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第五章
第二話
しおりを挟む声なんか掛けたら、逃げられてまうやろと思った。
……ちゃうな。
後から、よう逃げられへんかったなと思い返したんや。
日向沙菜は、あれこれ考える分の余裕は残されないくらい、驚きと嬉しさで躰中を支配された。
「月野天神!」
京都には営業三昧仕事一色の状態で来ていたが、人だらけの町中だというのにその後ろ姿にいきなり眼が醒めた。
振り返った日焼けも知らないようなの顔の左半分には、更に真っ白な包帯が巻いてあった。
あの夜、目の前で斬られた傷だ。
「沙菜さまっ」
なんや“沙葉の兄貴”から昇格しとるし。けど相変わらず、でっかい目やな。
「わたしっ……申し訳ありませんでした!」
「……謝らなアカンのはこっちやろ」
追い詰めて、気ぃ良さそうな妓ばっかりやった置屋を抜けさせて、消えへん怪我を負わせたんは……。
月野は片目を見開いた顔をハッと上げ、そんなことはないと頭を振る。
つい、触れようと手を伸ばし掛けた。
「見えへんのか?」
「はい。でも身体は元気ですから」
また相変わらず、何の疑いも知ない微笑みを向けられて手を止める。
「助かって……よかったな、天神」
「はい、ありがとうございます! ……わたし、天神じゃないですよ。今はただの月野です」
わかっとる。
照れ臭いとかやなくて……その名は呼べへんから、なんて呼んだらええかわからん。
生きとってくれて、それだけで満足や。
ほとんど寝たきりの沙葉にも伝えれば、きっと正気を取り戻せるやろ。
何度も言い聞かせる。
この女は血ぃ分けた大事な弟が、本気で惚れた女や。
それに天神には、誰も割り込めんような相手がおる。
って、そや……新撰組の、副長さんには会えたんやろか?
「副長さんには……」
言い掛けたところで、月野の斜め後ろから訝しげに窺っている……正確には盛大に睨みを利かせている男に気付いた。最近流行ってきた髷を落とした、沙菜に言わせれば妙ちくりんな頭で、見た目十七そこそこぐらいのクソ生意気な面の男。
「……弟?」
「違いますよ、失礼な」
そやろな。一人っ子やから、俺ら仲ええ兄弟が羨ましい言うとったし。ちゅうか、わざと言ってんけど。
「正確にはお兄ちゃんなんです」
「全ッ然正しくないです月野さん」
沙菜が吹き出すと“兄ちゃん”は余計ムッとして月野の隣に出てきた。
「松本弓継。江戸の医者です」
「大坂日向屋や」
父が亡くなり、一時的に沙菜が店を継いでいたが、月野が沙葉を気に病むと思い当主とは付けなかった。先代が築いた城を自慢にするのは癪だが、日向屋の名を知らぬ者はいないので十分な見栄にはなる。
「わたしも同じ医学所で、お手伝いをさせてもらってるんです」
付け足すのを遮り気味に訊いた。
「江戸から……何しに来たんや。怪我なんかしてへんやろな」
このガキとしょっちゅう一緒におって、旅までして来たんかと。一丁前にヤキモチなんか妬ける立場やない癖に。
睫が長いせいで、パチパチ音がするんやないか、とか沙菜が嘯くような瞬きを月野はして下を向いた。
言いにくいことか……ひょっとして……。
「副長さんに、会いに来たんか?」
新撰組隊士のことは官軍連中が血眼になって捜しているくらいなので、居場所などは知らないが。
また瞬きをしてから眼を上げた。
「……土方さま……ですか? いいえ……」
そしたら副長さんは、天神が死んだと思ったまんまなんやろか。
「わたし、土方さまに合わせる顔なんて、ありませんから」
「なんやそれ」
「どうしてですか?」
わかりやすく気の合わない二人の筈が声を揃えるものだから、月野はあからさまに困って視線を落とした。
「あ、いいんです! 気にしないで月野さん」
弓継は慌てたのか沙菜に聞かせたくなくて後で二人の時にでも訊こうとか思ったのかすぐ引き下がるが、彼としてはそうはいかない。
「ええわけないやろ」
月野は握った片手の甲、細い指の関節を口元に当てて、眉を寄せる。
泣かせるかもしれん。
「副長さんに、あんたが斬られたこと伝えたんは俺や」
片目を斬られて、氾濫しかけの濁流に落ちた天神を俺は見とったのに、助けることがでけへんかった。
一瞬で消えた姿を、もうあかんと思った。
飛び込めばよかったやろと、何度も後悔して自分を責めた。
立ち尽くすだけの木偶の坊やった俺にできるんは、天神が一番愛しとる男に伝えることやと信じきった。
「……土方さまを、裏切ったから。……わたしはキタナイから、わたしを嫌うあのひとを見たくなくて……だから、謝りにさえ会いに行けないのかもしれません」
懺悔に聞こえた。
あんたがキタナイ……?
