駄馬

春羅

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駄馬

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 無茶を言う。
 敗北は明白だ。誰だって、命は惜しい。
「待て! 勝手に逃げるな!」
 絶え間ない砲弾の音。これは敵軍の発する轟音だ。
「戻れ! 戦え!」
 この手を振り回しても、埒が明かない。
 空回りする腕は、濁流に乗る時代と、頂に崇めていた筈の幕府、この世に生れた時から雲の上に仰いだ将軍にさえ見放された俺達そのままだ。
 でもこいつらの逆走する先には、あの人がいて。
 俺がするより何倍も簡単に引き止めて、またこの最前線に送り込んでくれる。
 そう確信していた。
 明治二年、蝦夷箱館。不毛な戦いだった。
 兵の数も武器の質も段違いなのに加えて、あちらには時代の勢いがある。
 何せ“官軍様”だ。対する俺達は憎き賊軍ってことになる。
 でも俺達がいつ、天子様に弓引いたよ。かつて王城の都を火の海にしようとしたのはあっちで、俺達はそれを食い止めたんだ。
「右仲! 副長が……土方さんが撃たれた!」
「……馬鹿野郎! そんなわけあるか! あの人に薩長の鈍い弾が当たって堪るか!」
 じゃあ、この目に充満してくるのは何だ。漲っていた力が抜けていくのは何故だ。
 目の前には、黒山の敵兵が押し寄せる。
 幕末という時代が終わったのは、確かにこの時だった。
 太平を貪って堕落した、名ばかりの武士が甘い汁を啜った江戸時代。
 誠の武士がいるとすれば間違いなくあの人はその一人で、最後の武士だった。
「行くぞ、島田! 副長をお助けするんだ!」
 馬首を返して呼び掛ける。しかし友は、常人より二回りも大きな巨躯を萎ませ項垂れる。
 手綱を引く腕の軋みはわかっていた。この戦場から、見る見る内に味方が減っていく。
「……腹を、撃たれていた……もう……」
 大地を揺らす爆音すら、別世界のように遠く小さく聞こえる。煩わしい耳鳴りまでしてきた。
 副長……あなたに置いていかれてしまったら、俺達は誰の背中を追い駆ければいいのですか。
 そこら中で上がる炎と、舞う粉塵。息苦しさに噎せ返る。
 五月十一日、大野右仲は生きる支えを失ったようにこの膝を折ることもできず、ただ只管に声を嗄らして指揮を続けた。
 島田は彼を、気が狂ったかと疑うように見ていた。だが同じように、歯を食い縛って再び刀を抜いた。
 誇りの象徴だ。新撰組の、自信満面の十八番だ。
 武士が特別な時代が終わる。長年の鍛錬なんて無くても、誰でも人を殺せる武器によって、誰もが戦場に出る。
 達人も何もない。
 そんな時代が、正しいといえるのか。それは皆の望んだ時代か。
 さぁ始めようか。
 これが聖戦だ。
「新撰組、大野右仲! 命の惜しくない奴は掛かってこい!」
 まるで茶番さながら、取って付けたみたいな台詞だ。
 島田のようにその初期、そして京洛を闊歩しては、トグロを巻く倒幕浪士共が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑ったという、幕府直参として幅をきかせた黄金期からいたわけじゃない。なのに、何の躊躇いもなく高らかに名乗りたくなる。
 大好きだ。この隊が。
 隊とは人だ。仲間が大好きだった。
 崩壊のその瞬間まで縋りつきたい程に。
「新撰組だ!」
「白兵戦はまずい!」
「撃て、撃てぇ!」
 恐怖に震えた声がそこかしこで騒めく。やはり敵は、性能のいい武器を手にしただけの腰抜けだ。
 こんな奴らに、敗けるのか。
 まるで錆びた古刀だ。古い時代の、忘れられたもの。
 ――……
「右仲、お前が軍を進めろ。頼んだぞ」
 ――……
 内側の暖かさを隠せない声が、今聞いたように蘇る。
 京にいた頃、近藤局長がご存命の頃は、敵には勿論のこと味方からさえ鬼副長と恐れられたという。しかし彼の知っている土方は、そんなことは嘘のように気さくで優しくて、他愛ない冗談にも笑ってくれるどころか一緒になって乗ってくれる、でもいざ戦となれば常勝将軍と謳われる程の指揮官で、不敬を承知で表現すれば、頼りがいのある兄貴分といった感じだった。
 部下を仲間と呼び、言葉で表現する以上に大事にしていた。そんな彼に指揮を任されて、大野は意気揚揚と出陣した。
 でも間違いだった。
 こんなことになるなら、馬前で目を光らせていればよかった。俺が盾になって、死んでも守らなければならなかった。
 あの人は嫌がるだろうけれど、新しい時代に必要な知性と行動力……やっぱり浮き世というものは、惜しい人から死んでしまう。
「このままじゃ、弁天台場は完全に孤立だ!」
「もう……終わりなのか、俺達は」
 仲間の籠城する弁天台場……振り返る毎に、壊れて朽ちていくのがわかる。ここまで粘って戦ってきた連中も、いよいよ覇気が失せてきた。
「今更悄気んなよ。わかり切っていたことだ」
 この名に恥じるな。自分の名よりも遥かに、新撰組の名に、誠の名に背くな。
「最期の鼓動響く間際まで、武士らしく戦うだけだ!」
 五月十八日、五稜郭は全面降伏した。
 錦旗……天皇の御旗を掲げる官軍に逆らった俺達幕軍は、揃って投獄された。
 外の世界はどんどん移り変わっていく。
 中央集権国家を理想とした様々な体制が敷かれ、文明にも西洋が取り入れられ……というより日本人お得意の猿真似で、新しく生まれ変わっていった。
 その輝きから隔離された俺達は、明治のこの世でも以前と同じように取り残されて、時間が止まってしまったようだった。
 それでも無為の時は過ぎ、七年の歳月が流れた。
 土方直々に新撰組最後の隊長を任された相馬主計は、官軍への抗戦責任から、かつて京都での“大活躍”振り、濡れ衣もいいところの坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺まで、これでもかと執拗に詮議を受けていた。耐え抜いて、土方の見込み通り与えられた役目を全うした相馬は、釈放後に一人腹を切った。
 大野も漸く釈放され、久し振りに懐かしい巨体、島田魁に会った。いや、やはり少し痩せたか。
 大野はこの日まで、敬愛した新撰組副長・土方歳三は、馬上高く声を張り上げて指揮を執る最中、敵からの流れ弾に当たって死んでしまったと、そう何の疑いも無く信じていた。
 それが、狙撃だったとは。しかも仲間によるものだとは、思いもしなかった。

「お前……それズリィだろ。俺も真似しよっかな」
「副長直々にお許しを得てやってるんだ」
 お許しだぁ?  どうせ一方的に、無理矢理元気に宣言したんだろうが。その癖に島田は、箱館まで従った古参の当然の特権だと言わんばかりに分厚い胸を張る。
 島田は副長の戒名を、肌身離さず持っているのだ。大野としては、不謹慎にも羨ましい。絶対真似するなよ、と図体同様にでかい目で念を押された。
「なんだよ。自慢する為に俺を呼んだのか」
「そんなわけないだろう。もっと大事な話だ」
 冗談で言ったものの、ちゃんとした用事があったことにこちらが驚いた。久し振りに懐かしい仲間同士で、取り留めもない昔話なんぞしながら酒でも飲むかと軽い気分でやって来たというのに。ちょっとした動揺が伝わったのか、島田は苦笑いしながら猪口をクイッと呷る仕草をした。
「飲みながらする話でもないのだが、行こうか」
 気心の知れた者同士の会話なのに、何故だか別人にも見えたのだ。
 直接見たわけではないが、新撰組が京都にいた頃、監察方として敵も味方も厳重に取り締まっていたという島田は、こんな目付きをしていたんじゃないか。
 夕方の飲み屋はいい混み具合で、これだけ大勢の男がいても髷も二本差しもいない。当たり前のようだが、別の国みたいだ。
 そういう俺も同じだ。廃刀令のおかげで、誰を斬るわけでなくても捕まってしまう。長年左腰にあった当たり前の重みがないってのは、なんていうか……歩きづらいもんだな。
「いや、女はいい」
 卓毎に間仕切りされた座敷に腰を落ち着けると、そういう店でもないのだが少し酌をしようとした女を、島田はぶっきらぼうに退けた。これにも大野はついキョトンとした顔までしてまたも動揺させられたが、今度はそんな状態を無視された。
 元来気のいい男で、どんな部下にも優しく、ましてや女を無下に扱うなんてもっての他、考えられない男なのだ。女が気持ちばかり作った科が余程気に障ったのか、ブスッとした表情で微動だにしない姿はまるで大仏だ。
「悪ぃな」
 プイッと顔を背けて行ってしまおうとした女に大野が片手を上げて詫びる格好をすると、にこりと会釈された。……それを睨んでくる島田がかなりの迫力なんだが。
「相変わらずの女たらしだな」
「はぁ? 俺がいつ……まぁいい。話ってなんだよ」
 俺は女ったらしじゃない。博愛主義なんだ。
 まずは酒だけだが、品書きを眺めながら訊ねた。
「副長のことなんだが」
 軍鶏鍋が旨そうだなとか思い巡らす途中だったが、その思考はピタリと止まった。
「うん?」
「……最期、なんと聞いている?」
 どうして亡くなったか知っているか、という意味だろう。島田も知っての通り、大野はその場にいたわけではない。人づてに耳にしたことを疑いもなく信じていた。
「馬上で指揮をしているとき、流れ弾に腹を貫かれたと。落馬したときにはもう……」
 言わせるなよ。
 何年経っても、慣れることはない。口にするのも辛いんだ。
「……そうだよな……うん、そうだ……」
 大らかだがはっきりと物事を言う、その割に誰からも慕われる男だ。見たこともない歯切れの悪さに、沸点が低いと十分自覚する大野は簡単にイラついた。
「なんだよ……なんか裏でもあるみたいによ」
 “裏がある”
 その部分に、眉が寄り、頬が強張るのを見た。
「島田、一人で抱え込むな。吐き出せよ」
 まさかと思う。ひたすらに否定する。それは絶対にあってはならないことだ。
「流れ弾なんかじゃなかったんだ」
 クソ……!
「狙撃か!」
 自然に手は握り拳を作る。固く、爪が食い込むようだ。後から開いた手の平には、血の滲むような圧迫痕が付いていた。
 島田はコックリと重たそうに頷いた。
 この店に入ってから、島田の顔はやはり間諜の跋扈したあの時代でも他の追随を許さない敏腕振りと謳われた、新撰組の監察方の顔をしている。
「……味方側から、撃たれたらしい」
 自覚する程のかなりの大きな音を鳴らして立ち上がった。
「なんだと!?」
 あの、安心して背中を預けられる仲間だった旧幕軍の中に、裏切り者が。
 島田にキレても仕方のないことだ。だが理屈で制御できるような話ではない。
 目の前の人間なら誰でもよかった。その胸倉を掴み上げた。
 拳の震えに漸く我に返る。
 島田はこんな目にあってもまだ微動だにしないまま、大野が手を離すと力なく首を下げた。
 糸の切れた人形のようだ。
 謝ろうと慌てて口を開くのを、猫でも払うように手を振って遮られた。大野の反応など、とうに予想した上で話したのだという様子だ。
 だから彼もなるべく平常を保って静かに訊いた。
 今更、酒どころでも、ましてや鍋をつついている場合でもない。
「根拠は。あるのかよ」
 やはり自覚しながら、訊くまでもなく当然だろう。軽々しく言える内容でもない。
「背中から、撃たれてるんだ」
 敗走などありえない男の背後に、敵がいるわけがない。
 後ろには、率いて共に進軍する味方と、島田や相馬達、弁天台場の指揮官の制止なんざ聞かず、土方が着く前に逃げていった味方のみだ。
 どうしてだよ。なんでそんなことに。
「誰だ……下手人は」
 胸に満ちるのは、ただ憎悪のみだった。それは、島田も同じだ。
「わかっていれば、俺がとっくに斬っている」
 思えば釈放されてから、この国と人生になんの生きがいも見出せずにいた。
 まるで老人だ。ただ無為に、毎日寝て食ってまた寝るだけだ。戦いの後の人生は言わば余生だと、そんな気さえしていた。死に損ねたこの命を、使いきる時がきた。
「検討もついてねぇのか」
 期待通りの反応をしたのだろう。待っていたという様子であっさり言った。
「なんとなくだが。榎本武揚、大鳥圭介、永倉新八、相馬主計、市村鉄之助、伊庭八郎、春日左衛門……」
「ちょっと待て! なんだその面子!」
 錚々たる顔触れじゃないか。
 再度、嘘だろうと島田を窺うが、冗談で言えるかという真面目な顔で、まだ怪しい者はいるが可能性の高い順に並べたのだ、と付け足した。止めなければもっと続いていた。
どの人物が犯人でも俄かには信じられない。今挙げられたのは、副長と親しくしていた人物ばかりではないか。
 いや……しかし思い上がるな。
 俺が知っている副長は近藤局長と死に別れた後からのほんの二年ばかりで、本来なら雲の上の存在である幕臣……旧幕軍の大幹部なのに、俺のところまで降りてきて目線を合わせて話し掛けてもらっていた程度だ。
 ほとんどよく知らないのと大差ない。
「その中から捜すのか……」
 驚きと怒りとで喉がカラカラに渇いていることに気付き、舐める程度に猪口を傾けた。
「……捜す気なのか?」
 今度は大野が睨み付けた。
「当たり前だろう。お前は違うのかよ」
 じゃなきゃ元から調べたりしない筈だろ。
「いや、勿論俺は捕まえてぶん殴ってやりたいと思っている。しかし右仲……一緒にやってくれたら心強いと期待はしていたが、打診する前に勝手に決めてしまうなんてな……」
 そんなの、当然だろう。
「寝呆けんなよ。俺を誰だと思ってる。副長に最も信頼された男だ」
「そっ……それは俺だ!」
「俺だっつの。とっとと本題に入ろうぜ」
 しつこく言い返させない状態に不貞腐れる島田も、やっと酒に手を付けた。
「でもよ……さっきの犯人候補、あの場にいた奴がいないよな?」
 そうなのだ。
 榎本と大鳥は幹部らしく五稜郭に詰めていたし、永倉はこの戦に出ていない。相馬は新撰組およそ百人を率いて弁天台場で篭城中、鉄之助は副長に愛刀と写真を託って日野に行った。伊庭と春日は重傷を負って病院にいた。
 大野の知る限り、誰一人として同じ戦場にはいなかった。
 つまり……。
「狙撃手ではなく、首謀者を見つけるのだ」
 土方暗殺を企てたのは誰か。
 それに、先ほど聞いたのと全く別の人物の可能性もあるし、首謀者と実行者が同じ場合もある、そして複数人が絡む組織という場合もあるのだ。
 そうだとしたら最悪だ。あんなに俺達を信じてくれていた人なのに。
 心持ち、声を抑え気味に話していたが、他の客もガヤガヤと騒がしく別段気にしなくてもいいのではと思えてきた。
 誰が聞いているわけでもあるまい。
「そうだな。しかし、死んでしまってる人もいるじゃないか」
 候補の七人の中でも、相馬、伊庭、春日は亡くなっている。
……それよりも、今更だが、なんで疑ったのかという理由が気になる。
「それは、まぁ道すがら話すさ」
 勿体付けても俺の気持ちは変わらない。そう信じてくれているのか試しているのか、測り難い。
「……わかった。じゃあ、怪しい奴から調べるか」
 島田の見解からすると、今のところ榎本からだ。いきなりの大物である。
 今や新政府にも重用される相手では追い詰めるのも一苦労、始まりから壁にぶち当たるのだ。
 どうするべきかと問い掛けようとするが、島田は神妙な面持ちで人差し指を口に当てた。
「俺達を見ている奴がいる」
「なにっ」
 咄嗟に辺りを見渡す大野の頭をペシリと叩く島田は、やれやれと言った様子のあからさまな厭きれ顔だ。その上、軽くやったつもりだろうが、見た目を裏切らない怪力にかかれば相当痛い。
 この野郎、と憤る心境は互いに共通かもしれない。
 諜報活動なんて不慣れどころか大野は初めてであり、確かに今の慌てようは不味かった。島田に至っては彼に話して手を組むことを後悔しただろうか。
 島田は黙ったまま、ギョロリと視線を動かした。
 大野が見渡した向かい側に並ぶ飲み台の方ではなく、ここと同じ座敷の左側である。
 しかし屏風で間仕切りしてあるので姿も見えない。それでどうして話を聞かれてるかもしれないとかわかるんだ。
 長年培った監察方の勘か?
 相手の方が殺気の類を発していればいかに大野でも感じるが、その気配もないということは俺達に敵意があるわけでもなさそうだ。
 これくらいしかわからない。
 組んでまだ一刻も経たないが、どうやら大野は足手纏いになりそうだ。
 大野の考えがあれこれ巡る為長く感じるが、実際はほんの数秒沈黙の後、その考えが終わらない内に島田は声量を上げた。
「聞いたか右仲。斎藤さん、ついに結婚だってさ」
「は? ああ、会津に残ったっていう……」
 なんだ? 急にこんな話を始めて。
 斎藤さんと呼ばれたのは、大野は直接会ったことのない元新撰組の三番隊隊長・斎藤一のことだろう。京都から伏見、江戸、甲府、会津と転戦してきた新撰組が次は仙台へという時に、会津に残り落城を見届けたと聞いている。
「時尾さんっていって、会津公の義姉君のご祐筆だった才色兼備の奥さ……」
「島田、もういい」
 殊更に饒舌な口振りを遮って、例の左側から仁王立ちして現れた男は眉と目の間隔が狭い、真顔でも睨んでいるように見えるだろう顔で更に険しく眉根を深く寄せている。
 そんな観察をするより真っ先に腰に手をやるが、そうだ、腰はスカスカだ。刀は佩いていない。
「斎藤先生! 奇遇ですね!」
 白々しく島田が言う。
 そうか、この人が。
「……今は藤田五郎と名乗っている」
 しゃがれたような覇気のない低い声だが、今と比べるとさっきは一瞬だが頬が赤くなっていた気がした。
「何が奇遇だ、余計な話を」
 やはり、新妻の噂をされたので照れ気味らしい。
「斎藤さんが聞き耳立ててらっしゃるからですよ。いや、焦りました」
 ちょっと待て、島田の奴、あの少しの沈黙の内に相手を見抜き、わざと出てこずにはいられない会話でおびき寄せたってのか。
 大野の疑問を、斎藤はほぼそのまま訊いた。大野が話に割り込んでいい雰囲気じゃなかった。
「私だと、気付いていたのか」
 島田とは旧知だろうに、随分固苦しげだな。終始仏頂面で責めるような様子だが、仲が悪かったのか?
「いいえ、まさか」
 対して島田は全く悪怯れず、軽い笑顔まで見せる。
「この付近にお住まいの方で……気配に悪意を感じなかったので。山勘です」
 はっきりしない答えに不服そうな斎藤……藤田に構わず島田は話題を変える。
「あ、斎藤さん。この男は大野右仲といいまして、最後の隊士募集で入った者です。箱舘では同じ隊で、一応指揮官をやってたんですよ」
 よりによってこの劣悪な空気の中で自己紹介かよ。
「よろしくお願いします」
 ニコリどころか会釈すらされず、島田を睥睨している。
 流石に傷付くな。しかし初対面から嫌われているというのもないだろうから、まぁ、こういう人なのだろう。
「隣から知っている名前が聞こえたのでな」
 落ち着いているというより渋い外見だが、俺より若い筈なのに妙に威圧感があるな、とか思っている場合じゃない。
 話を聞かれていた。
 しかも内容は土方の死が実は狙撃によるもので、それも下手人は味方、その上で榎本武揚ら大物勢揃いの相手に疑いを掛けている、などというとんでもないと称されるべきことだ。
 情けなくもどう反応していいかわからず、島田を盗み見た。相変わらず穏やかな微笑みを貼りつけているので、斎藤の言動に対してと同じくらいにギョッとした。
「染み付いた仕事の癖っていうのは恐ろしいですな。私も人を疑うということが呼吸のように自然な行動でして」
 言訳であると同時に、嫌味に聞こえなくもない。
 斎藤はかつて、新撰組から分隊という形を取って袂を別った御稜衛士にいた時期がある。
 間諜としてだ。
 この男がいたおかげで、御稜衛士隊長・伊東甲子太郎が画策した近藤局長暗殺計画は未然に防がれ、先手を取って討ち果たすことができたのだという。
 斎藤は、鼻から息を抜いてフンと笑った。皮肉な笑い方だ。冷笑といってもいい。
「邪魔だてをする気はない」
 加担する気もないということだ。
「ありがとうございます」
 島田が頭を下げるので、大野もつられた。そう言うと思っていた、という様子だ。
「ところで……新八さんはどうしているのでしょう?」
 ……さっきのは、協力してもいい、という意味だったのか?
 いや、違う筈だ。証拠に物凄く深い眉間の皺じゃないか。
 島田の物怖じしない態度には感心させられる。
「下手人捜しか。しかし、知ってどうする」
 別れ際、島田は訊ねられていた。
 確かに不思議だろう。
 もし、既にこの世に亡い者が犯人だとしたら。いや、生きている者だとしても。
 戦時中の、それも賊軍内の諍いについて裁判が開かれるわけでもない。
「いえね、ただ一発ぶん殴ってやりたいだけですよ」
 島田は笑った。大野もそう思う。
 そして、何故だと問いたいんだ。
 次の日から早速、使命感に燃える、慣れない諜報活動が始まった。
 意外とあっさり教えてもらえた永倉の居場所は蝦夷だ。
「なんで新八さんからなんだ?」
 島田の考える怪しい順では榎本総裁が一番だったが。
「一番疑いたくない人だからだよ。潔白を証明して、早く安心したいんだ」
 島田らしい。永倉とは京から一緒だったのだ。
 大野は一度戦場を共にしただけだが、カラッとした江戸っ子気質で、天武と名高い新撰組一番隊隊長・沖田総司に勝るとも劣らない腕前だと聞いたことがあるがそれも瞭然の、一分の隙もない剣客のどっしりとした落ち着きを纏った人物だ。
 じゃあ何故……。
「ずっと見てきたからわかる。新八さんは、副長を嫌っていた。馬が合わなかったんだな」
 見透かされたように、疑問の答えを出された。
 何故疑うのか、それを訊きたかった。
 土方は自分にも他人にも厳しくて、気に入らないことはハッキリ意見する、一言で言えばアクの強い人物だったので、好かれ方も嫌われ方も並大抵ではなかった。
 中島曰く、赤子が母を慕うが如く好かれる一方で、鬼のようだとはよく言われたものだが恐れられ、嫌われてしまうこともあった。
 しかしそれじゃあ納得いかねぇよ。
「好き嫌いで仲間を殺すような人じゃないだろ」
「わかってるよ。だから他に何かなかったか確かめるんだ」
 蝦夷の地を踏むのは、やはりあの負け戦以来だ。
 この身を切るような寒さすら懐かしい。皮膚の隙間に入り込んで刺すような、痛いくらいの寒風であってもだ。
 半面、宮古湾海戦の時に回天の甲板から眺めた菜の花畑も思い出す。
 土方は、東京は日野の生れ故郷と重ねるようにして目を細めていた。
 港は相変わらず……と言いたいところだが、また少し、西洋風の建物が増えている。鮮やかな色が目に眩しいくらいだ。異国文化ってのは派手なもんだな。
 ――……
「右仲、見てみろよ。まるで天上の景色だ」
 ――……
 未だに耳元で聞えるように、その低くかつ優し気な声が蘇る。
 ただ単にあまりにも美しい黄色い絨毯のようだからか、それとも懐かしい故郷を思い起されるからかは、わからなかったが。
「そうですね、副長」
 あの時と同じように呟くのと同時に、その戦で若い命を散らした盟友の悪ふざけもまた、思わず吹き出すような衝動と共に思い出す。
「お、副長! ここで一句、浮かびましたか?」
 如何にも悪戯小僧のようなニヤケ顔で、男惚れするような凛々しい横顔を覗き込んだが、その束の間には強烈な拳骨が落とされていた。
「おい、どうした。ニヤニヤして」
 今では、いくら屈んでも人より大柄な体躯を少し傾けた島田に怪訝な視線を送られる。
「いや、なんでもねぇ」
と、返すのは簡単だが、心安く思い出話が出来る相手は貴重だ。正直に打ち明ける。
「宮古湾の戦に向かう時……副長が、菜の花畑が綺麗だと言っていたのを思い出していた。利三郎のヤツが副長の発句を冷やかしてな」
 すると島田も、懐かしいような寂しいような、堪らないような顔をして微笑んだ。
 初めてこの地を踏んだ時には、未開の荒れ地のように感じた。
 それが今はどうだ。
 すっかり西洋風の面を被り、その地へ向かう船は多くの人で賑わう。
 一人として、刀を佩く者も髪を結う者もいない。
 いや、こんな感慨に浸っている場合ではない。
 互いに一応ある仕事の合間の時間を使っているのだ。
 大野は先日会った斎藤いや藤田と同じように、蛇蝎の如く憎たらしい筈の明治政府に出仕し邏卒として働いているし、島田なんて剣術道場の経営をしているらしい。
 正直、少し羨ましい。
 大野は従いたくもない新政府にヘイコラしながら街中の、新政府に仇なす者とか? を取り締まる毎日だというのに。上司が違うだけで、かつての京都新選組に似てるかもな、なんて思わないとやっていられない。
 息をするように毎日磨いてきた剣技は丸っきり無駄かと言えばそうではない、警察内にも剣術道場はあるものの、新選組の荒稽古とは比べ物にならない。子ども達相手に指導する方が、素直で伸びしろがある分数段もマシだ。
 脱線しがちの胸中を落ち着かせ、碌に知らない癖に深い話なんてできるかと、これから会う予定の永倉新八のことを島田に訊いてみる。
「実はな、俺と新八さんは入隊前からの旧友なんだよ」
 そんな重要な話、初耳なんだが。
 これを聞いて一層、この旅が疑わしい。
 副長狙撃の黒幕を突き止める為なんかじゃねぇ。少なくとも今回は、ただ島田が、かつての仲間に会いたくて俺を巻き込んだだけじゃねぇのか。
 あの錚々たる顔触れの中にも、ただ会って昔語りをしたいだけじゃないかと思う、いや思いたいような者が何人かいる。
 まさか、仲間を増やす気か?
 事実に辿り着く為の、仲間探しの旅。
 そう考える方がむしろ自然と言える面子だ。
 ……止せよ、桃太郎じゃあるまいし。
 様々に葛藤しながら、構わず続ける島田のざっくりとした紹介を聞いた。
 永倉新八の本名は、長倉新八である。
 幕末当時、志士といえばの定番だが、一応大罪であった脱藩の罪が親類縁者に及ばないようにと変名したのだ。
江戸下谷の松前藩中屋敷に生まれ育った根っからの江戸っ子であり、竹を割ったような気持ちの良い性分の男だ。
 天保十年九月十二日生まれで、八歳の頃から剣術を学び始めた。というのも、父の
「武士の家に生まれたことであれば、文武の二道に志す以上、あっぱれ身を鍛えて家名を上げるように致せ」
との教えに拠るものである。
 江戸四大流派に数えられる神道無念流免許皆伝かつ心形刀流まで修め師範代まで任じられ、なお飽き足らずに後の新選組局長・近藤勇が道場主を務める天然理心流試衛館の食客となる。
 筋金入りの剣術好きで、一日一度は竹刀の音を聞かなければ、木刀を手にして稽古しなければ飯が喉を通らない、が何の脚色も無しの口癖で、称賛を込めて呼ばれた綽名が“ガムシン”……我武者羅新八の名に相応しく、稽古でも試合でも勿論実戦でも、真っ直ぐに相手に向かっていく剣風が持ち味だ。
 副長助勤のちに二番隊隊長かつ剣術師範を任され、大野でも知っているかの池田屋事変の折には、屋内に踏み入った精鋭五人のうち、沖田総司が後世には暑気あたりではないかと伝わる症状で昏倒、藤堂平助が額を斬られ重傷という激戦の最中、まさに鬼神の如くほぼ無傷で奮戦する近藤と共に、左手の親指付け根の肉が削がれる程の怪我を負いつつも土方率いる援軍が到着するまで獅子奮迅の戦いぶりであったという。
 近藤は配下というよりも意見役として彼を尊重していたのだが、というのも理由がある。
 永倉は喩え知己でも上司でも悪いことはハッキリ悪いと言う男で、しかも如何にも男から支持を得そうな兄貴肌なので慕う者達も多く、影響力は絶大だ。
 試衛館での稽古の後には皆で酒を酌み交わし、夷狄を斬り殺そうだの、強硬な攘夷論をぶつけ合う筆頭だった。
 そんな彼は過去に二度も、近藤を真っ向から否定したことがある。
 それも直接言うだけでは飽き足らず、新選組を預かるいわば直属の上官である会津藩主・松平容保公に直訴までしているのだ。
 一度目はまだ京に着いたばかりの文久三年、近藤が天狗になっていると揶揄したものであったが、二度目は“非行五箇条”と銘打たれて後世にも残るぐらい有名になる程に大っぴらに行われた。
 巨魁局長・芹沢鴨亡き後、唯一の局長として君臨した近藤が武田観柳斎らおべっか使いの巧みな者達に乗せられるまま、平隊士ばかりではなく隊長格隊士まで家来かのように扱うなど専横甚だしいとして、永倉始め、先日会った印象ではあまり自身の意見を表立って言いそうにない斎藤一、常日頃から永倉と馬が合いよくつるんでいた原田左之助、そして何を隠そう島田魁まで加わった計六名が元治元年八月下旬、会津藩公用方を通じて京都守護職に建白書を提出したのだ。
 しかし、内容については実は判然としていない。
 記録として残すのに耐えない程のマズい文言だったのか、ということが予想される。
 ハッキリしているのは、五項目であろうことと、そのうち一つでも近藤が申し開きできるようならば永倉、原田、斎藤、島田、尾関雅次郎、葛山武八郎の六人は揃って切腹する、そして非を認めるならば肥後守様から近藤に切腹を命じて欲しいと要求したということぐらいである。
「めちゃくちゃじゃねぇか」
 目の前にいるかつての当事者のひとりを呆れ気味に拳で小突く。
 さすがにずっと甲板にいては寒いので、艦内の席に向い合せに座っている。
 北征新選組時代にも他の者達に比べて随分と幸運だと思ったことだが、二人とも全く船酔いはしない性質たちだ。
 新選組との関係を考えるとザマァミロとでも悪態付きたくなるが、有名どころで挙げると、海軍操練所を率いた勝安房守など太平洋横断を果たした咸臨丸上で揺られている間は終始一貫して吐きまくっていたという武勇伝を持つ者もいるので、遊覧とは程遠い、何か明確な目的があっての船旅で上陸前に余計な体力消耗をしなくて済むのは嬉しいことである。
 過去の話として半ば冗談交じりに強かに突っ込みつつ話を聞いていられるが、六人それぞれ相当の、それこそ命を擲つ程の覚悟をしてのことだったであろう。
「そうだな。肥後守様のご采配がなければ、俺達は終いだったかもしれん」
 島田の言うオシマイとは、自分を含む六人の死は勿論、池田屋騒動と蛤御門の変の勝利で絶頂期である筈の新選組は崩壊していただろう、ということだ。
 絶頂期であるがゆえに近藤の姿がそう映ったのであろう、いや実際にまるで主君のように振る舞っていたのだとする説も多いが、時勢に乗っている時、皆が活気づいている時に俄然張り切る姿を見せるのが、近藤の人好きのするところ、根っからのヒトタラシゆえの愛すべき行動であったとみることも出来る。
 当時の京都守護職、この賢君の存在が無ければ人斬り狼の烏合の衆と呼ばれても仕方がない、新選組を預かる会津藩主・松平容保公は永倉らの訴えを受け止めたうえで、近藤を呼び出し、双方仲直りをする為の酒宴を開いて丸く収めてしまった。
 何も子ども騙しにいきなりそうしたわけではない。
 六人の建白書を重く捉え、これを機に新選組が瓦解するのでは、そうなれば責任者である自分の不明に帰すと諭したのだ。
 当時土方が作った、新選組の役職などを表す長州征伐行軍録には不動の二番隊隊長である筈の永倉は名すらない。
 事件の後、見せしめのように最も立場の低い葛山のみ切腹を命じられるがそれは永倉が隊務で留守中に強行され、再度近藤と土方に憤慨し意見を述べた為に謹慎処分となったからだ。
 永倉は試衛館の出であっても、生え抜きの天然理心流ではない。
 近藤、土方、沖田、井上源三郎らの血の結束で結ばれる天然理心流出身の者達との間に、目に見えない悲しい溝があったのかもしれない。
 新選組を乗っ取り、二分すべく暗躍した狐・伊東甲子太郎と共に、正月から三日間島原に居続けて登楼したこともある。
 その時の面子は、根っからの尊王攘夷論者である伊東と共に新選組に加盟した明らかな伊東派の他に、永倉と斎藤であった。
 新選組には門限があり、近藤の使いに呼ばれて漸く屯所に戻ったという。しかも、孝明帝崩御から間もない時期である。
 永倉は、他の隊士らが納得する筈がないと、近藤は自分達に切腹を命ずることなどできないと高を括っていたという。
 しかし永倉新八という男は、かつての仲間の暗殺を企てる、などということは有り得ないと、土方自身が信じ切っている程の人物だ。
 京坂問わず各所での乱暴狼藉により会津藩預かりの壬生浪士組の名を貶めるとしてついに肥後守が処断を命じた為との説が有力だが、かつて君臨していた局長芹沢鴨を泥酔させたうえで包み斬り、不逞浪士に罪を擦り付けて涙涙の葬儀、という土方脚本演出の舞台の演者には永倉の名はなかった。
 試衛館以来の仲間である土方、山南敬介、沖田、井上、原田が土砂降りの雨で足音を消し、夜陰に黒装束で身を隠し、この面々と近藤以外の者には真相を知らせないままに強行突破したという敵を騙すにはまずは味方からの厳格な闇討ちである。
 芹沢鴨は攘夷急先鋒水戸天狗党出身で、大流派神道無念流免許皆伝の腕前だ。舞妓芸妓総揚げの島原角屋大宴会でこれでもかと飲ませ、愛妾を抱いて寝入っているところを襲うという如何にも土方らしい用意周到の状況でも明確な勝算はない大博打であり、どう考えても永倉の剣が必要だ。
 喉から手が出る程に欲しいがしかし、どうしても配役できない理由がある。
 様々な流派がある剣術界において、同門つまり同じ剣術道場で稽古していた者達には現代では想像しがたい程の絆があった。
 芹沢と永倉は同門出身の剣客だったので永倉にすら秘密裡に事を勧めたのだ、ついに最期まで、永倉はその真実を知ることはなかった、との定説だが、最大の理由はその一本気な性格ゆえである。
 敬愛する肥後守の命とはいえ、守るべき京市民の平和を脅かすとはいえ、余りにも卑怯な手段だと、必ず反発され、下手すれば密告される危うささえ警戒したのだ。
 先程から芹沢の名ばかり挙げるが、実際その晩の敵方にはやはり神道無念流を修めた平山五郎、平間重助もいる。正直、正々堂々向かえば返り討ちに遭う。
 そんな状況下でも頼れない程に、味方としては頗る頼りになる一本気な性分の永倉を、土方は信じていた。
 一度でも仲間であった人物を、騙し討ちになど、できる男ではないと。
 そして何度も煮え湯を飲まされたと言っても過言ではない、近藤勇もだ。
 伊東派数人が御陵衛士という役割で建前上分派する折に、試衛館以来の同志である藤堂も新選組を離れた。
 ここでもまた、同門の絆。藤堂はかつて伊東が婿入りして道場主を務めていた北辰一刀流道場の出身だったのだ。
 泥酔した伊東を暗殺し、その屍を小路に晒してまで近藤に仇なす御陵衛士の一網打尽を狙った油小路の変でさえ、藤堂だけは何とか救い出して逃がしてやって欲しいとの近藤の密命を受けたのは永倉だ。
 原田と共に藤堂脱出を試みるが、何も知らぬ新参隊士により失敗に終わるものの、やはり永倉こそ、近藤が腹を割って頼める男であった。
 ますます、大野は首を傾げる。
 永倉がいっそ気持ち良いくらいにイイ男なのはわかった。
 それを知った上で、何故島田は永倉を疑うのだ?
 その疑問を残すまま、蝦夷から北海道と改名された渡島半島の西南端にある旧松前藩三万石の城下町・福山へ辿り着いた。
 しかし永倉の名でも長倉の名でも見つからない。偽の情報を掴まされたかと思った程だ。
 それもその筈。元新撰組……しかも永倉新八などといえば恨みの買い方も並大抵ではない。
 新選組を筆頭に佐幕派からすれば花形大役者であればこそ、討幕派からすれば憎むべき大悪党だ。
 終焉間際の僅か二年程土方の配下にいただけの大野とは、同じ元新撰組隊士といっても意味が全然違う。
 勝てば官軍の今や新政府大幹部に君臨するような者達が、市中を歩く姿を見るだけで狼だ鬼だと騒いだ京都新選組とは訳が違うのだ。
 名を変え身を隠して、仇討ちの魔の手から逃れながらの生活である。
 かつての三番隊隊長・斎藤一が現在名乗っている藤田五郎という名も、判明しているだけでも五度目の変名だ。
 御家人株を買った旗本山口家の次男として生まれた時の山口一、十九歳にして流石の腕前、原因は不明だが旗本を斬り殺した罪を逃れる為に斎藤一と変名、御陵衛士に土方の密命を受けた間諜として潜入、近藤局長暗殺の謀略を握って帰隊した折、追跡を逃れる為の変名で山口二郎……当時、新選組と御陵衛士には双方間の隊士の異動を禁じる約定があった為、斎藤一は何処ぞへ行方知れずということにしたかったのであろう、油小路の変であれだけの目に遭わされても、維新後の元御陵衛士の者で斎藤は間者であったのではと疑う者さえいない……その後相次ぐ負け戦の中、仙台へ転戦するという土方と別れ、会津若松城落城を見届けた後に会津藩士らと共に斗南藩に移封された折に一瀬伝八と変名、徳川家将軍よりもむしろ敬愛を以て誠義を貫いた新選組の主君である会津藩主・松平容保公より賜った藤田五郎という遍歴で、大野は単純にもこの男らしく、思い浮かべるとまず仏頂面の印象深い藤田さんだが、数字が好きなんだなぁという印象を持った。
 長いようで短い七年の月日の流れた、懐かしいようで全然違う印象の北海道で、比較的街中の方であろう場所を歩く。
 今は美しく凪ぐ、かつての極寒の顔も知っている海から程近い坂の多い町で、道々には恐らく繁盛しているのであろう洋服店や洋食店などが立ち並び、ここからは少し遠くの方には映画の走りである活動写真を見せる大きめの洋館のような建築物もある。
 道は乾いた土がなだらかで、そもそもの土地が広大だからか、多くの店やら施設やらが立ち並ぶ中でも間の道幅は広い。
 たくさんの人は勿論、東京と横浜を結んでいた馬車などでも楽々と平行して通れそうだ。
 当時明確に制定されていたわけではないが、事実上は首都となった東京と名を変えた江戸も似たようなものだが、都会らしいところと田舎染みたところとでかなり見た目の差が激しい。
 何度も書くように身を隠して生活している筈の男だが、否応なしに目立ってしまう。本人の状況を考えると、あからさまに悪目立ちと言える。
 いち早く、元監察の鋭い眼光きらめく島田がその姿につい大きめの声を上げる。
 その声より遙かに大きく路地中に響き渡る声は哀れにも痛々し気に、如何にも同情を誘うような貧弱さだった。
「くそっ! 覚えてろよ!」
「おいおい、覚えといていいのかえ。スッパリと忘れてやらあ」
 まさに泣きっ面という感じで脱兎の如く駆ける三人の男達の後には、粋な、というか大野も島田もズボンに代表されるような洋服を着ているので、懐かしいというか燻し銀という印象の着流し姿の男が立っている。
 あんな芝居染みた捨て台詞吐く奴が本当にいるんだなと感心気味になりながら見送る、尻尾を巻いて逃げる男達は手に手に物騒な、木刀として遣えそうな太い棒切れなどを携えていた。
 喧嘩かよ、今日は非番なんだが。などと、端から取り締まる気はさらさらない癖に少しウンザリ気に残る男を見ると、対して意外な程に丸っきりの手ぶらだ。
 丸腰の一人相手にあんなに怯えて、なんだってんだ情けねぇ。
「新八さん!」
 体躯同様に大きな声で呼びかける島田の声で、男は振り返るや否やこちらへ駆けて来た。
 それもその筈。多くの組織が暗躍した幕末で随一の手腕と謳われた新選組監察なら想像に容易いであろうに、局長を斬首梟首にしても足らぬと憎悪冷めやらぬ新選組幹部の生き残りを追う者が少なからずいるというのにこんな往来の真ん中で本名を呼ばれたら堪らない。そんな大声で呼ばわるんじゃねぇと注意すべき場面だ。
「おおお島田ぁ! 久しぶりじゃねぇかあ!」
 前言撤回。この一騎当千国士無双の男にとって、暗殺の凶刃など恐るるに足らないらしい。
 永倉新八は、実は少し幼げなのを隠す為に生やしているという髭面をくしゃくしゃにした笑顔で島田の広い肩をバンバンと叩いて再会を喜んだ。
「おっ、そっちは確か……うちゅー、だったよな!」
「はい! ご無沙汰しております!」
 一度戦場を共にしただけの大野にも旧友と同じような全力の笑みを向けてくれる様子に、初めて名乗った時、顔に似合わず可愛い名前してんな、と幼少時から何十回も言われたお決まりの言葉まで蘇りつつ反射的に素早く一礼した。
 二枚目だとか騒がれがちな顔面通り、与三郎とかだったら満足かよ、との反論はもう今更思い浮かばない程に慣れている。
 嬉しい再会に積もる話に花を咲かせたいところであるが、やはり先程の挙動が気になり、訊かずにはいられない。
「なんですか、あの輩」
 永倉は事も無げにさらりと答えた。
「ああ、この服装なりだからか絡まれてな。この通りの丸腰だからよ、ちょいと凄んだらあの通り逃げっちまった」
 なんと、ひと睨みで暴徒を撃退してしまったと言うのである。
 これに対しても、島田はやはり当然の如く
「さすがは新八さん!」
と豪快な笑い声を上げたが、大野は感心しながらも引いていた。
 格が違い過ぎる。これが、新選組で沖田、斎藤と並び称される腕前の剣豪の覇気である。
「それより、どうしたんだこんなところで。まさか俺に会いに来たわけじゃねぇんだろ?」
「いや、そのまさかですよ」
 永倉は自分で言っておいて盛大に吹き出しそうになりつつ、顔は笑ったままだ。何の用事もなく、ただ懐かしい友と昔語りをしたくて東京から北海道までわざわざ来る筈がない、と思っている。
 わかりきっていることだが、現代とは違って飛行機などない長旅だ。
「積もる話でもしようや」
 察しがいい永倉は、落ち着いて話ができる場所と言って真っ先に思い浮かべるオススメの場所へ案内した。
 その場所が前回と同じというのは芸がないというか申し訳なくなるが、発案者が大の酒好きなので勘弁していただきたい。
「昼間っから酒かよ」
 小さく呟やく大野に永倉は、本人は渋い気でいるが、実際は屈託なく慕わし気に見える笑顔を見せる。
「不満かえ」
 島田の方に小言を聞かせるつもりが、こちらに返されたのでは気安く肯定しにくい。
 大野はその風貌から如何にも頭まで軽そうに見えるが実は常識人である。
 永倉に対しては気持ちだけは弱弱しく、態度は大袈裟に片手を振る。
「いえ! 全ッ然平気です!」
 相手は明治時代当時でさえ生きる伝説のような存在、幕末屈指の剣豪かつ、丸腰でも気合いでチンピラを一掃するような人物である。
 ここはまだ一般には普及していない、成吉思汗ジンギスカンという言葉すら出来る前から羊肉を扱っている店で、永倉は常連だという。
 見た目はごく一般的な居酒屋というより東京で流行り始めている牛鍋屋のように席毎に鍋が置いてあり、それを囲むように座が設けてある。
 しかし鍋の形が独特で、真ん中が盛り上がった、この文明開化の世ではよくあることではあるが、生まれて初めて見るような代物だ。
 三人、それを中心に向き合って座るが否や、島田が口を開く。
「新八さんは今までどうしてたんですか」
 大野は内心、急だなと思うが、しかし自分と島田には時間があまりない。
 先程も述べた通りに一応ある仕事の休暇を利用して遥々北海道まで来ているのだという理由に加え、実行犯にしろ黒幕にしろ、国外に出られては面倒だし、死なれたりでもしたら真相は闇の中だ。

