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第四章
第一話
しおりを挟む酷く、喉が渇くんだ。
この世と日本の陽が落ちる頃、僕の熱はどんどん上がって、額には異様に冷たい汗が滲む。
もう、どうして僕が、なんて考えない。
誰も僕を“早過ぎる死”とは言わないだろう。
剣しか能がない僕が生きられる場所は、とうに失われていたのだから。
と、考えるようになるのはまだ少し後のこと。
鳥羽伏見から大坂に移る時、あんなに“駄々を捏ねた”沖田は、他人は想像もつかないだろうが密かに嬉しい日々を暮らしていた。
だって、先生がいる。
僕はずっと、誰かの“たった一人”……一番になりたかった。
みんなに
「お前は欲が無さ過ぎる」
と言われてきた。
その度に違和感にくすぐったくなり、僕は装うのが、人を騙すのが結構上手だと思った。
僕は本当は、すごく独占欲が強い。
最近は自覚が出てきただけ、まだマシなんだろうけど。
生まれた時には母親が……僕が殺したようなものだけど既にいなくて、父親にずっとくっついている子どもだった。
その父上も亡くなってしまってからはミツ姉さんが僕を育ててくれたけれど、旦那さんがいたし、甥っ子が生まれてからは甘えてなんていられなかった。
そして先生……近藤局長と出会った。
僕にとって先生は“温かさ”そのもので、それからの僕の生きる意味は先生に気にしてもらうこと……その為に唯一、人並み以上にできる剣術をさらに鍛えることだった。
そう、“役に立ちたい”という気持ちでさえ、建前だったんだ。
死にはしないという点を除いて、肺病より余程重症だ。
飲み込まれ続けてきた深淵の最涯に現れたのは……ごめんなさい、月野さんだった。
月野さんのことが欲しくてたまらなかった。
でもやっぱり、僕の独り占めにできないなら、なにもいらないんだ。
もう会えないと決めてから僕はまた逆戻りして、先生と二人だけということが嬉しくなってしまった。
先生は利き腕が上がらない程の怪我をして刀も握れなくなるかもしれないのに……だって、土方さんも周平くんも、みんないなくて、僕しかいない。
こんな風に思ってしまう僕は最低だという自覚も普通にあるけれど、これが僕なのだからしょうがない。
先生はまたすぐ僕を置いてみんなのところに帰ってしまうから……だから今、少しの間だけ赦してほしい。
この日々を思い出に心置きなく死ねる、とかは全くの茶番、綺麗事だし思いもしないけど、以前は想像もつかなかった“畳の上で死ぬこと”も我慢できるかもしれない。
なんちゅう無愛想な男や。
「誰だ、お前」
何せ相手は、初対面の開口一番、こんな台詞を吐く男だ。
沙菜は、新撰組が屯所とする伏見奉行所の門を叩いた。
門番をしていた隊士に土方副長に会わせてくれと言っても、うんと通されるわけはない。丸腰の町人に容赦無く掴み掛からんばかり……いや、実はかなりの勢いで小突きまわしてくる隊士達に言い放った。
「月野天神の名前出せば飛んで来よるやろ。俺のこと帰したら、あんたら斬られるで」
案の定、すぐに現れた土方は門に仁王立ちの状態で睨み付ける。
そうしたいんはこっちの方や。
初めの感想としては、無愛想な仏頂面の上に、男から見たらムカつくとしか言いようがない役者顔だ。
「大坂日向屋跡取り代理・日向沙菜や。あんたに話がある」
沙菜は、魂が抜けたように寝込んでいる沙葉の代理として仕事をしていた。
さておき、土方は月野のことを訊きたくてむず痒いだろうに、明らかに警戒して黙りこくっている。態と焦らしたいのは山々だが、沙菜から持ち掛けてやった。
「月野天神のことや」
土方はありありと眉間に深い皺を寄せ、
「お前、月野のなんだ」