そんならこの世にキレイなもんなんてないやんか。
妾腹に生まれた俺の、葦の這う、泥に塗れたこのセカイには。
「俺の知らせを聞いた副長さんは、局長さんの居らんかった鳥羽・伏見の戦の真っ最中やってのに、放ってここ……京まで飛んで来たんやで。嫌ってる女にすることか、よう考えんでもわかるやろ」
その“考える様”を見るのを拒んで、躰を反転させた。
好き合うてる癖に、副長さんと二人して似たようなこと言うんやな。
ホンマにお別れやと、どっちかが死んでまうわけやないのに、漠然とわかった。
「沙菜さまっ……あの、沙葉さまは……」
「元気や。ピンピンしとる。兄貴が言うのもアレやけど、立派に店主やっとるわ」
これから、そうなる予定や。
普通なら恨まれとる筈の沙葉が、心配されとる……ちゃんと嬉しいと感じられる自分にホッとするわ。
「アイツのこと、許してくれとは言えへん。ただあんたのこと、本気で好きやっただけなんや」
自分の告白しとんのかと、勘違いしそうになる。
現に兄ちゃんはそないな目ぇで見てくるし。
こいつの勘がええ言うより、天神がポヤンとし過ぎやで。
「許すだなんて……厭なこと、されてないです。わたしが勝手に島原を抜けて、勝手に川に落ちただけですから。わたしの方が……本当に、ごめんなさい」
別れんのが、辛い。
泣きそうなんやけど。
「ほな、俺行くわ」
でもそんなこと言ってられへんし、また天神を悩ませるだけや。
「ッあの、今は思ってないですよね? 愛情が保たれることがないなんて……」
よう憶えとるなぁ。
生涯、想う相手を決める気ぃはないと言うたのを、天神は自分もそうやと、二度と他の男を愛さへんと呟いた。
けど何で俺なんかをそない気に掛けてくれるんや……そやから、その気もない男に勝手に惚れられて言い寄られるんやろ。か弱そうに見えて芯が強うて、しっかりしてそうやのに天然さんなんやから困る。とか、ムカつくトコいくつ挙げても、好きやとしか思えへん。
「いや、思うとらんよ」
これから、そうなる予定……あんたをキッパリ諦めて、そうなれるよう努力するわ。
天神はまた、兄ちゃんと二人で歩いていった。
ホンマは、江戸の生まれやったんやな。
島原芸妓のやんわり包み隠す京ことばより、思ったこと素直に言う月野には、ずっと似合うてる。
土方の配属された先鋒軍が城を奪った翌日、漸く鎮火し入城を果たした頃、大鳥圭介率いる中軍・後軍が到着した。
先に城を落とされたものだから、ボンヤリ大鳥坊っちゃんも少しは悔しがるだろ、と生来の意地悪さ発揮の土方は期待したが、
「いやぁ、参った参った! 流石の早業ですねぇ」
とか空っ恍けて、要りもしない賛辞で感心するだけだった。
気の無い返事そこそこに軍議に向かう途中、寸分変わらない威勢のいい声とバッタリ遭遇した。
「よぉ! “新撰組鬼副長”久し振り!」
「ぅおっ新八! ……なんで居んだよ“靖共隊副長”」
