沖田氏縁者異聞

春羅

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第三章

第六話

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 土方が、来ない。

 池田屋での事件の後と同じように、月野は待っていた。辛いことがあったのだから来てくれると期待していたなんて、思い上がりもいいところだ、と戒めつつ。

「姐さぁん! 月野姐さぁん!」

 禿の甲高い声が廊下に響いたので、なけなしの“天神の貫禄”を意識して襖が開くのを待った。

「なんやの? そないに騒いで」

などと、十綾のようにゆったり叱る暇さえくれず、それでもチョコンと正座して、今年九つの禿は自分の小さい身体分だけの隙間から、パクパクと口を動かした。

「このお兄ちゃん、うっとこの周りウロウロしてはりましてん。姐さんに会いに来たんやって。おかあはんに言うたら、通してええって……」

 土方さま? と、声に出してしまいそうになった。

 そんなはずは無い。土方ならばこの置屋の誰もが、こんな小さな禿でさえ知っている。

 他の置屋でも、そうなのかもしれないのだから、とここまで考えて首を振るう。

 よかった、口に出さなくて。お客さま、気を悪くしてしまう。

「……ごめんなさい、来てしまいました」

 その客はおずおずと、襖の細い隙間から顔を出した。

「……総司さん……」

 思いも、よらなかった。月野の鼓動は、沖田に会う準備ができていない。

「なんやぁ、天神のお馴染みはんやったんですね」

 禿はペコンとお辞儀をしその客幅の隙間を開けると、中に案内するでもなく行ってしまった。

「……こういう所に個人的に来るのは初めてで……誰かを捜しているのか、訊かれて……あなたの名前しか、知らなかったから……」

 沖田は廊下に立ったままいつもより早口にここまで言うと、ちょっと笑って頭を掻いた。

「……バカだな、僕。正直に、あなたに会いたかったって言えばいいのに」

 勘違いをしちゃダメだ。総司さんは、“そんなつもり”で言ったのではない。

 部屋の中に促しながらも、浮わつく心を抑えた。

「初めてなんですか? お一人で遊郭にいらっしゃるのは」

 やっと座ったのに、まだソワソワと落ち着かない沖田に訊いてみた。

「は、はい……」

 キョロキョロと目線を動かす様子は、五つも年上の大人なのになんだか可愛らしく思った。

「総司さん……もしかして、女がお嫌いですか?」

 天神とは思えない明け透けさで尋ねると、黒い瞳の動きは止まり、ドキリとするくらいに見詰め合った。

「ずっと……苦手だったんです。……だから、女のひとをきれいだなって思うのは、あなたが初めてです」

 もう、顔を合わせられなかった。

 今日の総司さんは……なんだかおかしい。

 どこかでそう、落ち着かせながら。

「は、派手で……びっくり、しましたよね」

 俯いた視界は、綾錦でいっぱいだった。下を向くと、余計に顔が熱い。

「いいえ、初めてその姿を見たときも、天女さんみたいだなって思いました」

 今日の総司さんは……機嫌が、悪い……?

 確かに、いつもの沖田なら、こんな言葉をポンポン言ったりしない。

「なんて……そんな顔しないでください。あなたの気を、引きたいだけなのですから。冗談です」

 機嫌が悪い、の形容では片付けられない。

 どんなに辛かったのだろう……山南さまの介錯人だなんて……。

「総司さん、わたしを、怒らせようとしてますか?」

 本音を話してもらえないままただ微笑んで受け入れる遊女らしさは選べず、上げていた視線を一旦落とし、かなりキッと目を合わせた。

 長い、沈黙。

 今までそんな風に意識したことがなかったし、いつもニコニコとしているから気が付かなかったけれど……というあまりに月野を清らかに飾る前置きはやめて……、長州藩との戦中、暑気あたりでお留守番の床に押し掛けて会った時よりも、沖田は黙っているとすごく、怖いくらいに整った顔をしている。