 早速本題に入るのには同意するし、口火を切ってくれたのは有難い。
「……どうって。どこから話せばいい。お前らと別れたところからか?」
 ここで正直煩わしくも店の者が注文を聞きに来たので、各々酒や肴の品名を挙げる。
「おいおい、ここに来て羊食わねぇのかよ」
 一応下っ端らしく大野が注文をするが永倉の待ったがかかる。
 永倉も島田も、西本願寺に屯所を置いていた折から飼育した豚を滋養の為に食べていたので所謂四つ足を食べることに全く抵抗はないのだが、やはり思考まで軽そうな顔に似合わず保守的な大野は躊躇していた。
 昨今、一般的になりつつある牛の肉でさえ臭みを苦手に感じていたのに、さらに得体の知れない羊の肉など食べる気はしないが、永倉にそう言われては従うしかないので内心厭々ながら従った。
 さて、と言うように特に勿体振らずに永倉は話し始める。
 周りは地元の者であろう客で賑わっているので、味は確からしい。皆、昼間から当たり前のように酒を飲んでいる。元新撰組の内緒話に聞き耳を立てる者などいないであろうおかげで、周りを気にせず話が出来そうだ。
「オチから言うと、俺ぁまた所帯を持った。松前藩お抱えの医者の杉村家に入ってな。今は杉村義衛と名乗ってる」
 ここでもまた改名である。義を衛る……永倉らしい名だ。それより大野が気になったのは、また、という言葉だ。永倉が妻を娶るのは二回目であったのだ。
 永倉が一度目と数えるのは慶応三年の頃、島原亀屋の芸妓だった小常という女を馴染みにしており娘を授かるが、その肥立ちが悪く亡くなってしまう。
 寺の過去帳に残る俗名に長倉小常とあるように、正式な夫婦ではなかったものの同等に扱う程に大事にしていた恋女房だったのだ。
 斎藤にはすっかり言いそびれた、おめでとうございますを言い掛ける二人に、照れ臭そうに手を振り、
「もう五年ぐれぇも前の話だ」
と制する。
 永倉と島田の関係上、結婚したことすら知らなかったのは不思議に思われるかもしれないが、文久三年五月の初期隊士募集から入隊して監察を任じられて以来一度も離れずに、弁天台場で降伏する最後の最後まで新選組隊士であることを貫いた島田は名古屋藩に預けられて漸く明治六年に放免されたので無理もない。
 酒はとうに飲み始めていたが、ここで数々の料理が運ばれてくる。
 やっぱこれ、俺ダメなヤツだ。
独特の鍋で焼かれる赤い肉から上がる煙と共に立つ香りに、大野は密かに眉間を寄せた。
 幸い、獣肉など口馴れたもので、バクバク食べ進める二人を前に食べる振りだけして実際は口にも当てないのはバレてはいないらしい。
 まぁ気付いてはいても、厭がるものを食えとか滋養がどうとかとやかく言うような性質の二人ではないのだが、その代わり、永倉は江戸っ子らしく短気で回りくどいことを嫌う。
「俺が何してるとか、そんな話を聞きたくて来たんじゃねぇんだろう。さっさと本題話しちまって、思いっきり飲もうぜ」
 島田も大野も、たいして飲んでいないのはしっかりバレている。
 特に島田とは、隊の大宴会やら気の合う者同士の仕事後の一杯では済まずの大酒盛りやら京都に居た頃から数え切れない程共に飲んできて、どのくらいの調子で飲み進めて、どのぐらいの量飲めるかまで把握しているので余計に違和感があるのだろう。
 ちなみに巨漢で強面風の見た目に反して饅頭や汁粉などの甘いものが大好物の島田は、見た目通りに大酒飲みでもある。稀にいる、最中や落雁をつまみにグイグイ酒が飲める人種だ。
 二人とも、酔いながら話ができるような軽い話題を持って遥々やって来たのではない。
 素面で真剣に問い詰める何かがあることも、頗る言いにくいような話題であることも永倉は察しているので、多少苛ついているような演技も添えて促すのだ。
 島田はより一層話しにくいだろうと、覚悟を決めたように大野はゴクリと一口、手にしていた酒を飲み下す。
「副長の最期ですが、」
 余程緊張しているのか、事実上土方親衛隊のような部隊である守衛新選組隊士が土方を呼ぶ時の呼称だ。充分通じる相手だが。
「味方から、狙撃されたようなんです」
 改めて声に出して自分の耳で聞くと、指先が震える。
単なる動揺なのか怒りが蘇ったのか、何とも表現し難い感情だ。信じたくない。それが真実だとは。この旅もこれからの旅も、犯人捜しでも仲間探しでもない、味方の裏切りなんて無かったのだと証明する為のものであるのかもしれない、そうであればいいのにと思いたくなる。
「……で? なんだよ、ダンマリかよ」
 続きがあるならと邪魔をしないつもりで口を噤んでいた永倉がまたも焦れる程、大野はこの先を話せずにいた。
 驚愕とか憤怒とか、何かしら反応があるだろうと当たり前に予測していて、それに返答すればいいと考えていたのもある。
 同じように黙っていた島田を、お前が黒幕捜しの発起人だろ助け船だせよとか、ご尤もな文句で内心責めたりもしない。元監察らしく、相手の反応でも窺っているのだろうと特別気にしてもいなかった。
「お前の言う味方ってのは……どこまでが味方だ?」
 手に盃を傾けながら下からグッと視線を上げる永倉に、確かにとハッとさせられる。
 味方と言う表現が当て嵌まるのは、果たしてどこまでだ。
 永倉が特段驚きもしなかったのも、その曖昧さが感情の妨げになったのだと肯ける。
 中島登の言葉を借り、赤子が母を慕うようにして只管一心に土方に付き従った守衛新選組を筆頭にした面々を味方と呼び、その中に裏切り者が居たとしたら、それはその様子を、江戸に居た頃に戻ったみてぇじゃねぇかと微笑ましくも冷やかしながら見ていた永倉も、あの斎藤でさえ、まさかと驚愕するだろう。
 しかし、大鳥圭介率いる伝習隊から合流した兵士も味方だし、星恂太郎率いる額兵隊からの兵士も味方だし、榎本武揚や松平太郎、永井尚志、荒井郁之助など、役職選挙に名が挙がるような者達も当然味方である。
 仙台から蝦夷への船に乗った者達、蝦夷共和国の者は皆、味方だ。
 他に表しようもなく味方なのだが、そこまで範囲を広げて考えると、土方を嫌ったり恨んだりする者が少なからず居ても、組織の上に立つ人間なのだ、たいして不思議ではない。
 しかも土方本人は、証拠写真があるので過度な形容は避けるが、自覚するぐらい頗る顔が良く、頗る頭がキレる。負け続けの戦の中でも土方が陣頭指揮を執る隊だけは圧倒的と言っていい程に勝ち続け、自身の腕っぷしも完全に良い意味でこの言葉を遣うが、バカみたいに強い。そして相手が諾と言わざるを得ない巧みな会話術の反面、部下の軽口にもちゃんと乗ってやる優しさまである。大抵の元新撰組あるあるだが、身分問わずの実力主義組織出身ゆえと生まれながらの気性で、上司だろうが畑違いだろうが、言いたいことはハッキリ言う。
ここまで挙げればわかる通り、一生お供しますの勢いで男惚れされるか、嫉妬なども手伝って蛇蝎の如く嫌われるかの二極である。
 驚くかどうかは別として、大野からすれば喩えどんなに恨みがあろうが、味方による土方の暗殺など許す気は毛程もない。
 今更ながら眩暈でもしたくなるが、味方の範囲を考えると、疑い出したらキリがない。
「まさかお前ら、下手人捜しでもするつもりかえ」
 そのまさかであり、あなたを疑ってますなどと言える度胸は大野にはない。元来弱気というわけではないのだが、二の句を憚る程の迫力が、本人は凄んでいるつもりは皆無でも滲み出てしまう程に有り余っている。目の前の相手は、幕府最後の砦先陣で斬りまくった鬼神の如き剣豪である。
「……島田。俺が殺ったかもとか、コイツに言ったのか」
 大野の様子を漫画で描くなら、顔面中に青褪めているのを表す無数の縦線が入り、汗腺全て開ききったような滝汗が迸っているだろう。
 覇気に当てられて怖気付くあまり永倉に伝わってしまったのだとは、重々承知している。
「ええ。言いましたね」
 あっさりと即答する島田の、しかもニカリと音が出そうに歯を出した笑顔の横っ面を思いっきりぶん殴ってやりたい衝動に駆られるが、構わず続ける。
「黒幕として疑っている人物を挙げて、いの一番に新八さんに会いに来ました」
「おい島田、」
 堪らず制する大野に一瞥もくれず、永倉も笑った。
「手ぇ込んでんなぁ。さすが新選組(うち)の監察だ」
 再会した時の親しみやすい溌剌とした笑顔とは全然違う。京都新選組は壬生の狼と蔑称されたこともあり、本人達は狗と呼ばれるより余程マシと、それすら誇りに生きる為の“仕事”をした。血に飢えた狼が獲物を見つけた時のような強かな笑みだ。
「お前がマジで疑ってんのは右仲の方だろ」
 名指しされた大野は、あまりのことで声が出ない。
 反応が怖いように極力見たくもない、ただ押し黙る島田を反射的に見る。
 島田は意地の悪い男ではない、というかその表現とは対極にあるような男なのでさすがにもう歯を出して笑ってはいないが、永倉と睨めっこしている横顔でさえ、口角が上がっているのがわかる。
 せめてこっち向けよ。
 大野は心中で吐き出しつつ、否定も肯定もしない沈黙を破る。
 というか、むしろ沈黙が答えである。
「……おい。なんとか言えよ」
 否定する気なら即座に、いやと唱える筈だ。しかし島田は何も言わずに漸く視線だけを向ける。
 俺を、疑ってる? 島田が? 新八さんが?
 俺が、副長を……?
 ――…
「右仲、よくやった」
 ――…
 ひとつしか歳が違わないあのひとは、まるで兄のようだった。
 数え切れないくらいに怒鳴られたこともあったが、思い出すのはいつも、どこか照れ臭そうに笑う時の温かい声だ。
 馬鹿言ってんじゃねぇ。
「んなわけねぇだろ。冗談だとしても笑えねぇ」
 酒のせいか怒りのせいか、喉がカラカラに乾いて、やっとで絞り出した声が掠れている。
 まるで、真相を突かれて動揺して、弁解でもするように。
 かなり時間が経ったようでも、店内の賑わいは変わらない。周囲は大野の心中など知る筈もなく鬱蒼とした騒めきを止めない。
 それもそうだ。すぐ近くにいる島田も永倉も、共に戦ったのが嘘のように、何も知らない他人のようなのだから。
 大野は衝撃ゆえにそこまで深く考えていないが、元新撰組二番隊隊長と監察のこの二人に土方暗殺犯だと確信でも持たれたら最後、送り狼よろしく帰り道に斬り殺されても、ああいつもの手口ねと納得である。
「しかしなぁ、」
 大野の言葉を呆気なく無視して、あくまで島田にのみ呼び掛ける。
「俺ぁコイツのことあんま知らねぇからな。見定めろっつわれても困るぜ」
 何を考えているか絵で見るように解りやすい大野の頭上に、巨大なハテナマークが浮かぶ。
 島田の思惑上、大野にも聞かせるように詳細に語るのは効果が半減なので本人には引き続きそのままマークつけっぱなしでいてもらうが、つまりは永倉を疑っているというのは狂言であったのだ。
 常に万全を期すことを他でもない土方に求められてきた新選組監察のサガとして、僅かな綻びも見逃せない。
古参隊士に引けを取らないくらいに信頼し、戦場で背中を預け合って来た仲ではあるが、大野には疑われるだけの理由がある。
 これから行動を共にするにあたり、なおも信頼に当たる人物か見極める為に、随一の知己にも一緒に判断してもらおうとの算段である。
 しかし永倉も言う通り、この大野という男は仙台港での一件や北征新選組の道中での戦ぶりを見ていないと理解することは難しいだろう。
 島田の方はそれは当然承知の上で、経歴などは一切考慮せず、人間の性質としてどうか、という部分を見てもらおうと考えていたのだが。
 大野右仲は天保七年十二月八日生まれで、唐津藩の出身だ。
 昌平坂学問所で学んだ後、唐津藩十代藩主・小笠原長泰の四男である三好胖に仕えていた。父が病没後、幕府老中・小笠原長行の義弟となり、唐津藩の嗣子である。
 仙台藩が新政府軍に恭順したことから旧幕軍は奥羽越列藩同盟に見切りをつけ、本州を離れて蝦夷へ渡航しようという時に、新選組に入隊をするのを条件に、桑名藩・唐津藩・松山藩の藩士らが船への同乗を許された。
 榎本武揚が用意したお墨付きの旧幕府艦隊、開陽・回天・蟠龍・神速・長鯨・鳳凰・大江である。
 新選組が斎藤一らを残して会津を離れ仙台へと向かう時、“局を脱するを許さず”の法度はとうに意味を無くして一年程、土方は隊士の離隊を許したので、最多時で二百五十名を超えたという隊士数は僅かに三十八名まで減っていたのだ。
 藩士らの主君はあくまでそれぞれの藩主であり、新選組入隊は船に乗る為の手段に過ぎず、蝦夷へ着いた後まで新選組と行動を共にするなど、ましてや土方の配下になろうなどとは全く考えていなかったし、怜悧な土方はその思惑をしっかり見抜いていた。
 それでも同行を許した。
 赤い舌の見え隠れする藩士らの中に大野右仲がいて、三十八名の新選組の生き残りの中に島田魁がいた。
 特に大野には、心に決めた主君がいる。
 三好胖は十七歳の若武者であるが、眉目秀麗で勇猛果敢、その上優しく聡明な、誰からも愛される青年だ。
 少なくとも傍目からは野卑にも粗暴にも見える新選組に入るなど本意ではない。しかも隊長の土方歳三は、元は百姓だというではないか。我が若君がそれに従うなど、言語道断だ。
 当時三十二歳の大野だが、一本気でクソ真面目なのは生まれつきである。加えて顔にもすぐ出るので、三好は優し気な顔のままに宥めたり賺したりしていた。
「新選組は、ただ藩主の倅だというだけでお前のような優秀な男が付いてくれる私とは違うのだ。徹底した実力主義。父の名に恥じぬよう、いち武士として認められる働きをせねばな」
 その言葉と決意通り、彼は蝦夷到着直後の戦で命を落とす。
 五稜郭を目指して進軍中、土方が衝鋒隊・陸軍隊・額兵隊そして守衛新選組の総勢五百名を率いる一方、新選組本隊は大鳥圭介率いる部隊にいた。
 何度か当たり前のように名を出してきた守衛新選組が初結成されたのはこの時である。
 史料では『島田魁日記』にのみ登場する私設部隊・土方歳三守衛新選組は、は? 俺達が副長から離れるわけねぇだろ、大鳥の指図なんか受けられるか、という面々が集まっている。
 順調に勝ち続ける土方隊に対して、大鳥隊は苦戦の連続だった。
 そして七百名を超える新政府軍と七重村で遭遇し、唐津藩士十名と共に三好は討ち死にする。
 早々に退去し既に無人であった五稜郭にて二隊が合流し、祝砲を打ったり大宴会を開いたりと賑わう中、大野は切腹を決意していた。
 土方は幹部陣からも配下の者からも、ここへ来て初めて一緒になったようなかつては全くの別部隊であった者からも大層好かれる割に本人は意外にもほぼ下戸に近いので、酒席はあまり得意ではない。
 箱館の老舗揚屋を借り切っての大宴会が催される中、大勢の者に囲まれる隙を抜け出して、大宴会場とは雰囲気も方向も真逆の位置にある小さな座敷に入ると、お誂え向きにそこには大野が項垂れて正座していた。
 酒が苦手な土方からすると周りの者は皆ほぼ三度の飯より酒が好きなように見えるので、初めて降り立つ蝦夷の地の珍しくも旨い酒と肴に夢中になり朝まで入り浸りであろうと予想する中、こんな場所にまさか先客がいるとは思わず、あまり感情を目立たせることのない土方は後から思い出すと少し恥ずかしくもなる程に肩を揺らし、涼し気と評判の切れ長の二重瞼を注目せずともわかるくらいに見開いた。
「……おお、うちゅう……だったか」
 どいつもこいつも人を犬っころみてぇに、初対面から名前で呼びやがって。
 武家の代名詞は苗字帯刀であるのが表すように、武士同士は苗字呼びが基本である。
 それを、主に新選組の連中は名乗る途端に、珍しくも呼びやすい名だからか、うちゅー、うちゅーと気安く呼んで来る。
 ここでは苦々しく見上げる土方も、やはりその一人だ。
「右に仲で、うちゅうか。人と人との間柄を、穏やかに保つ……また“右”はただ一字で、優れていることを表す。良い名だよな」
 宴会から逃げて来た癖に、さてはこの男、ほぼ素面つか、全然飲んでねぇな。
 どうせこれから死ぬんだ。上官だろうが討幕派連中を震撼させた新選組鬼副長だろうが、知ったことか。
「……名前負けだって、言いたいんですか」
 自分が想定していたよりも数段低い声が沈んだ。宴会の喧騒が遠く聞こえる中、飲まず食わずでしばらく黙って考え込んでいたのだから無理もない。
「いや。俺の弟で“総てを司る”で“総司”って名前のヤツがいる。名の意味や響きが清々しいってのは、良いことじゃねぇか」
 土方はお大尽と呼ばれる程に裕福な豪農の生まれで、十人兄弟の末っ子である。実の弟のように可愛がっていた、という真の意味での説明は省いている。
 大野とてその名くらいは聞き覚えがある。新選組一番隊隊長であり、日本随一の剣士・沖田総司のことを、数か月前に病で亡くなった今も生きて遠くの地で笑っているかのように土方は語る。
 それは新選組局長・近藤勇に対してもそうである。
 家族程に近しい大事な存在を喪った経験があると、自分の記憶からその面影が消えぬ限り、どこかで、少なくても自らの心の中では生き続けている感覚は決して無くなりはしない。
「……それより、こんなところで何サボッてんだ」
 一見、旧幕軍と新政府軍の内乱との印象が強い戊辰戦争の裏では、世界各国の思惑渦巻き、腹の底では何をどれだけ企んでいるか図り知れない大国が日本を利用しようと手を拱いていた。
 新政府軍にはイギリスが付き、死の商人という言葉が残るように、大量の武器弾薬を斡旋し、旧幕軍にはフランスが付き、この地でこれから築かんとする蝦夷共和国には軍事顧問団まで派遣されフランス式調練を行っている。
 各個人を見れば彼らは友好的で、蝦夷共和国の戦いぶりを母国に報告する折にも、指揮官は優秀で兵士は皆非常に勇敢であるなど、称賛を隠さずに表現する文章が残っている。
 フランス仕立ての軍服に白いマフラーにロングブーツそして銀の懐中時計を身に着けている写真や、剣術稽古の際に付ける防具の面紐は真紅であったという史料に残るように、お洒落で新しいモノ好きかつ地獄耳の土方は、フランス士官が使う“sabotage”の言葉をもう我が物顔、あたかも長年話し慣れた江戸言葉かのように使っていた。
 いや、その言葉そっくり返してやるよ。
 至極尤もであるがさすがにそのまま口に出すわけはなく、大野はまた首を垂れて黙った。
「……主君に、あんな年若い主君に先立たれた。近くにいたのに、守ることができなかった」
 恵まれた生まれに驕ることなく、誰からも誉めそやされる容姿や文武両道の才に慢心することもなく、戦直前まで呑気に学問やってた俺のような藩士を決して軽んじることなくむしろ態度のみではなく言葉でも気恥ずかしいくらいに尊敬の念を以て接してくれる少年だった。
 そう、ほんの少年だ。
 俺が只管他人を蹴落としたり寝る間を惜しんで勉強したりと自由に過ごしていた時期を、次期藩主として気丈に立っていた。
 義兄の判断に従い新政府軍と戦なんてしていなければ、蝦夷への船なんかに乗らなければ、新選組なんかに入らなければ、星でも浮かべたみたいに爛々と光る眼をした俺の主君は、死なずに済んだのに。
「だから、お前は腹ぁ切るってのか」
 守るべき主君も守れず、のうのうと生きていくなど、武士のすることじゃねぇだろう。
 学者だなんだと蔑んできた連中より誰より、最期は武士らしく。
「やめとけ」
 畳に置いてあった脇差を、いとも簡単にすっと取り上げる。
 大野が睨む先の土方は、怒るでも侮るでもなく、ただ哀しげな顔をしていた。
「俺も、盟友を喪った」
 新選組局長・近藤勇のことだろうと、すぐに察しがつく。
 彼は流山で新政府軍に投降した後、碌な審議もされずに斬首されている。近藤と土方の間には親友とも兄弟とも言い難い絆があったことは、島田魁などの京都からの古参隊士に聞いたことがあった。
「だからこそ、俺はゼッテェに諦めねえ。後を追おうなんて考えねぇ。最後まで戦い抜かなけりゃ、合わせる顔がねぇんだよ」
 大野は勝手ながら、この男は死に場所を求めているのだと思っていた。
 京都新選組結成前の、故郷に居る頃からの仲間を続け様に喪い、自らも死ぬべき大舞台で華々しく散ろうとしているかのように見えていた。
 五稜郭への行軍は別動隊だったが、凄まじい戦いぶりだと評判を聞いたからだ。
 総督らしく本陣に引き籠って指示を伝えるのではなく、自ら刀を提げ、誰より速く斬り進みながら烈火の如く激しく指揮し、退く者は斬ると下手な脅しではなく本気で叱咤する。配下の兵士達はその神憑り的な立ち振る舞いに刺激され、当然士気は鰻登り、命じられれば火中にすら飛び込むのではないかという心酔ぶりは、土方親衛隊ともいうべき守衛新選組の面々に限ったことではなく全体に広がっていった。
「俺は単なる戦馬鹿だ。喧嘩しか能がねぇ。だから俺が認めた大将の夢の為に、勝ち続けてやる」
 かつては近藤勇の士道の為、そして今は榎本武揚の理想とする、独立政府蝦夷共和国を作る為。
 勝手な印象とは正反対に土方は、死に急ぐという言葉とは無縁の男だった。
 如何にも不幸げな、悲劇の英雄ぶった悲壮感などはまるでない、次の喧嘩にワクワクすらしている、箱舘新政府の軍神。
「大野右仲。お前の命、俺が預かろう」
 不遜げな、悪巧みでもしているような笑みにハッとする。
 ここで反論しなければ、何か言わなけりゃ、この男の思うツボだ。
 しかし、驚きのような怒りのような、嬉しさのような。
 様々な感情が入り乱れて声が出ない。
「切腹するぐれぇなら、死ぬ気で俺についてこい」
 確かに、死ぬ気になれば何でもできるよな、と危くすんなり納得させられそうになる。
 だが後から考えてもこの時、命を救われたのだ。
 偶然なのか不在に気付いて捜してくれたのかはもう確認する術(すべ)はないが、土方がこの部屋に入って来なければ、決して衝動的ではなかった覚悟が変わらなければ、大野は一人で腹を切っていた。それも殺してくれと叫びたくなる程に、介錯なしの切腹は地獄の苦しみである。
 土方は断るなんて有り得ないと確信している様子で、すぐに踵を返し、本人は本来大して好きではない筈の宴会場へ戻った。
「……返事も聞かねぇのかよ」
 しかし言葉と裏腹、大野の顔は決して不満そうではない。
 つか、ついてこいって……精神的にじゃなくてまさに今物理的にって意味かよ。
 素だとぶっきらぼうな口調から連想しにくいが、学があり貴人に直接仕えた経験がある大野は察しがいい。
 その付き従う時の癖で気付いて早速、滑るような早足で追いつくと、文字通り駆け付け一杯、どころか浴びる程飲まされるという、待ち構えていた守衛新選組による酒の洗礼が待っていた。
「うちゅーは唐津藩出身なのに国言葉全然遣わないんだな」
「あー、江戸でちっと学問所に行ってたからな」
 濁し気味に答えているが、江戸の学問所といえば洋学の開成所と西洋医学の医学所と並ぶ幕府直轄の名門昌平黌である。
「ううわ感じ悪っ! 副長は学のある男はキライなんですよねー」
 首を傾げて、本人は可愛らしいつもりで語尾を上げるのは中島登だ。
 事実、新選組の文学師範を任された伊東甲子太郎や甲州流軍学を修めた武田観柳斎とは馬が合わず、最終的には二人とも土方の陰の尽力によって非業の死を遂げている。
「うるせぇ黙れ殴るぞ」
「いやもう殴ってますって!」
 土方は、仕事でも喧嘩でも女に対してでも、手も足も早い。ここで大野が胸を張って一歩進み出る。
「副長大丈夫です! 俺ちゃんとバカです!」
「右仲どういう意味だ」
「俺だけ殴るの早くないですか!?」
憎まれ口は表面上のみで、土方の思惑通りなのか、同じ船で蝦夷に上陸するまでも合流してからもどこか一線を引いて周囲に馴染まなかった大野は、島田ら新選組とも他の隊出身の兵ともすっかり仲良くなった。
「俺は……副長を命の恩人だと思っている。憎むなんてありえねぇ」
 勿論一言一句伝えたわけではないが、一部始終身の上話を続けて最後を締め括った。
 確かに、かつての主君も自分も、当初は入りたくもない新選組に入らざるを得ず、そこで苦戦を強いられ主君を喪いはしたが、流されただけとか無理矢理だとか責任転嫁するつもりはない。
 命を救われた自分は、心から気を許せる、戦の時には安心して背中を預けられる無二の仲間達に出会い、そして再度、命に代えても惜しくはないと言えるひとの下で働くことが出来た。
 崩れ落ちて行く幕府の屋台骨を支えている時と同じだ。すべての道は、自分が選んできたものだ。決して哀れな被害者ではない。
 漸く例の人懐こそうな笑顔を見せる永倉は、島田に軽く目配せした。
「俺ぁ信じてもいいと思うがな」
 元来、人を疑ったりは出来ない男である。
 この言葉にホッとしたのか周りの喧騒が見えると、相変わらずどの客も旨そうに羊の肉に食らいついて、酒を飲んでいる。
「ええ。作り話でなければ」
「テメェ島田!」
 五稜郭を占拠してから一年半程度、そこまで長い期間ではないのだが、あまりにも近くで尊敬の眼差しを向けていたので移ったのか、大野も手が早い。ついに島田の胸倉を荒々しく掴んだ。虚しくも、巨体なのでビクともしない。
そして騒がしい店内では他の客も驚いたりもチラチラ様子を見たりもしてこないし、店主が顔を顰めたりもしない。
「冗談だ」
 ふと口許を歪ませると殊更乱暴に手を離すが、島田は続けて
「そんな話、初めて聞いた。羨ましい奴め」
と呟く。新選組古参隊士にしては珍しく、入隊当初から明らかに人好きのするヒトタラシの近藤よりも鬼副長の仮面を被り続けている土方に心酔していた男である。
「すまなかったな、試すような真似をして」
 いや、真似っつか、試す以外の何物でもねぇだろ。
 まだ少し苛々しながら、しばし卓上に置き去りだった猪口を口に運ぶ。
 しかも口では謝ってはいるが、本当に悪いと思っているか疑わしいし、まだ完全に疑いが晴れたとは言えない気がする。
 痛くもない腹を探られても何も出ない。自分が下手人でも黒幕でもないことは自分が一番知っている。
 これから行動を共にすれば、疑いも晴れるだろ。つか、ゼッテェ犯人見つけんだから勝手に証明されるはずだ。
「何やら楽しそうじゃねぇか。俺もそろそろ江戸へけぇろうかな」
 実際に可笑しげに喉奥に笑い声を忍ばせながら、永倉が零す。
 眼はガムシンそのものだ。冗談ではないとわかるので、二人とも驚きに瞼を瞬く。
「なだらかで平和な暮らしなんてヤットウ始める前のガキの頃以来だ……確かに、こういうのを幸せっていうのかと感じたが。退屈でな」
 これじゃあ本当に、桃太郎よろしく、鬼退治の仲間集めの旅じゃねぇか。
 永倉の言葉をなんとなく嬉しく思いながらも、大野は心中苦笑いでもしたくなった。
 しかし永倉は、二人の手助けをする為に東京に引っ越したわけではない。
 近藤が存命中は、事あるごとに批判し対立することもあったが、喧嘩仲間の心境と同じように、近藤や新選組が世間的に悪く言われるのは癪に障る、近藤の悪口を言ってもいいのは自分だけだと言わんばかりに、その生涯は近藤を中心とした新選組の名誉回復の為に費やすことになる。
 幕府御典医であり、新選組全隊士の健康診断に始まり、元御陵衛士により肩を撃たれた近藤の手当をし、宇都宮戦で足の指を撃たれた土方の手当をし、沖田の労咳を診た松本良順発案による新選組供養塔建立に尽力し、またその間には「浪士文久報国記事」として新選組の活躍を日記のように綴っていて、大正以降も隠居の身で「永倉新八」という表題の記事を七十七回にも渡って小樽新聞で連載、共に現代でも新選組研究に置いて重要な史料となっている。
 幹部隊士の中では希少に長く生き延びたとはいえ固く口を閉ざし、本人に関する情報ですら未確証だらけ、小野派一刀流、無外流、天然理心流と諸説あり確実な流派が不明なのに加え、新選組入隊は会津藩士ながら間者の密命を受けたものとの説まである程に謎多き人物の斎藤とは大層な違いである。
 しかし互いに想いは同じであろう。
 永倉は積極的に発信することで、斎藤は黙することで新選組を愛し、守ったのだ。
 さて、大野と島田はせっかく北海道まで来たのだから他にも調査をしたいところではあるがそれよりも、というのも語弊があるが、しなければならないことがある。
 大野も島田も……というか敵も味方も、大きく言うと日本中いや諸外国まで当たり前のように土方の死を受け入れているが、実はその亡骸は見つかっていない。
 現代まで確たる証拠もなく信じられているのは、同じ戦場にいた人物の目撃証言であると伝わる、一本木関門付近にて下腹部を撃たれて落馬したとの言葉のみ。
 その魂は箱館に眠り、つい最近、故郷である日野に帰す儀式が行われた。
 新政府軍の憎悪を一身に受けて不当な斬首刑に処せられた近藤の御首級は、板橋の処刑場で三日晒され、わざわざ焼酎漬けにして京まで届け、三条河原でも三日晒された。
 そのような屈辱を土方にまで受けさせて堪るかと、銃弾砲弾飛び交う最中必死に五稜郭まで亡骸を運び、埋葬地すら諸説ある程に隠しに隠し切ったとの説がある反面、まさに大野と島田が調査しているように味方側に暗殺された故に、その証拠を隠匿することを目的として亡骸を隠したとの説もある。
 島田が言うように味方側から撃たれているなら、前しか向かぬ男を狙う凶弾は背中から入るからだ。
 何れにせよその時から七年も経った今、その地に赴こうが髪の毛一本落ちているはずがない。
 しかしこの地に降り立った以上、向かわずにはいられないのは本能とも言える。
 そう、どんな結論だとしても、かの人の心が魂が、そこにある気がしてならない。
「……だよなー」
 それらしき場所に着いたかと思うと、大野は残念とも何とも言えない心地ながら自分でも知らず鼓舞するような気持ちで呟いた。
 到着する前から、とうに予期していたことだ。
「そうだよな。何も、ない」
 島田も、手持ち無沙汰に坊主頭を掻きながら応える。
 現代ではわかりやすく一本木関門と記された柵が立つ絶好の撮影場所となっており、近くには土方歳三最期之地という石碑が建つが、二人の目の前には哀しいまでに大きな空き地が広がっている。
 少し歩を進めれば向こうには激戦の末、千代田形が座礁し、回天が渡航不能となり、最後の悪足掻きのように小気味よく朝陽を撃沈して見せた蟠龍が座礁した、今は静かな海があるのだが、目立つ建物があるわけでもなし妨げる物は無くとも遙か向こうに感じる。
 この地で手を合わせれば、届くのか。
 それはわからない。死後、魂がどこにあるのかなんて、現代でさえ判然とはしない。
 それでもここで、皆一様に手を合わせる。それすら現代でもこの二人でも同じことだ。
 しんみりと物云わぬ二人は、不思議に申し合わせたようにまた歩を進める。
 行先は、弁天台場。
 相馬主計率いる新選組本隊が孤立して籠城戦に入った時、陸軍全体の指揮官であるにも関わらず狂おしい程の私情に近い感情で戦場に立ち、馬上で檄を飛ばした土方が目指した場所である。
 どんなに祭り上げられても、最期の呼吸ひとつ鼓動ひとつの瞬間まで、新選組副長たる誇りを以て。
 向かいながらも予感していた。同じように、何もないのだろうと。
 眺めるのも虚しい空虚が広がっているのだろうと、期待しているようでもあった。
 しかしそこには、かつて見慣れた後姿があった。
 幻と明らかにわかる有り得ない背中には、浅葱色のダンダラ羽織が見えるようだ。彼は、それを身に着けたことなどないというのに。
「……相馬?」
 土方に託された、最後の新選組隊長・相馬主計。
 幽霊にでも掛けるような震えて怯えるような声でその名を呼ぶと、まるで待っていたかのように緩やかな動作でこちらを振り返る。
 仲間として共に戦場を駆けた時にすら目にすることが珍しかった柔和な笑顔はこちらに安心感など到底与えてくれそうにない。
 何故なら彼は、死んでいる筈だからだ。
「また、ここでお会いするとは。島田さん、大野さん」
 清々しい程にこちらの気も知らず、歩み寄るので、大野は少しだけ後退した。
 よく現れると、眉唾話の中でも殊更に有名な、旧幕軍の亡霊のようだ。恐れるような立場ではないことは重々承知しているが。
「よう、相馬! お前、生きていたのか!」
 事も無げに軽く、むしろ喜び勇んで片手を挙げる相棒へ、得体の知れない物を見るようにギョッとした目線を送る。
 送る相手が間違っている。
 相馬主計は死んだと、一人腹を切ったとの噂が周知の事実として伝わっているのは大野は勿論、島田も相馬本人でさえ常識のようなものだ。
 土方同様、その亡骸を誰ひとり、見た者がいないという点も含めて。
 しかし実は生きていた、という話も戦時中ではよく聞くことでもある。
 本人不在ながら例として頻繁に登場するが、かの斎藤も、会津で土方ら新選組本隊と別れて如来堂で戦った際は全滅したとの噂が流れたものだが、実はピンピンしていたのだから。
 とはいえこの状況では、芯ではまさかと思いながらも疑わずにはいられない。
 暗殺の下手人もしくは黒幕ではないかと、島田が挙げた人物の中に最も意外な人物のひとりとして彼も名を連ねているのだ。
 相棒から聞かされた当初は、万が一相馬が犯人だとしても、死んじまってるから一発ぶん殴るどころか問い詰めることすらできやしねぇよなと、お前だけは違うよなとの願いも含めて大野個人的には疑惑の対象外として見ている感があった。
 でも生きているとなれば、しかも世間的には死んだことにしておいて本当は生きていましたとなれば話は別だ。
 何故そんな偽証を行ったのか、何か疚しいことがあるからじゃないのかと、一気に疑いの目を向けざるを得ない。
 守衛新選組として土方にピタリと付いて戦場に出ていた頃には、ぶっきらぼうでいつ見てもどこか緊張しっぱなしのように固い表情のまま動かない如何にも古来からの武士然とした男だったが、この時は不思議な程に柔らかく微笑して見せた。
 しかし何故か温かい印象はなく、どこか寂しげだ。
 それは何も相馬に限ったことではない。
 明治を生きる元新選組隊士に共通する雰囲気かもしれない。
 本人達は勿論自覚などしている筈もないが。
「はは。ええ、死んだことになっているようですね。困ったものです」
 これは演技か真実か。真実だとしたら、相馬は死んだと公表したのは、誰か別の人物だということか。
 何の為に? そんなことをして、得する人間なんているか?
 本心ならば、再会を喜びたい。死んだと思っていた仲間が生きていたのだ。嬉しくないわけがない。
「お互いしぶてぇな。殺しても死なねぇって、俺達の為にあるような言葉だぜ」
 そう言って肩に手を置くと、一層に相馬は笑みを深くした。
 大野は先述の通り、自ら命を絶とうとしたことがあり、相馬もまた、命拾いをしたことがある。
 それもやはり大野同様、敬愛する上司によって救われた命だ。
 策士勝安房守により押し付けられた甲陽沈撫隊との変名で軍を進める道中、流山に駐屯しているところを新政府軍に包囲され、局長近藤は幕臣大久保大和として投降した。
 その際に、是非にと申し出て家臣として同行したのが野村利三郎と相馬主計である。
 かつて同じ釜の飯を食らいながらも、近藤暗殺疑惑からの油小路の変、墨染での近藤狙撃と、やってはやり返すの犬猿の仲である元御陵衛士によって正体が暴かれ、途中まで幕府の味方面をしていた蝙蝠の薩摩藩よりむしろ池田屋騒動と近江屋事件で同志を喪った分の幕府への恨みが深い土佐藩士のほぼ強硬手段で近藤に斬首刑が言い渡された折、野村と相馬も同様の刑に処せられる予定であった。
 しかし近藤が、この二人はほんの下っ端で何も知らない若輩だからと心にもないであろう程に貶め、それでもお供しますと懇願するのを頑として聞き入れずに釈放させたのだ。
 大野が新選組に入隊する前の話だが、聞いたことはあったので、当時のというより聞いた時のことを懐かしく思い出す。
 北海道の冷たい海からは想像も付かないような、優しげなしかも温かいような波音が辺りに漂う。
 いかにも郷愁を呼び起こすような音だが、ここは三人の誰にとっても故郷ではない。
 ただの、壬生から始まった新選組の本拠地の、その最期の砦である。
 そんな黄昏た想いでいるからか、生きている不思議も含めてこちらから訊きたいことの先を越された。
「二人はここで何を? まさか観光ではありますまい」
 何と答えるのか、島田に任せることにした。
 やはり元監察の彼と自分とでは、他人の疑い方や誘導の仕方、至る所で力量不足を感じざるを得ない。重要そうな問答は島田に委ねた方が良さそうだと、大野は漸く学習してきていた。
「そのまさかだと言ったところで信じないだろう」
 珍しく冗談を言った相馬に対して、島田は懐かしいかつ最近では見慣れてきた、歯をニッと見せる屈託のない笑顔になる。
 その歯の白さに潔白さを見よと言われているような気がするが、やはりどうも胡散臭く感じてしまうのは、味方とはいえ目的を知っているからだ。
 相馬も、それもそうだとの返事の代わりに黙ったまま続きを待つ。本来、相馬は軽口など滅多にきかない、不言実行を絵に描いたような寡黙な男だ。
「黒幕を捜している。副長暗殺の」
 仮に茶でも酒でも何か飲み物を口に含んでいたなら間違いなく口から吹き出して霧散させるであろう言葉に、水すら飲んでいない筈の大野は盛大に噎せた。
 やっぱコイツに任せるべきじゃなかったか。
 苦しい息で涙目になりながらも、いやこれも作戦かと思い直す。
 当時を偲ぶような物は何ひとつない、寂れたそして見通しの良い場所でする話ではないが、どこか場所を変えようと提案するのも遅過ぎる程に、島田の返答によって急に話は核心へと迫ってしまっている。
「……やめたほうがいい」
 守衛新選組の中でも、土方からの信頼が最も篤いと言える男の反応とは思えない。
 まず土方が暗殺されたのだということに驚きもしない上に、黒幕を捜すのもやめろ、と言ったのだ。
 というか、斎藤一、永倉新八、相馬主計と、ここまで三人もの元新選組隊士に打ち明けてきたが、どうも大野が期待しているような反応が得られない。
 自分のように、驚いて憤慨して怒鳴りつけ、是非とも協力させてくれと申し出るような反応が、当然のように返って来るものだと思っていたのだ。
 そう、その者が犯人でなければ。
「おかしいだろ? 官軍サマの鈍い弾なんか当たらねぇって言ってた副長が、流れ弾に撃たれるはずがない」
 正しくは皮肉を込めた官軍サマとも言わずに奴らとか表現していたが、確かに公言していたのは大野も聞いている。
 島田はわざと冗談で、暗殺されたということに対して反論してきた場合のような返し方をしたが、実際に相馬が否定したのは黒幕を捜すという行為に対してだ。
「何者かが狙って撃たなければ、当たる筈がないんだ」
 続けつつ、相馬を睨み付けるような視線を送る。
 まるで、黒幕の正体でも突き止めたように。
 島田が挙げた怪しいと見ている人物の中で大野主観の順位付けをすると、コイツは絶対シロだろと思う者の頂点は相馬である。
 理由は明確だ。先程述べたように、箱舘新選組の中で、土方が最も信頼した男だから。
 悔しいような気持ちもありながらもそう考える、根拠もまた明確だ。
 明治二年五月十一日の箱館総攻撃を翌日に控え別盃と称した宴会を、またあの日のように土方と共に抜け出し、文字通り最期の酒だと騒ぐ幹部連中を揶揄するように、
「俺は死ぬ気なんざ無ぇが」
と前置きをしてから、もしも自分が斃れたら、新選組の指揮は相馬に任せると素面で言ったのだ。
 ――……
「島田、右仲。支えてやれ」
 ――……
 指揮とは言ったが、総攻撃では敗けると決まっていた。
 諦めてヤケになっていたわけではない。
 冷静に考えて、仙台から蝦夷に渡った自軍は敗けるたびに減っていくのに対し、倒しても倒しても本州中から援軍が渡って来る敵軍には、時間がかかってもいつか必ず敗ける。
 単なる戦の指揮ではない、新選組の最期を締めくくる役割を託したのだ。
 信条や挙動や忠誠心やその性根を見込んだだけではない、この国最後の武士として、何があっても必ずやり遂げるだろうと、土方自らの、近藤局長の、新選組の遺志を継ぐ者としての絶対的な信頼を以てすべてを託したその男が選ばれたことを、土方の独断ではない、守衛新選組の誰もが認めた。
 そしてその重責を、血反吐を吐くような地を這いずるような想いで全うした。いや、ような想いというより、実にそうして新選組の幕引きを終えたのだ。
 そんな男を疑う島田を、よもや嫉妬じゃないかと逆に疑う程に、土方暗殺などという凶行からは最も遠い人物だと思っている。
 勿論、傍から見ていた印象や土方の信頼だけではない、相馬自身も子どもとも弟とも見えるような微笑ましさで土方を慕っていたから。
「俺達の副長を裏切ったヤツがいるとすれば、俺は許せない。相馬、お前も同じだと思っていた」
 そう、何の疑いもなく信じ切れる程に、相馬の忠誠心は火を見るより明らかだ。
 常に懐中にその戒名を携えている島田と同じ程の。
「……副長は、下手人捜しなんて望まない」
 “まるで”下手人が誰か知っているような口振りだ。そして真実が露見すること望んでいないような。
「島田さんも大野さんも、知らないままの方がいい」
 その疑念は確信に変わる。
「すべて知ってるようなことを言うんだな」
 島田は、大野も同じく感じていたことをそのままぶつけた。
 冷たく静かに見える海。そう見えるのはあまりに広大だからだ。
 近付いて切り取って見れば、意外な程に荒れ狂う水面に驚愕することになる。
 その問い掛けを肯定も否定もしないまま、相馬は項垂れる。
 その姿に、土方の意向を伝えた時の様子が蘇る。
 ――……
「副長に万が一のことがあったら……? そんなこと、俺が絶対に許さない。あのお方は死ぬ気なのか? いや、そんな筈はない。信じているが、そんなことをおっしゃるなら、俺は新選組本隊の指揮は他の者に任せて、終始副長の馬前から動かぬ。俺が盾になってお守りする」
 当時やはり珍しく饒舌に、細い眼をかっ開いて捲し立てる相馬に、大野は予想通りではあるが少し溜め息を聞かせてから煩そうに片手を振った。
「同じこと、俺も言ったがな。まぁたドヤされちまった。まだそんなこと言ってんのか、俺や上官を生かす為なんかじゃなく、テメェと仲間が生き残ることだけ考えろってな」
 大野は地声よりもかなり低くドスの利いた声で、ついでに眉間の皺まで真似をして見せた。
 土方の言う上官とは五稜郭本陣に引き籠り指示を飛ばす幹部であり、仲間とは共に前線に立つ新選組や他隊の戦友のことであろう。
 新選組連中は愛想を良くする、空気を読むという思考がすっぽりと抜けているらしく、相馬もまた箱館総攻撃前夜の宴会には参加せず自室で銃の手入れなどをしており、そこに大野が土方の言葉を伝えに来たのだ。
 守衛新選組というほぼ私設の自称土方親衛隊というような者らと違い、箱館政府公式の陸軍奉行並添役という役職を与えられ、名実共に土方直属の部下である相馬はそれ程広くはないが洋式に整えられた部屋を持っていた。
 漆を塗ったように照り輝く焦げ茶色で、真四角の縁取りに仕切られた中の透明な硝子の窓が、月の光で星が疎らになった夜を映す。
 苦悶の表情に歪む相馬の横顔が、薄っすらと重なる。
「……どうして、俺なんだ」
 そんなこと、俺だって訊きたい。俺が新選組隊長になりたかった。
 とは、正直、露程にも思わなかった。
 土方のことは心底尊敬しているし、本人には堂々と言えても照れ臭くて周りには言えないものの憧れているがしかし、跡目を任されたいなど望めるわけがない。
 その理由は、相馬と似ていた。
「新選組創設期からの古株や、上官とか、俺と同じ添役だって他にもいるのに……どうして」
 この先は相馬にも前置きする通り、大野の推測に過ぎない。
 土方が相馬を指名した時、土方を死なせやしないとの意気込みとは別にして、相馬が選ばれたことについてはその有能さと信頼感で異を唱える気など起きなかったので、理由を尋ねる必要がなかったからだ。
「お前が、板橋の近藤局長にお供していたから、じゃねぇか。新選組の魂を引き継ぐのに、相応しい」
 もうひとりの供は、宮古湾海戦で勇ましく討ち死にした。残るのは相馬だけ、たったひとりだから、どの新選組隊士よりも、最後を飾るのに相応しい。
「……いつも副長は、拒絶などさせてくれやしないんだ」
 土方はいつでも、相手が上官だろうが敵だろうが、従わせる術(すべ)を心得ている。
 敵に背を向ける者は、命令違反は斬るなどと高らかに宣言しなくとも、彼に逆らうことが出来る者はそうそういなかった。
 ――……
「すべてなど、知ってはいない」
 土方が味方に狙撃されたことは知っているし、下手人もしくは黒幕の大体の目星もついている。
 そう言っているようなものだ。
「お前は……っ腹立たねぇのかよ! 俺達の大事な、」
「大事な副長だからだ。あのお方は決して怒りも責めもしない。ならば部下が勝手に激昂して事を荒立てるなど、あってはならないことだ」
 一方島田は、おおらかな見た目と人柄に似合わずのさすがは元監察。どこか冷静に判断していた。
 その話し振りから、相馬が想定している下手人そして黒幕は大組織ではなく一人もしくは多くても数人程度の者達で、かつ土方も相馬も信頼していた人物そして相馬は、まるでその者を庇っているようだと。
「理屈で納得できるなら、蝦夷まで戦しに行ったりしねぇし、今日だってここまで来ちゃいねぇんだよ!」
 殴り合いにでもなりそうな二人の剣幕の合間には冷たい波の音がどこか余所余所しく遠く聞こえる。
 発起人の癖にどちらに賛同することこなく、島田はいつでも鮮明に思い出せる、降服の屈辱を目の奥に描いていた。
 ――……
 島田は痛い程に、いや痛みなど感じることはない程にただ一点の空を見つめたままに奥歯を噛み締めていた。
 正直、こうなる予感はしていた。
 土方が斃れたらもう、総督ら他の上官が生きていようが、蝦夷共和国はお終いだと。
 あの日から初めて、ああ、俺達は敗けるのだと実感した。
 常勝将軍は戦地の象徴であり尊敬と憧憬を集めるまるで軍神のようであり、新選組の魂だった。
 大政奉還の時も新選組の名を奪われた時も局長が捕らえられた時も、終わりだという虚無感は無かった。
 俺達には土方副長がいる。
 それは無敵のまじないのように、自然と何度も心で唱えると、歩む足に力が入り、刀を握る手は闘志を漲らせる。
 新選組が籠城していた弁天台場は、五月十五日に降伏した。
 新政府軍も、この戦いが長引く程に厄介なことはわかっていた。そして、土方の死が新選組の士気の低下にどれ程大きな影響を及ぼすかも。
 今なら受け入れるであろうと再三恭順の誘いがあり、台場の弾薬も水さえも尽きかけて漸く、帯刀を許せと条件付きでの降伏となった。
 同時に、最後の新選組隊長に相馬が就任する。
 恭順を伝える書状には『新選組隊長 相馬主殿』の添え書きがある。史料により彼の名は混在しているが、就任時に改名したのだ。
 千代ヶ岡陣屋は徹底抗戦の構えであったが五月十六日に陥落、そして五稜郭は五月十八日に降伏開城した。
 それは戊辰戦争の終結と、幕末という時代の終わりと同意義である。
 相馬は、榎本武揚、大鳥圭介、永井尚志らと共に東京送りとなり、気が遠くなる程に何度も、謂れのないものも鮮明に身に覚えのあるものも含めて繰り返し詮議を受けることになる。
 旧知の隊士にでさえ自分のことを語ることがないので、同じ癖のある斎藤同様に相馬も謎が多い男だ。実は入隊時期ですら確たる史料が残っていないが、慶応三年十二月の天満屋事件三浦休太郎護衛隊士名簿からその名が登場する。その前の同年六月の新選組総員幕臣取り立ての時には名がないので、この間に入隊したのであろうと推測されている。
 入隊当時の彼は仮隊士扱いの局長附人数の中に含まれており、どんな良い身分や家格であろうと普通の組織なら思われるところだが、ここは実力至上主義の新選組である。新人ながら剣技や現場での判断力を見込まれて、土方、斎藤、原田左之助、吉村貫一郎ら錚々たる顔触れと共に重要人物の護衛を任される程に期待と信頼を受けていたことが窺われる。
 それはこの時だけではなく、慶応四年一月からの戊辰戦争の幕開けである鳥羽・伏見の戦いではもう、隊長附五十人の組頭の座に据えられている。
 僅か数か月で、古参隊士を飛び越えての抜擢だった。
 そんな華々しい活躍を短期間で遂げた彼なので、かの池田屋事変も坂本龍馬暗殺も知ったことではないのだが、怨恨満面の土佐藩士らが中心に行った執拗な取り調べを経て、明治三年十月に終身流罪となり新島に流された。
 その後、史料では大工棟梁の空き隠居に預けられ、身の周りの世話を行ったその次女を妻に娶っているのだが、明治五年に赦免され東京に転居してしばらく、妻が外出している間に相馬は切腹して果てていたということになっている。
 障子が真っ赤に染まっていたとの生々しい話まで残っているのだ。
 しかし実際はこのように島田の目の前で、大野の激昂に対して静かに、底の知れぬ面で立っている。
 立ち話を続けるには場所が悪過ぎる。
 しかし聞かずにはいられない。元監察なのだから調べるなり何なり、探りを入れる巧みな会話術なり出来る筈だが、策を弄する気には到底なれない相手である。
 大野の憤慨ぶりを特に気にも留めずにいたので、何の躊躇もなく会話に割って入る。
「何故、死んだことにしたんだ? 理由があるんだろう」
 隠したり適当に誤魔化したりする気が皆目なく、この二人に再会した時から話す覚悟は決まっていた。
「……妻には悪いことをした。突然姿を消した夫はどうしたのかと問われ、死んだとしか言えなかったのだろう」
 流刑地の離島で妻を娶るのはよくある話で、放免されて故郷や新天地に移る際には島にそのまま置いて行くのもよくある話だ。
 しっかり伴っていた相馬はそれ程に情に厚い男である。
 それでも何も言わずに、突如出て行った。その末に辿り着いたのがここ、弁天台場跡地である。
 ここに来たのはおそらく、俺達二人と同じ理由かもしれないと慮るが、実はさらに理由があることをこの時は知らない。
「総督……榎本さんから、鳥取県令に推挙しようとの報せを受けた」
 手放しに、という程ではないが、喜ぶべき誘いである。
 明治の世で華麗なる転身を遂げて活躍し出世していく榎本らかつての上官達の姿を見れば、過去がどうでも実力さえあれば充分に通用するのがわかる。
 それ程に、明治政府は人材に飢えてもいた。
 内部紛争に喘いだ傷も癒えぬうちに、今度はより強大な敵である欧米列強と肩を並べ凌駕するところまで戦わねばならない時代だった。
 このことをいち早く予期していたかつての幕府御殿医であり明治政府初代軍医総監松本良順は、蝦夷に渡る前の土方を引き留め、降伏を薦めている。
「新政府軍だって馬鹿の集まりじゃねぇんだ、お前さんのような辣腕は薩摩芋齧った喉から手が出る程に欲しくて堪らねぇ。一旦捕まるかもしれねぇがあっさり放免されて、力を貸してくだせぇと頭下げてくるだろうよ」
 例の伝法な調子で、手に余る程の真摯さを以て訴えた。
 京都新選組時代からこれでもかという程に味わわされてきた土方の指揮官としての力、組織をつくる力をまさかみすみすと眠らせて飼い殺しにするわけがないのだ。
 しかしそこで土方が放った後世にも残る言葉を、相馬も島田も微笑ましいような身に沁みるような腰元の二本差しに手を置きたくなるような気持ちで聞いていた。
「俺は喧嘩しか能のねぇバラガキだ。一泡でも二泡でも吹かせてやらねぇと、かっちゃんに合わせる顔がねぇ」
 剰りにも、奴らに手を貸してやるなんざ反吐が出らぁという表情で言うものなので二人はそう記憶しているが、相手は近藤の肩を沖田の労咳を土方自身の足指の銃創を診た恩人である。実際は丁重に、
「ただ我儕の如き無能者は快戦国家に殉ぜんのみ」
と語ったと、松本の自伝に記されている。
 この時代でも、相馬は同じように断ったという。
 共に聞いていた島田にも、その心境は苦しい程に理解できる。だけではなく、島田自身も明治政府にもかつての上官にも媚びない群れない靡かない姿勢を生涯貫いた男である。
 先述した通り、相馬は飛び抜けて優秀な男だ。誰彼構わず、厚遇が齎されるわけではない。
 死んでいった仲間達、賊軍と蔑まれ生きてもなお不遇に喘ぐ元新選組隊士達、そして数多いる新選組隊士や蝦夷共和国軍の中でも最も近いと言える距離で付き従い、母のように旧幕軍御国総標日章旗の陽の温かさのようにいつも仰ぎ見て敬愛した土方への想いとの狭間に立ち、新たな家族を持ち新たな役職を得て、そこまで歩んで来ている幸せの足音から、逃げ出してここへ辿り着いたのだ。
「副長からいただいた、最後の仕事で充分だ。俺の今生での役割は、ただ副長の愛した新選組の幕引きを終えること。そう……決めていた。暇を持て余したように幾度も受ける詮議を経て島へ流され、泥を噛み締める思いの地底で出逢った妻との暮らしで、本懐を見失いかけていた。不覚にも、総督の声を聞いて思い出したよ」
 苦し気に、それでも鮮明に相馬は繰り返す。自分の話はもういいだろうという前置きも忘れない。
 再会してすぐの、親しい仲間との話し方を忘れたかのような余所余所しさはすっかり消えていた。
「下手人捜しなど、やめるべきだ」
 何度言われようがその言葉に従うつもりはない島田は、その口振りから、相馬が知っているもしくは疑っているのは黒幕ではなくて直接手に掛けた
人物だと確信していた。
 その後、双方押し問答に決着がつくことはなく、迫る刻限のもと二人は相馬と別れた。
 また、とやはり双方言った筈だったがしかし、相馬はこの数日後に史実通りひとり、腹を切っている。
 誰に挨拶したわけでもないので、二人が知るのは数年後のことだ。
 連絡先というか当時では住所であろうか、また会う為の何かを交換したわけではなかったが、今のところ最大の手がかりを持つ人物だからという理由よりも、何せ官軍サマの詰問に耐え抜いた男である、あの反対ぶりでは絶対に口を割らないだろう、単に仲間だからまた会いたいと、確かに思っていたのに。