新しい組織というのは偏にそういうものだが、内部対立が絶えないらしく分裂した靖共隊の一部が鴻ノ台から大鳥隊を追い掛けて合流したとは、当然のことながら既に聞いていた。
「そりゃねぇよ歳さん! おっ? 襟巻きなんざ巻いてキマッてんな! コレでもできたかい色男!」
口笛まで吹き囃しながら、随一と名高い剣客の癖に腕白小僧そのままの体でクシャクシャな笑い顔で小指をおっ立てる。
つか襟巻きとか言うんじゃねぇよ、俺自慢のマフラーを。
「馬ぁ鹿、俺がキマッてんのは元からだろ。コレが居ようが居まいが関係ねぇよ」
土方も小指を見せると、今度は永倉、なんと親指を立てる。
「え、独り身? じゃあナニ、あのヤケにきゅるんとしたチビ小姓はコレ?」
鉄之助のことらしい。
「……次の戦、うちの隊の大砲は全発もれなく新八狙いだ。覚悟しとけ」
「はは、おもしれぇーってマジ顔かよ!」
近藤を薩長に渡したこと、原田と離れたこと、互いに話したいことがあるのも、本音を言えばそれを訊きたいのもわかっていた。
けれど二人はまるっきり摩り替えて、軍議の後に虚ろに開かれる宴会までも、京に戻ったみたいに燥いでいた。
城を奪った後はそれを守り抜くのは当然、さらに支配を拡げなければならない。
薩長軍の増援が入るという気持ち懐かしい名前の壬生城へ、二十二日に攻めることになった。
「はぁあ? 風邪だぁ?」
その大事な局面の中、大鳥が風邪っ引きで出陣できないというのだから土方は盛大に吼えた。
「ふざけんな! ボケッとしてっからだ軟弱野郎! 甘ったれんな!」
「きっ、聞こえちゃいますよぉ先生」
聞こえるように言ってんだよ。これ見よがしの過剰防寒具で大袈裟な咳しやがって。
伝習隊の固まりの方にキョロキョロ目をやる鉄之助までも睨み付けた。
第一、ヤバいぐれぇ具合が悪くても、戦に出る気概のある奴は咳を隠して我慢すらするもんだぜ。知らねぇのか、元お医者サマ。
「いいじゃねぇか別に。俺ら靖共隊で百人力だろ! なぁ、鉄! 腹一杯飯食ったか?」
「ぅあ! は、はい!」
人の良い永倉がバシッと勢いよく、鉄之助の薄っぺらい背中を叩いた。
「戦力の問題じゃねぇよ」
たかがトリ野郎一人で戦局が変わるか。
「曲がりなりにも一隊を率いてんだぜ? 隊長の不在は兵の士気に関わんだろ」
喩え剣を振るわずとも、居ると居ねぇじゃ大違いだ。特に伝習隊連中は奴を相当慕ってるからな。
「その兵が隊長を心配して休ませようとしてんだからしょうがねぇや。精々悪化させねぇよう、一丁やってやろうぜ」
確かに、うだうだ言ってたって始まらねぇ。
「新八……なんか丸くなってねぇか? さてはコレでもできたか」
「俺は昔っから小常ちゃん一筋だっつの!」
大の男が耳たぶまで真っ赤にして照れる後ろから、同じような顔色の大鳥がふらふら近付いてきた。
いや、着込み過ぎじゃねぇ?
