沖田氏縁者異聞

春羅

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第三章

第二話

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 昼間からの小雨に濡れた、東大路通り四条・祇園会所。

 それぞれ平服から着替えて鎖帷子を着込む。あのだんだら羽織を着ている隊士は最近ではほとんどいない状態で、隊務の性質に合わせてか黒を好んで選ぶ者が多かった。

 この派手な衣装を気に入っているのか、部屋の真ん中で堂々とフザケている沖田はだいたい着ていた。

 大抵の隊士の羽織は血が落ちなくて汚いが、沖田の浅葱色は何故か返り血を浴びないように、いつまでも綺麗なままだ。

「なぁ平助ぇ、今日はヤケに少なくないかぁ?」

 バラバラに集まりつつある隊士達を見回しながら、原田が小突く。

「この暑さにみんな参っているんだよ。怪我や病気で寝込んだり直前に脱走しちゃった奴も居るしで、今日は四十人くらいしか出られないんだって」

 その数は、全隊士数の半分にも追いつかない。

 脱走した者は別として、藤堂は来られない皆の分まで立ち回ろうと思っていた。しかし山南の言葉を考えると、胸は音を上げて軋む。

「平助……。この国は矛盾だらけだ。私は到底、このままやっていける気がしない」

 病で弱気になっている、という単純さでは解決出来ない深い悩みを、確かに山南は抱えていた。

 数日前の藤堂には、聞く事ぐらいしか出来なかった。

 まるで学者の書斎かのように多くの書物に囲まれた、けれど整然とした部屋で、この内心の吐露は北辰一刀流で古くからの同門の自分だけにされたものだろうと、稀な程の誠実さを改めて感心した。

 さらに心底苦痛の表情で、でもしっかりとした声音で語った。

「私達が斬っている者達の思想を、平助も知っているだろう? ……同じ尊王の志なのだよ。それが幕府側かそうで無いかによって……本当にそれぐらいの理由で歪み合っているのだ。……私は、我々が“過激浪士”と呼び追っている者達を完全には否定できない。……私は……」

「山南さんっ!」

 新撰組の存在意義を根底から覆す言葉。

 誰が耳をそばだてている訳でも無いのに、藤堂は正義顔でその続きを遮った。

 ただ……自分が聞きたくなかったのだ。

「……ッもう待てねェっ!」

 苛立つ永倉の怒声で、現実へと引き戻される。

 待てないとは、斎藤が要請してから一向に現れない会津藩等の兵のことだ。

 もう夏の日はとうに暮れ、既に夜五ツつまり午後八時。有るかもわからない“来る気”が起きる頃には、京は焼かれてしまう。

 居ても立ってもいられない、ピリとした雰囲気の筆頭は冷静に見えても人一倍短気な土方だ。近藤は如何にも苦々しく腕組みをして、目を閉じ口端をキュッと固く結んで微動だにしない。

 藤堂も“魁先生”の少し自慢な異名の血が騒ぐのか、まだかまだかと焦れた顔。

 やっぱり俺は、山南さんとは違う“こちら側”の人間だ。

 この時はまだ、そう思っていた。

「土方、出動だ。……もう待てない」

 多くを語らず、役立たずの援兵に文句一つ言わない近藤が放つ低音の決意を、誰もが聞き逃さない。会所内は、歓びと景気にどよめいた。

 呼ばれた土方は、一瞬“その言葉を待っていた”という会心の笑みに輝いて、すぐに“副長”の冷静な実戦指揮官の顔に戻った。

「しかし、これだけの人数です。潜伏先さえわからない状態で……」

 そう、何度数えても、ここに居るのはわずか四十人ばかり。浪士達の謀略の壮大さからしても、今夜相手にするのは五十人は固い。

 丹虎か、池田屋。どちらも確証は無い。

 このどちらかでさえも絶対とは言えないのだから、全ての旅籠を虱潰しに見て廻る
しかないのだ。

「隊を二つに分ける。土方副長率いる約三十五人は、丹虎のある鴨川の東側を行け。残りは私と池田屋方面、西側だ」

「んな危ねぇことさせられるか!」

 京に来てから……新撰組が出来てからずっと、親友の二人が“局長と副長”の上下関係を確立していた……それは土方の匠の技だったのだろうが、ついがなり立ててしまう程、積み上げた計算を忘れた。