 生涯二君に仕えず、元新選組隊士である誇りを貫き、新政府出仕の勧めは何度もあったものの断固として拒否し続けた島田に対し、大野は東京で邏卒として働いていた。
東京警視局警部補を任じられている斎藤とは似たような立場ではあるが会うことはなかったし、同僚に元新選組隊士がいない代わりに、在学時期は違うものの昌平黌出身の者らとはやはり打ち解けやすかった。
 当然ではあるが、大野の経歴は知れ渡っている。それを踏まえても臆面もなくむしろ新選組の話を聞かせてくれよと近付いてくる者などほんの一握りで、少数だからこそ距離感が縮まりやすい。
 その一人である同僚と二人一組で新選組よろしく町内を巡察していた折、神妙な面持ちで殊更に声音を落として内緒話が始まった。
「新選組に、市村鉄之助という隊士が居ただろ?」
 島田が挙げた土方暗殺の疑惑がある者の中で、相馬と同等程に冗談だろと信じ難い少年の名である。
 そう、ほんの少年だった。
 故に、慶応三年の隊士募集で兄と共に入隊を希望した当時十四歳で、それも背が小さく年齢よりもなお若く見える彼を、幼過ぎるという理由で近藤は拒んだ。
 それでも譲らない、涙を一杯に溜めてその場に座り込むという頑固さを見せる少年を、見習いということでいいだろうと両長召抱人つまり局長と副長の小姓の役割を与えたのは土方であった。
 居たが、それがどうしたと目線で続きを促す大野に
「政府が捜してる」
と、さらに声を低くした。
降伏から七年、明治に年号が変わってから九年である。
 土方暗殺の犯人捜しをしている自分が言えた義理ではないかも知れぬが、今更、何の為に?
 市村は箱館総攻撃の直前である五月五日に、土方の写真と遺髪と辞世を託されて故郷日野へ届けよとの命を受けてという建前で、見習い隊士すら戦で傷つき一人また一人と減っていく中で土方が逃がしたのだ。
 仮にそれが新政府に露見したとして、今更なんだ。
 戦の真只中であれば充分に頷ける。旧幕軍の機密情報を持っているかも、土方が放った間諜かも知れないからだ。
 人間を疑い始めればきりがない。
 島田の予想する通り、市村が犯人だとしたら、その糸を引いているのが明治政府の人物だとしたら。
 見つけ出して褒美でも与えるつもりか、それとも口止めでもするつもりか。
「……俺にバラしてどうしろってんだ。とっ捕まえて突き出して、政府への忠誠を示せって?」
 同じく囁き声で顔を近づける折角のヒソヒソ話も、憤慨した相手の怒鳴り声で台無しになる。
「逆だろバカ! 奴らより先に捜し出して匿ってやれって!」
「声がデケェ!」
 軽く叩かれた頭で頭突きをかます大野の声も相当の大きさだ。
 幸い、邏卒が巡回しているような場所なので、和洋折衷の建物が並ぶ中を人々がざわざわと歩くなど賑わっており、こんな会話を気に留める者などいない。影響があるといえば、かつてその姿を見た討幕志士達が蜘蛛の子を散らしたように逃げ出したという新選組第二の隊服である黒紋付黒袴同様黒尽くめの西洋風制服に精悍そうに見えがちな顔が乗っかっている大野をチラチラ盗み見ていた女達が、ダメだこりゃとそっぽを向いたくらいである。
「仲間なんだろ。助けてやれよ」
 二百五十年の歴史も虚しく、脆く崩壊していく幕府から、親藩も将軍さえも逃げ出していく中で、最後まで戦い抜いた新選組の一蓮托生の絆は外から見ても明らかだったようで、誇りに思うものの少し気恥ずかしそうに大野は頷いた。