「面目次第もない! 伝習隊も土方さんの隊に加えてもらうそうで、微力ですが……」
と、ここでゲホゲホと咳き込む。
俺が、ガキの頃から人の咳が大嫌ぇだと知ってんのかよ。
「いえ、有り難くお借りいたします。大鳥さんはゆっくりしていて下さい。お大事に」
鉄之助は、それこそどこかから借りてきたような笑顔を、目を丸くして見上げた。
「お優しいなぁ、土方さんは」
嫌味が通じねぇ。と、これは以前、近藤に思ったのと同じことだ。
「くれぐれもご無理はなさらないでくださいね」
あんたはちょっとぐれぇ無理しろよな。
「ええ。では、行って参ります」
胸クソ悪ぃ。
とっとと壬生城いただいてやる。ここで敗けちまったら、大鳥の指揮が余程大事みてぇじゃねぇか。
旧幕軍は幕田付近、薩長軍は安塚に布陣し早朝からの決戦となった。
「今日はヤケに伝習隊の元気がいい。大将不在で逆に我武者羅にやれてんのかもな」
心配は取り越し苦労だったか、と土方は笑う。手土産に勝利を持って帰りたい気持ちはよくわかるのだ。
「いや、今日の隊長さんがむっちゃおっかねぇからだろ」
軽口叩く永倉に大砲向けてる余裕があるくらい優勢だったが、斥候部隊に加え壬生の援軍が当然薩長軍に入り、じわじわと逆転されてきた。
「ぅおっし! 抜刀隊出るぞ!」
永倉が腰に差した大刀の柄を叩く。
「ばっ……危ねぇからやめろ!」
鳥羽・伏見の戦、鳴り止まない砲声と粉塵の中に消えていった姿が脳裏を掠める。新撰組の良心であり試衛館以来の古株の井上源三郎は、その勇ましい背中が最期だった。
「らしくねぇぜ。んなこと言ってる場合かよ」
立場に縛られて加われない歯痒さを、二度も味わうのは御免だ。
「じゃあ俺も行く」
「隊長まで我武者羅になってどうすんだぃ。“ガム新”は俺の十八番なんだよっ」
“ガム新”……ああ、“ガムシャラ新八”、昔の渾名だったな……って感心してる状況じゃねぇだろ。
「得意の白兵戦だ! 腕に覚えのある奴ぁ付いて来やがれ!」
確かに爪の出し惜しみしていられる場合ではないと躊躇している内に、永倉はもうガンガン呼び掛けている……というか早々と刀抜いてしまっている。
土方はまた、同じ言葉で見送るだけだった。
「……死んだら殺すぞ」
「百も承知!」
腕に覚えと言われれば、新撰組隊士はこれぞ誇りと全員挙って飛び出す。ちなみに鉄之助は土方手ずから止めたが。
それに伝習隊や桑名藩兵も加わり奮戦したが、数と武器の差に物言われて、宇都宮城に撤退した。
百数十人もが負傷し、一斉に手当てを受ける中にいる永倉は、二の腕に傷を負っていた。
「斬られてんじゃねぇよ」
「へへっ悪ぃ!」
ナニ笑ってんだ痛ぇ癖に。
明くる二十三日、この儚い砂のような城に、勝利に勢い付いた薩長が攻め込んでくる。
六道口関門を突破され、正面の松峰門への集中攻撃は伝習隊が巻き返している時、土方は桑名兵を率いて城北明神山に布陣していた。
一度は撤退させたが、すぐに援軍要請を受けた。
調子に乗りやがって。行軍中のピーチクうるせぇ鼓笛が余計イラつくんだよ。
城内南館門に向かうと、とうに激戦真っ只中。
外城の壁に拠る敵兵が無茶苦茶に撃ってくるのを、竹藪からさらに狙う。身を低くしながらも前へ前へと進む。
折角勝ってたってのによ。
「副長!」
何かに躓いたように足を取られた。
足指がどっか行っちまったのか、とは後から抱いた感想だ。
「土方隊長が撃たれた!」
「副長! 副長!」
「しっかりしてください!」
痛ぇのに耳元で騒ぐんじゃねぇよ。
「立ち、止まんじゃねぇ……! 進め!」