と言いたげに凄む。
沙菜としてはこれから口にすることを自分でも信じられない、息を吐くのも苦しく手を握り締めていて、それに構う余裕は無かった。
「……天神が……死んだ」
「……なんのつもりだ」
土方は音が出る程乱暴に、沙菜の胸ぐらをキツく掴む。
「どこの三下か知らねぇが、俺を動揺させてぇなら此処まで連れてきてみろ」
新政府軍に使われて態々こんな所まで騙しに来たやなんて思っとんのか。つかそれあんたが天神に会いたいだけやろ。
「……顔斬られて、氾濫手前の川に落ちた」
掴む手が、首元で震え始めた。
「……月野が……死んだ……?」
目の前にいる沙菜にではなく、他の何かに問うように、小さく声を漏らした。
こんな表情を見るんは二度目や。沙葉の時と同じ、絶望。
いや、沙葉と同じなんかやない。
そう沙菜が感じたのは、その男が燃えるような双瞳で陽を見上げたから。
土方はスルリと手を放した。脚が、完全に走り出したそうに一歩踏み出す。
止まらせるのは当然、この一触即発の戦況で局長が居ない中、新撰組を任されている副長の義務と重責だ。
心底悔しそうに、奥歯を噛み締める。
沙菜は土方の立場を承知でここに来た。試してやろうと、考えたのかもしれない。
「副長、行ってください」
さらに目付きの悪い顰めっ面の男が出てきた。
部外者の沙菜の方が、聞いてたんかいと突っ込みたいところだが、土方はそんな余裕はなく応じる。
「斎藤……しかし……」
「上の空で指揮していただいても迷惑なので」
とだけ言い捨てると、斎藤は去っていった。
なんやあの男!
化かされたような気の沙菜の側で、土方は深く息を吐いた。
「お前……何故俺の処へ来た?」
癪やな、答えてやるんわ。
舌打ちでもしたい気で言った。
「……天神の……一番愛した男が、あんたやからやろ」
得意気にニヤリ、とでもなるだろうと思った。
しかし土方は青天の霹靂だという形相の後、まるで自らを小馬鹿にするように鼻で笑う。
「そりゃあ……とんだ勘違いをしたもんだな」
どういうことや。
は? と呆気に取られた。
「アイツが俺を……? ありえねぇな」
月野の笑顔を思い出す。頭に、血が上った。
こっのアホんだら!
などと、大坂まで震撼轟く新撰組の鬼副長相手に切れる筈も無い啖呵を心中だけに留めて、沙菜はどうにか平静を取り繕おうと息を吐いた。
なんもわかっとらん。これでは剰りに、天神が気の毒や。
自分の嫉妬心などそっちのけで、ありのままを聞かせた。
「勘違いはあんたの方や。あんた……知らんやろ。あんたのことを想う時の天神が、どんだけ優しい顔で笑っとったか」
皮肉なことだと自嘲したくもなるが、あの月野の表情を見たのは沙菜だけだ。
いや、むしろその姿にこそ惚れたのかもしれない。
面影に別れを告げる。
話してしまったからには、これっきりの“俺だけ”すら、この男のものだ。
「もう一度だけ言うたるわ。天神が、男として本気で好いとったんは、あんた一人だけや」
未だに、思いも寄らないという顔を崩さないままの癖に、小さく頷いて見せた。
「京へ戻る」
沙菜は、直ぐ様行きたいのだろうことを承知で、一旦奉行所に入ろうとするのを止めた。
「天神があんたのこと、何て言っとったか聞きたないんか?」
お節介ついでに別れ際の捨て台詞を吐こうとするのを、土方はキョトンとした顔で振り返った。
「行かねぇのか?」
商人風情が幕臣相手への数々の無礼……というか平たく言えば“タメ口演説所業”をものともせず、土方は当然、沙菜も共に行くものと思っていた。
感じ悪いのか良いのか、無愛想なのか懐っこいのか分かりにくい男である。
「仕事や。……俺のネタ聞けるんは最後やで」
大坂で、沙葉を日向屋主人にせなあかん。