 訪ねてみるとまだ目的地より随分遠くから威勢の良い声が聞こえてくる。
 俺にもこういう道もあったのかもなと羨ましくなる、もうすぐ到着だと確信しながら歩みを速める道のりだ。
 元々世界一程の人口密度を誇る江戸いや東京の喧騒からかなり遠ざかり、京の壬生畑を連想するような田園が広がる長閑な風景の中に一見寂しげにも見えるが実際は物凄い活気が漲る小さな道場がある。
 傍らには柿の木が大きく枝を広げていた。
「どうしたもうお終いか! 気組みが足りん!」
 大野は近藤勇が道場主を務めた試衛館の稽古も、その一番弟子である沖田総司が剣術師範頭を務めた新選組の稽古も知らないので、こんな発破の掛け方を聞いても少しも懐かしいとは思わない。
 一にも二にも気組み、つまり気合いが大事との近藤勇の信条である。
 道場に付き物の、女性なら両手で踏ん張ってやっと開けられる程の重たい戸をグイと引いて、特に遠慮もせずにヒョイと顔を出した。
「おおー、やってんなぁ」
「なんだ、道場破りの作法も知らんのか」
 随分と人聞きの悪い。期待外れに全く驚きもしないで声を掛けてくる道場主に、頼もうとでも大声張れってのかと内心毒づきながら道場に一歩入る時の作法として一礼した。
 外観同様内部も小綺麗で、どこでも見覚えのあるような道場と同じように神棚があり三幅の掛け軸があり、門人の名が筆書きされた木札があり木刀が並べてある。
 島田は少し小さく見える木刀を広い肩に乗せ、濃紺の稽古着と袴を着けていつも通り白い歯を見せる。
 調査も捜索もしやすいと踏んでか制服を着けているものの単独でいるとどうも本当に邏卒なのかどこか胡散臭い怪しげな男だが、言葉とは裏腹に如何にも仲良さげな道場主の友人らしき男の登場に、下は十から上は四十くらいの門人達は先生の性格を映すように愛想良いながらも礼儀正しく
「こんにちは」
と一旦足を止め、言われずとも察し良くまた熱心に稽古を再開した。
「どうした、入門希望か」
 あのなぁ、と溜め息でも吐きたくなりながら、ピカピカと磨かれた板敷の真ん中から大きな身体を揺らして近付いてきた島田に、どうせ門人達の試衛館道場さながらの大きすぎる掛け声で盗み聞きされる筈もないが気持ち声を潜め気味に言う。
「俺達の間柄で用件って言ったらひとつだけだろ」
 まるで余生のようだと自嘲する日々の中で、当面の目的に向かって共闘する相棒である二人なので、単に稽古を見に来ただけや遊びの誘いなどは有り得ないと言いたいのだ。
「道場はやらんぞ」
 降伏後謹慎生活から東京に移され、名古屋藩に預けられた。後に禁固は解かれたものの身柄の解放はされずに明治四年に漸く釈免となった。妻と四男一女に囲まれた、やっと手にした穏やかで緩やかな暮らしであり、どうも島田はこの場にいると深刻な顔など演技だけでもできないらしい。
 そんなの知ったことかと大野はニヤリともしない。
「鉄が明治政府に追われてる」
「なんだと!」
「ッうるっせえ!」
 ここまでの好反応は予想外だったので、耳を劈くような大音声に鼓膜がキーンというよりグワングワンと揺らされながら島田の頬を突っぱねた。
 大野は友人の大声を咎める機会が多いが、本人も自覚なしに声は大きい。そんなところは敬愛する土方と望まぬものの似ている部分だ。
 同僚は軽く言うが当然、これから行おうとしていることは明治政府への重大な裏切り行為である。元より、こちらは端から仲間のつもりなど毛頭ないのだが。
 それでも躊躇いなく相棒を巻き込む。理解していても尚、二の足を踏むような男ではないと熟知しているからだ。