 さらに精悍な、“武士の顔”になった。

 それに、元々痩せているのにまた少し、線が細くなった。

「……ふっ」

 吹き出した途端、沖田はカラカラと笑い始めた。

「イヤんなっちゃうなぁ……お見通しなんだもの……!」

 全然、お見通しなんかじゃありません。

 沖田は眼を細めたまま、途中までは本気だったんですよ……と、言葉を続けた。

「あなたに……甘えてしまっていました。……怒ってほしかったんです……僕を」

 甘えて、くれていたなんて……。

 でも、わたしがどうしてと思うのは、そんなに自分ばかりを責めてしまうあなたです。

「山南さんの事は……ご存じですよね? ……あなたと会った朝、あの人を追ったのは僕です。不甲斐ない……あの人を助けられなかったのは僕です」

 泣いてくれるのかと、思った。

 でも、甘えていたなんて言ってくれても沖田は、気を許していない人間の前で泣いたりしないだろうと、月野はその考えを振るう。その代わり横顔の眉の間に深く、後悔の皺が刻まれていた。

「総司さんを、怒ったりしません。あなたは悪くない。誰も……悪くないです」

 正座をした膝の、きちんとした折目の袴をギュッと絞った掌に収めた、冷たくなってしまうくらい力を込めた大きな手の甲に、指先から触れた。

 ビクンと、震える。

 イヤがられた。

 すぐに手を離そうとすると、咎めるように瞳で、その動きを止められた。

 だからそのまま、手を重ねていた。

 離さないでと言われたようで、不謹慎だけれど歯痒く嬉しく、胸の高鳴りが早くなるのを感じた。頑なな握り拳は解かれたのに、その手の温度は血の気が無いみたいに冷たいままだった。

「あのね。僕、あなたに甘えさせてもらうためだけに来たんじゃないんです」

 普段の調子に戻っていた。悪くない、なんて年相応に程度の低い慰めは届いていたのか、わからない。

「今日は、土方さんは来られないんです」

 土方を待っていたのを見抜かれていた心地がして、迂濶に目を逸らせなかった。

「先生……局長と、副長の土方さん、夫婦水入らずですから」

 月野の心にさえ気付いたかのように、にこっといつもの笑顔を見せた。

「……隊内で……一番、山南さんを好きだっのは、土方さんです」

 お見通しなのはあなたの方じゃないですかと、稀なくらいの優しさに心が温められても、もう一つに引き裂かれた“月野”は、土方を想った。

 また同じ。違う心で、ふたりの違うひとに会いたくなる。

「文武両道で誰からも慕われていた山南さんに、心の底で憧れていて。でも不器用で、照れ屋で表現できなくて、つい憎まれ口で。……土方さんは山南さんを嫌ってるとか、

 二人は仲が悪いとか、誤解されやすかったんですけどね」

 次の言葉に向かって、少しイタズラっぽく笑ってから続けた。

「“水の北 山の南や 春の月”……誰が詠んだか、知ってますか?」

 毎日のように読んでいるのだもの……知っています。でも、どうして総司さんが?

「豊玉さん……です」

 土方に会って間もない頃、勝手に覗いた句集。

 ――……

「お前、んな気に入ったんならやるよ、それ。俺には良さがわかんねぇし」

 ――……

 とても好きと言ったらくれた。土方さまのお知り合いが詠んだのかな、と月野は思っていた。

 沖田は一瞬、何故だか気を落としてしまったように見えたが、心底嬉しそうに言った。

「やっぱり! 知ってたんですね? ……土方さん、“春の月”が大好きなんです! “春の月と山の南”……嫌いな人を、大好きなものと一緒に詠むはずないですよね!」

 ……自然すぎた。でも驚かなかった理由はそれだけではない。

 句集を読む度に……どんどん知る度に、そして隠された優しさと素直さを見つける度に、きっと土方が詠んだのだと、どこかで気付いていた。

 沖田は、山南の死は土方が望んでの結果では決して無くて、むしろ人一倍悲しんで悔やんでいる……だから世間の噂なんて信じないでほしい、と伝えるために来たのだ。

 だからもう、帰ろうとしている。

 寂しく思うけれど、もしも買うと言われたとしても嬉しいとは思えなかったかもしれない。

 好きな気持ちは本当なのに。

 重ねていた手に触れられて、こんなにも、きつく胸が締め付けられるのに。

「今日は、困らせてごめんなさい。甘えついでに……最後に一つだけ……あなたに“女の人嫌い”と言われて思い出したことがあります」

 重ねた手をずっと冷たかった手の甲から退けて、そっと月野の膝に置いてから話した。

「……僕、十九の頃、あなたに逢っています」

 ――……

 僕はそのひとの顔を知らない。

 どんな風に笑うのかを知らない。

 そのひとの声を聞いたことがない。

 僕をどんな声で呼ぶのかを聞いたことがない。 

 母親という存在は、一番近くて、一番遠い。

 だからこんな風に熱に浮かされている夜、突然にその姿を知るなんて、思いもよらなかった。


 なんでこんなに苦しいんだっけ……?

