扉を開ける時は、と伊庭はウザッたがられながらも熱心に通った雪道を、気持ちを落ち着ける余裕もなく目的地へ辿った。
燻し銀の手摺りを、奮い立たせるように勢い良く引く。
「こんにちは―っ! 一音さんの八郎でっす! 大好きです!」
「……嬉しいわ、僕ちゃん」
こうして本気にもしてもらえないで、適当にあしらわれちゃうんだよねぇ。
今日も一音は美しくも上品で、山吹色のドレスを着ていた。
この前の薄紅色も似合ってたけど、春色が好きなんだね、と伊庭は秘かに、というつもりで眺める。
「残念。歳サマは来てくれないの?」
俺だって、江戸じゃあ歳さんと双璧だったのになぁ……モテ度が。などとがっかりしたことは表に出さず、いつもの明るさで訊く。
「できました? 絶世の美男のお写真」
「できたわよぉ! 見るだけで妊娠モノよ!」
なんてこというんですかっ! と笑いながら、でも写真の話になると生き生きしちゃって、そこがカワイイんだよねとも思っている。
ピラリと手渡された紙切れには、二人が出した指示通りちょいキザに目線を逸らして、畏まった渋顔見せ付ける土方が固まっていた。
「ぅわっ! いいですよ! カッコイイ!」
うっかり正直に褒めてしまった後、……ほら、写真家の腕がいいんだよ、と言い訳した。
その二枚の写真を早く土方にも見せたいと思いはするが、まだ一緒にいたいのが本音だ。
「ねぇ、ホントに撮らなくっていいの? あなたも、すぅっごく素敵にしてあげるわよ」
一音はさっさと、でも丁寧に写真をしまいながら片手間に言った。
俺が“ホントに”口説いたら、あなたはどうするかな。
「俺はいいですって」
あと少しで深い雪も溶けるから、いつ戦場になるかわからないんだ。
その時俺は、あなたが住むこの町を守る為に戦うよ。
でもせっかく名写真家に撮影してもらっても、取りに来られないかもしれないから。
そうしたら、もったいないでしょ?
「俺は、一音さんに憶えてもらってればいいや」
やっと一音は、手を止めた。
「……やめて……こんなオバサンに」
その手を、顔を隠すように上げるので、もっと見ていたくて掴んだ。
俺の方が、憶えていたいのだ、と言うように。
「ご謙遜を」
顔を近付けると払われる。
気合い入れると、うまくいかないもんだなぁ、と伊庭はへこたれない。
「イヤよ。ずっと離れないでいてくれるひとでなきゃ、惚れたりしないの」
そっかぁ……なら約束はできないかな。
「……フラれちった」
帰り道にひとりごちて、優しい笑顔を思い出す。
抱き締めることのできる腕は失くしたけど、蝦夷へ来て、よかったと。
自分の写真にしげしげと目をやり、土方は感心しきりだ。
まさか自分の顔にじゃないよね? と伊庭がもう少しで小突こうかと思うが、
「すげぇな。鏡みてぇだな」
ナニ、急にその無邪気さ、と気を削がれた。
「職人技だよねぇ」
写真をどうするのか。
故郷にでも送るのかなぁ、と思いつつ冗談粧す。
「その写真さ、京で売り捌くの?」
またからかい甲斐のある怒声が響くかと期待した伊庭としては理由もわからないが、土方は一瞬驚き顔をした。
「……よくわかったな」
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修正加筆 完成
2023.04.23
推敲完成 再公開
2023.08.09
「小説家になろう」にも投稿開始。
浅葱色の桜 ―堀川通花屋町下ル
初音
歴史・時代
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義弟の近藤勇らと上洛して早2年。主人公・さくらの活躍はまだまだ続く……!
『浅葱色の桜』https://www.alphapolis.co.jp/novel/32482980/787215527
の続編となりますが、前作を読んでいなくても大丈夫な作りにはしています。前作未読の方もぜひ。
※時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦組みを推奨しています。行間を詰めてありますので横組みだと読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。
※あくまでフィクションです。実際の人物、事件には関係ありません。
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