 明治政府よりも先に鉄之助を見つける。
 敵さんより一歩進んで元仲間とはいえ容易なことではないのは、別れてから七年の歳月が経つからだけではない。
 何しろ相手は、総攻撃前に土方の遺品を携えてその故郷へ届ける役目を負い、戦禍を潜り抜けて、当時の大野と島田にはその重責が成功したのか失敗したのかどころか、生きているのか死んでいるのかすら判明しない程に巧みに身を隠しているのである。
 しかし、元仲間だからこそ有利な部分も勿論ある。
 彼の目的地を知っている。
 決戦の前に逃がされる程に若く、表現を悪くしていえば依怙贔屓されているのではないかと見えるくらいに土方に愛されていた少年である。しかし託した本人の命が奪われてしまった故により一層の重大な任務を言い渡されたのだが、彼ならばきっと全うするであろうと信じることができるような、土方の表現を借りれば怜悧な少年である。
 必ず目的地、土方の故郷である日野の、実姉の嫁ぎ先であり新選組も甲府出陣前に訪れた日野宿本陣へ辿り着いているであろう。
 そして誰からでも愛されずにはいられない素直で愛嬌もある少年で、故郷に錦を飾った大事な弟からその身を託されればきっと匿われているであろうとは予想するが、七年もの間、潜伏しているとは考えにくい。
 それでも何か手がかりがあるかもしれない、むしろこれしか手がかりなんてないので、二人は日野宿本陣を目指した。
 島田にとっては懐かしくもあり、かつ苦々しい思い出を彷彿とさせる道中の景色だ。
とうに大政奉還をした幕府が何を言う、大名にしてやるなどと目の前に人参をぶら下げておいて新選組に勝たせる気など微塵もない勝安房守により無理矢理被せられた甲陽鎮撫隊の名を旗印に甲府城へと出兵する新選組は甲州街道を進み、途中で近藤の故郷の調布そして土方の故郷の日野にて親類縁者らの大歓迎を受け宴会を開きつつ、近藤はなんと籠に揺られて悠々と進軍した故に東山道総督府参謀板垣退助率いる新政府軍に先を越され、易々と甲府城を奪われてしまった、というのが定説である。
しかし実際はどうであろう。
 歓待を受けたのは何故か、籠を遣ったのは何故か。
 元御陵衛士に撃たれた肩がまだ痛んで手綱を引けないから、それもあるかもしれないが近藤は、勝安房守のそして旧幕府の思惑を総て知った上で、目の前にチラつかせられた人参に喜んで食らい付いたのである。
 幕府の最期の砦である新選組は、江戸無血開城計画を進めたい者達にとっては邪魔でしかなかった。
 江戸が戦場になったらどうする。幕末当時、世界一と言っても過言ではない程の人口密度であったという町である。一体どれだけの罪なき人命が喪われるか、そして首都にしようという町を焼け野原にして誰が得をする。
 簡単である。開国された魅力的な島国日本を貪り尽くそうと手を拱く、列強諸外国だ。
 わざと敗けた、とまでは言わないがしかし、大事な同志である新選組隊士の命を賭して本気で戦う戦であったかは疑問である。
 まるで家臣かのように扱う発言をした為に永倉が激昂し離隊した、というのも試衛館以来の同志を自らの終末に巻き込まない為であり、土方ら新選組隊士を守る為に流山で投降するのも総て、実直で幕府そして将軍第一で、それ以前に幼少期から三国志の関羽に憧れた一本気で猪突猛進に見えがちでありながら実は誰よりも未来の日本の展望が見えていたかもしれない近藤の、辞世通りの君恩への報い方であったのではないか。
 しかしその思惑を、島田はおそらく知らない。
 強烈な敗戦の記憶として脳裏を蝕む、今でも眉間に何重もの皺が寄る程の鮮烈な悔しさしか残らない進むも退くも苦しい道だ。
 いや、その想いを感じていたとしても、苦々しい感情に変わりはないが。
 一方、その当時まだ新選組に入隊など露程にも思っていなかった相馬は、全く別の想いながらも少し感傷的になっていた。
 沖から見た箱舘の菜の花畑を見て故郷を思う土方の横顔を、また思い出していた。とはいえ、今は時季外れの為に絨毯のように広がる黄色い花を見ることはできないのだが。
 それぞれ違う想いを抱きながらも肩を並べる二人は、宿場町の本陣なので当たり前だが頗るわかりやすく大きく立派な邸の門前に着いた。
「お前は来たことあるんだよな」
と言いながら、なんとなく相棒を少し前に押しやる。
 少しとは言えこの巨躯であるので、自身の及び腰を痛感せざるを得ないかなりの腕力を要する。
「ああ、副長の姉上がまた美人でな」
 副長のあの顔からすれば当然だろう、と現代まで続く美形家系を賛じながらも当たり前に憤慨する。
「あのな、その一言で俺が喜んで突撃すると思うか」
 その横をスルスルと表現するには豪快過ぎる。
「臆病者め」
 ズイズイと歩を進める前に捨て台詞を残したものだから笑える程簡単に沸点へと達した大野は二人三脚を疑う程の一体感で門扉に立つ。
 しかしここは島田が前に出た方がいいだろう。
 大野は道中にいらぬ警戒をされぬ為とわざわざ本人に言いはしないが島田を守る為のこの男なりの心遣いでまた邏卒の制服に身を包んでいるが、ここではそれが盛大に仇となるであろう。
 新政府軍の大敵であった新選組の象徴とも言うべき男の所縁の地である。
 このような恰好で訪れては、警戒するなと言う方が無理な話だ。
 対して島田はかつてこの地を訪れたことがある。大勢いた隊士の中で覚えていてもらえているかと心配になる所かも知れぬがそれには及ばない。
 何度か書いている通り、島田は縦にも横にもかなりの大柄で、否が応でも印象に残る。加えてツルリとした坊主頭であり、これでよくぞ新選組の諜報部隊である監察方の役目が全うできていたものだと感心するくらい、他人の印象に残りやすい。
 内心憤慨しながら大野もよく心得ているので、島田がひっそりと声を掛けるのを少し後方で見守る。
 日野宿本陣と達筆がでかでかと立つ門を過ぎると、広く立派な庭がある。
 一歩踏み入った玄関は、大野は知らないが、病気療養に入る直前の沖田総司が自身の頑健さを集まった故郷の盟友縁者達に示す為に四股を踏むのを披露し、土方が内心ヒヤヒヤしながら見守っていたという、現代では垂涎の写真撮影場所だ。
 島田は懐かし気に、大野は物珍し気に眺めながらも通り抜けて来た。
 しばらくすると奥から、よく通る女性の声が聞こえた。
 恐らく警戒されないようにであろう、島田はすぐに大きめの声で応える。
「お久し振りです。元新選組の島田魁です」
 思えば彼程、元新選組という呼称が似合う男はいないかもしれない。間髪入れずに、如何にも快活そうな笑顔の女性が膝を付いて出迎えてくれた。
「あらぁ! まぁまぁ、ようこそ! よく帰って来て下さいましたね!」
 土方は早世した子どもも含めると十人兄弟の末っ子である。生まれてすぐに父を亡くし母も労咳で世を去ったので、この姉が母代わりであった。
 その目に入れても痛くない弟の信頼した仲間である島田の無事の帰還を、心底喜んでくれているようだ。
 終始笑顔だが、凛々しくも涼し気かつ勝気な目許がどこか土方に似ている、土方がおのぶ姉と慕った姉だ。
 ここ、日野の名主佐藤彦五郎に嫁いでからも土方は頻繁に訪れ、彼が昼寝をしたという部屋も残っているし、上洛してからも武士は東の者に限るという近藤の信念の元、隊士募集の為に江戸へ帰って来た際や文などを送る時の土産物として送った心尽くしの品々は現代でも残っている。
 あまりの歓迎ぶりに恐縮する島田の挨拶もそこそこに、遠慮がちに後方に控える大野にも気安く声を掛けてくれる。警戒されたとしても然りの制服を身に着けているというのに。
「さぁどうぞ、おあがりください! そちらのかたもどうぞ!」
 島田が連れて来たのだから当然の如く安全な人間だと判断したのであろう。
 しかし、この待遇を素直に嬉しいと感じる反面、見慣れぬ客人を招き入れるようではきっと、鉄之助はやはり今はここにはいないのだと実感せざるを得ない。
 どちらにしろ望み薄で、ほんの僅かの手がかりを求めて来たのに過ぎないが。
 その言葉に甘えて通された客間は、さすが本陣の美しく整った広い座敷であり、眺めの良い庭には丸く切り揃えてある背の低い木々が並んでいる。
 この庭で土方の甥っ子が転んで強かに額を打ち付け血を滲ませた時に、彼は駆け付けて起し、
「泣くな泣くな! 男の子の向かい傷だ、めでてぇもんだ!」
と励ましたという。
 戦場で逃げる臆病者の象徴、背中の傷を嫌った彼らしい逸話である。その想いは後世にいう局中法度第一条・士道に背き間敷き事、に現れている。
 極端な話、新選組として出陣したら、背中に逃げ傷を負って相手に一太刀も浴びせず帰った場合は切腹なのだ。
 土方同様発句を嗜み、天然理心流も修めたという当主の佐藤彦五郎は留守のようで、茶飲み話の気楽さを装った思い出話に花を咲かせる島田とのぶであったが、大野は垣間見える土方の知らない一面の数々にずっと聞いていたい衝動もあるがそうのんびりしてもいられない。
 しかし急に会話に割り込むのも不自然極まりないので、島田がいつ切り出すかと見守るしかなかった。
「島田さん以外にもね、新選組の方達がひょっこり来てくださったことがあるんですよ」
 それは意外である。二人としては妙に先を越された感が否めない。皆、ここが懐かしく居心地が良く、つい訪れてしまうのかもしれない。
「皆さん懐かしそうに歳三さんのことを話してくださって、」
という眼を細めながらの言葉から、恐らくいや確実に、訪れたのは箱館まで戦場を共にした仲間達であろうと推測する。
 京都新選組の鬼副長と、箱館で母の如く慕われた常勝将軍とではまるで別人のような印象を受ける。
 この姉の口振り等からすると、二人の考え通り、蝦夷箱館の、盟友近藤を喪った後の彼が隠してきた本来の姿なのだろうと窺い知ることが出来る。
「でも島田さん、あなた方の目的は思い出話ではないのでしょう?」
 島田は相変わらずの微笑みを貼り付けたままのある意味鉄面皮で、大野はあからさまに動揺してその言葉を受け取った。
 いつまでも隠していても埒が明かないので、慌てるのも可笑しな話だが。
 島田はカラカラと一笑いしてから、言いにくさ皆無の軽い世間話のように話し出した。
「いえ、用事というわけではないのですがね。うちの年少組で鉄之助ってのがいたの、覚えていらっしゃいますか」
 よく言う。覚えていない筈がない。
 鎌をかけてはみたものの、まさかそのような話とは思ってもみなかったようで、のぶはほんの少しだけ緊張に顔を強張らせた。
「ええ、もちろん。ふふ、人が悪いわ島田さん」
 ここでも変わらず、島田は軽く笑って見せる。
 大野はもう、戦場を共に駆けた仲間が大きな身体に見合う力持ちで甘味に目がない好漢、だけではないことを知っている。
「歳三さんのお仲間だった方達に隠しても仕方がないことですもの」
 つまりは大野と同じ制服を着ているような、明治政府で職を持つ人間には隠蔽し通す気満々ということだ。
 庭を望む客間はとても静かだ。例の甥っ子も、出掛けているようで姿を見せない。とても人懐こくヤンチャな盛りだと聞いていたので、珍しい客人に気付けば顔を出す筈だ。
「鉄之助さんは、確かにここに来ましたよ。歳三さんの想いを、しかと届けてくれました」
 目的とは逸れるが、年少組と島田が称した、両長召抱人つまり局長と副長の小姓という名の見習い隊士達の中でも抜きんでて小さく幼く、そして利発でいつも一生懸命で、土方が
「ガキの頃の総司みてぇだ」
と表現した少年が、推察ではあるが必敗の戦から逃がす為半分本当に遺品を届ける為半分くらいの気持ちで最期の想いを託された少年が、やり遂げてくれたんだと思うと、すぐに感情が表に出てしまう大野は少しいやかなり涙ぐんだというより今にも嗚咽しそうだった。
 蝦夷でこちらがどれだけ勝っても本州全土からいくらでも戦力補充される新政府軍達や、賊軍を隙あれば生け捕り、拷問にでもかけて内部情報を聞き出そうとする者達、その他大勢味方以外はほぼ敵だらけの中、それらと鉢合ったり追われたり、それだけではない、旧幕軍だと知られたら船にも乗れない道中の宿にも泊まれないなど、挙げれば切りがない程の泥沼を這いつくばるような困難が数え切れない程にあった筈である。
「ここに来た時は……もう襤褸雑巾みたいで。夕立の日でしたよ、門の前から中を窺うようにウロウロしていたものですから、怪しんで呼び止めたんです」
 ここで大野の限界ギリギリの想像力は脳内に、主君からの預かり物を大切そうに両手に抱え、ふらつく足元でどこか申し訳なさそうに門前に立つ雨に濡らされた鉄之助の様子をありありと映し出し、ついに盛大に洟を啜って目尻を乱暴に擦った。
 容赦なしに島田はその背中をバシと快音をさせて叩く。
 ――……
「あ、あの、僕……土方先生の小姓をしておりました、市村鉄之助と申します。先生より、こちらを」
 薄汚れた震える指で、胴締めに隠してあった包みを差し出し、のぶははっとする想いでゆっくり受け取った。
 弟は、やはり逝ってしまったのだと。
 当然、旧幕府軍降伏の報せも、どうやら土方歳三は戦死したらしいとの報せも知ってはいた。
 しかしまるで実感が湧かないのだ。
「ただいま、おのぶ姉」
「また来たの、歳三」
 門前に立つどころか昼寝をしていた部屋で我が物顔に寝転がる状態で現れるような気がしてならなかった。
 鉄之助の方も、
「預かって参りました」
の言葉が継げず、大声を挙げそうな喉元にぐっと力を込めて俯いて泣いた。
 包みを改めるよりも、のぶはすぐに中に通し、まずは風呂に入らせて着替えも用意した。
 包みを開くと、遺品と共に半紙に一行添えてあった。
その文面を見るまでもなく来訪者の言葉を信じ切ってしまったのだが、
『使の者の身の上頼上候 義豊』
と、確かに真筆であることを証明すべく諱で署名されていた。
 土方の辞世の句として有名なのは、この時届けられた
『よしや身は 蝦夷が島辺に朽るとも 魂は東(あづま)の 君やまもらむ』
だとされている。
 ――……
 まだ涙が引っ込まないどころか限界突破寸前の大野を余所に、のぶは続ける。
「それから三年程でしょうか、ここで過ごしてもらっていたのですが」
 鉄之助が寝起きした部屋は奇しくも土方昼寝部屋の隣、一番奥の六畳間であったという。
それにしても土方の想いを受け取り三年もの間匿ってくれて、尚且つ剣術修行までさせてくれていたというのには同じ元新選組としてという以上に弟のようにして可愛がっていた二人としては頭を下げても下げたりない心持ちで聞いていた。
「お兄様が病らしいというのをどこかから聞いて、故郷に帰ってしまったのですよ」
 いつまでも居てくれても良かったのにと言わんばかりの様相で溜息した。
 市村兄弟の故郷は美濃大垣である。七つ上の兄辰之助も共に入隊したが、わずか一年後の甲州勝沼戦で大敗を喫したことからこの隊の未来を見限り脱走している。
 当然弟も誘ったが、それは武士のすることではないと断固として断ったという。
 絶縁同然に別れたものの、やはり情に引かれ、放って置くことなどできなかったのだろう。
 この後の大野と島田の動きとしては大垣に向かうことが予想されるがしかし、そうはならなかった。
 なるべくしてなった武士の時代最後の畝がもうすぐそこまで来ている。

 また会うことになるとは思っていなかった。
 と、いうのも可笑しな話である。
 僅かな生き残りでさえ皆散り散り同然になったかつての新選組の同志達の中でも、夢見がちな表現を使うが心は別として物理的にも職種的にも最も近くにいると言っても過言ではない存在であるのにも関わらず、初対面での如何にも冷たげというか箸にも棒にも掛けないような態度を取られてしまったので、そのような印象を勝手に持っていたのだ。
 勝手にとは言っても、相手も同じかも知れない。
 理由は異なるであろうが、二度と会わないであろうと断じていればこそのあの対応だったと考えると自然な気すらしてくる。
 遠くからでもわかる背丈が高い身体に乗った仏頂面を見つけると、再会するとは思わなかったとはいえ身構えたりましてや知らんふりの無視を決め込んだりなどはせず、むしろ長年の知己に対して向けるような輝かんばかりの笑顔を向けて真正面から近付いて行った。
 いや、死角から距離を詰めたりしては、逆に命に関わる相手である。
「右仲、だな」
 知らぬ、誰だ、とかまたも冷たくあしらわれるのも有り得そうな相手だが、考えればそのような筈がないのだ。
 相手は同じ邏卒であり、大野はよくは知らないが京都新選組の頃は、監察方でもないのに土方の右腕だか左腕だかのような顔をして間諜や暗殺など闇の役目を熟してきた、人間の顔を覚えるのが仕事の一つであるような男だ。
 その常に睥睨するような鋭い眼光は、常に周りをよく似ている。
 あんたもかよ、と大野は内心でのみ毒づく。
 人を犬猫みてぇに名前で呼び捨てしやがって、と。
 しかもこの男、ほんの少しだけ、土方と声が似ているのだ。
「はい! 芋野郎ども、ぶった斬ってやりましょう!」
 藤田五郎かつての斎藤一は、馬鹿かコイツはという顔面を隠しもしないで一層眉根を寄せた。
 少し遡るが明治六年、征韓論政争に敗れた西郷隆盛は鹿児島に戻った。
 徳川幕府の味方であるような面を被り過激討幕に燃える長州藩に刃を向けて来た薩摩藩、そしてまさに手の平を返すようにその刃をいつしか徳川幕府に翻した幕末の蝙蝠・薩摩藩の象徴とも言うべき西郷隆盛が表向きには政界を去ったのだ。
 しかしその神憑りな求心力は彼が愛する家族と共に安寧な生活を送ることを許さない。
 西郷を慕う鹿児島出身の文武官六百余人も一斉に辞職し、帰郷した。
 どんなに好意を以て見ても、この大人数が徒党を組まないであろうと軽視する程明治政府はお目出度くない。
 喩え西郷本人が最後の将軍・徳川慶喜のような趣味三昧悠々自適の楽隠居を望むとしても、幕末には人斬り半次郎の異名を轟かせた桐野利秋、篠原国幹、村田新八らが中心となり県令大山綱良も支援しての西郷を頂に据えた独立国家さながらの士族集団が築かれた。
 その象徴は氏族数万人にも膨れ上がった私設軍隊かつ政治結社・私学校である。
 かつての盟友大久保利通は最大最強の不平分子集団である薩摩士族を宥め賺す役割を担ってくれるであろうと願うような気持ちで西郷を見込んでいたが、明治九年頃から続発した士族反乱にも我関せずの沈黙を貫く西郷を警戒する、幕末では桂小五郎の名が馴染み深い木戸孝允の進言と西郷独立王国鹿児島の県政改革に着手できない問題からついに故郷鹿児島を処分する為に重い腰を上げる。
 その意のもと大警視川路利良が密偵を潜入させ、政府も鹿児島の陸軍省所管の武器弾薬を大阪に搬送するよう決した。
 かつて薩摩藩がというか西郷が幕府に対して赤報隊を使って行ったのを彷彿とさせるような挑発とも取れる政府の動きに私学校の若手はまんまと思惑通りに憤激し、明治十年一月以降連日火薬庫を襲撃して武器弾薬を強奪した。
 密偵はほぼ捕縛され西郷暗殺計画を自供、打倒明治政府の大義名分を得た私学校党員は西郷に決断を仰いだ。
 そして二月には西郷臨席の下に幹部会議が開かれ、議論は白熱したが最終的には主に桐野が断じた総出兵の鼓舞が満場の一致を得て、ついに西郷はその神輿に乗ると表明した。
 幕末に遺憾なく発揮した先を見る能力が衰えている筈もない。勝利の見込みなどなかったであろう。それでも祭り上げられる様は、新選組局長近藤勇を思い起させる。
「おはんたちがその気なら、おいの身体は差し上げもんそ」
との言葉が残っているくらいである。
 勢い付く薩軍の出兵準備は急激に進められ、二月半ばにかけて進発した。
 その行軍には鹿児島地方には珍しい大雪が降ったという。
 初戦の火蓋は熊本城にて切って落とされた。
 鎮台兵を歯牙にもかけない薩軍は西郷こそ陸軍大将西郷隆盛であるとして、熊本鎮台司令官谷干城少将に指揮下に入るよう命じるような暴挙までもをしてみせた。
 電気通信を駆使し応戦する政府の行動も実に機敏であり、各鎮台への動員と共に賊徒征討令を発した。
 谷は約三千三百の兵と大砲二十六門を以て籠城を決意する。
 天守閣から出火し城下の大半を焼いたのさえ、堅壁清野つまり城の守りを固め、さらなる敵の侵入を防ぐ為に人家や耕作物などを取り除く作戦の一種ではないかと言われている。
 二月末、熊本城攻略に乗り出した薩軍は全周を包囲し、総軍挙げて進撃を開始するが、砲兵隊がまだ到着していなかった。
 専ら銃火を交えるのみに終始し、後世には威力偵察であったのではないかとする説もあるくらいだ。
 その後西郷は一部を熊本城に残し主力部隊は北上してすぐに南下を始めていた政府軍に野戦を仕掛けると方針を決めたにも関わらず、結局鎮台砲兵に制圧されてから主力一万兵が移動した。
 そして四月、熊本城を包囲下においたままの薩軍前衛は、乃木希典少佐率いる小倉第十四連隊主力を連破したものの有効な追撃を行えずにいた。
 その内に政府軍が高瀬方面に集結中との報を得た薩軍も向かい、西南戦争最大の会戦・田原坂の戦いが始まった。
 ここまで薩軍目線で書いてきたが、大野と斎藤は勿論政府軍に属する。
 斎藤は警視徴募隊の二番小隊隊長つまり抜刀斬り込み隊の指揮を任されており、奇しくも大野は同じ隊に所属していた。
 確かに元新選組隊士が味方となってくれれば是非とも刀を振るって欲しいとお願いしたい気持ちはわかるが、斎藤と大野としても願ったり叶ったりの采配だ。
 散々煮え湯を飲まされた薩摩に雪辱を果たしまくる好機である。
 と、様々な資料に書かれているが、当の本人達は何も好き好んで参戦しているわけではない。
 そもそも戊辰戦争を戦ったのは確固たる信念があったからだ。
 北征を続ける土方と別れて会津に残る道を選んだ斎藤は、京で蛮行に走ることもあった新選組を信じて支援し続けてくれた会津藩主の恩に報いる為、籠城を続けるのを見捨てるのは誠道に悖るとの言葉が現代にも伝わっているように、すべて自らの意志で進んできた。
 寡黙で謎が多い斎藤の熱い想いが伝わる言葉である。
 それが今回はどうだ。
 彼らは明治政府の警察組織にあり、実際にこの後砲二門を分捕る大手柄を刀一振りでやってのける程の腕を持つ武士であるのを見込まれての徴集である。
「隊長が藤田さんで助かります。気に入らない男の下では働けない質でして」
 普通こういうことは心中のみに留めておくべきであろう。
 それは重々承知だが、なかなか打ち解けてくれそうにない相手と距離を縮めるべくの苦肉の策だ。
 しかしお世辞でもおべっかでもなく、本心であり事実である。
 全くと言ってもいい程効果がないのが悲しいところで、斎藤は最早癖のような一瞥をくれるとさっさと背を向けた。
 この貫禄からは中々に信じ難いが、彼は言わずと知れたかつての新選組三番隊隊長であり、沖田総司よりも二歳下という藤堂平助と共に最年少の幹部であった。
 もちろん、土方と同世代の大野よりも年若だ。
 薩軍の度重なる連携の不手際により政府軍大敗の危機は免れたものの、山形有朋指揮の下、追撃を行わない何とも歯痒い采配である。
 その間に薩軍は熊本城北方に約四十キロメートルに渡る戦線を敷き、特に田原坂から吉次峠間には強固な野戦築城を施して万全の迎撃態勢を取った。
 一刻も早く熊本城を包囲するにはその田原坂を突破する他に策はないので当然総攻撃を仕掛けるが、巧みに構築された堡塁軍からの十字砲火、薩軍の白兵襲撃に大損害を被るという、北征新選組史を学んだ者に取っては快哉を叫んだ二股口戦大勝利を思い出すような展開だ。
 政府軍は吉次峠攻撃を中止し田原坂に総兵を向け、やはりかつての新政府軍同様豊富な物量頼みに火力で圧倒しようとした。
 この間に小銃弾一日平均三十二万発をも費やしたという。
 しかしそれはまさに浪費であった。
 政府軍の大半は未熟な徴兵で、薩軍の白兵攻撃には到底対抗できるものではなかった。
 そこで登場するのは我らが大野と斎藤である。
 政府は士族出身者で構成された警視隊から抜刀隊を編成し、砲工兵から選抜した別働組狙撃隊と連合しての突撃戦法を取ることにした。
 熊本城がある植木台地の北端を蛇行して登る、一ノ坂二ノ坂三ノ坂に別れた田原坂は、近藤局長が憧れてやまないかの加藤清正によって掘り抜かれた凹道であり、さぁ来てみろと待ち構える要塞であった。
 坂道の両側は高い土手となっており、兵は頭上から狙い撃ちにされる上、繁茂する樹木に隠れて接近しての白兵突撃まで仕掛けてくる。
 それでもさすがの精鋭揃いの政府軍は最後の三ノ坂までなんと初日に突破してみせた。
 しかしここからが本番と言わんばかりに、三ノ坂正面には堅固な堡塁がこれでもかとしつこく並んでいる。
 政府軍は二俣台地から左側背を砲撃し、その南方、横平山奪取が勝敗を分ける。
 横平山は薩軍からすれば二俣台地を高所から見下ろすことができ、政府軍にとっては砲兵陣地の安全確保、田原坂陣地を攻める堡となり得る要地だ。
 この地で対峙すること約十七日間に及んだ。
 その間、晴天は僅かに四日。
 互いに苦難極める熾烈な争いであっただろうと予測するが、実際は食糧豊富で後方で入浴までできたという政府軍に対して、薩軍は雨に弱い前装銃を携え、泥濘化する堡塁の中で飢えと寒さに震えるという格差があった。
 蝦夷地での戦いを思うと別世界のような環境だと高を括っているわけではない。
 まさかここで敗けて、所詮士族なんて元新選組なんて頼りないものだと見縊られては死んでも死に切れない。
 大野は銃と刀とを同等程に頼みにして携え、あと僅かで横平山占拠の為に精鋭少人数で夜襲を仕掛けようという局面にあり、黒く茂る草木に身を隠しつつ敵地を窺う。
 そこで堡塁と堡塁を俊敏に走り回り、恐らく銃弾の補給や連絡をしているのであろう男がいることに気付く。
 土砂振りに掻き消える、静かな足音だ。
「鉄!」
 大野が馬鹿正直に大声を張り、その男がこちらに視線を向ける一瞬の間、目と目が合う一歩手前に一斉砲撃を受けた。
 さすがの俊敏さで、総員身を隠す。
 斎藤は大野の胸倉を捻じ上げ珍しく噴気を上げた。
「死にたいなら一人で死ね! 同胞を巻き込むな!」
「鉄之助が! 薩軍に市村鉄之助がいます!」
 最後に見た姿よりもかなり背が伸びており、兄の辰之助に少し似てきていたのを大野は知らない。それでも見間違う筈がない。
 尚も首を擡げてその姿を捉えようとする大野の頭をグイと首根っこ引っ掴んで地面に追いやり高々と舌打ちをしつつ、他の兵に応戦の指揮を飛ばす。
 ここで急に俯瞰で傍目から見ると、斎藤は大変である。
「あいつ、なんで薩軍なんかに……せっかく生き残った命をなんだと思っていやがる」
 押さえつけられた姿勢のまま不手際を詫びることもなく憤るが、尤もの言葉が降って来る。
「その言葉、そっくり返されるだろう」
 何故、明治政府なんかに従っている。戊辰戦争を幕軍として戦って生きた命を、最後の武士の下で戦った誇りを何だと思っている。
 しかしそれでへこたれる男ではない。
「俺、行ってきます!」
 戦場で勝手な行動を取ったのだ。土方がそうしたように、斎藤もその背を斬ってもおかしくない。むしろそれが自然かもしれない。
 斎藤は全くらしくもない暴言を吐きかけ、それとは裏腹、自分の手をあっさり逃れて俊敏に走り出す男の姿を追う。
 命令違反者を粛清する為ではない。援護の為だ。
 誰もが、そりゃそうなるでしょうねと想定する通り、突然現れた二人の男は狙い撃ちにされる。
 だが今は真夜中でさらに視界を遮る程の雨。こちらは剣術自慢の斬り込み隊で端から主要武器は刀だが、相手はこの場合圧倒的不利な銃が頼みである。それが悲しい程に当たらない環境が揃ってしまっている。
 流石にそれに気付く者が抜刀しつつ駆けてくるが、先述の条件に加えて、一言でまたも圧倒的不利を突き付けられる。
 対峙しなければならないのは、元新選組三番隊隊長である。
 斎藤が出たので他の兵は夜襲決行なのだと解釈して次々と躍り出てきて、堡塁に身を隠す薩軍も次々と顔を現す。元の作戦とはだいぶ違ってしまったが天地をひっくり返したような騒ぎになった。
「鉄! 来い!」
 ただ大野だけは、標的とする者一人に向かって大喧騒の中で嗄れる程の声を振り絞る。
 こう呼びかけられて無視を決め込む質ではない。その剣幕は決闘でも申し込まれていると思っても頷けるのにも関わらず。
「はい、右仲さん」
 視界の限り一番端の方の堡塁から現れた雨と泥に濡れたその姿は、日野宿本陣に辿り着いた時の様子を連想させる。
 その日の彼はもっと、小さく弱かった筈だが。
 それはそうだろう、困ったような顔をしつつも真っ直ぐ見つめてくる目線は大野がバシャバシャと乱雑に泥を飛ばして近付いてきても少しも泳ぐことはない。
 斬られるとは、思っていなかった。大野は刀を鞘に納めながら歩を進めている。
 グイと引き寄せて、そのまま抱きしめたいのが彼の本心だが、ここまでの暴挙をしておいて何だが流石にそれはしない。
 まるで捕虜を捕らえた体(てい)で、二度目のそれはそうだろうだが慌てる市村の腕を引いて先程まで身を隠していた茂みに連れ込んだ。
「あ、あのっ……」
 力強く抱く身体は随分と大きく、背丈は同じくらいだ。
 すぐに離しはしたが、両肩に置く手をバシバシ叩く。
「よくやってくれた……エライぞ鉄。よくぞ届けてくれた」
 こんな型破りな男に言われたのに不覚にも、市村はまるで土方に褒められたように錯覚した。
 故郷へと向かう道中、やっと乗った船上で、その訃報を知った。
 届けた後で必ずトンボ返りして、また同じ戦場に立つと心に決めて五稜郭を出たのだ。
 海に向かって、耳が千切れそうに寒いのも厭わずに泣いた。でもだからこそ、絶対に届けなければならないと誓った。
「お前はここにいちゃならねぇ」
 役目を終えてから、抜け殻のようだった。
 見つかったらどんな責めを負うかわからないのに匿ってもらって、それを感じさせないくらいなんの不自由もなく、まるで家族のように接してくれたのは本当に、ありがたかったけれど。
「副長が……どんなお考えでお前を逃がしたと思ってる」
 兄を看取って、これでもう、役目は終わったんだと。
「単に遺品を届ける為じゃねぇのは、わかってんだろ」
 戦時下において、武士として戦える力を持ちながらそこに身を置かないのは怯懦である。終わったはずの士道に導かれてここへ来た。
「箱館で、お前ら若い隊士に学問をさせたのは何の為だ。未来を生きろと、お前らを生かす為の戦いを、副長は、」
「だって……!」
 急に立ちあがろうとする市村の身体を、無理に押し戻す。
 狙い打ちにされる気かと。今の自分の味方である兵に。
 大野が当たり前に強行している行為は、重大な規律違反である。
 敵方である兵士を、捕虜でもないのに自軍へ引き入れ、その命を守ろうとしている。
 しかし、そんなことは知ったことかと、咎める自責や他者から受けるであろう非難を退ける。
「僕は……! 最期まで武士でいたいんです! 先生と同じように、戦いの中でこそ、僕は生きることができる!」
 後世に語り継がれる程、怜悧でそして頑固な程に一本気な青年だ。
 こんな男をどうやって説得して戦地を離れさせたのかと、その誰もが知る顛末を疑いたくなるような負けん気の強さである。
 だからこそ土方は、多くいた筈の少年兵の中で彼に想いを託したのであろう。
「旧幕府に属した俺達にとって、どこにいようと戦場に変わりはない。いいか、約束だ。絶対に生き抜け。俺と島田で、副長を撃った男を捜してる。力を貸せ。その為に生きろ」
 政府軍の方へ鞍替えしろなどと、勧誘できるわけがない。
 何故か道が分たれてしまった仲間と、再会できると信じて別れた。
 この後、見事強引な作戦が功を奏し、漸く田原坂は落ちた。
 その瞬間を見た者はいないが、市村鉄之助はこの田原坂の戦いで命を落としたという。
 それから、和田越の戦い、城山の戦いを経て西南戦争は終結する。
 土方が狙撃されたと聞いた市村の反応は、寝耳に水という形相だった。
 しかしその一方で、素直さゆえの純粋な直感か、さも当然のように呟いた。
「味方にそんな指示を出すとしたら……いえ、」
「心当たりがあるのか?」
 躊躇いながらも口にするのは、島田が最も怪しいと見込む者と同じであった。
「……榎本総督。従わざるを得ない程の影響力と権力を持つ人で、先生を邪魔だと憎む人……自軍で最も当て嵌まるのは総督かと」
 これまで疑いたくもないのに確認したというか、絶対違うよなと確信を求めてきた人物……永倉、相馬、市村そして大野とは明らかに様相の異なる、本気で調査すべき人物に、いよいよ迫らなければならない時が来たようだ。