 そうだ……試合中に倒れて、すごい熱で……あ、麻疹に罹ったんだった。

 稽古を怠るわけにはいかないのに、少しだって休む暇はないのに寝ていなくてはならなくて、ひとりにされて、それだけで悲しくなってくる、もう十九なのに子どもみたい。

  ぼんやりと暗い闇の底から、女の声が反響して繰り返される。

  透き通るみたいな優しい、名前を呼ぶ声がする。

  珍しいくらいだ。ちゃんと“宗次郎”と呼ばれるのは。

 最初は、姉・ミツかと思った。

  けれどなぜだか頻りに、謝っている。

  どうしてだろう?

  ――宗次郎、ごめんね……ごめんね……。

「……姉さん?」

 噎せ返るような香……荷葉の薫りに包まれる中で、こんなに真っ暗だから、きっと夢なんだ。

 十九の沖田はそう確信した。夢で会うなんて虚しいだけだし、ここで優しくされても現実に戻ってからが辛いだけだと、自らを諭しつつ。
 
 そう思ったけれど、あまりにも必死に、何度も聞こえてくるからつい応えてしまった。

  ――ごめんね……宗次郎……。

  でも、その声の調子は少しも変わらない。

 そして夢の中でまでも、沖田の躰は床に縛られて半身を起こすことしかできず、蒲団からは、出ることができない。

「あの、僕……」

  怒ってないよ。

  試衞館に入ることになったこと、剣の才能があったから、というわけじゃない。

 ただの口減らしだとわかっていたが、内弟子に出されなければ、今でも師と慕う近藤に稽古を付けてもらうこともできなかった。

  誰かに認めてもらえるのは、初めてだった。

  だから全然、怒ってなんていない。

  ――宗次郎……ひとりにして、ごめんね……。

  ひとりじゃないよ。

  先生は僕を見てくれるし、道場のみんなも……だから姉さんと一緒にいられなくても……。

  ――丈夫に産んであげられなくて、ごめんね……。

  ……誰?

  それは、母親という存在……産んでくれたひと。

「……朔さん、ですか?」

  そのひとの名前は、父から聞いて知っていた。

  明かりが灯るように、女の姿が見えた。

  頼りない小さな少女みたいに儚げで、きれいなひと。

  ――触れても、いい?

 ちゃんと口が動くのに、声は頭のなかに響く。

  言葉を返せずにいたから、厭がっているように見えるのだろう。

  怖がるみたいにゆっくりと、白い腕が伸びてきた。

  頬に伝わる感触は温かかった。

 不思議……生きているみたい。

 でも抱きしめられても全然重みがなくて、まるでふわりとした羽根だ。

 荷葉に包まれる。この女の香りだったのだ。

「どうして、僕を産んだの?」

 抱かれるのも初めてだった。

 ひとときも触れる間もなく、逝ってしまった母。

 なのに懐かしさが込み上げて、それが我慢できなくてわざとこんなことを訊いた。

 もしかしたら、このひとは哀しむ。

 でも僕を産んだせいで、あなたは……。

 父さんだって姉さんだって、なんの役にも立たない僕ひとり生まれてくるよりも、あなたが生きていてくれた方がよかったに決まってる。

 僕のせいで……家族みんなが、バラバラになった。

 ――あなたを、宗次郎を愛しているから。

 僕は、あなたが嫌いだよ。

 ――……

 驚くと、すぐに付け加えた。

「あっ、夢の中でですよ! ……麻疹にかかって、高熱で魘されていた時に、僕の夢に現れた女の人……その後すぐに治ったんです! ……助けてくれた人……月野さんに、そっくりだったんです」

