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「レオノーラ」

 シリウスが流石にまずいとレオノーラを止める。
 けれど、レオノーラは彼から目を離さなかった。

 そこで我に返ったのはベアトリーチェだった。
 思い出したように両手で覆っていた顔を上げ、呟く。

「そうよ。殿下だって、これが、貴方の力を無効化するペンダントだって言ったわ。そうですよね、殿下」

 勢いよく王太子の方へ振り返るベアトリーチェ。
 その顔には期待が満ち溢れている。

「・・・殿下? 」

 返事をすぐに返してくれない王太子にベアトリーチェがもう一度呼びかける。
 すると、ずっと傍観者に徹していた王太子の口の端がクイッと持ち上がった。

「確かに、そのペンダントの能力は確かだ」

 わざとらしくゆっくりと紡がれる言葉。

「しかしながら、レオノーラ・ラドア伯爵令嬢が魅了の加護持ちだとはまだ認められていない」

 ベアトリーチェの顔色が変わる。

「なっ、殿下、話が違うではありませんかっ! 」
「違うとは? 一体なんの話だ? 」

 王太子は困惑した表情でベアトリーチェを見つめる。

「敢えてこの場で口にするには、それなりの意味があるのかと思っていたのだが。単なる内輪揉めだとはな」
「内輪揉め・・・」
「聞く限り、そう判断しざるおえないが? 」

 平然としてそう言ってのけた王太子は小首をかしげ、「私の勘違いか? 」などと言う。
 レオノーラはそれを白々しいと見つめていた。

「まぁ・・・魅了の力ではないのなら・・・な」
「どうやら勘違いのようですし」
「魅了の力のせいにしたいのは山々だろうが・・・」
「気に入らない義妹を陥れるつもりだったのか? 」
「我々も上手く踊らされてしまいましたな」

 乾いた笑いと共に人々は口にする。
 一気にその場の空気がお家の内情を赤裸々に綴るだけの茶番だと片付け始めた。
 反抗期のまま大きくなったお嬢様がゴシップにもならない話をばら撒いたと人々の興味は逸れる。

「いや、それでも加護スキルを無効にするものがあるとは」
「宮廷魔術師達も知らないことだろうか? 」
「いや、殿下が知っていると言うことは、すでに調査が進んでいるのでは? 」

 ベアトリーチェの事など忘れたかのように人々は話を進める。
 そしてそれはてんでバラバラになっていき、出来ていた輪が消えていく。

 ベアトリーチェは信じられないと王太子に詰め寄る。

「お、お待ちください。殿下は私に──・・・」

 ベアトリーチェは言いかけて固まった。
 小さな声で「まさか」と呟くのを聞いたレオノーラは目を細めた。

『魅了が効かないのは証明されている』

『余程の事態なら許可を出そう』

 上手く断言を避けた、なんとも都合のいい言葉。

「殿下? そんなわけありませんよね? 」

 まだ希望を捨て切れないベアトリーチェは、もう一度王太子に引き攣った笑みで問いかける。
 けれど、彼からは先程までエスコートした相手に見せる親密は感じられない。
 ベアトリーチェは分かっているはずなのに、必死に言葉を紡ぐ。

「殿下はずっと私の話を聞いてくださったではありませんかッ! 私に、辛かったなと言ってくださっては──・・・」

 手からこぼれ落ちる砂を掴もうとするその姿はあまりにも哀れだった。

「私に微笑んでくださったではありませんか! 」

 けれどその言葉は王太子に届かない。
 王太子は首をすくめて「弱ったな」と呟く。

「何か勘違いさせてしまう事があったか? 」
「勘違いって・・・、今日私をエスコートしてくださったのは? 」
「あれは、ペンダントの礼のつもりだのだが。亡くなった母君のものなのに長い間借りてしまったからな」

 王太子がそういえばまだ残っていた野次馬がそんなことかと一気に興味をなくした。
 完全に勘違い娘の道化として話が片付けられた。
 ベアトリーチェが呆然としている間に人々の群れは消えていく。
 そして向かい合うのはレオノーラ、シリウス、ベアトリーチェ、そして王太子だけとなる。
 遠くでは様子を伺っているのかもしれないが、それでも周りの興味はレオノーラ達から完全に外れてしまった。

「なんで・・・」

 ベアトリーチェは呟く。

「殿下は、全て違うとおっしゃるのですか? 」
「君が何を言いたいのか分かりかねるが、少なくともエスコートに関しては他意はなかった」
「気にかけて下さったのは、私だからでは? 」
「気にかける・・・、確かに君と関わることは多かったが、その話のことか? 」
「で、ではっ、あのシャータの話は? 」