 久し振りの光景を見ようとした江戸以来の者達がゾッとして眼を逸らす様は、必死に眼を血走らせ、米噛みでは青筋が浮き出て痙攣している。

「……大丈夫だ。こちらは選り抜きの精鋭を貰う。総司、永倉さん、平助、そして、周平……お前も来い」

 この非情なまでの実戦主義組織の中でさらに“精鋭”と名指しされて、残念ながら才能があるとは言えない近藤の養子・周平以外は、心底の誇りを露わに返事をした。

「しかし局長……!」

「土方さぁん、平気ですよぉ。先生は僕が守りますからぁ」

 沖田が憎たらしいまでの飛び切りの笑顔で言い放ち、精鋭部隊は颯爽と出陣した。誰もが言う通りだと信じていたし、冷静を取り戻してみればやはりこの戦法しかなかったのだ。

「何で俺がそっちじゃねぇんだよぉ」

 ブツクサ文句を言う原田に、近藤は笑った。

「“全員”来てしまったら、誰が副長を守るんだ?」

 機嫌を良くした原田は、永倉に賭けを持ちかける。

「どっちが“アタリ”だろうなぁ?」

「そりゃあ、丹虎じゃねぇか?」

 柄の悪そうな顔で目を見合わせている二人に、沖田が

「いえいえ、こっちでしょう」

と加わった。

『なんで?』

 合わさった声に少し吹き出して、悪戯そうに言う。

「僕がいるからですよ」


 走り続けた疲労にこの暑さと焦りが重なり、永倉は引き続き、藤堂でさえ苛ついている。

「ここも違うのか!」

「もう、埒があかないよ」

 沖田は明るく見守る月を見上げてから、

「まぁまぁ、準備運動ですよ」 

と腕を振り回した。

「次は池田屋か。周平、まだヘバるのは早いぞ」

「はっはい父上!」

 いいんじゃないですか? 斬り合いの後ろで休んでいれば。

 沖田の中の暗黒が、もうヘトヘトに息を切らせる周平を嘲笑った。

 池田屋。その場所に足を踏み入れると、明らかに……誰もが分かる程に雰囲気が違う。

「ゲッ……“アタリ”かよ……」

 永倉の独り言も当たり前だ。

 新撰組は人数で圧倒的不利。しかも、こちらは絶対に奪われてはいけない王将である局長・近藤がいる。京の町を守るのがこの任務の大前提だ。そして新撰組にとって、この大舞台の成功は目に見えた飛躍。

 でも先生に何か有っては元も子も無い。負けは許されない。“負け”とは、僕には“死”だけれど。

 意を固める沖田は、刀の柄に手を添える。

「お二階の皆さまぁ! 旅客改めでございますぅ!」

 ギョッとした池田屋の主・惣兵衛の階段に向けて発した怯え声は、近藤の拳で途切れた。殴り飛ばされ転がった音が響き、不審に思った一人の浪人が襖を開けて階段を下りかける。

「しっ……新撰組!」

 間髪入れず近藤は一気に駆け上がり、如何にも荒々しい居合い斬りを放った。

「総司! 二階うえだ!」

「はい!」

 ゴロゴロと転がり落ちてくる屍を何とか避け、勢い良く離れていく背中に必死に追いついた。

 同時に、二階は近藤と沖田が斬り込み、一階は永倉と藤堂で逃げてくる浪士を迎え討つ、という割り当てが決まった。周平はというと、玄関先で鯉口も切らずに震えていた。

「御用改めである! 抵抗致せば、容赦無く斬り捨てる!」

 既に襖を解放した近藤の大音声だいおんじょうが響き、京都新撰組の最も熱い夜が始まる。


 中で主を問い質してきた原田が吐き捨てると、隊士達は一斉に土方を仰いだ。

「丹虎……じゃ、無ぇ……!」

 このまま東側を探索するか。西側の加勢に行くか。もしも西側ならば恐らく、池田屋。今頃は援軍の到着を待っているだろう。いや、近藤さんのことだ。あの人数でも斬り込んでいるかもしれない。

「土方副長!」

 駆け付けた山崎の様子で誰もが確信した。そして同時に踵を反し、一目散に疾走する。

 見上げると輝く月が照らしているのだが、気付く余裕などある筈が無かった。


 しまった……!