 沖田は、夢の女の正体を忘れていた。

 目覚めた瞬間に忘れる夢。思い出すのは、まだ先の話だ。

 この日“最後に一つだけ”と言った沖田は、もう会うのさえ最後のつもりだったのかもしれないと、後になって思う。

 外まで送りたかった月野を止めて部屋から出ると、我慢していた小さな咳に肩を揺らしながら廊下をしばらく進み、遠くで振り返った。

 それでも月野が見送っているのが少し意外そうに目を丸くすると、笑顔でひらひら、手を振った。


 新撰組第二の屯所・西本願寺に着くと真っ先に、沖田が感嘆の声を上げた。

「うわぁ! すっごい広いですね!」

 山南切腹の介錯をしてから未だに続く空元気は痛々しく、元々食が細い方だが、最近めっきり痩せた。

 一方新撰組は“軍中法度”と名付けられた戒律により更に厳しく組織付けられ、江戸での募集により隊士は増え、いよいよこれから始まる真の戦の日々を知り、待っているようだった。

 その後、誰にとっても信じ難い事件が起きる。

 文久三年八月十八日の政変以来、犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩が、土佐脱藩浪人坂本龍馬の仲介で同盟を結んだ。

 それにより長州征伐に乗り出していた幕府は薩摩藩の出兵を得られず、勝って当然の一小国に完敗。

 その最中、将軍家茂公は失意のまま無念の病死。

 続いて、大の親幕派であった孝明天皇が逝去。

 完全に力を失いつつある幕府は、神君家康公以来の賢君と謳われた徳川最後の将軍・慶喜公に託された。


 伊東脱隊の意思を掴んだことを一番に報告を受けたのは土方。

 待っていた、と言っても過言ではない。

「遂に動いたか」

 斎藤の黒く底光りする眼が薄暗い部屋で浮き上がる。敵には決して回したくない男だ。

「止めますか」

「まさかだろ? 好きにさせる。……だが悲惨なことに、新撰組の規律は絶対だ」

 この日を予測して作ったわけではないものの“局を脱するを許さず”の法度が今こそ生きる。

 しかし土方でさえ“まさか”と疑う人物も伊東と共に新撰組を去る。

 試衛館以来の古参、八番隊隊長・藤堂平助だ。特に親しい永倉、原田にこう語った。

「山南さんが亡くなってから……新撰組が、わからなくなったんだ。近藤さんが……土方さんが、そして二人がどう動いてもひたすら信じられる総司くんがわからない。こんな俺は……もう新撰組には不要だよ。必要とされているところに、俺は行く」

 伊東の名目は、先日に崩御した孝明天皇の御陵を護衛する、ということ。加えて、脱隊では無く、新撰組の更なる発展の為の分隊だ、との“ご高説”に騙されたふりをした……いや、本当にそう信じたかったとも窺われる近藤は、その申し出を快諾した。

