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しおりを挟むレオノーラの怒鳴り声に、会場は静まり返った。
野次馬たちはもちろんの事、あの赤髪の令嬢も王太子でさえぽかんとした顔をして何が起こっているのか理解できていなかった。
宮廷で行われる高貴な宴には似合わない、いたいけな少女から繰り出される乱暴な言葉遣いと、荒々しい声。
生粋の貴族ばかりのこの場では誰もがそれに馴染みがなく、呆気に取られていた。
唯一、冷静にいたのはシリウスのみ。
「レオノーラ、大声を出しすぎると体に負担がかかります」
穏やかなその声が、静まり返った会場に通った。
それと同時に、静寂が解き放たれる。
一番最初に我に返ったベアトリーチェが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「なっ、なんて品のない言葉をっ! 貴方、家に恥をかかせるつもり!? 」
「・・・恥なら、お姉様のせいで既にかいてるわよ」
レオノーラは興奮した猫のように荒々しい息を吐きながら言い返す。
そんな中、シリウスはレオノーラの体調ばかりを気遣う素振りを見せた。
──こんな大勢の前でお姉様から始めておいて
レオノーラの中での怒りは沈むわけがない。
ベアトリーチェがはじめてしまえば、レオノーラだって反論せざる負えないに決まってる。
もちろんベアトリーチェがこのまま引き下がる訳なく、レオノーラを介抱するシリウスを指した。
「それが何よりの証拠よ。この状況でシリウスは貴方しか見えてないみたいだわ」
「私の体を気遣っているだけよ」
「話し方だって貴方が主人のようじゃない」
「シリウス様の話し方は元々こうだったわよ。忘れた? 」
レオノーラは呆れながら返答すると、ベアトリーチェの後ろで状況を掴めてなさそうな王太子に声をかける。
「殿下、姉に与えた機会を私にも頂けませんでしょうか? このままではラドア伯爵家が姉を不当に扱ったと汚名を着せられてしまいます。どうか、返上する機会をお与えください」
レオノーラが臣下の礼を取れば、王太子は一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、直ぐに元のお手本のような笑みを浮かべた。
「つまり、君は魅了の加護を使用してない、と? 」
レオノーラはゆったりと話す王太子に言葉を返す。
「はい。ただの勘違いを、このまま弁明の機会もなく責められるのは耐えられません。聡明な殿下ならこちらの話を聞かずに終わるなどなさらぬはずです」
レオノーラにとって一か八かの事だった。
だから、ずるい言い回しをした。
自分のパートナーに楯突くことを彼が認めるのだろうか。
けれど、このまま暴走してしまいそうなのをなんとか抑えてレオノーラは言った。
家族にこれ以上迷惑はかけたくはない。
「勘違いって・・・、全て事実じゃないっ! 」
──はぁああああああああああああああ?
レオノーラは、無礼を気にせず割って入ったベアトリーチェに向かって叫んだ。
いや、心の中だけでは収まっていなかった。
その愛らしい容姿が崩れるのにも構わず眉を釣り上げており、ベアトリーチェはその様を見て慄く。
「家名の為と申されては許可をせずにはいられないな」
王太子はあの余裕のある笑みでレオノーラに頷いた。
彼の意図は読み取れぬが、レオノーラは一刻も早く説明したかった。
感謝を込めて王太子に頭を下げると、サッとベアトリーチェの方へ向き直った。
吊り上がった眉はそのままで、レオノーラは一歩踏み出した。
シリウスもそれに従う。
「なにが事実よ。こっちが黙ってたら好き勝手言って、1人だけ我慢してるなんてよく言ったものね。そっちが5年間我慢したっていうなら、こっちだって5年間我慢したわよ」
一気に捲し立てたレオノーラ。
先程のまでの消え入りそうな儚げな美少女の姿はどこにもない。
「お姉様が勝手に勘違いして拗ねているのを相手にするのがどんだけ疲れるか。お母様とラドア伯爵がここ数年でどんだけ痩せたと思ってるの? 伯母様が亡くなってすぐだからってこっちが下手に出ればいい気になって、何様? 親が死んでるのはそっちだけじゃないのよ? 私だってお父様が亡くなってるのに、12歳にもなって自分のことしか考えてないお姉様に誰が味方するっていうのよっ! 」
ふつふつと湧き上がる5年間の辛抱した記憶。
レオノーラは蓋をしていた感情をさらけ出し、つい周りを忘れてしまった。
「興奮しすぎるとまた倒れます」
シリウスがそっとレオノーラの体を支えた。
レオノーラはそれに甘えながらも、この勢いを衰えさす事はなかった。
頭はガンガンするし、気持ちも悪いが、今言わなければならないことがある。
相手が好き勝手するなら、自分だけ我慢するなんて不公平すぎるとベアトリーチェを睨んだ。
「何よ我慢って・・・。気を遣われたことなんて一度もないわ。皆、私を腫れ物みたいに扱ったじゃない」
けれど、ベアトリーチェは何一つ思い当たることがないようだった。
「殿下」
レオノーラは話にならないと王太子にまた声をかけた。
王太子は「何かな」と焦ることもなく返事をする。
彼は既に元通りの調子を取り戻しているかのようだった。
「もし、姉の立場であったなら、屋敷にやってきた私が挨拶したとしてどうされますか? 」
「どう、とは・・・。挨拶を返すだろうな? 」
質問の真意が見えない王太子は慎重に答える。
それにレオノーラは頷いた。
「ですよね。普通はいくら気に入らない相手でも、家族になるのだから挨拶を返しますよね。それが礼儀ですもの」