 沖田は撃剣を潜り抜けながら青くなった。

 この圧倒的な人数差に無我夢中で斬り進んでいる内、いつの間にか一階に降りてしまっていた。怒られそうだが、彼にとって、帝のご動座より幕府の命運よりも、遙かに近藤の無事の方が重要なのにも関わらず。

 二階へ戻ろうとする沖田の前を、バラバラと浪士が遮り取り囲む。

「クソッ! 幕府の狗が!」

 沖田は自分でも驚くくらい、機嫌が悪い。そういう時は。

 かわいそうだけど、手加減はできないよ。

「厭だなぁ。“イヌ”だなんて」

 スラリと音を立てて、愛刀非人清光を抜く。

「せめて“狼”とか言ってくれないと」

 ありったけの殺気を解放した。人が見れば疾風だとでも言われそうに志士の間をすり抜けると、叫び声を上げる息も無く三人が倒れる。

「お、鬼……!」

――ヒュー……

「鬼”はヒドいなぁ」

 ……煩いんだよ。

 その声も、僕は元気なのに息を吸う度に風のような悲鳴を上げる肺臓も、すごく疎ましいんだ。

――けほっげほ……ッ!

 夏風邪ってホント、拗らせると治らないものだなぁ。

 仕事の合間に決まって込み上げる軽い咳にウンザリしていた沖田は、こんな乱闘の中で名乗ってくる威勢のいい声に気怠く振り向いた。

「――!」

 名前はよく覚えていない。斬り込んでくる相手に、こんなにもビックリしたのは初めてだった。顔は……顔がまるで双子のように沖田そっくりだ。向こうはそれこそビックリするくらい必死で、気付いていないようだったが。

 ああ、ビックリした……腕は全然似てないや。

「新撰組一番隊隊長・沖田総司」

 袈裟掛けに血の流れる自分の顔をした骸を見下ろして名乗り返すと、また次の相手を求めるように走った。


 そんな、昔話の弱者みたいな叫び声は止めてくださいよ。

「わぁああぁあ……ッ!」

 周平が、刀をワナワナ震わせながら壁際に追い詰められている。

 僕は意地悪だ。この子に返り血さえ満足に浴びせないよう、突きで危機を救うのだから。

 さっき沖田を“鬼”と呼んだ浪士と同じ眼で、周平は見上る。籠手が付いたままの手の甲で、その頬を打った。

「しっかりしろ!」

 力が抜け切りヘナヘナとへたり込みながら、周平は呟く。

「怖……く、ないのですか……? ……剣をとること……人を、斬ること……」

「怖いですよ。でもそれ以上に、恐怖で剣を持つこの手が震えることの方が……そのせいで、先生が……守りたい人が傷付くことの方が余程怖いです」

 立ち上がるよう促し、沖田はやっと二階へ駆け上がった。

「新撰組局長の首、もろうたぁー!」

 自分の足の速さにこの時ほど感謝したことはない。

「厭だなぁ……寝言は寝てから言うって、常識でしょう?」

 二階に着くと得意気な長州弁が耳を突いて、駆け付け一蹴り襖を蹴破った。中では二人の男に囲まれた近藤が、一太刀目を鍔先で受け止めていた時だった。

「なんじゃ小童! 貴様からあの世に送っちゃる!」

 近藤の後ろを挟んでいた男が沖田を睨み据え、大上段で斬り掛かる。

 全ては狙い通りだった。

「いけんッ! そいつは“沖田総司”じゃ!」

 近藤を後ろから襲ったもう一人の男が、地獄の淵へと自ら向かう仲間を止める声を全て聞く頃には沖田は胴を抜いていた。そして勿論この隙に、叫んだ男も近藤によって息を絶たれている。