 屯所を出る日、伊東は久し振りに、沖田に話し掛けていた。土方は誰から見ても分かる程に、不愉快満面で顔を顰めた。

「病気なのだから、無理をなさらないで下さいね? 局長にあまりご心配をお掛けしてはいけませんよ」

 聞こえよがしかと疑うぐらい、別に聞き耳を立てなくとも丸聞こえだ。

 勿論、土方にも。

 沖田はそのどういうつもりかわからない呼び掛けにはウンともスンとも答えず、ヘラリと笑いながら言った。

「伊東さんこそ。“いろいろと”気を付けてくださいね?」

 誰にも言わずにおいて、いざ出発と言う時に“では”と伊東に連いて行く斎藤を、土方以外は焦って止めた。

「斉藤! 嘘だろ? 何でお前まで……」

 皆が口々に問い詰める中、沖田はつと寄って来て耳打ちして去っていった。

「……お土産は、みたらし団子がいいです」

 敵方を欺くには先ず味方から……そう言っていたのは土方で、斎藤が密偵として伊東達に加わることを知っているのは土方だけだ。

 それを見抜いた。

 以前から勘がいいが最近は更に研ぎ澄まされ、目を合わせるのも憚られるくらいだ。

 沖田本人は全く口に出さないが、肺を病んでいるようだと、同じく勘がいい方の斎藤は気付いていた。

 一人になるとよく呼吸するのも危ないのではという咳をしていて、理由も言わず部屋にいることが多いが恐らくやすんでいるのだろう、と。

 誰もが同情ではなく本気の心配をして声を掛けるが、案の定

「大丈夫です」

と一言。

 そしてこの日から伊東と、伊東と一緒に入隊してきた者達は、いよいよ反幕府派として動き出す。

 時代も、新撰組の望まぬ方向に、動き出した。

 慶応三年六月、新撰組は正式に幕臣となる。

 局長・近藤は見廻組与頭、副長・土方は見廻組肝煎、副長助勤は見廻組、監察は見廻組並、平隊士は見廻組御雇の格式が付いた。

 “久し振りに”とは傍目からだった。伊東は先日、沖田と話していたのだ。その部屋を訪れるやぼんやりと、少年のような眼差しを持つ男を眺めた。

 本当に、変わった子だな……まるで、昔の私を見ているようだ。

 子どもの頃は身体が弱くて、いつも寝てばかりいた。稽古に出かける弟を、羨ましく見送りながら。だから昼日中山積みの本ばかり読んでいて、それが今の伊東を形作った。弟が尊敬してくれていると伝わってくることが、周りの大人……両親や教師に慰められるよりも余程、救いだった。

「なんです? どうして笑ってるんですか?」

 言葉の割に口元を綻ばせる。癖というか、顔の筋に染み付いているものらしい。

「気持ちワル。お見舞いなら、さっさと入ってください。寒いんですけど」

 君というひとは、同じ癖を貼り付けて人間を斬っていたね。主君から命じられるままに。

「ご挨拶だね。最期かもしれないというのに」

 込み上げる愛想を鼻から抜いての言葉だから、やはり機嫌は直る筈もない。

「へぇ……あなたの? “裏切り者”の伊東甲子太郎さん」

 強気の姿勢は崩れないものの僅かに咳き込むのを見て、裏切り者と名指しされた伊東は畳を踏みしめながら明かりを閉ざした。

「随分と嫌われたものだ。“局長のかわいい愛弟子”の沖田総司くんはオヤスミかな?」

 明日、新撰組を出る。いや、平和的な分隊だ。

 別れの挨拶に来たのだ。

 元気な頃は誰もが訪れやすい、縁側沿いの風通しのいい部屋だったのが、それよりも防寒の方が優先された奥まった部屋へ。

「……あなたこそ変わってる」

 あなたこそ? ……私は口に出していたのか。

 常に冗談めいた表情だから、一寸も動かさないまま沖田は言う。

 これはひょっとすると、相手に気持ちを読ませない為の手段なのかもしれないな。とんだ兵法を使うね。

「先生は、ヒトタラシでしょう? 落とされないひとがいたなんて。信じられないな」

 近藤さんが、人誑し……確かに、魅力的なひとだ。

 確かに、一度はあの人柄に惹かれ上洛し、部下に甘んじた。

 けれど近藤と伊東では、違い過ぎる。任じられた役割通り、根からの参謀気質である伊東とでは。限りなく同類に近い副長土方の考えや行動は理解できても。

 愚直だと言いたくなるくらいに真っ直ぐな近藤を、いつしか利用することを考えた。

 いいや、あのひとは幕府と心中する気だ。真っ当な知識を持った人間がついて行けるか? 何の疑問も持たない方がどうかしている。純粋過ぎる近藤も、わかっている癖に止めない土方も、気違いだ。

 取り分けこの青年は、ついていくその理由すら持たないのだ。先生が行くところならば、か? 嘲笑も起きない。

 似ているなどと、どうして思ったのか。病身を前にしての同情か? 私とは、正反対ではないか。

「近藤さんは好きだよ。私など、羨ましくなる程の人望を得ている」

「だから仕返しするの?」

 声を荒げているつもりかもしれないが、それは弱く、悲しげに聞こえた。

「新撰組を壊したのはあなただ。先生はきっとあなたを許すけど、僕は……」

 とんだ言い掛かりだ。山南敬介が実権を失っていったのも、藤堂平助の心が折れていったのも、坂本龍馬暗殺の濡れ衣も、決して私の謀ったことなどではない。そう、決してね。

 言い訳は胸中に留めておこう。どうしたって白々しい。

 この、私とは背中合わせの、欲を知らない青年の前では。

「僕は役立たずだけれど……もし最後のひとりになったら、這ってでも先生のもとに行く。あなたの好きにはさせないから」

 ああ、弟さえ、こうは言ってくれないだろう。

「そうはいかないよ」

 君では力不足だと感じさせてしまったのか、意外に鋭い瞳を燃やす。

「土方くんがいるだろう? 近藤さんは、生涯ひとりになんてならないよ」

 誰が欠けても。

 そんな仲間がいるのだから、少しくらい私にくれたっていいと思うんだ。

 少しくらいはね。

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