レオノーラの言葉にベアトリーチェはぴくりと頬を引き攣らせた。
レオノーラが初めて屋敷にやってきた日。
忘れもしない。
*
『お久しぶりです。レオノーラです、ラドア伯爵、ベアトリーチェお姉様。い、至らないこともたくさんあると思いますが、これからどうぞよろしくお願い致します』
何日も前から母に礼儀を確認しながら練習した挨拶を、レオノーラは緊張しながら披露した。
ベアトリーチェは従姉妹として数回だけ顔を合わせた事があるものの、病気がちだったレオノーラは少し話した程度。
それに昔から伯爵令嬢として教育されてきたお姫様のようなベアトリーチェは、父親が男爵位だったレオノーラにとっては雲の上の存在。
レオノーラがそんな彼女と家族として顔を合わせるのに緊張しないわけがない。
『よく来た、レオノーラ。君たちが我が一族に加わるこの日を楽しみにしていた』
朗らかに笑って歓迎してくれたラドア伯爵。
レオノーラはなんとか上手くできた挨拶にホッとしながら、あたたかな彼の言葉に微笑んでいると──
『仲がよろしいのですね。随分と楽しそうな家族ごっこですこと』
そう発せられた言葉。
ベアトリーチェは一歩も動くことなく、階段の上からレオノーラたちを冷たく見下ろしていた。
睨むベアトリーチェの目とかち合えば、その鋭さは増して、レオノーラを射る。
『ビーチェ、何を言っている』
『っ! 』
ラドア伯爵がその態度を咎めようと厳しい声を出せば、ベアトリーチェは目を見開き、さも傷つきましたと言う顔すると、その目に涙を溜め込んだ。
『私には必要ありませんから! 』
そう叫びキッとレオノーラを再び睨み、その赤くなった目のまま挨拶をする事なく1人屋敷の中に入ると、その日は一度も部屋から出てこなかった。
歓迎の食事会をしようにもそんな状況ではなくなり。ラドア伯爵はずっとレオノーラ達に平謝り。
なんとも気まずく、記憶に残る初日だった。
*
「あれは、突然の事に混乱していて・・・」
「さっきのお姉様の言い分なら、いきなりやってきた義理の家族に父親と仲がいい様子を見せつけられて疎外感を感じたって事? こっちがただ呑気にやって来たとでも思っていたの? 」
レオノーラはベアトリーチェに言い募る。
「私の気持ちも考えない貴方達に失望したのは確かよ」
「気持ちも考えないね・・・」
レオノーラは、ジトッとした目をベアトリーチェに向けた。
「なら、お姉様は私の気持ちを一度でも汲もうとしてくれた? してくれたら、あんな態度は取れなかったはずよ」
*
そんな衝撃的な一日の終わり。
レオノーラの母は、ベアトリーチェはまだ母親を亡くしてすぐだからきっと心の整理ができていないのだ、だから彼女を責めてはいけない、とレオノーラに言い聞かされた。
『ゆっくりと歩み寄りましょう。これから一緒に暮らす家族だもの。きっと大丈夫』
母も不安で仕方なかったのに、そうレオノーラを落ち着かせようとしていた。
それをわかっているレオノーラは素直に頷いた。
父を亡くした悲しみを知っているレオノーラは反発する心に共感できたが、それでもベッドの上で色々と考えてしまった。
『もしかしたら、礼儀作法がおかしかったのかな? 』
『気づかずに失礼な事をしちゃったのかな? 』
『私の事嫌いになっちゃったかな? 』
愛想笑いさえされなかったレオノーラは、ベアトリーチェの態度に悶々とし、良くないことばかり考える。
新しい生活にただでさえ不安だったレオノーラは夜のベットで悶々と考え、嫌われないようにと焦りが増した。
昔から体調を崩しやすく部屋からほとんど出たことがないレオノーラは人間関係に自信がなかった。
家の中だけの小さなコミュニティで「かわいい」「かわいい」と育ったレオノーラには初めての体験。
だから、次の日から頑張ろうと更に気を張った。
自分の一挙手一投足に気を配り、ベアトリーチェに不快感を与えないように絶えず笑って、話しかけ続けた。
幼いながらも覚えた愛嬌をベアトリーチェにふんだんに振り撒いた。
『お姉様、今日は天気がいいですね』
『これとっても美味しいですね』
『お姉様はこんなことも知ってるなんて凄い』
『一緒にお庭を散歩しませんか? 』
けれど、ベアトリーチェはいつも無表情でそれを拒絶した。
他愛もない雑談は、そっけない返事をされるか忙しからと逃げられる。
素直にいいと思ってベアトリーチェを褒めれば、無理はしなくていいと受け取ってもらえない。
勉強を教えてと口実を作れば、それは基本的な事だから教えるまでもないと切り捨てられる。
だったら、服選びに自信がないからと助言を頼んでみれば、レオノーラのセンスが理解できないからと断られる。
出来るだけ愛想良く、ベアトリーチェに気に入られようと、感情を素直に表すようにして、得意の愛嬌を振り絞ったのに、全て不発。
そっけないだけならまだいい。
無表情はむしろ不機嫌に見えて、何か不満があるのかとレオノーラは顔色を更にうかがって縮こまるばかりだった。
*
「ねぇ、これで、どうやってこれ以上お姉様に配慮しろと言うの? 」
レオノーラは心底分からないと眉を寄せて尋ねる。
11歳の子どもだったレオノーラがこれだけ必死になったのに、ベアトリーチェはそれを拒否しただけ。
それのどこにベアトリーチェの気遣いがあるのか分からない。
「確かに、私はこの顔のせいで勘違いされることはあるわ。けれど、決して──」
長々と語るレオノーラにベアトリーチェが反論する。
「態度の話よ。顔つきは関係ないわよ」
レオノーラはびしゃりと言い返した。
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