 頑固で一本気で、そこも良い所だと思ってはいたが、まさかここまでとは。
 聞いた時は、さすがに耳を疑った。
「で、断っちまったのかよ」 
 驚愕の大野を、写真に残るクッと唇を突き出したような表情で言葉通りに当然だと言い返す。
「当たり前だろう。それが人間の道理というものだ」
 いや、気持ちは分からないでもないが、俺達の目的を忘れたのかと睨みたくもなる。
 明治政府で今は海軍卿の地位に就く件の元蝦夷共和国総督榎本武揚が、島田宛に是非会って話がしたいと使いを寄越してきたのを、にべもなく断ってしまったというのだから。
 京都以来の新選組隊士として箱館戦争にまで従軍し、多くの同志を喪った元賊軍とはいえ、明治政府に属する者に平身低頭して、呼ばれたからとホイホイ会いに出向くなど、その矜持が許さない。
 本音では、会いたければお前が来い、と言った所であろう。
 繰り返すが、大野も明治政府に出仕はしているものの島田の気持ちはわかり過ぎるぐらいにわかるつもりだ。
 しかし、大野と島田の当面の目標は、土方狙撃の黒幕を捜すことだ。
 疑わしい者が何人もいる中、ハッキリ言えば最も怪しいと踏んでいる相手からの誘いに乗らないなど、どうかしている。
 これをきっかけに、ひょっとすると暇潰し程度の軽い気持ちでいるかもしれない相手に不意打ちで糾問することだってできるのに。
 一筋縄ではいかない相手だと知ってはいるが、これ以上ない好機だったのには間違いない。
「そんなに会いたければお前が行けばいいだろう」
 たまたま島田が営む道場の近くまで来たから会えないか、と申し出て来た榎本は、まだしばらく滞在しているらしく、そこへお前が行けと言うのだ。
 大野は平素の少し大袈裟気味の反応で異を唱え、誰が行くかと啖呵を切りたいところだが、またも喪われてしまった仲間、市村の言葉を思うとやはり無視を貫くことはできない。
 信頼する同志のうち、二人もが疑う人物に接近できる機会を、逃すのは余りに惜しい。
 同じ明治政府に身を置く身とはいえ、海軍と邏卒では接点など皆無である。
 榎本武揚は少年期からジョン万次郎の英語塾などに通い、大抵の日本人が日本全体がどうこうよりも藩がどうとかむしろ村がどうとか騒いでいる頃から海の向こうの世界に目を向け知識を深めていた。
 その後、長崎海軍伝習所に入り、航海術や戦術、語学や蒸気学や化学などを学んだ。
 幕府がオランダに発注した蒸気軍艦の受領役、技術習得の為の留学生に選ばれた。その時持ち帰った軍艦こそ、蝦夷共和国の虎の子開陽丸である。
 帰国後に榎本は海軍副総裁となった。
 江戸城無血開城の際、軍艦引き渡しを拒否して八艘の軍艦と共に品川沖から出帆。仙台で土方ら旧幕軍と合流したのだ。
 奥羽越列藩同盟軍の代表が集まる軍議の席で、土方を総督に推薦したのが榎本である。
 しかし土方の
「これだけの軍勢を指揮するには、軍令を厳しく取り決める必要があります。背くようであれば、御大藩の宿老衆といえどもこの歳三が三尺の剣に掛けて斬ってしまわねばなりません。生殺与奪の権を総督の二字に御依頼とならば受けますが、いかがでしょうか」
つまり俗名局中法度や軍中法度のような新選組並に厳しい軍令を作り、破った者は誰であっても腹を切らせるが良いかと言う問い掛けに、生殺与奪の権限は藩主にあるので即答はできぬとの異論が上がり、大戦を前に未だ及び腰の名ばかりのような列藩同盟に呆れた土方が席を蹴ってしまったので、その話は立ち消え、この後早々に列藩同盟軍自体にも見切りを付けている。
 ここでも榎本の怒りは異を唱えた諸藩代表に向いており、むしろ事前に土方総督就任をそれは心強いと賛同を得てから発表したのに怯懦ではないかと連れ立って出て行っている。
 その後も何かと二人は気が合うようで、立場は勿論、出自や育った環境は真逆と言ってもいい程に違っても、同志という言葉が当て嵌まるような仲に見えていた。
 土方は、どこか盟友近藤と重ねるようにして見ていた節がある。
 志を同じくして集まった同志の中でも、さらに隊長に相応しい技量と仲間を惹き付ける人間的魅力があるのだ。
 諸外国が認めた事実上の政権(※Authorities De Facto)蝦夷共和国の総裁は、入れ札で選ばれている。日本初の選挙だ。
 選挙は二回行われた。まずは役員を決める為に旧幕府軍の士官以上で行い、選ばれた者から総裁以下閣僚の役職ごとの選挙があった。
 そこで榎本は、役員選挙で百五十六票も集め一位、総裁選挙でも文句なしの一位で就任している。
 土方が就いた役職は陸軍奉行並箱館市中取締裁判局頭取であり、新選組は市中取締を任された。
 陸軍奉行並とは陸軍奉行大鳥圭介に次ぐ戦闘部隊第二位の役職で、どう考えても京都新選組を彷彿とさせる人事である。
 ちなみに土方は上から数えると榎本総裁、松平太郎副総裁、大鳥や永井玄蕃、荒井郁之助ら各奉行に次ぐ四番目程の位置だが、組織図を見ると戦に置ける実働部隊である二十三隊がすべて土方の直轄にあることがわかる。
 これも言わずもがな、時期により変遷するがよく新選組関連の土産物などに印字されている最も有名な新選組組織図の局長、副長、総長、参謀、一番隊から十番隊までの小隊の中で、各小隊と監察方が副長の直轄であったのと同じだ。
 任される役職が裏付ける、軍事に置いて圧倒的な実戦力を発揮する土方が信頼を以て部下として動いていた榎本を、島田と市村までもが最も怪しいと読むのは何故か。
 大野は計りかねていた。
 蝦夷共和国が瓦解し、投降した後の榎本は虜囚生活中に特赦され、北海道開拓使に仕官、蓄えた学者並みの知識を活かして鉱山巡回や石狩川開拓に尽力した。
 続いて海軍中将に着任し、東京を訪れた今、是非会いたいとの申し出だ。
 新政府でのこのような華々しい活躍ぶりを見ると、早々に蝦夷共和国を引き上げて降伏し望む役職に就こうではないか、しかし徹底抗戦派かつちょっとやそっとじゃ敗けやしない常勝将軍土方が邪魔だと考えたのではと穿った目で見ることは充分可能だが、まさか賊軍総大将が処刑もされずに生き延び、大どんでん返しともいえる展開が待っているなど、本人は勿論誰一人予想しなかったであろう。
 榎本が怪しいというのは結果論に過ぎない。
 蝦夷共和国の役職者は誰しも命を捨てる覚悟でその地位に就いた筈だ。
 新政府移行の流れに乗る戊辰戦争で、最後の最後まで官軍に煮え湯を飲ませ続けた旧幕府軍の、徳川十五代将軍が捨てた頂(いただき)にあった者が敗北後も生きていられるなどそんな甘いことは有り得ないと、海外に目を向け、世界中で巻き起こった様々な革命を知る榎本は確かに考えていたのだ。
 曲がりなりにも同じ学者肌と評される大野は先述の理由に加え、島田と自分が苦労して追い詰めようとする土方暗殺の黒幕が、こんな如何にもな人物ではないだろうなどとも考えていた。
 面会時に通された部屋は五稜郭内の榎本の居室に似通っており、この海軍中将としての部屋も彼好みに装飾してあるのだろうと推測する。
 応接室ではなく、私室であろう部屋に通すのも彼らしい。お望みの島田ではなくても一も二もなく受け入れたのも、朗らかな笑顔が想像できるくらいだ。
 執務机も椅子も来客用ソファもローテーブルも、あらゆる物が濃い栗色のバロック調で統一されている。ふかふかの臙脂色の絨毯が敷かれ、執務机の上には帆船の置物が乗り、ディプロマット型で大人が両手を広げる程の大きさの地球儀が部屋の左奥に鎮座し、調度品と同じ栗色や金の操舵輪が校長室の歴代校長の写真と同じような位置に飾ってある。左側には辞典のように分厚い書籍がギュウギュウ詰めになっている本棚と、隣のガラス扉付き食器棚には大小様々な磨かれたワイングラスが整列して収まっていて、右側の広い壁には大野にはどこの海かわからないが大きな海図が額縁に入っている。
「……海賊みてぇ」
 ソファに腰掛けもせずしばらく眺め、クスリと吹き出しつつ呟く大野だが、勿論海賊の部屋など見たことはない。
 ここでノックの音が響く。しかも文章にし難い、恐らくノックの主作曲の即興音楽のリズムである。
 今度はブハッと盛大に吹き出しながら振り返った途端、あらゆる再会シーンでかなり欧米人のそれに似た両手を広げた満面の笑顔で榎本が入って来た。
「右仲さーん! お待たせしましたー! いや、会いてぇって俺が待ってたんだが、いやいや、よく来てくれたー!」
 万人が想像に容易いだろうが、大袈裟な動作でのハグをかましながら大野の背中をポンポン叩いている。
「早速再会の杯(さかずき)としましょう!」
 身体を離したかと思えば右手でブンブンと握手、左手には一本の赤ワインを持って来ていた。
 大野は近藤勇と会ったことがない。
 なので直接知っているわけではないが、京都以来の古参隊士らから聞いた印象だと、土方はもしかしたら、近藤と榎本が似ていると感じていたのではないか、と思うことが何度かあった。
 近藤は勿論、このような如何にも日本人が想像する明るい西洋人的な振る舞いはしなかったであろうし、写真でもわかるように容姿もまるで違う。
 土方同様近藤も、生まれも育ちも、若い時に夢中になったもの、剣術と学問では正反対と言うぐらい違う。
 あくまで雰囲気である。
 おおらかで愛想が良く、人に愛され、何よりも自身が人を愛する、しかし単なる善人とも違う、頂点に立って周りを引っ張る求心力と行動力。
 生まれつきの、大将の器。
 だからこそ、土方は生涯二人目の大将に榎本を選んだのではないか。
 だからこそ大野は、榎本を疑う気にはなれないのだ。
 ローテーブルを挟んでソファに座るのを促すや否や、先程まで物珍しく眺めていたワイングラスをサッと二脚取り出し、もう出会った頃には既にそうだったが手慣れた手順でコルクを抜きグラスの真ん中程まで注ぐ。
「誠の武士、同志との再会を祝して」
 ワインに関する所作が、女性であれば狙われているのかとの錯覚をしそうに何とも洗練されていて上品で、一々恰好が良い。
 ニコリと口髭を動かして微笑み、グラスを掲げた。
 誠の武士とか、呼びかけられても嫌味に感じさせないのもかなり人を選ぶだろう。
 第一大野は、自らをそのように評価したことはない。
 土方を始め京都新選組以来の隊士を前にしたら、自分如きは名ばかりの新選組隊士だと卑屈でも謙遜でもなく、率直に感じていた。
 当時も今も、思春期でもあるまいし誰かに打ち明けたり問い質したりする気もないが。
 あまり得意ではないワインを掲げ、黙っていれば精悍に見える顔立ちを人懐こく綻ばせた。
「島田をご指名だったのに、俺ですみません」
 少しの嫌味もなく言ったつもりなので、榎本も言葉のままに受け取る。
「いやいや! また会えて嬉しいですよ! しかし島田さんにはやられましたね。いや、ご尤もですよ。もう部下でもなんでもない。会いたければこちらからお伺いするのが道理というもの」
 大袈裟に手を振り、豪快に破顔する。先程から何度も目にする、この仕草は癖のようだ。
「頑固でしてね。困ったものです」
 大野があまり似合わない苦笑いをする通り、島田の行動は良くも悪くもまさに頑固一徹と評価されても仕方がない。
 何度もいうようだが、島田は繰り返される新政府への出仕の勧めを断り続けている。誰に勧められても、頑として首を縦に振らない。
 それは一重に彼なりの、旧幕府への、蝦夷共和国への、新選組への、そして土方への忠誠心への証しの為にであろう。
 武士は二君に仕えず。その美学を、貫くゆえの生き様である。
 彼の新選組隊士時代以後の本人曰く余生を評価すると、経営には向いていないようだ。
 当然、新政府の役人として職に就くほうが幾分も生活は楽であろう。ましてや家族がいるのだ。
 しかしそのようなことは、彼にとっては関係のないこと、無粋であるとの一蹴であろう。
 そして彼の良い所は、それを他の者には強要しない所である。
 彼本人は曲がらぬ意志を貫くが、例えば大野が斎藤が新政府に出仕していようと、それを不忠義だなんだと咎めたことはただの一度ととてない。
「右仲さんは今、警視局にお勤めでしたかな? いいですねーまさに元新選組にピッタリの職種です」
 それはこちらの科白である。
 榎本こそ、一国の長よりも海専門の、大好きな船を駆使して諸外国と渡り合う今のほうが幾分も生き生きして見える。
 今日の大野は制服を着ているわけではない。元より知っていたのか会う前に調べておいたのか、少しすっ呆け気味に訊いてくる。
 別に隠すことでもないので、すんなり頷いておく。
「そういえば今度、元旧幕府軍の皆が集まって史談会を開くのですよ。その際も是非とも来てくださいね」
 戊辰戦争を共に戦った者やその関係者が集まり、都度参加者を変えつつ何度も開かれた会合で、速記録などの資料も残っている。
 経験者達が当時を思い出しつつ語っているので、手放しに全て信じ切ることはできないもののかなり信憑性が高いと、現在でも重要な資料だ。
 そこで有名な逸話が、誰もが土方の話題になりかけると口を噤み押し黙ってしまったとのことである。
 蝦夷共和国の幹部で、箱館総攻撃で落命したのは土方だけだ。
 その後ろめたさや遣る瀬なさ、申し訳なさで軽々と話題にできないのだというのが通説だが、一方で、大野と島田が方々苦労して真相を追っている土方の死について、幹部連中が共謀して土方を暗殺したので何も語れないのだとの説もあるぐらいだ。
 今のところまだ二人は、そのような発想には至っていないようだが。
 大野は愛想よく返事をするが、実際に彼が参加したとの記録はない。
 蝦夷に居た頃からそうだったが、榎本はワインの味に慣れているので次々おいしそうに口にする。
 大野はというと、酒もワインもたいして弱くも強くもないが、さほど進まない理由がある。
 何も島田の代わりにのこのこ現れたわけではない。
 あんな態度をとっておきながら、戻れば必ず島田は成果を訊いて来るだろう。
 明け透けに言うと、榎本は白か黒か。
 そこまでハッキリと断定できないまでも、まさかここまで来て帰って、ワインをおいしくいただきながら昔話に花を咲かせて来ました、では済まないのだ。
 しかし何と言って切り出すか。
 全くの無計画でやって来たわけではないが、この底の見えない明るさを前にすると、こちらの権謀術数など意味を成さないような気がしてくる。
 だからと言って、諦めるわけにはいかないが。
「急に島田に会いたいなどと、何か訊きたいことでもあったんですか?」
 策を弄する、ということが極端にできない質ではあるが、それにしても直球過ぎる。
 思惑に気付かれたのか、少し苦笑いをしながら自慢の口髭に手をやる。
「代わりに右仲さんが来てくれるとは。お二人は今も密に交流があるんですか?」
 つい何もかも話したくなるような切っ掛けだが、元新選組監察の島田ならそんなヘマはしないだろう。いや、一般的な人間でもそのような判断はしない筈だ。
 しかし、大野はむしろそれは作戦なのかと疑ってしまう程の異常な素直さで、どう見ても冗談には見えない神妙な面持ちで語る。
「はい、実は。ふくちょ、土方さんは、味方の軍から撃たれたのではないかと。その真相を探る為に島田と動いています」
 このように話されては、榎本はまさか自分が疑われている人物達の筆頭に挙げられているなどとは思わないだろう。
 その相手にこんな話を振るなど、どんな馬鹿でもしないだろうと常識的にわかっているからだ。
 もしもこの場に島田がいれば、この景色のいい窓からぶん投げられても文句は言えない。
「……まさか! 俺達の中にユダが? そんなことは有り得ない!」
 榎本は蝦夷共和国の総裁だ。自らが頂点に立つ組織に誇りがあっただろう。
 榎本が完全に白だとしたら、最も衝撃を受ける者の一人なのだ。
 大野は榎本と同じく、こう見えても学問大好き未知の領域の知識を得ることが大好きの学者肌であるが、徹底的な性質の違いとして、西洋被れではない。
 ワインも葉巻も好まないのと同様、キリスト教に関する知識も興味も皆無に近い。
 ユダなどという表現に、わからないなりにも、話の流れから裏切者を表す言葉であろうと察して特に突っ込まずに続ける。
「俺だって。そう思いたいですよ」
 じゃあ何故疑うんだと、黒目勝ちな眼力の強い眼差しで一度ローテーブルに落とした視線を上げる。
「だからこそ、同志達の潔白を証明したいんです」
 この怒り交じりの反応は、自分がこの件を聞いた時と同じだ。
 反応だけみれば、やはり榎本は黒幕とは思えない。
 しかし、島田が疑うだけの理由もある筈だ。
「榎本さんが、俺達仲間を心から信頼していてくれたことはわかってます。そんな榎本さんに訊きたい。あなたから見て、土方さんを憎んでいたり、邪魔に思っていた人物はいませんか?」
 大野なりに鎌をかけているつもりだ。
 ここでまさか、あなたが犯人ですかとは、さすがに問わない。
「……本当に?」
 すぐさま、そんな者がいるわけがない、との答えが返って来そうなのを
、榎本が息を吸う間に追撃する。
 そうするころで、榎本はもう一度冷静になって考える素振りをする。
 彼が本当に、土方の狙撃など晴天の霹靂で、一度とて思い付きもしなかったという風に、以前大野自身が島田にそうしたように、大野に掴みかからん勢いで激昂している様のまま、半ばヤケクソ気味に応えようとしている、というのが演技だとしたら。
 相当の策士であり演技巧者である。大野単独では到底、太刀打ちできない。
「……いや、しかし、まさか」
 もし榎本が実は黒幕であるなら、知らぬ存ぜぬを貫くのが得策だ。
 少なくとも大野が犯人ならばそうする。
 余計なことは言わず、さっさとこの話題を切り上げるのが吉だ。
 しかし、榎本は律儀にも素直にも、心当たりを語り始めた。
 固唾を飲むように次の言葉を待つ大野に、あまり期待するなというように苦笑いをする。
「俺は一応総裁なんてやっちまってたもんですから。実は皆の不満や真意が伝わってきにくかったんですよ。だからこれは、本人から直接聞いたわけではないんですが」
 島田とは意見が異なるが、実は大野が最も怪しいと踏んでいた人物の名が浮上した。
「大鳥圭介。彼は土方さんを……そうだな、まるで良く出来た兄貴のように。比較されては貶められる目の上のタンコブのように思っている節がありましたからね」
 そのことに、大野も気付いていた。
 だから島田や市村の読みとは違い、もしやと疑っていたのだ。
 まさか榎本まで同意見だとは思いもしなかったが。
 やはり、大鳥の方も突いてみるしかあるまいと、心づもりを固めた。
「だからといって、彼がそこまで追い詰められていたとは、そんな暴挙に及ぶなどとは、俺は思えないがね。俺は、信じたくねぇ。けど、どうしても一人選ぶとすれば、の話ですよ」
 ワインを口にしている時にしては珍しく、苦々しく顔を歪める。
 余程苦しいのか、この話題から離れようと、全然関係ないつもりの話を振って来る。
「それにしてもよくぞ来てくれましたね。仕事の合間を縫って、そのような調査をしている最中に。忙しいでしょうに」
 榎本はそのつもりだが、関係大アリだ。これではまだまだこの話題から離脱することはできない。
「……榎本さんは、副長を邪魔に考えたことはなかったのですか」
 またも、島田がここにいれば張っ倒されそうな愚問である。
 愚問というは、榎本が黒幕だとして、こんなところで一対一でましてや酒を呑みながら詰められて、はいそうです犯人は俺ですと認める筈がない。
 ほんの一瞬、榎本は息を詰まらせて、まさに大野が島田に疑われている時とちょうど同じように激昂しかけた。
 それも、大野にさえ伝わらない僅かの間、血液が沸騰するようだった。
 しかし大野とは違って、榎本はいい意味で老獪である。
 伊達にかつて敵であった新政府の荒波に揉まれながら今の地位まで上り詰めていない。というか、これからさらに活躍し、政府高官を歴任していく程の男だ。
 臙脂色の厚手のカーテンが螺旋状に纏められ、真っ白なレースのみに遮られる大きな窓が映すのは薄っすらとした夕焼け。温かいと錯覚するような橙色に室内が少しずつ染まっていく。
 五稜郭の土方の部屋には、レースはなく焦げたような栗色の木枠に縁取られたのみの硝子越しに眩しいくらいの景色がいつも映っていたのを思い出す。
 眩しく見えていたのは、その部屋でゆっくりとできたのは新政府が攻めてくることができない雪に覆われた季節にのみ許された束の間の光景だったからだ。
「君達、守衛新選組に勝る、とまでは言わないが」
 榎本は口髭に軽く触ってから前置きをする。
 大野はマズいことを口走ったという自覚は辛うじてあったので、榎本が落ち着いた声音で話し始めてくれたことに心中のみで少し胸を撫で下ろす。
「俺は、土方さんに憧れていた。……なんて言うと彼は何を馬鹿なことをと退けるだろうがね」
 確かにそうだろう。きっと、かつての総裁が、新政府の海軍の要が何を言う、と一蹴する様子が目に浮かぶようだ。
「俺にねぇもんを持ってた。羨ましいくらい。他人を羨むなんてな、くだらねぇ、思いもしなかった。本当はなりたかった誠の武士って存在。そんなの言葉だけで実際日本にはいやしねぇだろと思ってた。だが土方さんは……なんであのひとはあんなにも……」
 ワイングラスが揺れる程にローテ―ブルに置いた両手を震わせる榎本は目を絞るように瞑り下を向いたまま、表情は見えはしないものの、泣いているのではないかと思う様相だが、声はハッキリとしている。いつもの明朗な声だ。
「止めたんだ。何度も。あのひとが出陣すると言った時に」
 宣戦布告済みの箱館総攻撃の日、明治二年五月十一日のことを言っている。
 土方は五稜郭本陣に詰める幹部連中の中で唯一、最前線に出陣した。
 何も戦好きで闇雲に出張ったわけではない。
 孤立した弁天台場で新選組が取り残されていると知ったからだ。
 このままでは確実に全滅する。
 新選組の窮地を救うとすれば、誰を置いても自分が出陣しないわけにはいかない。
 誰も助けに来ない、敵軍ばかりが無限に増えていく戦場で歯を食い縛って戦う同志達の顔が声が魂が目の前で見せられているかのように在り在りと想像できるのだ。
 その状況で、かつての新選組副長が、盟友近藤勇に託された大事な隊士達とこの窮地でも新しく加わってくれた仲間達を見殺しにするなどという道は決して、この身を裂かれても選ぶことなどできない。
 その志を知っていても尚、止めたかった。
 榎本は本人の意志とは別にして、良い意味でも悪い意味でも古(いにしえ)の武士ではない。
 武士とは生き方死に方を自ら選択し、その道を美しく飾る者である。しかし榎本には死に花を咲かせる、という心理がない。
 生きてこそ。生きてこその人生である。
 その、現代人には当たり前の西洋風の考えが、ごく簡単に言えば西洋被れの榎本には悪気もなく染み付いている。
「当たり前の顔をして言われたよ。さも、そんなこともわからねぇのかってぐれぇに」
 黒々とした、整髪料の良い香りがする頭を振るう。新しい物好きでお洒落なところ以外にも、実は似ているところはあるのだが。
「新選組の窮地に、俺が行かねぇで誰が行くんだってな。……あんなガキ大将みてぇな顔で言うんだから、上司ぶって止めるなんて、できなかった。そんなもん、野暮が過ぎる茶番だ」
 生きていてほしかった。
榎本は賊軍の総大将たる自らは敗戦となれば死刑は免れないであろうと、最悪の事態も想定はしていた。
 しかし新政府軍が今後世界へと漕ぎ出す新国家を描くとしたら、この戊辰戦争にも何度か顔を出した国際法も丸無視はできない。
 敗軍の残党とはいえ、正式な裁判もなしに無闇な私的感情だけで裁かれることはないであろう。
 旧幕府への恨みを一身に背負って首を落とされた局長近藤勇のような事態にはなり得ない。主にイギリスとフランスなどの西洋列強を巻き込んでというか喜んで土足を突っ込んできた彼ら諸外国の手前、武士の中の武士といえる人物に切腹すら許さないなどとそんな暴挙は出来る筈はない。
 もう充分だというくらい辛酸舐め尽くされ続けたかつての新選組の副長かつ無敗を誇る蝦夷共和国軍陸軍大将だとはいえ、彼らの業腹のみで刑の執行などすることはできない。最終的な役職でいえば、極刑まで処される程の高官ではないのだ。
 どんな僻地に島流しになろうと、生きてさえいれば再起は計れる。今の自分のように、元より才気走る土方のこと、いくらでも活躍する場はあったはずだ。
 すべて今となっては、歴史上禁句の哀しいタラレバでしかないが。
「俺は死ぬ為に、幕府の為に最期の仇花を咲かせる為に、そんな綺麗事の為に戦ってたわけじゃねぇ。いや、綺麗事がなければ戦えねぇがしかし、綺麗事だけで耐えられる戦でもねぇ。だがそれは、土方さんだって同じだ」
 目の前の大野にではなく、何か空虚に向かって、いや自らに言い聞かせるように吐露する。
 共に戦ったのだ、それは大野もわかっている。
「同志だ。喩え意見が食い違っても同じ港を目指すなら、互いに納得するまで談判はしてもジャマだとかぶった斬って殺しちまうなんざ“学者肌”の名が廃るってもんだ、そうだろ右仲さん」
 陰ながら時には面と向かってそう揶揄されたことでもあったのであろう、卑下するかのように自らを表現するが、それには同じく文系学者肌の大野も大いに納得である。
 後は他愛のない話をして別れるのだが、こうも簡単に言いくるめられたのを程なく後悔することになる。
 島田の大剣幕に遭うのだ。

 まずは、島田の苦々しいを通り越した、怒り満面の形相と対面することになる。
 榎本に会って来たその足で、島田の道場を訪れたのだ。
 島田は榎本との会合を断り、日々の通常運転で門人達に稽古をつけていた。
 もう夕方だったのでちょうど稽古も終盤、皆が帰った後の稽古場に腰を据えて向き合う。互いに客間などよりも落ち着くのであろう。
 気を利かせた夫人が酒肴を運んでくれる。現代では神聖な道場で酒盛りだなどと考えられない所業だが、ヤットウの稽古の後は皆で車座になり日本の行く末を談合するという体で政治話を肴に呑むということが日常化されていた。
 新選組の幹部隊士の多くを占める、近藤勇が道場主であった試衛館も例に漏れなかった。
 夫人の心遣いは有難いが、大野は榎本に付き合ってワインを嗜んできた帰りである。まぁ、日本酒ならまた別腹なので飲むが。
「で、ほいほい言いくるめられて帰って来たのか」
 島田は言葉を布でくるんだりはしない。
 当然の如く島田の甘党を熟知している夫人が彼の分として運んできたのは幼児の拳程度の大きさの黒糖饅頭と緑茶である。相手が元新選組隊士ということも知っているので、女子どものお茶会のようなものを出すのも承知の上だろうということもわかっている。
まずは饅頭をモクリと一口で頬張ってからの苦言だ。
「ほいほいって、あのなぁ、」
 パッと見は和むようなその姿に言い返そうとすると、口中の饅頭もなんのその、可愛らしく口籠ることもなく遮られる。
「そんなガキみたいな問答で口を割るような馬鹿はいない」
 確かに、と大野でさえ思わずにいられない。
 いや、わかっていながらも大野は手練手管のての字も持っていないのだ。
 まさか認めるわけねぇよな、と知りつつの会話だった。というより前提として、大野は榎本が黒幕ではないと信じている。
 その心中でのみの反論を見透かすように島田は続ける。口の中には二つ目の饅頭だ。
「総裁が処刑を免れた理由、知らないのか」
 売り言葉に買い言葉、すんなりそんなもん知るかと咄嗟に返しそうになるが、実際に知らないのが事実だ。裁判以外のなんだというのだ。
 島田としても、知らないであろうと思い訊いたのだ。
 土方の死後、応戦虚しく明治二年五月十八日に降伏を余儀なくされる。
 榎本は勿論、自らの死を予見していた。
五稜郭の開城を前にして、新政府軍参謀黒田清隆に『万国海律全書』というフランス人オルトランによる国際法に関する著書を送る。
勿論、これをあげるから許してくださいというわけではない。
 榎本がオランダ留学中に入手したそれが、今後の日本にとって必要になるであろう、自分は死んだとしてもこの稀覯本の焼失は防がなければとの判断であった。
 感動した黒田は榎本の人物を見込み、彼の国際知識は新国家建設に必要不可欠と見極め、処刑反対の嘆願をしたのだ。
「きな臭くないか?」
 現代に伝わる定説を大野に披露しておいて、渋い顔で緑茶を含みつつ言う。
 対して大野は黙り込んでいた。
 しばらく考えるが、きな臭いと考え始めたら、誰も彼も、何もかもがそうとしか思えない。
 島田はきっと、榎本と黒田、裏で何かあるのではないかと読んでいるのだろう。
 大野は自らの想いに反して議論が動いて行くことに違和感を覚えていた。