「総司、助かった!」

 笑顔で言う近藤を見つめ心からの笑顔で応えたときは、この瞬間が沖田の人生で大きな意味を成すとは思いも因らなかった。


 白牡丹 月夜月夜に 染てほし

 きれいな句……。

 十分に日が暮れきっても蒸し暑い今夜、月野は天神の癖に独り窓に凭れて句集を開いていた。ある男と恋人扱いされて、大宴会の宴席以外、つまり個人的に来る客に呼ばれることは滅多に無かった。

 その原因からもらったこの句集。月野は暇な時……その男が来る夜以外はよく、ぼんやりと句集を見つめていた。

「新撰組が池田屋で斬り合いしてはるって!」

「なんや仰山浪士はんがおって、新撰組はたった五人で戦っとるんにゃて!」

 開かれた廊下から耳に飛び込んだ言葉にふと、面影が心に浮かんだ気がしたが、誰なのかわからなかった。

「月野! 真っ青やで!」

 先輩芸妓が座り込み、背中を支えてくれた。落ちたままの視線に映る畳の目が不気味に揺らめく。

「まさか、行くなんて言わへんよね?」

 月野は無言のまま“行かない”と首を振った。

 本当に、行きたくなかった。

 少し前なら、迷わず駆けだしていただろう。助けられるなんて欠片も思っていないのに、ただ心配だという情熱で飛び出していただろう。

 もう戻れない……あの頃、新撰組の屯所に走ったわたしには。戻れない、何も知らないわたしには。

 わたしは……また、総司さんに遭うのが、怖い。


 どれくらい斬っただろう。

 周りには、人間の姿を留(とど)めない屍の固まりが数体。

 沖田の膝は不意に折れ、躰の重ささえ支えきれずに左手を付き、刀を床に突き刺した。頭の中をぐるぐる掻き回された心地に、気持ちが悪い。

――……ゲホッ!

 堰を切ったように大きな音を上げると、それから立て続けに込み上げる怒濤に動けないまま咳をした。

 ……止まらない……!

 その時、自分の躰への不安とは別のゾクリとするような悪寒を感じ、顔だけを傾けた。視界の中に夜叉の影。朦朧とした沖田は、それが人間の姿には見えなかった。

「余裕じゃのう。こげんな所で休憩しちょる」

 膝に手を付き、刀で躰を支えながら何とか立ち上がった。言葉を返す気力は無い。

「わりゃあ、労咳か?」

 労咳……不治の肺病だ。

「すぐ楽にしちゃるけぇのう」

 ふと冷笑うその男は、病人を見くびった上段の構え。沖田は本気の時のお決まりで刃を寝かせ、水平に構える。一瞬、男はここまで動けることとその殺気に眼を見開くが、まさか負けるとは予想もしない。一気に斬りかかってきた。

 いや、違う。沖田にはまるでゆっくりとした動作に視えた。

 一撃にしか見えないと言われる三段突きを全て躯に受け、男は倒れた。途端、気の抜けた沖田を自身の衝動が襲う。

 苦しくて、息ができない。

――ゲホッけほっ……がは……ッ

――ぱたたッ……

 再び膝を付いた床には点々と赤。

 そのまま咳き込んだ。血を、喀きながら。

 真っ暗だ。その渦中にぼんやりと浮かぶものを、女の姿と錯覚した。


 土方はつい、隊士達の前だというのに懐かしい徒名で呼んだ。

「かっちゃん! 悪ぃ遅くなった!」

「おぉう、歳ィ! 粗方片付いてるぞ」

「当然だな」

 血深泥塗れでのその言葉に甘え、つい軽口を叩く。その所為か、辺りを見てハッとした。

――……

 遅いですよう! 土方さんっ!

――……

 そう迎えるであろう者がいない。

「……ッのバカ!」

 こんな時にまで、舌打ちをする癖が出る。

「副長!」

 周囲からは“血相を変えている”ように見えるだろう駆け出した後ろ姿を呼び止められ、振り返らずに命じた。

「斎藤! 何人たりともこん中に入れんな!」

 心は不安に支配され千切れそうなのに、くっついている頭は“新撰組の手柄”を横取りされるのを断固阻止しようとしていた。


「総司ィ!」

 歯切れよく襖の音を起てながら探した。

 斬られてでもいるんじゃねぇだろうな……。

 死体の山を掻き分け、ドスドスと走り回った。

「……総ッ司……!」

 ……嘘だろう……?