食えず寝むれずの病み様を元気付けさせ、かつての底無しに明るい、いっつも笑っとった沙葉に戻す大仕事が残っとる。
そんで俺も、未練を断ち切るんや。
「……月野は生きてる。アイツの口で言わせるからいいんだよ」
数年後に日向屋主人は他界し、しばらく沙菜が代わりを務めたが、やっと回復した沙葉が正式に跡目を継いだ。沙葉は過去を振り切るように女将……正妻以外に複数の妾を持ち、沙菜はというとある意味予定通り独り身を貫いた。
京へ向かう道が、これ程長く歯痒いとは。
土方は、怪我療養中の近藤に任せられた新撰組を更に永倉・斎藤に一時委ね、独り、京へと早馬で駆けた。
新政府軍に見付かれば捕らえられるだけで済む、なんてことは有り得ない。
だが頭からは、自分の立場や分別などキレイに消え去っていた。
聞かされた言葉を、否定し続けることに支配されていたからだ。
月野が、死ぬ筈がない。
俺を置いて逝ってしまう筈がない。
どこかで俺を待ってくれている、とまで思ってはいないが、走らずにはいられなかった。
「土方さま!」
こう呼ばれるとハッとする。
島原吉更屋に到着すると背中から名を呼ばれた。
見上げるのは月野に付いていた禿だ。月野に甘やかされてか何をするにも拙くあどけなく、そんなところを余計可愛がられていた少女が花々散りばめた舞妓衣裳に姿を変えている。
月野はと訊こうとするが、叫びに似た声に遮られた。
「……あんたのせいや! あんたが……月野姐さんを放っといたから!」
顔を覆って泣き出すのを、ただ呆然と眺める。
月野は、本当に……?
「コラ! ……すんまへん、土方はん」
暖簾の奥から出てきたのは女将だ。見た目に明かな程に窶れている。
土方は感覚も覚束無いまま、一部始終を噛み締めた。
太夫揚がり……そして身請けを拒んで置屋を抜け出し、何者かに斬られたと。川に落ち、未だに見付からないと。
「もう……命は無いものやと……諦めとります……」
こんなことになるなら……無理にでも手をとって、誰の目にも触れないところに閉じ込めてでもいればよかった。
微塵も考えなかった。
戦場に立つ俺より病魔に取り憑かれた総司よりも先に、月野がこの世を去るだなどと。
「……葬式は……?」
掠れて、どんなに近くにも届かない感覚がした。
「いいえ……」
どんなに声を張り上げてもどんなにその名を呼んでも、二度とお前は振り返らないのか。
「身抜けを……させてやりたいのだが……」
芸妓としてではなく一人の女として、望んだ名で弔いたい。
いくら信じられなくても経もあげずでは……死を認めなければ、この世に未練が残る。
光縁寺なら、山南さんが守ってくれるだろう。未だに頼っちまって、すまねぇと思うが赦してほしい。
哀しみに暮れるのは、今日だけだ。
伏見奉行所に帰ってきた土方は早速開かれている会議……と言っても、永倉・斎藤・井上・原田と、旧知の仲間の集まるごく内輪の談合に加わった。
「相楽総三? ……聞いたこと無ぇ名前だな。薩摩のイモか?」
「いいや。ただ、西郷の使い走りだ」
誰もが
「まず休めばいいのに」
と言っても聞きはしないのだ。
「あくまで武力倒幕を狙うか。……あのギラついたグリグリ目、思い出すだけで反吐が出る」
多分この男がしたであろう自らの決意通り、すっかり新撰組副長の面構えに戻っている……いや局長が戻るまでその城を守り抜くとの気負いからか、遥かに凄みを増しているくらいだ。
「やはり、それが目的か」
他の隊士よりも“歳さん”を知っているだけに、ここに入る誰もが疲れきった様子と心中を表した、女達に
「射抜かれたい」
とか騒がれる目の下にできた陰影を見逃さない。
先程から話題に上っている相楽総三……彼は新撰組にとって文字通り、薩摩藩・西郷隆盛が江戸に放った犬畜生だ。