 釈放されてからというもの毎月恒例としていたことなので、むしろ今日まで会わなかったのが不思議なくらいだ。
 この男も、密かに心の中では相棒と呼んでいるが、自分と同じように毎月通っているであろうことは容易に想像がつく。
「お前も来ていたのか」
 それは相手も同じらしい。
 大して驚いた様子もなく、一足先に献花を終えていたようで、真っ白な菊の花びらが風に揺れている。
そして今まさに黒糖饅頭を供えようとしているところだった。
いやそれはお前の好物だろうと突っ込みたくなる。土方は確かに酒が苦手だが、かといって甘党でもない。
「副長に最も信頼された部下だからな、当たり前だ」
「だからそれは俺だって!」
「よせ、副長の御前だぞ。きっと呆れかえっておられる」
 お前が先に戯言放つからだろ、という悪態を飲み込む。
 確かに呆れるどころか、いい加減にしやがれとか怒鳴りつけながらの鉄拳でも飛んできそうだ。
 土方家の菩提寺である高畑不動尊金剛寺の末寺・石田寺に土方の墓はある。
 その遺骨はどこに眠るかすら未だに不明だが、魂は故郷に還っていると信じ、現代でも毎日美しい花が絶えない。
 またも奇遇にも、大野が携えて来た花も白菊だ。
 土方に似合う花は何だろうと質問した場合、恐らく多くのひとが紅梅を思い浮かべるのではなかろうか。
 それは彼の詠んだ句
 梅の花 一輪咲ても うめはうめ
に由来するのと、大層お洒落な男でもあったので、赤い面紐を付けて稽古したり、市村鉄之助が日野に届けたという愛刀・十一代和泉守兼定の鞘が朱塗りであったりと、赤が好きな色であったのだろうかと連想させる部分が多いからだ。
 また、決して枝を折ってはならない桜に対して、成長に応じて剪定した方が良い梅の、切られても折られてもへこたれず、むしろただでは起きないしなやかな打たれ強さは、土方の生き方を象徴するようだ。
 そして、白もしくは紅牡丹を思い浮かべるひともあるだろう。
 同じく彼の句で、
 白牡丹 月夜月夜に 染めてほし
とあるのと、また先述の朱鞘に牡丹唐草の蒔絵が描かれているからだ。
 しかし墓前に供えるにはやはり菊が相応しかろう、それも可愛らしくも見える黄や別の人物を思い起す紫ではなく、清廉な生涯を映す白を、と二人は考えたのだ。
 島田がしたのか、いや元々毎日綺麗にしているのであろう掃除は済んでいたので、大野は片膝を付き、左右それぞれ均等になるよう花立に白菊を供えた。
 二人で水鉢の水を換え、線香をあげ、神妙な面持ちで合掌する。二人とも、何か会話でもしているかのような長さだ。
 示し合わせたかのようにまるで三人で話をしていたかのように、どちらともなく両手を下ろした。
 無言のままの島田は供えた饅頭を大野に手渡し、戸惑いつつも反射的に受け取ったのを確認するや否や自分はさっさと食べ始めた。
 墓前にお供えした食べ物は自宅に持ち帰って食べるのが一般的だが、その場で食べるのは故人と飲食を共にすることを意味するという。
 それを知らない大野はかなり驚いたが、少し遠慮がちに、しかしひとくちで一気に頬張った。
「……っ甘!」
 甘いものが得意ではない大野は、眉間がモヤモヤする程の甘さに耐えかねて思い切り皺を作る。黒糖の薄皮に覆われぎっしりと餡子が詰まっている、甘党には堪らない逸品だ。
 帰り道に一献傾けようと、わざわざどちらかが提案しなくても阿吽の呼吸で二人は行きつけの居酒屋の方に足を進めた。
 大野としては、とりあえず早急にこの口中に広がる甘さを酒で流したい。
 しかし二人も大の男が揃いながら、夢まぼろしではないかと疑いたくもなるような光景が目に飛び込んで来た。
 先程の二人と同じようにして微かな風に花びらがそよぐ白菊を抱えた男が、こちらへ向かって歩いてくるのだ。
 あまり広くはない道を墓参りの風体で進んで来る男の目的地はおそらく、二人が静かに手を合わせていたのと同じ場所だ。
 ほぼ同時に頭に浮かんだその名を、喉元で飲み込む。
「鳥野郎」
と、出掛かった声は、その相手の驚きの声で掻き消された。
 ちょうど、とうかん森といって、幼い頃の土方が木登りをして遊んだのだという逸話が残る稲荷大明神が祀られる地だ。
「島田さん! 右仲さん!」
 相変わらずの人懐こい、近眼ゆえに見えにくくて目を細めているようにも見える不器用そうな笑顔の、かつての土方の上官である大鳥圭介だ。
 大野の意見では榎本よりも余程怪しいと踏んでいる、土方を憎んでいたのかもしれない男である。
 だがこの様子を前に敵意丸出しに睨み付ける気は到底起こらない。
 榎本と共に語らい、彼と意見が一致したことでより一層強固に疑いの目を向けているのにも関わらず、やはり榎本と同じように信じ難く嘘だと思いたいような感情が勝る。
「大鳥さん! いや奇遇ですね。あなたも副長のところへ?」
 計ったような偶然に驚く大野を余所に、さすがの島田は僅かにも危なげなく、相手にとって不足なしの満面の笑顔で応じる。
 しかし確かに動揺はしているのか、答えのわかりきった質問を投げかける。
「ええ。今日は月命日でしょう? そういうあなた方も同じ目的ですかな」
 相変わらず、いつも笑いが顔面に張り付いたような男だ。
 どんな話題でも、如何にも楽し気な笑顔を崩さない。
「お参りを終えまして、これから飲みにでも行こうかと話していたところです」
 明らかに誘おうとしている、それも腹に一物抱えた状態で。
 存分に伝わるので、大野はちょいと小突きたいというか思いっきり肘鉄を食らわしたい衝動に駆られたが、あれよあれよの“あ”と言う間にこれから共に飲もうとの約束が取りつけられた。
 大鳥はこれから石田寺に向かうので、その後に居酒屋で合流しようとの計画だ。
 もうどうなっても知らねぇぞ、という心境の一方、榎本とサシでやり合う重圧に比べれば島田のいる今回の方は幾分気がラクである。
 頼りにしているなどと、口惜しくて絶対に口にしやしないが。
 大鳥圭介は医者の家に生まれ、緒方洪庵の適塾で学んだ後に西洋兵学に鞍替えした変わり者である。
 フランス人教官の指導の元で砲術と兵学に没頭したが、最後の将軍・徳川慶喜に才能を見出されて幕臣に取り立てられた。
 その恩に報いようと、官軍優勢の最中主戦論を唱え伝習隊そして新選組と合流した。
 しかしその有り余る知識は経験不足からか発揮されることはなく、当時も後世にも、戦場での指揮は土方が数段上だと揶揄される男である。
 箱館戦争の最終局面、土方亡き後も総攻撃を受け続ける五稜郭を枕にここで腹を切ろうという幹部連中を前に、榎本に降伏を進言したのは彼だと伝わる。
 医者の家系で、その血に健康を命を大事にせよとの想いが沁みついている。
 そんな彼にとって、徹底抗戦の御旗を掲げ決して諦めない土方は、邪魔であったのではなかろうか。
 そしてそれ以上に、自他共に有能だと信じて来た自らの技量が、百姓上がりの荒くれ者を前に、何をどう指揮しても劣ってしまう現実に耐えきれなかったのではないか。
 そんな推察から、大野とそして榎本は、もし土方に直接的にも間接的にも銃口を向けるとしたら彼なのではないかと読んでいるのだ。
「おい、どう話すつもりだ」
 居酒屋の暖簾をくぐり、ホシが来る前に作戦会議といきたい大野は着座早々に口を開いた。
 もう餡子の甘ったるさも感覚の端の方へ追いやられている。
「別に。普通に話すさ。昔馴染みだ、思い出話でもするか」
 大野はともかく島田は常人の二倍程の体格なので印象に残りやすいのであろう、行きつけとはいえ週に何度も通っているわけではないが、二人で入ると何も注文しなくてもとりあえず酒が運ばれて来るようになっている。
 なので島田は特に品書きを眺めるでもなく、一切悪びれもせずにむしろ気持ちばかり笑っているように見える。
 そんな様子をジロリと睨む。
 大野はここまで遺憾なく発揮している通り、偵察や尋問などかつて新選組の監察がしていたような業務が頗る苦手だ。
 それを自らも島田も承知しきっているので、お前は何もしなくてもいいから、ただ自然体でいてくれという圧力にも感じて、力量不足を嘆くというよりもこの男の場合は憤慨しかかっている。
 まだ夕方とはいえそこそこ賑わう店の引き戸がガラリと勢い良く開いた。
 整った顔をしている大鳥に、僅かに店の女数人が色めく。
 その評価を証明する写真は数点残っているが、特に幕末に撮影した裃姿の写真は特に凛々しい。
 証拠写真と数々の武勇伝的逸話や当時の人々の証言などにより彼を書くどの小説でも必ず美形であると描写される土方に対して、同じ美形なのにも関わらず不思議な程に大鳥を顔の良い男と表現する小説は少ない。
 本人全くの無自覚だが、顔の良さでは引けを取らない大野は反射的に片手を挙げる。
「大鳥さん、こっちです」
 すると大方の予想通り、彼は借りて来た仔猫のような不安気な顔を一気に満面の笑顔に変えて足早に向かって来た。
「お待たせしました。こんな偶然にお会いできるなんて」
 確かに偶然だが、月命日に墓参りをする、という定番行事でのことなので特に不思議も不気味さもなく、まぁそんなこともあるだろうと受け入れていた。
 席に着いた大鳥はここには初めて来たらしく、もの珍し気に卓上に置かれた品書きと壁に貼られた品書きを交互に眺めている。
 少しそわそわしながら注文を聞きに来た女に二人と同じものをと優し気に言った後、すぐに運ばれてきた酒を傾けながら定番にも互いの近況報告などに話を咲かせた。
 何せ会うのは数年ぶりなので、大鳥は島田が現在どう生計を維持しているかすら知らないのだ。
 しかし話し振りを見ていると、疑っておいてなんだが、土方に対して劣等感は持つにしても、それを根拠に殺してしまえなどという発想はしない男であると、やはり自分の疑いは飛躍し過ぎていると、大野は思い返す。
 話せば話す程に、たまに渋い表情をして土方が揶揄していたように、大鳥はお育ちの良い坊ちゃんなのである。かつて土方がそう断じたのと同じく、良い意味でも悪い意味でも。
 これは島田にとって土方から直接の命を受けていた新選組監察の隊務と同等であるので、さすが思惑をまるで顔に出さず、どう感じているかは皆目わからないが、そうこうしているうちに話は最近榎本に会ったことに及ぶ。
「榎本総督はお元気でしたでしょうね。いや、訊かずともわかります」
 ふふ、と吹き出し気味に大鳥は微笑む。
 確かに榎本は常人の倍程度は元気が有り余っているような印象というか風圧を周りに与える男だ。
 生来の元気さに加えて昨今の活躍振りである。誰から見ても順風満帆に見えるのだから、そう言われても仕方がない。
 しかし大鳥も釈放後はやはり才を買われ、新政府に出仕している。
 同じ学者肌同士とはいえ、明らかに見紛うことなき大鳥と、所謂脳まで筋肉で構成されていそうな大野とでは力の活かし方が違う。
「相変わらず、海賊みたいなひとでしたよ」
 元々よく笑う大鳥は可笑し気に、しかし静かに声を忍ばせながら笑っている。
 油断していると見たのであろうか、突然の話題を島田が斬り込む。
「ところで妙な噂がありましてね」
 横で勘付く大野はオイオイと目を白黒させそうになったので、僅かに目線を落とした。
「うちの副長ですが。何者かに狙撃されたのではないか、との噂があるんですよ」
 心の準備は少しだけしていたものの、大野は喉元で僅かに思わぬ方向に引っかかった酒に噎せた。
 涙目で苦し気に咳を繰り返す大野に構う余裕などなく、大鳥は如何にも素直そうな澄んだ眸を見張る。
 言葉を発することもできずにいる相手に、無論大野が噎せようが吐こうが関係なしの島田は容赦なく畳みかける。
「それも味方側から。あ、いえ、これは俺の憶測ですがね。背中から撃たれているらしいのですよ。まさかとは思いますけど……何せ敵方の流れ弾に当たったものだと信じ切っていましたから。まぁ狙撃にしろ何にしろ、背に銃創を負うとなればそれは味方の発する銃弾ではないかと思うんですよね。決して後退などしない、我らの副長ですから」
 それもこう言っては逆に大鳥が可哀そうだが、嫌味交じりにも聞こえる。
 大鳥はそれに気付くかすら窺えないような、まるで追い詰められる罪人かのように、先程まで酒で少し頬と耳を赤く染めていた顔から血の気が引いたように青白い、恐怖に慄き強張らせた表情で島田を見つめる。
 むしろ目線を外せば、一気に咬みついて来そうな男だ。
「いかがですかね。この妙な噂。大鳥さんはどう思いますか?」
 大鳥の唇は震えていた。
 寝耳に水や青天の霹靂と表現すべき、夢にも思わなかったことを聞かされて驚いている振りでもしているのか。
 それとも下手人もしくは黒幕だから、この場でもしくは帰り道にでも包み斬られかねない相手二人に詰められ、戦慄しているのか。
 前者ならば、大層な演技巧者である。
「そんな……あの、我らの軍神のようなひとを」
 その唇のままなんとか絞り出すので、勿論声も震えている。
「ええ。軍神だから、でしょうね。決して敗けない、決して諦めない軍神を、邪魔に思う輩が居た、ということでしょう」
 ここで、酒の勢いも手伝って激昂したのか身に覚えがあるのか、大鳥は共に戦場に立ち、軍議で熱く議論した時でさえ見せなかった、拳を卓上に叩きつける動作をした。
「そんな……! 上官を裏切るなど許されない! 法で裁かれるべきだ!」
 さすがの大野でも気付く違和感を、まさか島田が見過ごすわけがない。
「……上官? 何故、犯人が副長の部下だと?」
「大鳥さん、何か知ってるんですか」
 やはり大鳥は嘘が吐けない男である。二人係りで身を乗り出され、あからさまに、しまったという表情をしてからモゴモゴと口籠る。
「い、いえ。土方さんが出陣し、そして亡くなった時、彼の上官に当たる者は全て五稜郭に居ましたので……なので当然、彼を撃ったとすれば戦場に居る彼の部下かと……そう、思っただけです。何も……僕は何も知らない!」
 勢い良く頭を振るが、島田はそのような当たり前の理屈では納得しない。
「そうですね。しかし、撃った人物が何者かに指図されているとすれば? その場にいなくても喩え大怪我を負って病床にあっても、誰にでも可能です」
 大野は島田が黒幕候補に挙げていた人物に伊庭八郎と春日左衛門がいたことを今更ながら思い出す。二人とも、今目の前にいる大鳥とは違い、大野としてはまさか犯人だなどと有り得ないだろうと踏んでいる人物であり、島田がわざとらしく喩えばと前置きした通り、銃弾を負い戦線離脱している。さらに二人とも、蝦夷共和国降伏の直前に、もう戦うことができずに新政府軍の手に掛かるのを拒み服毒し自害している。
 腕に碌に力も入らないのに切腹すると聞かないのを、榎本が涙ながらに説得してせめて痛みのないようにと勧めたのだ。
 つまり島田は、味方であった人物誰もが疑いの対象であると伝えたいのだ。
 例外などはない、無論、あなたもだと。
 大鳥は陸軍奉行という役職であり、土方の直属の上司である。
 しかし入れ札により役割が決まる前も後も、二人は別動隊をそれぞれ率いて出陣することが多く、その度に土方軍が連勝する間に大鳥隊は滞ったり敗けたりと厳しい戦況が続いていた。
 土方が常勝将軍と称賛される中、対する大鳥が何と言われていたか想像に容易い。
 大鳥の優しさを慕う兵士も多くいたが、大鳥は自らを腰抜けと揶揄することさえあった。何か、本人にも伝わっていたのかもしれない。
 その様子を近くで見ていたからこそ、大野は彼を疑ったのだ。
 誰もが一度は抱いたことがある、勿論自らも例には漏れないが、他人へのどうしようもない嫉妬心。
 憧れと前向きに捉え、その姿に近付こうと切磋琢磨する者もいれば、ただ胸中を渦巻く熱湯のように煮え滾るようで、氷のように冷ややかで滞る濁流に飲み込まれていつしかその対象を恨んでしまう者もいる。
 同じ学者肌仲間とはいえ、榎本のように底抜けに明るく外に発散する性質でもないように見える大鳥は後者なのではないかと見込んでいるのだ。
 ちなみに大野は本人無自覚とはいえ素直というか馬鹿正直な気質なので、明らかに自分に無かったり優れている技能を見せつけられると憧憬と尊敬で心奪われてしまう圧倒的前者である。
 未だに黙りこくる大鳥に、島田が何気ない動作で汁粉の餅を掴み上げながら重ねて訊く。
 こんな時に何だが、島田はまたも甘味で酒を呑んでいる。汁粉は皆様ご想像通りの所謂おしるこである。この店は今の時間帯は居酒屋だが、昼間は茶店を営んでいるのを島田は知っているので、品書きにないツマミを少しばかり無理を言って注文している。
「大鳥さん。何か、ご存知ですよね?」
 そして、如何にもコイツとは違って、というように付け足す。
「俺は、初めからあなたを疑っていませんよ」
 鈍感ながらも気付く大野は、オイ気まずいだろ、と言いたげに少し睨む。
「ええ、ええ。僕が土方さんをなんて、とんでもない。僕はあのひとに何の恨みもないのです」
 まだ震える声で言いつつも、子どものように頭をコクコク頷かせる。
 しかし大野が疑っているのは私的な嫉妬心から起こる恨みだけが根拠ではない。
 土方亡き後、真っ先に全面降伏を榎本に進言したのが彼だからだ。
「降参一番乗りとさせていただきますよ」
 大野が聞いたのは軍議の折だ。大っぴらに宣言していたので、事前に榎本には話をしていたのだろう。
 元々大鳥は、戦には向いていない。指揮官としても兵士としても。軍人向きではない。
 戦が好きな者などいないだろう。誰もが平和なほうが幸せだ。
 しかし土方は本人の言葉として遺っているように、乱世だからこそ、喧嘩をしてこそ輝ける人間だと自負している。
 大鳥とは真逆の存在だ。
 大鳥はさっさと降伏して、あわよくば今のように新政府の役人として第二の人生を始めたいのでは。新政府の犬として働く自分が言えたことであないが。
「お二人は“その妙な噂”を突き止めようとこのような取り調べめいたことをされているのですか?」
 この男にしては珍しく挑戦的な目許で話を進める。やはり震えているのは自分を弱く見せかける為の演技であろうか。巧者というよりも、もしかしたら数年に渡り癖のように染み付いているものなのかもしれない。
 あの入れ札の際には、蝦夷共和国総裁を決める時に自分に投票したのではという疑惑があった男だ。それ程に実は、内面と我が強い。
 まぁ、そのぐらいの気概がなければ土方が部下として従うわけがないのだ。きっと互いに認め合う、火と水のように対照的に見えても確かに同志だったのだ。
 この関係性は、京都新選組を知る者からすれば山南敬介と土方の関係を彷彿とさせる。
「仲間、つまり蝦夷共和国の者達の中に黒幕が居ると考えているのでしょうが……僕に言わせれば、いえ、憶測に過ぎませんが」
 大野はこんな一面を知る由もなかったのでまんまとムッとしながら聞いている。島田は相変わらず何を考えているかわからない、というか読まれない為の表情を守っている。
「僕は初めてこの噂を聞いた時、まずは新政府側の人間が絡んでいるのではないか、と予想しましたが、どうでしょう」
 榎本も言っていた。同志の中に、そんなことを企む者がいるとは思えないと。
 彼ら上官から見て、そんな仲間はいない、と信じているというか信じたいという話だ。それはこうだったらいいな、という希望に過ぎないと払拭していたが。
 だが、そう考えるのもまた、辻褄の合うことが多く出てくる。
 決して諦めずに君臨する軍神の存在を消し、長引く幕末戊辰戦争を終わらせて新しい日本を作りたいと、最も望んでいるのは誰か。
 簡単な答えである。新政府軍の人間だ。
 彼らは抵抗する徳川幕府軍の生き残りが完膚なきまでの完全降伏をするまで決して追撃の手を緩めたりしない。
 それは徳川幕府開闢以来、関ケ原で西軍に付いた故に外様藩として礼遇され虐げられ続けてきた恨み辛みを込めた鉄槌である。
 しかしこれからの敵のことを見越すと、国内で同じ国民同士でやんやとやり合っている場合ではないのである。
 開国した日本の真の敵が何者であるか。それは誰もが知っている。
 それでも徳川の息がかかった残党は蹴散らさなければならない。だからなるべく、一日でも早く決着を付けたい。
 その為に邪魔となっている者は誰だ。そして、その者を排除するにはどうすればいい。
 このように、新政府軍の誰かが、個人もしくは団体が企むということは充分過ぎる程に考えられることだ。
 不覚にも、二人共にハッとさせられた。
 まさか仲間が撃つなんてという衝撃で、すっかり視野が狭くなっていたのであろう。
 大鳥にこんな不意打ちをされて無視することもできない。もう疑念の範囲は計り知れない。
 それも新政府の人間だなどと、どうやって調べればいいのだ。
 かつて仲間であった榎本にでさえ会いもしない島田は、本人の固い意志で直接の対面なんてしやしないだろう。
 ならば大野が、と言いたいところだが、邏卒の身で新政府幹部級の役人に会う機会などない。せいぜい護衛する、などであろうか。
 残る手段はそれこそ新選組監察よろしく変装なり何なりしてでも探索活動を行うしかあるまい。
「お二人さえ良ければ、僕もこの話、一口乗りましょう」
 以前は聞き慣れたお坊ちゃん的口調と柔らかな声でそして穏やかな笑みすら湛えた表情で、とんでもない悪巧みめいた言い回しをする。
 大野は胸中で、この猫被りめ、と吐き出した。
 年月として数えれば僅かな期間とはいえ濃密な時期を共に過ごしていた間にはその片鱗すら見せなかった彼の本性を垣間見た気がした。
 恐らく島田も同じような心持ちで眺めているであろうが、しかし有難いのは事実だ。
 大鳥が協力してくれた方が、新政府の情報が格段に入りやすい。
 しかしどうしてそこまで、とい疑念もある。
 これまで、斎藤一いや藤田五郎、永倉新八、相馬主計、市村鉄之助、榎本武揚とほぼ同じような問答をしてきて、調査というよりも仲間探しの雰囲気の方が強かったものの、意外にもと言うべきか誰一人としてこの行動に賛同する者は居なかった。
 島田としては一応疑いの目で見ていた大野に一番に打ち明け、素直で直情径行な彼はにべもなく参加したのだが、彼の特質というよりそれだけ土方への熱い想いがあったというのが最も大きな理由であろう。
 しかし大鳥はどうだ。そんな想いがあるとは到底思えない。
「僕は、あのひとには戦場ではない場所で会いたかった。わかるでしょう? 軍神の申し子のような彼と、頭でっかちで机上の空論ばかりの僕」
 二人の疑惑の目線に気付いて吐露する大鳥だが、こう語尾を上げられても同意するわけにはいかない。
「まるで正反対の二人だ。でもね、未来を生きる為の戦をしていた、その信条は同じだったと思っています。だから僕は、あの戦が終わった後の世で、彼と共に仕事をしてみたかった。彼のあの現場指揮能力は必ず新しい世でも輝く筈ですから」
 ひどく哀しい眼をする。それもそうだ、これこそ机上の空論で砂上の楼閣、絶対に叶わない見果てぬ夢である。
「だから彼の死に直面し、もう……糸が切れてしまったのですよ。プツリと。戦う気力というか、勝利への気概、いや感情が。もう正直に言うと、どうでも良くなりましたね。戦そのものが」
 自らの魂を失ったかのような想いで、それでも大鳥は白旗を揚げるのが
決まった最後の軍議で演じきったのだ。
 腰抜けの、戦が何かもわかっちゃいない、おぼっちゃまの大鳥が命惜しさに発言している体(てい)で、仲間の命をこれ以上散らすなと熱く語った。こんな感情が湧いてしまったからには、直属の部下であり慕ってくれた幕府伝習隊を含む兵士をまるで駒のように扱い死なせる訳にはいかなかった。
 当時も後世でも、臆病者だとか、何と言われてももう、どうでも良かったから。
「正直ついでに言うと、僕の感情を殺した野郎をぶん殴ってやりたいですねぇ」
 ここで大野は盛大に吹き出した。まさかこの男から、自分とほぼ同じような言葉が出て来るとは思わなかった。
 そしてその想いも、大野と島田とも同じである。
「だから、きびだんごはいらないので仲間にしてくださいよ」
「遠慮されますな。きびだんごでも黒糖饅頭でもお渡しします」
 どうも甘党の人間は、皆平等に甘いものが好きで食べさせれば喜ぶだろうと思っている節がある。酒が飲めないなんて人生の半分は損しているぞ、と謎理論を振っ掛けて来る辛党の人間もいるが。

 いきなり新政府の連中に的を絞って黒幕は誰かと目を光らせるより、原点に帰って、誰が裏切り、土方を撃ったのかについて考えてみようとの話に落ち着いた。
 つまりは蝦夷共和国軍の生き残り達は、明治時代の今、どのように生きているのか。
 それらを冷静に見直してみようと。
 まずは仏国士官隊のジュール・ブリュネ。
「フランス軍連中まで……ま、そうか。続けよう」
 大野はフランス軍事顧問団にまで疑いを向けるのかと言い掛けたが、考えてみれば彼らを除外するのは甘過ぎると思い返し口を噤んだ。
 蝦夷地で苦楽を共にした彼ら個人は気の良い者ばかりであったが、国として考えれば、戦が終わった後の日本を食い物にしたい者達は海の向こうにゴマンといるのだ。
 さて、ブリュネだが。
 彼はハリウッド映画『ラストサムライ』でトム・クルーズが演じた主人公のモデルとなった人物と言われている。
 蝦夷共和国創設の支援をした彼は、祖国軍に退役届を提出し無給休暇を得てまで日本滞在を申請、仏式調練などの軍事指導を行い、箱館総攻撃を受け敗北が明確であるとなると漸く帰国している。
 その後は普仏戦争勃発を受けて現役復帰し、順調にフランス軍人として功績を積んでいきつつ日本からの叙勲も受けているが、特に土方の死は得にも損にもなっていないようだ。
 それは他のフランス軍事顧問団つまり彼の部下らも同じである。
 そして、副総裁の松平太郎。
 彼は奥右筆から外国奉行支配組頭そして陸軍奉行並を務め、戊辰戦争勃発時には勝安芳の命により旧幕府軍が官軍へ反発するのを抑える役目を負っていたが、榎本武揚の情熱に感銘を受けてなんと抗戦派に参入してしまった、という男である。
 軍資金を届け、入れ札により蝦夷共和国の二番手にまでなってしまうのだから、勝としては堪ったものではなかったであろう。
 榎本の洋才に対し松平の和魂と言われ人望厚い彼は、降伏後は榎本や大鳥らと共に禁錮され、明治五年に釈放、開拓使御用係に任じられたが翌年には辞している。
 やはり、何か得をしているというところは見られない。
 続いて海軍奉行の新井郁之助。
 大野と同じく昌平坂学問所で学ぶが、十四歳で入門するより前、七歳の頃から漢学と儒学を学んでいたという秀才だ。
 学問だけではない。剣術は直新影流、弓術、馬術を修め、西洋砲術や蘭学まで身につけた後に軍艦操練所教授を任じられている。
 それでも飽き足らず、軍艦操練や測量、洋算、高等幾何学、微分積分学の研究までしていたという生粋の学者肌である。
 講武所頭取に任じられ一時海軍から離れるが、慶応四年からは軍艦頭として復帰し、箱館まで転戦することになる。
 降伏後も『英和対訳辞書』させるなどその学識を発揮し、開拓使仮学校校長として勤めるなど、やはり才を活かした活躍ぶりなので、土方の死を敢えて望むとも考えにくい。
 箱館奉行・永井尚志の名が順当に上がった時、大野は声を低くした。
「おいおい、流石にないだろ」
 徳川幕府への忠誠を胸に戊辰戦争に身を投じる時までの官位は従五位下・玄蕃頭であり若年寄である。
「おや、同じ昌平坂出身だからですか?」
 適塾出身者に微笑まれて癖のように睨むが、島田も続ける。
「忘れたのか。最初に降伏した弁天台場守備の指揮を執っていただろう。榎本さんに頻りに全面降伏を催促していたのもあの人だ」
 しかし相手は元老院権大書記官である。易々と疑いの目を掛けることができない、正直後回しにしたい気持ちが山々である。
「黒幕は薩長の連中かもしれないんだ。今や明治政府で幅を利かせてる輩の中こそ、怪しいヤツがわんさかいる」
 官位や役職に怖気付いている場合ではないと、今更ながらに突きつけられる。
 どうも大野は、仲間の裏切りと知った時点で自分とほぼ同等の者のなかに犯人がいると思い込んでしまっている感がある。
 滑稽にも、だからこそ黒幕と下手人を探すという島田に簡単に同調したのかもしれない。
 彼とて新政府の下で勤める邏卒である。
 降伏後は故郷である唐津藩に引き渡され明治三年に釈放、漸く得た新政府が牛耳る新しい世での役割が、有難くも邪魔にも感じる。
 蝦夷共和国の役職者を順番に洗い出す、この作業に飽き飽きしたというのもあるが、先程からずっと引っかかっていることがある。
 そろそろこの会も一旦お開きかも知れない。同盟を結んだ以上まだまだ話す機会はあるとわかってはいるのだが、喉奥に刺さった魚の小骨のように気になって気になって気持ちが悪い。
「なぁ、大鳥さん。やっぱ何か知ってるんじゃねぇのか。協力してくれんだよな? 思うことは全部話してくれねぇと、どうも信用できねぇ」
 そうでなければ、自分が主犯であり、疑われずに済むように敢えて陣中に踏み込んできたようにも見えて仕方がない。
 上官を裏切るなど許されない、その一言がどうにも見過ごせない。
 しどろもどろに弁解にしたのが大鳥特有の人畜無害さを表す演技だとしても、あのつい出た言葉は割と鈍めの大野でさえ感じた違和感なので島田とてこのまま放置するとは思えない。
 何か目論見があって泳がせているのだとしても、確認せざるを得ない。
 大鳥とてあのまま回避できるとも思っていなかったのであろう。
「……お二人に話すには曖昧過ぎて、迷っていたのですが」
 本性のようなものを垣間見た後では、この言葉すら予め用意された台本のようにも思えてくる。
「田村銀之助……あの少年を覚えていますか?」
 当たり前だ。真っ先にあの人懐こい、けれどどこか大人びたような明るい笑顔と声を思い出す。
 市村鉄之助同様、見習い隊士の名目で新選組入隊を許された少年兵の一人で、元々は両長召抱人つまり局長近藤と副長土方の小姓として働いていた。
 その名を聞いた途端、島田は顔色を変える。今まで見たこともない、感情つまり驚愕や恐怖、まさか嘘だろう、しかし有り得ない話ではないと困惑し全力で否定したいような、様々な感情が複雑に往来する殊更人間らしい想いをほぼ隠すことも出来ずに絶句している。
 幸か不幸か、そこまで勘の働かない大野は何気ないような惚け顔で焦れったそうに先を促す。
「銀がどうしたんです」
 多くいた少年兵の中でも抜きん出て優秀で、慶応三年六月に入隊し鳥羽・伏見の戦いを生き抜き、蝦夷共和国ではその才を買われて榎本武揚直属の小姓を務め、また彰義隊出身で陸軍奉行の春日左衛門に養子として是非にと迎えられている。
 ああ、勿論覚えているともと、何気なく答えるのも無理はない。
 彼は所属する隊は別だったにしても共に西南戦争まで戦った、同じ警察官の仲間である。
「……ひどく、震えていました。顔を真っ青にして、伊庭さんと春日さんが横たわる病室の隅で、壁向きに膝を折り畳んで両手で頭を押さえ込み、ガチガチと歯を鳴らして、ずっと震えていましたよ。土方さんが亡くなってから、ずっと」
 彼の名を聞いて連想する印象では到底思いつかない様子だ。
 いつだって彼は、どんな過酷な戦況も笑い飛ばすような、底抜けの明るさがあった。
 素直で従順でまだまだ幼さの抜けない鉄之助に対し、銀之助はある意味あどけない少年を演じているような、周囲を奮い立たせるような力があり、それぞれオトナ達に愛されていた。
 そんな彼は重傷を負った伊庭と春日の看病をする役割も担っていたのだ。
「五月十一日の朝ですよ。まだ僕達が土方さんの死を知る少し前に如何にも戦場帰りの土と埃塗れで五稜郭本営に飛び込んで来たので、この戦禍をよくぞ無事で帰還したと感心しましたが病室に一直線に向かって行って、それから降伏するまでずっとそのままだったようです」
 まるで、神殺しの罪でも犯したかのように。見えはしないが、きっと大粒の涙を流していたに違いない。
「銀が何か、知ってるってことですか」
 大野はむしろ好都合だとまで思った。何しろ、勤務地は違うが同じ邏卒だ、今まで腹の探り合いをしてきた海千山千とも言うべき猛者達に比べれば話がしやすい。
 それに、彼の性分も知っている。箱館にいる頃から、同じように土方に憧れていてかつ冗談も通じる彼は歳の差はあるとはいえ気の合う仲間だったのだ。しょっちゅう土方に軽口を叩いてこのクソガキと怒鳴られるところまで同じであった。ちなみに以前書いたが、大野は土方と一つしか違わない。
 なら自分に任せておけとでも言わんばかりに大野は軽く、
「早速明日にでも話してみますよ。な、島田」
 もしかしたら銀之助は、戦場で土方が何者かに撃たれるのを見てしまったのかもしれない。そしてその誰かを庇う為に口を閉ざしているのではないか、そんな居た堪れない想いが胸を過った。ならば自分に打ち明けることで少しは心に圧し掛かる重荷が僅かでも軽くなるのではとさえ思ったのだ。
 島田も大鳥も、複雑そうな顔のままこの会合はお開きとなった。
 帰り道では暗闇の中飛来する蝙蝠が、不気味に木々の間を行き交っていた。