次々集まってくるのを、腕を振って払った。この間も、味方の屍が前後に横たわっていく。
片膝立ちで傷を押さえるが、触られる感覚は麻痺してるものの、どうやら指はくっついたままらしい。焼け付く熱さが、風に晒されて奥に染みる。
こんなだったのかよ、鉛の痛みってのは。
かっちゃんは肩に一発食らっても馬にしがみ付いて俺んところまで帰ってきてくれたってのに、足指一本くらいでくたばってたまるかよ。
長年血を吸いまくった愛刀・和泉守兼定を土に刺して、一歩踏み出す。
「ボサッとすんな! 行くぞ!」
唖然と立ち尽くす若い兵達を怒鳴り付けた。
中々顔が上げられない所為で、進む度に穴の空いた長靴から血が吹き出すのが見える。
「副長! 下がってください!」
後ろから駆けて来た中島登に肩を担がれた。
「バカ野郎! 俺が退いたら誰がっ……この戦勝たせるってんだ!」
息が、うまく吸えねぇ。
足を引き摺った兵なんざ、役に立つとは思えねぇ。
もし他の兵なら、とっくに引っ込ませているだろう。
だが理屈が解る程に要領良けりゃ、初っ端からこんな戦してねぇんだよ。
この城は、俺達が命懸けで奪ったもんだ。
江戸城じゃねぇんだ……易々渡せるか。
「じゃあ、これからの戦はどうするんです!」
かつて土方が近藤に言いたかったことをいとも簡単に、語気を強めながらも中島は涙を奮う。
「あなたにもしものことがあったら俺達は……! 新撰組は誰の背中を追い掛ければいいんですか!」
俺はそんな、たいしたもんじゃねぇよ。
「はい、行きますよっ」
「ぅお! 島田!」
不意を衝かれた。
巨漢の印象を裏切らない怪力でふわりと軽々担がれたのだ。
「はっ放せ!」
島田は全く動じず、悠々と背負い直す。
総司が池田屋で倒れた時は俺が抱き上げて追い出したが、こんなこっ恥ずかしかったのかよ。
あの時はジタバタ嫌がられるのを気にする余裕すらなかったが、きっと島田も同じ気持ちなのかもしれない。
中島も島田も、涙ぐんでいるのが見えた。
同じく負傷した秋月と、今市宿に送られ手当てを受けた。
余計に痛みが増すから見るなと言われ目を明けられない状態だったが、暗闇の中で聞こえる医者達のどよめきで、傷の酷さを思い知らされた。
その後もさらに敵への援軍は増え続け、夕刻には城を捨て撤退した。
夜中は傷によるものであろう高熱に魘され、寝付くことも眼を瞑ることすらできずに、敗北の悔しさを噛み砕くしかなかった。
ほんの数日前、宇都宮城獲得の祝宴に沸く兵達を尻目に、中島にチラッと呼び寄せるよう頼んだ土方勇太郎が、困ったような苦笑いをした。
「しばらくだなぁ、歳さん。怪我したって?」
「まぁな。掠っただけだ」
生れ故郷・多摩石田村の隣、新井村の出で幼なじみ……結束して喧嘩ばかりしていた悪友だが、共に天然理心流に正式入門した旧知の仲だ。
「残念だなぁ。ご自慢の西洋着物が見たかったよ。さぞ似合うんだろうな」
……軍服な。別に自慢なんかしてねぇよ、似合うのは当然だ。
「これから会津の方へ行くんだよな? 寒がりだってのに気の毒になぁ。寒ぃと機嫌悪くなるもんな、歳さんは。風邪引くなよ」
訊かねぇんだな……かっちゃんのこととか、いろいろとよ。
土方の周りは、苦しいくらい気を遣う者ばかりだ。
そんなに俺はひ弱そうかよ、と苦笑いのひとつもしたくなる。
「……若い兵を、斬った。俺の指揮に従ってきてくれていた、味方をだ」
ゆっくり絞り出すのを待っていた勇太郎は、年下の癖におっさんのような渋い眉を寄せた。
「……大丈夫だったか」
「死んじまった」
「いや、歳さんがだよ」
俺が……?