糾合屯集隊という新撰組といい勝負の烏合の輩ばかりを五百人も集め、闊歩しては手当たり次第に喧嘩を吹っ掛け、商家に押し入り、素性を見てくれと言わんばかりに薩摩藩邸に帰っていく……という、少々懐かしい前巨魁局長・芹沢も吃驚の所業を繰り返した。
そしてこれも西郷の“狙い通り”新撰組の二の舞、便乗する奴等まで現れて、江戸・関東の治安は乱れ放題になった。
「“家康公の再来”の切れまくりの知謀でせっかく優勢に協議を進めてたってのに、台無しだぜ」
そうなのだ。
実はこの時点で徳川慶喜公は、将軍の座を降りはしても新政府に対する徳川政府として権力を二分に保っていて、“前内大臣”としての待遇、外交の権利を得、そして領土の返上に置いても、天皇の新しい政治への経費としてなら一部提供してもよい、という完全なる“上から目線”で協議を丸め込み、一貫して徳川追放を叫ぶ薩摩を孤立させていたのだ。
それを打ち崩す為、更に薩摩は蠢き徘徊する。
思えばこの噂も策略の内かとも怪しいものだが、江戸に火をかけ、徳川十四代将軍家茂公正室・和宮改め静寛院宮と、十三代将軍家定公正室・天璋院を奪う、との如何にも彼らが企てそうな作戦に激昂した徳川政府は、薩摩藩邸を焼き討ちにした。
薩摩は武力制裁の口実を得て嬉々としたことだろうが、慶喜公は遂に討薩表を掲げた。
「こりゃあ……正月早々、戦になるぜ」
こうして世に言う鳥羽伏見の戦いが……新撰組負け戦の歴史が始まった。
やはり翌年明けて早々、大坂の旧幕軍数千が淀城下に宿陣し、薩摩藩兵に進軍を阻止され両者睨み合いとなった。
この間、遊撃隊が伏見奉行所の新撰組と合流し、秋ノ山の薩摩側の発砲を合図に開戦となった。
数の上では、旧幕軍が圧倒。
敗れるなどと、誰一人として思っていなかった。
伏見でも御香宮から砲弾を浴びせられていた。味方はというと大砲の扱いもよくわからず、玉が飛ばずにゴロリと落ちる、という失態も所々に見られた。
「土方! 斬り込んだ方が早ぇ!」
永倉が血眼になって、白兵戦の許可を出せと迫る。刀を駆使すれば、新撰組が遅れをとることはない。永倉の後ろには、原田、島田が同じ形相で熱り立っている。
「いいだろう。死んだら殺すぞ」
「おう! わかってらぁ!」
一斉に白刃を抜き放った。
「新撰組ィ! 俺に続けぇ!」
「来やがれっ! 刀の遣い方、教えてやらぁ!」
轟音と言ってもいい程の景気で、新撰組は飛び出していった。
「うわっ!」
「げぇっ! 壬生狼だ!」
永倉を先頭に粉塵の中消えていった。しかし後に聞こえるのは、尽きない砲声の嵐だ。 ……ヤバい!
味方も怖れる指揮官・土方の形相が蒼白に変わる程の。
「……っ戻ってこい!」
「土方さんっ! いけない、下がりなさい!」
抜刀して続こうとするのを会津の役人が止め、ちょうど足を着いていた場所に弾丸が跳ねた。
「将と兵は違う! 立場をお弁えください!」
家屋の陰で説き伏せられるが、土方は隊士のいるであろう方向から眼を離せない。
「新撰組はっ……同じなんだ!」
掻き消すような爆発音が地を揺らす。
あんなもんに……俺達の命……刀が歯も立たねぇってのかよ! あんな……見境も無く全て壊すようなもんに……。あれは、人間が当たり前みてぇに手にしていいもんじゃねぇだろ。
「……刀の時代は……終わりました」
だが勝つ為なら、いくらでも利用してやる。
動揺をそう締め括る土方は、やはり稀有と言える打たれ強さだ。
「……ぶはっ! 全っ然ダメ!」
「危ねぇー!」
思わずホッとさせられる台詞を口々に、永倉、原田らが陣営に帰ってきた。
次からは、うちも洋式の装備に整えてやる。
今に見てやがれ、と土方は心に決めた。