 その周りに数体の屍を作りながら、沖田は横たわっていた。

「ッおい! しっかりしろ!」

 背筋を冷たい汗が伝う。震える程の恐怖で、ぐったりとした躯を抱き起こした。苦し気にだが胸を上下させ、息はしているのに幾分安堵した次の瞬間、耳を疑う。

 ……やめてくれ……!

 息をする度に肺からの音が漏れる。

 また、この病なのか?

 幼い記憶が過ぎる。

 怪我は無いのかと腕の中の躯を見渡しても、返り血ばかりが付いて傷一つ無い。沖田なら、この人数差でも当然なくらいだ。だが、この胸に付いた血は……これは傷口から出てくるような血の色ではない。

 眼の覚めるような鮮血。肺から喉へ上ってくる、眩しいまでの鮮やかな紅。

 また俺は……大事な人間をこの病で……。

「ひじ、かたさん……? ……あー、土方さんだぁ……」

「……やっと起きやがったか。こんなとこで寝る奴があるかよ」

 どす暗い考えを払うかのように重たく瞼を開けた所で額を小突くと、相変わらずの薄い照れ笑いをしながら素直に謝る沖田に問うてしまいたい。

 血を吐いたのか?

 だがどうせ答えない。

 ――……

 ええ? まっさかぁ! これぜーんぶ返り血です!

 ――……

 イヤに回転の早い頭で、笑いながらはぐらかすに決まっている。

「なんだか……暑気あたりみたいです……」

 訊きもしないのにもう勝手に言い訳をする。軽く咳が出るのも、

「風邪をひいてましたし」

と誤魔化そうとする。

 やめてくれ。

 新撰組は斬り過ぎたのか? その罰か? ならコイツじゃないだろう。

 全部、俺に寄越してくれ。

「……ッひゃあっ!」

 嫌味な程高い背の割に、軽い躯を抱き上げた。

「や……ぅわあ! ……はっ恥ずかし……ッ降ろしてください!」

「……うるっせえ! 叩き落とすぞ!」

 この男ならマジでするとでも思ったのか、この一声でポカポカと背中に拳を当てるのも止み、沖田は大人しく……寧ろ引っ付いて池田屋を出た。

「平助っ! おまっ大丈夫かよ!」

 外では、藤堂が額から夥しい血を流して戸板の上に倒れている横で原田が血相を変えていた。

「……左之さ……いいから、早く奴らを……」

「心配しねぇで寝てろ。もう仕舞だ」

 土方が声を掛けると、今の姿を他人に見られては困る沖田が、ギロリと上目で睨んだ。笑われると思っているのか顔を背け、自分を抱く男の肩に付けて隠れたつもりだ。

「そ……っ総司?」

 無論バレている。

 沖田は一声も口をきかず、不貞腐れて横になった。


 中には元気有り余る土方隊が踏み込み、新撰組の勝利は漸く明確になった。その為、片っ端から斬るので精一杯だったのを、刀を打ち落とし、生捕りに切り替えた。

 しかし先に斬り込んだ五人の有様は酷かった。沖田は途中昏倒し、刀は既にぼうしが折れていた。刃先がささらの様になるまで働いた藤堂は、油断したのか剰りの暑さで鉢金を外し、その隙に額をパックリ割られ戸板の上だ。その藤堂が止めを刺されるのを横合いから救った永倉も親指の付け根を斬られ、やっと繋がっている状態だった。近藤によれば、倅の周平の槍も折られたらしい。近藤は流石、血塗れに返り血を浴びながらピンピンしていて、刀も刃毀れ程度だった。

「虎徹だからなぁ!」

と、後日得意気に笑っていた。

 ……まぁ、近藤が遣うならナマクラでも“虎徹”である。新撰組にとって、どうせ刀の役目は人斬り包丁だ。

「我々が来たからには安心召されよ! 新撰組諸君!」

 ……やっとお出ましかよ。

 あらゆる意味で待ってましたと、土方は今頃現れた会津・桑名藩士らの進路に立ち塞がった。

「お忙しいところ、ご苦労様です」

「……お、土方殿……」

 皮肉に聞こえんのは身に覚えがあるからだろ?