 新選組隊士としては先輩で、年齢差に容赦なくこれでもかと先輩風を吹かせてくる、言葉だけの印象では嫌な子どもに聞こえるが、それが少しも嫌ではない、こんな少年がこうも自らの意思と志で考えてくるくると立ち回る様にはむしろ感心しかなかった。
 加えて、持ち前の明るさですぐにこちらの懐に入り込んで来るので、土方含め上官にも大野のようにただ蝦夷に渡る為に入隊したのだと揶揄され実際にその通りの者も多かった、仙台で合流した桑名・唐津・松山藩士らにも可愛がられ、同じ少年隊士達には頼りにされていつもその輪の中心にいた。
 それが、田村銀之助という少年だった。
 大野や島田や相馬、宮古湾海戦大活躍し鮮烈な最期を遂げた野村利三郎達、私設土方親衛隊というべき守衛新選組の面々と特に仲が良く、頻繁に行動を共に、というかツルんでいた。
 刀や槍中心の戦から、銃火器中心の、天に選ばれた剣の達人でなくても沢山の人を殺傷できる戦争へと変わる。
 有事には戦に出るのが運命付けられている武士ではなくても、指の動きひとつで大量殺戮できる時代に変わりつつある。
 それを受け入れるしかない、武士側の彼らは幼少期から染み付いた剣術の稽古に勤しむのと同じように熱心に、今では銃の打ち方の稽古に没頭する、蝦夷が雪に覆われ、新政府軍が攻め込んでくることもないある意味平和な日々のことだった。
「右仲さんって実は銃も刀もヘッタクソですよね」
 常人ならば例え思ったとて口にしない、血迷って一言口に出したなら相手の憤慨や最悪決闘騒ぎは免れないようなことを、平気で突き付けてくるし、また言われた大野も素直に受け入れるどころか弱り顔で相談めいたことを持ちかける程に、二人は仲が良いというか、馬が合う存在だ。
 確かに大野は見た目にそぐわぬ頭脳派で、剣才の無さを努力と根性と情熱でなんとか補填している。
「ナギにもしょっちゅうドヤされてるしな。はぁーあ、こりゃ戦場では副長の盾になるぐれぇしかできねぇかもな」
「ナギさんが怒鳴るって相当じゃないですか」
 葦原柳、最後の新入隊士募集で入りながら小銃師範頭に抜擢されている男で、京を跋扈する不逞浪士を震え上がらせたかつての一番隊隊長沖田総司と容姿は生き写しながら彼とは反対に他人に教えるのが頗る上手いと評判だ。褒めて伸ばす指導法で、銀之助が言うように、平素は喧嘩っ早い癖に稽古中は余程のことがなければ怒らない。
「俺がどうしたって?」
 噂をすればの男が背後に立ち、大野はヒュッと肩を竦み上げる。
「おっ、いいところに。ちょっと稽古付き合えよ」
 しかし葦原は如何にもどこか遊びに行くような、いつもの黒羅紗の仏式軍服ではなく小洒落た若旦那風の綾織羽織を身に着けている。素気無く片手を振った。
「やなこった。非番の日ぐれぇしっかり休めよ。つか、ここで言うことじゃねぇだろ」
 大野と銀之助が熱心に稽古に励んでいたのは道場で、手にしているのは木刀である。葦原もヤットウに関しては他人に教授できる腕ではない。
 フランス軍人十名が一員となっている蝦夷共和国は西洋の習慣を一部取り入れ、七日間に一日は仕事をせずに身体を休める日、つまり現代でいう日曜日のようなものがあった。キリスト教は日曜日が休日だから礼拝に出掛けるのではなく、イエスが復活したとされる日が日曜日だから安息日としているらしく、ローマ帝国が定めた四世紀からの習わしである。
「んなに稽古したけりゃイイヤツ呼んできてやるよ」
 何か企んでいるようなニヤリ顔を残して去った葦原の後に現れたのは、なんと土方であった。
「ふ、副長! お忙しいのに、」
「忙しくはねぇさ、日曜だからな」
 その公式の休日に、こうしてヒョイと気軽に来てくれたことが、堪らなく嬉しくもあり、反面申し訳なさに身が縮む想いだ。
 島田のような土方至上主義過激派に知られたら、あの剛腕で殴られかねない、いや、羨ましい、何故一言声を掛けなかったのだと詰問されそうでもある。
「副長が稽古つけてくださるんですかぁ? ええと、土方喧嘩流でしたっけ?」
 すかさず、満面は少し照れ臭そうでもある笑顔のくせに憎まれ口をきく銀之助の、ひとつに結い上げた総髪の頭に拳骨が落ちる。
 同時に景気良く
「あいたぁ!」
と、まだまだ甲高い声が響くのもお約束だ。
 誰が見てもそうだ。土方は上下共に濃紺の道着と袴を着けている。防具は胴のみ付けているが、胴台の色が漆のような渋い赤で彼が付けるととても洒落れている。ちなみに先述の通り、今は付けていないが面紐は赤であったというのだから殊更キマっていたであろう。
 とんだ大物を連れて来たものだと葦原の所業に大野が目を白黒させる一方、銀之助は懲りずに続ける。
「だって副長、おっしゃってたじゃないですかぁ。俺は天然理心流はあんまり上手くないって」
 それは土方の冗談のようなもので、上手くないわけでも、勿論剣術が苦手でも弱いわけでもなく、我流のような実戦向き過ぎる癖が多過ぎて、近藤が道場主を務める天然理心流では目録止まりだった、という話だ。
 銀之助への科白はかつて、
「新選組で一番強いのって誰なんですかぁ? やっぱり副長ですか?」
の質問に対し、苦笑い気味に答えた時のものである。
 土方は煩そうに顔を顰める。
「銀、大素振り百本。右仲、跳躍早素振り百本」
 二人ともに情けなく蛙でも潰れたような声を出しながらも素振りを始めた。
 うだうだ言うなら帰るぞ、とか凄むことなくしっかり稽古を付けようとするのは彼の面倒見がいい兄貴肌な部分が発揮されている。
 大素振りとは木刀の先が地に着くくらい大きく振りかぶって、また地に着くくらい大きく振り下ろす素振りだ。銀之助は肩肘に力が入りやすいので、無駄な力を抜いて振れるように敢えて腕の力を多く使う素振りをさせたのだ。
 跳躍早素振りとは前後に跳躍しながら行う素振りで、素早く動くのが得意ではない大野に適した稽古法だ。
 「鉄、振り上げる時も脇を閉めていろ。そこに刃でも入れられたら首の皮斬られて終いだ」
 木刀を手に素振りをさせているが、注意の仕方は天然理心流らしくあくまで実戦を想定している。ここで道場剣法ならば、ちなみに遣うのが竹刀だろうが木刀だろうが先端はこう呼ぶのだが、そこに剣先を入れられたら一気に態勢を崩されるぞ、と教える筈だ。
「右仲、高く跳び過ぎだ。低くても良いから速く動け」
 末っ子生まれの割に下の者をよく見る指導上手の土方は、かつて家業である石田散薬を作る時、材料となる牛額草の採集の際には家族や近所の人々を前に筆頭に立って指示を飛ばし、彼が采配を執る日は殊更作業が早く進んだという。
 また、天然理心流の出稽古にも積極的であり、塾頭の沖田に同行したという記録が残っている。
 この後も土方の手厚い指導は続き、最後には二人とも心地良い疲れを全身に纏いつつ、正座して一礼した。
「ありがとうございました!」
 あまり体力が無いなりに汗だくの顔を満面の笑顔にする大野の横で、銀之助も心底からの喜び様を隠さない。
「俺、嬉しかったです! 副長は俺のことあんま見ててくれないもんな。ほっといても大丈夫と思ってるんでしょう」
 冗談だと受け取ったのか苦笑いする土方に対し、大野は内心驚く。
全く同じようなことを、彼の親友である市村鉄之助もボヤいていたからだ。この言い様の数倍は可愛さといじらしさがあったが。
「馬鹿だな。信頼してくださってるってことだろ」
 だから大野は、鉄之助に言ったように諭す。
 年少組とはいえ二人とも武士然とした気概を持っている。そこを見込んで抜擢したそれぞれの役回りだ。
「お前には榎本さんがついてるし、春日だっているだろうが」
 総裁である榎本直属の小姓そして陸軍隊隊長春日左衛門の養子の銀之助と、土方の小姓であり遺品を託された鉄之助。
 むしろわざとか計算なのか、どこか不器用なところもある土方は照れ隠しかぶっきらぼうに言った。それぞれに期待し愛していたなどと、おくびにも出さない。
「俺は副長の下で戦いたくてここにいるんです。それを、忘れないでください」
 そんな殺し文句を臆面もなく口にする少年を、思い出していた。
 いや、思い出すと言うには関係が近過ぎる。
 ちょっと話そうぜと軽く声を掛ければすぐに叶う程の距離感に彼はいる。
 しかし何の話題もなしにいきなり声を掛けるのも気が引ける。
 出しにする、というと人聞きが悪いが西南戦争で鉄之助と会ったことも話そうと考えていた。
 その話題が主で済むような、まさか彼が下手人であると露程も思わない気で、あの日と同じように稽古中だという場所へ向かう。
 ただし今回は、射撃場である。
 そして珍しいことに、島田も共に行くと朝から訪れた。彼の新政府嫌いはお墨付きである。頑なに近付こうとしなかった、我こそはと勇んでいる者も生きる為に仕方なくそうしている者も同じく仕官する、明治政府が運用する施設、中でも警察署に自ら赴いたのは奇跡めいている。
榎本が会いたいと誘っても断固拒否し、その榎本と話しに単身乗り込んだ大野はあっさりと見送った癖にこの振る舞いである。
 結局、榎本はいけ好かねぇが銀之助は別だ、久しぶりに会いてぇってことだろ、と大野は断じていた。
「魁さん? なんですかその恰好」
 会った瞬間に遠慮なく吹き出した、かなり背が伸びてまた一段と大人びた銀之助は、変わらない笑顔で横腹を抱える。
 無理もない。
 ここは警察官が射撃の稽古をする為の場所だ。当然、邏卒でもなければ入れない。
 そこで島田は、大野の制服を借りているのだ。ただし、常人より二回りは大柄な彼では釦を閉めるどころか腕すら入らない。ジャケットを肩に引っ掛け、目立たないように精一杯身を縮めながら歩いて来たのだ。
 かつて新選組監察として変装など当たり前に探索活動をしていた彼でも身幅はどうにもならない。
 稽古に勤しむ者同士、かなり幅を取って等間隔に的が配置されてある景色は、仏式調練を行っていた蝦夷共和国を連想せずにはいられない。
 そんな場所で、銀之助はまた構えようとしていた小銃をふと降ろしたところだった。
 お誂え向きに、人は疎らだ。
「下手な変装なんかして。そんなに俺に会いたかった?」
 なら、飲みに誘うとかしてくれてもいいのに、とまだ堪え切れない笑いに遮られながら呟く。
 隙さえあれば軽口を叩くところも、以前のままだ。ただし大野と同じように髪はバッサリと切っている。
「右仲さんも。意外と会わないもんですね」
 お互いに扱き遣われて忙しいですしね、とやはり人懐こい笑顔を崩さない。
 だから余計に島田の緊張感が目立つ。
 邏卒じゃないとバレやしないかと気を張っているのかと考え、何をピリついていやがる、別に平気だろと大野は目配せした。
 的の前から後方へと下がり、三人は休憩や雑談には不向きであろう、壁を背に並んだ木製の椅子に腰掛ける。
 座り心地は快適とは程遠い固さで、薄暗い。真ん中に島田を据えて大野の方からは、銀之助の表情があまりわからない。
 銃の音も疎らだ。ここにいる三人を気にも留めずに稽古を続けるその人の数自体が少ない。
 ほぼ全ての的の前に仲間がいて、熱心に稽古していた蝦夷とは違う。
「鉄のことは聞いたか」
 特に二人で打ち合わせをしたわけではないが、大野がそうしようと思っていた通り、島田は物苦し気に鉄之助の話題から始める。
 その名に目を見開き、すぐに小さく首を振る。
 知らないゆえに、早く先をと促したくて間を惜しむように。
 二人が別れたのは、鉄之助が土方の遺品を携えて故郷へと向かった日、よりも少し前だ。それぞれ、榎本の控える本拠地五稜郭に残るのと、土方率いる二股口の合戦場へと出陣するのとで別れた時。お互いの武運を願い合って離れ、鉄之助のことを聞いたのは連戦連勝を重ねながらも帰陣した土方からだった。
「託された想いをしっかり届けたよ」
 一瞬、ホッと吐きかけながらも、まだ先があることを踏まえて息を詰まらせる。勿体ぶるわけでもなくただ辛そうに、島田はポツリポツリと続けた。
「しばらく匿われていたが、故郷へ戻り、それから西南戦争に」
 大野もそして銀之助も出兵した、武士の最後の戦である。
「田原坂の戦いで、死んだ」
 なんで。そう、出掛かった言葉を飲み込んだ。
 島田は、鉄之助が西郷軍にいたとは言っていない。しかし鉄之助なら明治政府軍には付かないだろうとわかっていた。
 それでも何故と問う。なんで、西郷軍に。
「新政府が許せなかったのだろう」
 無言で流す一筋の涙に、島田が応える。
 明治政府軍には、新選組出身の者が多くいた。
 斎藤一改め藤田五郎、大野右仲、田村銀之助ほか数名が参戦、そして永倉新八改め杉村義衛も是非参戦したいと申し出ていた。
 後世では新選組の意趣返しだと表現しているし、実際に彼らもそのつもりだったであろう。
 それ程に、彼らの敵はそもそも薩人が多かったし、それ以上に、幕軍として長州征伐を行いながら突然反旗を翻し巨大な敵となった薩摩を憎んでいた。これも後世から見ればわかる通り、薩摩が討幕と決めて動き始めてから、明らかに流れが変わったのだ。
 息を殺して項垂れ、次々と涙を落とす。
 あの時、戦場に残った自分が先に死ぬと、当たり前に思っていた。
 敵の本拠地に踏み込むのだ、危険な旅とわかっていたそれでも、彼は生かされたのだと。
「……そんな鉄之助が、お前を許すかな」
 項垂れたまま、今やっと息をするように魚がそうして水を吸い込むように、ハクハクと少し音が漏れる程、銀之助は口を開けては閉めた。
「何言ってんだ」
 そう返したのは大野である。
 誰から見ても土方を慕っていた銀之助を疑うのかと、人を見たら犯人と思えなんてまるで邏卒だ。しかし自分すら疑ってきた島田だから想定内とも言える。
 そしてこの疑いもすぐ晴れるものと想定していた。
「……連れて行くつもりでしたよ。墓場まで」
 暗くて、よく見えない。しかしもう、下を向いてはいなかった。
「後悔も、懺悔も」
 その横顔は日本での製造が成功したばかりであるセメントの床に崩れ落ちる。
 そう宣言していた通り、一発ぶん殴った。土方を撃った下手人を暴いてどうするか、初めから決めていた。
「おい、やめろ!」
 あからさまな喧嘩の勃発にその場の邏卒が集まって来るが、
「うるっせえ! これが新選組の実戦稽古だ!」
狼の咆哮に尾を巻いてとまではいかないがあっさり逃げてしまった。
「手ぇ早くて短気。副長みたいだ」
 言葉と裏腹に微笑んで、銀之助は起こした身で壁に凭れた。
 どう反応されるかの予測で反射的に歯を食い縛っていても、口角には血が滲んでいた。
 私闘でというか、自分の意志で人を殴ったことがなかった大野の手は震えていた。それは怒りによるものだと思っていた。
 完全に、怒りに任せた衝動だった。冗談で言いはしないだろうが、まだ本当かどうかも、理由すら聞いていない。
 まだ希望はある。
何かの比喩かも。誰かを庇っているのかも。そんな希望に縋る冷静さを完全に失っていた。
「右仲さんと魁さんでなければ、シラを切り通すんですけどね」
 こんな風に微笑まれては、もうそれは、真実でしかない。
 田村銀之助が、撃ったのだ。
 安政三年の生まれである彼は、二人の兄と共に慶応三年に入隊した。
 鳥羽・伏見の戦いを生き延び、実は多くいた少年兵らの中でも飛び抜けて優秀かつ勇敢であり、その明るくハキハキとした性格からも皆に愛され、一際目立つ存在であった。
 蝦夷渡航後はその有能さを見込まれて榎本の下で働き、細やかで正確な仕事ぶりから、大怪我を負った養父春日左衛門と土方の盟友伊庭八郎の看病を任されていた。
 しかし少年は戦場に立った。その身に余る程の気概と自尊心が、幕末の戦歴の最終局面である総攻撃を受ける最中に病室に留まっているのを許さなかった。
「ただ、副長と一緒に戦いたかった……それだけだったんですけどね」
 大野も島田も共に激戦地におり、彼の葛藤など気付く筈もなかった。
 土方が、孤軍奮闘する新選組が取り残された弁天台場に進軍していると知り、それを追った。
「足を、撃たれまして」
 その足を投げ出して座ったまま、グイグイと前後に動かして見せる。
 かつて土方が撃たれた箇所と同じだ。親指を撃たれてはどんなに心を強く持とうと全く力が入らず、歩くことなどできない。
「もうダメだって……突っ臥して泣きましたよ。恥ずかしいですけど」
 周りには、味方の兵が山程に倒れ伏す。土方が進軍してから息を吹き返したように敵艦隊を沈めたというその場所まで、到底辿り着くこともできない。
 声を殺して泣く少年の頭上から、声がした。憎き薩摩訛りだ。
この若者こんにせ、まだ息があるぞあっど
 転瞬、血が沸いたように滾り、銀之助は身を起こした。
 縄目の屈辱を受けるくらいならば、切腹して果てるが本望である。
「黒田どん!」
 脇差の切っ先を声の主の方に向けたので、同僚であろうやはり薩摩っぽは慌ててその名を口にした。
 新政府軍参謀・黒田清隆である。
 すぐに銀之助は、その刃を己の腹に突き立てようとする。
お前わっこ、生きたいか」
 その一言で、銀之助は手を止めた。震える。震えてやまない両手を、踏み荒らされた冷たい大地に置く。
 生きたいと、確かに言った。
 そう見做した黒田は、手早く親指の止血を始める。
 薩軍の印である黒熊がゆさゆさと靡く。
 同僚は、また悪い癖が始まったと呆れ気味だが、何もこの男、良心からそうしているわけではない。
 第二代内閣総理大臣を務め、新政府の中心にて高官を歴任した男である。
 やや乱暴なその手当てぶりで痛みに顔を顰める田村の、丸い頬がすっかり煤けた顔も見ないまま問う。
 幕軍はどうすれば降伏する?
 そのような意味の問い掛けを、人の良さを装った訛りで、冷たい目線を傷口に落としたままに呟いた。
「降伏なんてしない。副長がいる限り」
 お望みの返答だったらしい、胸中でのみ良い子だと賛じてから、笑いに口が歪むのを隠そうともせずに告げる。
「では銀之助。お前に初仕事をやる。土方歳三を殺せ」
 旧幕軍蝦夷共和国軍の精神的支柱である土方を撃て。そうしたら配下として仕事をやると。
 同僚も目を見張る。既に黒田には標準語という概念があった。これから日本をひとつに束ねて諸外国と肩を並べ果ては凌駕するには、共通言語が必須である。
「……だから、撃ったってのか? 俺達の副長を?」
 震える声で、誰にともわからずまるで天に問うように呟く大野と、島田は同じ心境である。
 そんな、たかが新政府で新しい仕事をする為に、あの英雄に手を掛けたのかと。
 銀之助はその後、新選組隊士としては頗る移植にも、黒田率いる蝦夷改め北海道開拓使として仕事を全うしている。
「銀、」
 呼びかけだけで、次の言葉が出てこない。
 お前も皆も、副長が大好きだったはずだ。なのにどうして。
 口をつけば、陳腐で子ども染みた文句ばかりが飛び出してきそうだ。

――……

  俺がうらやましい? 嘘だろう?
「あっ、おはよう!」
 そんなこと言うのはひとりだけで、その唯一の人間に、なりたかったのは俺の方だ。
 誰からも好かれる無邪気な笑顔で、さらに満面を綻ばせる。
「銀ちゃんおめでとう!」
 馬鹿らしい話だ。
 思考どうこうよりも、この非常時に。
「へっ? なにが?」
 頭の中を占めるのはそればかりなのに、素直になれない。
 ……非常時?
 いや、俺が足を踏み入れた時はこれが日常だった。敗戦に次ぐ敗戦、どんなに足を踏ん張ってみても、眼の奥底から希望の光が消えていく日々が。
「もう! 榎本総督の小姓になるんでしょっ? すごいよ!」
 将軍さえ怖じ気付いた賊軍の汚名、日章旗の下、幕府の一隊として、その瓦解と運命を共にすることになる新撰組。古株も新参も問わず逃げ出していく中、黄昏時の最日没、何故好き好んで入隊したのか。
「ああー……まぁね」
 生き恥を晒して新政府の世を生きる中、からかい混じりにすら、今でも訊かれることがある。
 同じことをこの友は、真剣な眼差しで訊いたんだ。大人になれなかった……幼い面影のままの友は。
「やっぱ銀ちゃんは僕たちの中でもひと味違うよね!」
 ニヤリと口を上げて見せると、安心したのか賛辞を続ける。
 “僕たち”少年兵には、正式な戦闘員と言うよりも見習い隊士が良いところ、小姓という何ともおおらかな役職が与えられていた。
「それは、鉄ちゃんだろ」
 歯痒かった。
 北限の地・蝦夷箱館に追い詰められてまで、まだぬくぬくとぬるま湯に浸かっているようで。
「ええっ! 僕なんか、全然ダメだよ! 今日も土方先生に怒られたし……」
 その土方先生は、絶対に君を手放しはしない。
 鋭い眼光のまま、なんでも見透かされてしまうんだ。こんな綺麗な人間の隣に居ては、一目瞭然だったろう。
 俺は武士の皮を被った、薄汚い鼠だ。
 生きるのに汚い。
 その為なら、誰もが眉を顰める泥に濡れた道でも迷わず通る。大手を振って行進してやる。
「新撰組に入った甲斐があるよね! 先生に認められてさ!」
 こんなことを、嫌みの欠片もなく、本気で言うんだ。

……

「じゃあ、銀ちゃんはっ? どうして新撰組に入ったのさっ」
「え、俺? ……薩長の遣り口が気に喰わねぇってのは建前で……京市中を震撼させた鬼副長の手足になって働いてみたいって、単純な理由かもな」

……

 そしてそれすら建前……真っ赤な嘘で、一番の優先事項はまず喰うことだ。二人の兄に連れられて、ただ食い扶持に有り付く為の手段として入隊した。
 よく言ったものだ。吐き気がする。
 そんな自分が後ろめたくて、脇目も振らずに働いてきた。いつ死んでも構わない。
 いっそ、武士として死にたい。
 それからふた月頃経って、友は海に隔たれた本土へと逃がされていった。
 望み通り残った俺は、五稜郭城下の戦場で、疲弊して動けなくなっていた。
 どこが傷口かもわからず、血が吹き出す。微かな意識が霞むばかりで、指先にさえ力が入らない。
 このまま死ねる。
 確かにそう思ったはずなのに、俺はまだ、骨の髄までドブ鼠だった。
 生きるのに汚いと蔑んできた俺の人生で学んだことといえば、争う双方に、正義と悪などないことだ。
 西南戦争まで這いずり回った鼠が言うのだから、間違いはない。

――……

「……ご、ごめんなさい、」
 銀之助は冷たいセメントを掻き毟るように何度も爪を立てて震えては、やはり土方にでも、この場にいる二人にでもなく、噛み殺す低い声で呟いた。
 下手人に出会ったら、心底憎いであろうと、ずっと思っていた。
 よくも俺達の副長をと。自分らと同じく部下であったなら、何故あんなに温かい、まるで兄のようでも母のようでもあったひとをと。
 しかし憎しみはまるで湧いてこない。
 それはこの、まるで神にでも懺悔するような体勢で涙する銀之助だからか、自分達がもしやと疑ってきた仲間達のうち、誰が犯人であっても同じだろう。
 島田は、生涯その身に抱いて離さなかったという、土方の戒名を記した紙を納める、大きな腹の辺りに手をやっては久し振りに涙した。生来涙脆い彼が、ずっと我慢して堪え切れなかった。
 真実なんて、知りたくなかった。
 正直、大野はそう思わざるを得ない。
 知ったとて、改めて裁けるわけでも、ましてやそのひとが蘇るわけでもない。
「右仲、よくやった」
 そう言って、褒められるわけでもない。
 三人は、元新選組だろうと私闘は許さぬ、これだから血の気の多い壬生浪はと懐かしく叱責されるまでこうして、ただそこにいた。


 懺悔も悔恨も、嘘だというわけではない。
 でも俺は、完成させたんだ。
 誰よりも尊敬する、兄のようでも母のようでもあった、仰いではいつも眩し気にそこにいたあなたを。
 引き鉄を引いておいて言えたものではない。生きていたなら、新政府でも随分と活躍しただろう。
 でもそんなあなたを、誰が望む? あなた自身とて、冗談めいた本心からそんな末路は真っ平だと、あの苦々しくも敵や自身にも向けた笑顔とも判じにくい様相で語っていた。
 英雄は美しい死あってこその英雄だ。
 あなたを英雄にしたのは俺だ。





駄馬     了





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