「いや、情けねぇ話なんだが、この重装備だろ? ドンドン大砲ぶちこみやがるから、塀をよじ登って避けようとしたんだけど重くて躰が上がんねぇの!」
小気味良いくらい明るい声で永倉が言う。
「そしたら島田がヒョイッと引き上げてくれたんだぜ!」
『しかも片手で!』
と、原田まで声を揃えた。
土方もその空元気に付き合う。
「鎧着けた大の男を持ち上げるたぁ、島田の怪力も半端無ぇな」
当の島田は照れ臭そうに笑っていた。
その後、炎に包まれる奉行所や民家を背に、新撰組は淀に退却。そして一月五日千両松にて、大敗北を喫する激戦を繰り広げた。
ここで、新撰組隊士の父的存在・源さんこと井上源三郎が、大砲で応戦中に銃弾を受け討死。甥が看取りその首だけでも持ち帰ろうとしたが、どうにも重くそれも叶わなかった。
稽古熱心な男で、沖田が
「源三郎おじさん、また稽古ですかぁ?」
とかウロウロしていると
「わかってるなら黙ってても来ればいいだろ」
と、よく窘めていたものだった。
最初に指差したのは原田。
「おい……なんだ? あれ」
新撰組……と言うより、幕府側の人間の命運を大きく貶めた切っ掛けの、その紋章がはためく。
「んー……菊……か?」
「奴等、旗ぁ変えたのか?」
永倉と原田、顔を見合せ豪快に笑う。
『ダッセェ~!』
土方はふと違和感に囚われた。
ちょっと待て……菊紋だと?
「……以前書物で、読んだことがある」
近くに居た諸藩の数人が、学者面を蒼白にしながらワナワナ震え出した。
「あれは……“錦の御旗”ではないか……!」
「何故だ! 何故我等が!」
「なっ何だよ“錦の御旗”って」
呆然と黄金の菊紋を見詰める者や地を叩かんばかりに悔しがる者達の中、新撰組隊士はその惨状から取り残され隣同士でヒソヒソ囁いている。
その間にも休み無く、砲声が彼らを追い立てた。
「あれは、天皇家の御旗だ! つまり、あちらが官軍……我等は……っ」
学の無い隊士達に教えようとする役人が涙に声を詰まらせるので、土方が後を引き継いだ。
「賊軍……というわけだ」
「はぁ? 意味わかんねぇ! 俺達が天子様の敵だってのかよ!」
どよめきに覆われる中、高浜砲台からの砲撃を受けた。朝廷より諭告書を送られ、津藩が裏切ったのだ。
その上、錦旗に揺さ振られた幕府軍は戦意を削がれ大坂に敗走。
しかしまだ大坂城に予備兵力と、開陽丸他絶大な威力を誇る軍艦が控えていた。逆転の機会は十分だと徳川慶喜公に陣頭指揮を懇願し、了承を得た。兵力の上に
総大将の直接指揮となれば、勝算は目に見えて明らかだった。
慶喜公出陣の知らせを聞いた夜、隊士は皆一様に喜んだ。
「しかし流石将軍だよな!」
「ああ! 長年の泰平で戦なんてずっと無かったってのに、俺達と一緒に戦ってくれるんだ!」
だが土方は、つい苦笑い気味になっていた。
つか今までが可笑しいだろ。城なんざに引き籠りやがって。
――……まぁ、そう言うなよ歳ぃ。
だってよ、かっちゃん……。
って! ヤベェ、しっかりしろ俺!
近藤の男気が恋しくなっているのを痛感しながら、朝が来た。
まさに、青天の霹靂だ。
徳川慶喜公が、側近会津藩主松平容保公と桑名藩主松平定敬他重臣を連れ、大坂城から海路、逃亡した。
土方としてはもう、怒る気すら抜けた。
その事実を知った、取り残された幕軍は無論総崩れとなり、多くの死者を出し敗北した。
「俺達が……っ誰の為に命を懸けてるか、わからねぇってのかよ!」
悲痛な慟哭がそこら中に響く。しかし土方は鼓舞を止めない。
「勘違いをするな。新撰組の主君は誰か。薩長の言いなりの天子様でも、二心の前将軍でも無ぇ。近藤勇局長、唯一人だ」
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