 ベアトリーチェは必死に問いかける。

「昔、6歳の頃のシャータでの思い出話をしたではありませんかっ」
「確かにしたが・・・」
「あの時からお互いに好意を抱いていたのですよね? シャータでつまらない日々だったけど、私がいて刺激的だったと・・・」
「すまないが、かなり思い違いをさせてしまったようだな。そう汲み取られるとは思いもしなかった」

 わざとらしく目を開く王太子。

 レオノーラはベアトリーチェの気分が初めて分かった気がする。
 胡散臭いと一回思えば、王太子の全てが疑わしくて仕方ない。

「私が失礼な物言いをしても何も言わなかったのは? 私に心許してくれていたからでは? 」
「困ったものだ。私はそういった事に目くじらは立てない主義だ」

 流れるように反論する王太子。
 ベアトリーチェと王太子の間に何があったのかレオノーラには分からない。
 王太子が自分がバックにいると、想いが通じ合っていると勘違いさせる何かがあった。
 王太子を怪しんでいるレオノーラには、彼がそれをわざとやったように見える。
 それはどこかこの件に自分は関係ないと言ったその姿。
 必死さも何もない彼のその態度はシリウスに比べて誠実さの欠けるもの。

 ただ、王太子の目的がわからないレオノーラは下手に突っ込むこともできない。
 彼は口が上手い。
 丸め込まれてしまう気がして、レオノーラは判断に苦しむ。

「そんなっ、私はっ・・・」

 けれど、ベアトリーチェはそれを受け入れる事ができず、まだ粘る。

「お姉さ・・・」
「ダメだ」

 レオノーラはそれが見ていられなくて踏み出そうとする。
 するとシリウスが余裕なさげにレオノーラを止めた。
 振り返ればシリウスは眉間に皺を寄せている。

 そうこうしているうちにベアトリーチェを止めたのは、赤髪の令嬢だった。

「ベアトリーチェ様、そろそろよしいのではなくて? 」

 赤髪の令嬢が消えゆく群衆の中から出てきて、そっとベアトリーチェのそばに行く。
 ベアトリーチェが彼女を見て縋り付くように腕を掴んだ。

「わ、私、嘘を言ってるわけではありませんっ! 嘘では、嘘なんかじゃあ──」
「分かっていますわ。貴方はよくも悪くも素直な方ですもの」

 その言葉はとても落ち着いていて、ベアトリーチェを馬鹿にしているものではなかった。
 ベアトリーチェの手にそっと重ね、彼女は頷く。

「ですが、今は陛下がお呼びですわ」

 レオノーラ達にだけ聞こえるように赤髪の令嬢は言った。

「陛下が? 」

 レオノーラが顔を顰める。
 レオノーラはもちろんのことシリウスもベアトリーチェもその言葉に固まった。
 赤髪の令嬢はそれを確認しながら、静かな声で続ける。

「先程の騒ぎが陛下のお耳に入りましたわ」
「そ、それは・・・どういう意味なのですか・・・?」

 顔色をなくしたベアトリーチェは震える手で口元をおさえる。
 レオノーラとシリウスも顔を見合わせた。

 ──どうなるの?

 単なる内輪揉め。

「もしかして、夜会を台無しにした事? 」

 レオノーラは指示いられなくてシリウスに尋ねる。
 けれどシリウスだってそんなの知るよしもない。

「とにかく、陛下のもとへ行きますわよ」

 赤毛の令嬢はそう言ってベアトリーチェをなんとか連れて行こうとする。

「待て」

 するとそこで声を上げたのは王太子だった。

「いつから陛下は姉妹喧嘩に口を出すようになった? 」
「私は皆様をお連れするように指示されただけですもの。そんなの知るはずありませんわ」
「なんだと? 」
「あら、何か不都合な事でも? 陛下は既にお待ちですわ。ラドア伯爵夫妻もいらっしゃいます」

 赤髪の令嬢は王太子に臆する事なく上品な笑いを見せながら言ってのける。
 堂々とした素振りを見せても喉がカラカラ状態だったレオノーラとは大違い。
 王太子は笑顔でこめかみをぴくりと動かした。

「承知した。なら、私も共に行こう」

 そう言って、先頭を切って歩き出した。

 レオノーラは王太子の視線が外れた事で、緊張で紛らわしていた頭痛が更に響いてくるような感覚に襲われる。
 しかもそれのせいで酷く気分が悪く、吐き気までもよおしそうだった。
 緊張が最高レベルに達した証拠。
 何が起こっているのか理解ができない。

「歩けますか? 」

 シリウスが心配そうにレオノーラに尋ねる。

「頭は痛いし、気分も悪いけど、体は大丈夫なの」
「そうですか。絶対に無理はしないでください」
「分かってる。全力で守らせてあげるから」

 レオノーラはそう軽口を叩いて、気分を紛らわす。
 そうでもしないとやってられない。
 ただ、レオノーラは固くシリウスの手を握っていた。
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