 戦国時代張りの重装備で引き吊る藩兵を、見下ろす。

 別に蔑んでねぇよ……あんたらが小っちぇから悪ぃんだ。

「中は既にほぼ片付き、生け捕った者の人数を数えている状態です。今更その大隊を入れるのはご勘弁いただきたい」

 鈍くなった頭でもカチンときたのか、顔色が赤に青に酷かった。

「土方、口を慎め」

「ひぃぃ!」

 宥めに来たつもりの近藤だが逆効果、その血潮凄まじい形相で坊ちゃま育ちは凍る。そのままズイと近寄り、にこやかに言った。

「いや、お疲れ様です! ああ……こんな処に居られては立派な御衣装が汚れまする。界隈の残党狩りをお願い致します」

 ……つかよっぽど嫌味じゃねぇか。

 声に出さずにツッコむが、藩兵は近藤の形相にビビり足早に出かけて行った。

 成果は……討ち取り七人、手傷四人、召し捕り二十三人。報奨金は、局長に金三十両と刀一振りに酒、副長に二十三両、先発隊ら六名に二十両……の他に、朝廷からも百両が下賜された。

 そして、新撰組の幕府直参取り立ての打診。これは近藤があっさり断った。幕臣としての束縛なんて、性に合う者が殆ど居ない。

 まだ早い、もっと暴れてからで十分だと、真面目な顔で嘯く近藤に、土方も肯いた。

 多大な評価を得た夜だったが、その代償は大き過ぎるものだった。


 ひと舞台終えて屯所に“朝帰り”をしていると、戸板で運ばれていた沖田が半身を起こした。

「降ります」

「いけません隊長!」

 その動作だけで紙のように白くなった顔を苦痛に歪める沖田を隊士が止めるが、さらに土方がそれを制した。

「いい。好きにさせろ」

 この童顔の抜けない大きな子どもの中の、身に剰る程の誇り高さを土方は昔から知っている。通りには凱旋を野次馬する黒山の人だかり。この前を負傷したかのように寝転がって運ばれるなど、その誇りが許す筈が無い。

 ふらりと地に足を着けるや背筋を伸ばし、土方の後ろ、一番隊隊長の位置に付いた。

 凄まじい精神力だ。

 常識では考えられない。これが喀血発作に襲われたばかりの人間だとは、誰が見ても信じられないだろう。

 悲しく痛々しい姿に堪らず土方が眼を反らすと、人山の中に月野を見つけた。

 早朝だが、髪をきちんと結い上げて小さく模様の付いた着物を着ている。その柄が何なのかわからないくらいの距離だが、どこか心配そうに掌を胸に当て、心なしか眉根を寄せている。


 二人の姿が見える。

 二人とも無事に帰ってきた。

 周囲はヒソヒソと批判する声と、賞賛の大歓声。

 今すぐ、その名を呼びたい。

 できるなら、近くに行きたい。

 わたしは最低だ。

 それが、どちらへの想いなのかわからないなんて。 


 土方は少し振り返り、目線だけでその方向を示した。

「総司、あそこ……月野がいる」

 沖田にはそちらを見る勇気は無い。

「……手でも振ってあげなければ、ご機嫌を損ねますよ?」

 俯きながら、精一杯の台詞だった。

「バッカ! いいんだよ! どうせ夜会うんだから」

 耳朶を微かに赤くして、前に向き直った。

 こんな仕草をするなんて……本当に、本当に好きなんだ。

 それなら僕の想いなんか蓋をして、錠を掛けて捨ててしまおう。

 泥沼に嵌まる方が楽だとしても、それは僕だけだ。

 誰も、幸せになれない。

 それくらいは、僕にだってわかるから。
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