「だから、掠り傷だって」
溜め息をしてから勇太郎は笑い掛ける。
「それで? 何をしてほしいんだい」
逆なら得意だが、心づもりをお見通しにされるのは妙な違和感がある。厭だとは思わないが。
こうして訊ねてくれなければ言い出せなかったかも知れない土方は、用意していた金子を差し出した。
「頼む。これで、この日光に墓石の一つでも建ててくれねぇか」
勇太郎は快く受け取る。
「……京都にいた頃の新撰組副長は、鬼だとか修羅だとか……おっかねぇ噂も山程聞いたが、全然変わってないんだな。優しい歳さんのまんまだな」
俺がいつどこで優しかったってんだ。
いい年齢こいて相手を正面から見るしか知らないで、思ったことパッと口に出すお前の方がガキの頃から変わんねぇ、実は喧嘩っ早いのに似合わず優しいままじゃねぇか。
束の間の再会を惜しむ猶予もなく、正午には十数人もの護衛など付けられて会津西街道を北上した。
初めて見上げる若松城は、真白い外壁に満開の桜が掛かってよく似合う、美しい城だ。
――……
「我らが殿・会津中将様のお城か! トシ、立派なもんだなぁ!」
――……
「……かっちゃん?」
……って、やべぇ。
また、かっちゃんとしゃべりそうになっちまった。しかも声に出してかよ。
相当、重症だ。
「……ッ副長……!」
ゲッ! 島田……まさか聞かれてねぇだろうな。
「副長……こ、近藤局長が……」
……信じねぇ。
もう、俺を引っ張る強い腕にも導く笑顔にも会うことが、応えることができない。
――……
「局長が、四月二十五日板橋で……ッ……斬首、されたと……」
――……
島田の涙混じりの声が、頭蓋の中に谺して離れない。
その首は板橋で晒され、わざわざ京まで運ばれて三条河原でも三日晒されたという。
奥歯をどんなに噛み締めても、後悔の尽きることがない。
なんでだよ。
そこまでする必要があるのか。
かっちゃんが、悪いことしたってのかよ。
俺だ。
気のいいガキ大将を、田舎の道場主を、生まれたばかりの子どもの父親を、誰からも好かれちまうかっちゃんを、幕府の番犬の頂に据えたのは俺だ。
討幕派の連中に蛇蝎の如く恨まれる程に、組織を大きく、高みに押し上げたのは冷徹な副長・俺の計略だ。
そして武士らしく腹を切るというのを止め、罪人に貶めて殺したのも、俺だ。
こんな最期になるならば、あの日、切腹させてやればよかった。
結局俺は、目の前で死なれるのが怖かったんだ。
なら一緒についていけばいいものを。
涙を流す、悲しむ資格も無ぇよ。
俺が殺したようなもんだ。
三国志と加藤清正公の武勇伝を語り聞かせた実の父母と、道場の跡取りにもらってくれた義父母を大事にしていた。
妻が髑髏を縫った稽古着を、これで何も怖れず精進できると毎日喜んで着ていた。
何の役にも立たねぇ穀潰しだった俺達食客がいくら屯しても、入門したいとどんな輩が転がり込もうと眉一つ顰めず笑って受け入れていた。
人間ってもんが大好きな、天性の大将だった。
ごめん……かっちゃん。
俺は今日から、見守ってくれているその懐っこい笑顔の為に戦う。
そう遠くない、また会える未来に、恥ずかしくないようにな。
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