君に愛は囁けない

しーしび

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その後 ジルベール視点

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 セシルは体の中に溜まったものを全て吐き出すように泣き始めると、いつの間にかジルべルーの胸の中で眠ってしまった。
 幼子のように安心した顔で寝入った彼女に手を出すわけにもいかず、ジルベールはセシルを抱き上げて部屋まで置き届けると、伯爵の待っている書斎に足を向けた。

「疲れて寝てしまいました」

 そう報告すると、中身が入ったままのグラスを放り出してずっと部屋をうろうろとしていた伯爵が、顔を顰めてジルベールに説明を求めた。
 17年の付き合いで得た信頼があるからこそ、ジルベールが来るまで待っていてくれたが、伯爵とて気が気ではなかっただろう。
 ジルベールには彼の胸の内が理解できる為、できるだけ真摯に向き合おうと口を開いた。

「・・・誰が忘れるものか」

 全てを聞いた伯爵は椅子に背中を埋めながら吐き出した。
 ジルベールも伯爵が二人の愛娘を分け隔てなく愛し続けていることはよく知っている。
 そして彼がリーナの後を辿るように振る舞い、いまだに姉の死を受け入れきれないセシルの姿に胸を痛めていることも。

「あの子が少しでも踏ん切りがつけばと思っていたのだが・・・」

 「まさか裏目に出るとはな」と伯爵は天を仰いだ。
 あそこまで彼女が追い詰められているなんて、と。
 それに気づける程、ジルベールにだって余裕はなかった。

──彼女が言うほど私は大人ではない

 彼女の見る自分が幻想でしかないとジルベールは思っていた。





 ジルベールは8歳の頃から雛鳥のようについてまわるセシルが好ましかった。
 商家の後継の一人息子として生を受けたジルベールは、多くの親族に囲まれて育ったが、皆、根っからの商人気質で、無意識の損得勘定が働くのか過度な情をかけられることのない、どことなく割り切った関係だった。
 だからか、無条件にジルベールを慕うセシルの存在は輪をかけて特別で、大人たちの事情で婚約したリーナにも感じなかった何かがあった。
 けれど、それは決して邪な感情ではなく、友人たちが語る兄弟への愛情に近いもので、妹がいるとこんなものなのかと、ジルベールも胸の内にセシルを安易に入り込ませた。
 生まれた時から知っているからか、セシルは一度もジルベールを警戒することなく簡単に身内の中に含んでしまっていて、何をするにもジルベールも一緒なのが当然のように振る舞う。
 だから、ジルベールが伯爵家を家族のように思えたのはセシルのおかげだった。
 リーナとも良好な関係を築いてはいたものの、セシルがいなければジルベールに流れる商人の血が働いて表面上の付き合いが続いたかもしれない。
 お転婆で目が離せないセシルをリーナと共に追いかけ回しているうちに、リーナにも情が湧いてきたのは確かだった。

「きっと、セシルは貴方と結婚するのでしょうね」

 16歳の秋、流行病を患った彼女は衰弱して掠れる声でそう言った。
 面会が許されたジルベールは彼女を励ますつもりで訪れたが、現実的な彼女の言葉を否定することはできなかった。
 もしこのままリーナが帰らぬ人となればそうなるだろうとジルベールも分かっていた。
 そして、目の前のリーナの姿がその将来を明確に表しているように思えた。
 社交界に顔を出すようになって上手く取り繕うことを覚え始めたジルベールだったが、リーナに何を言っても無駄な気がして気の利いた返しが一つも出なかった。
 けれど、リーナは気にすることなく天井を見つめたまま言葉を重ねる。

「きっとセシルはたくさん貴方を愛してくれるわ」
「何を根拠に」

 8歳の子ども相手に何を言ってるとジルベールは吐き捨てた。
 それよりも自分の体のことだけを考えろとジルベールは思った。

「だって、貴方はあの子に嘘がつけないから」
「・・・私は君に嘘を付いたことなんてない」
「無自覚? 」

 乾いた息を吐くリーナは笑っているつもりなのかもしれない。
 彼女の言葉の意味が分からず、戸惑いを露わにするジルベールにリーナは静かに告げる。

「いいのよ。お互い様だから」

 彼女の力無い声で紡がれる言葉はなぜかジルベールを冷つかせる。
 ジルベールは、婚約者としてリーナを愛していた。
 婚約者らしく愛し、大切にしているつもりだった。
 けれど、彼女にはそうではなかったのか。
 それが伝わったのか、リーナは寝たままゆっくりとジルベールの方を向いて口の端を僅かに上げた。

「気にしないで。私、ちゃんと幸せだったら」

 それが本心だったのかどうか、ジルベールには判断できなかった。
 けれど、ジルベールはこの婚約が問題なく続いた理由が分かった気がした。

──君も私と同じか

 何が、と聞かれればジルベールは上手く答えることができない。
 けれど、二人を形作る根本的な何かが同じで、互いに同じ何かを求めていた──そんな気がした。
 きっとそうだったのだ、とジルベールはそれを飲み込んだ。 

 それから1ヶ月も経たぬうちにリーナが息を引き取ると、予想通りセシルとの婚約は決まった。
 悲しみは消えることはなかったが、自分が一番辛いくせにジルベールを懸命に励まそうとするセシルがいじらしく、いつまでも落ち込んではいられなかった。

 最初は昔と変わらぬ付き合いが続いていたが、リーナいない関係は次第に歪み始めた。
 年数を重ねる毎に、わがままでジルベールを好き勝手に振り回していたセシルはなりをひそめ始めた。
 ジルベールが外出に誘えば、あそこに行きたいあれが欲しいと興味だけで動き回るのを止め、静々とジルベールの後をついて回るだけ。
 様々な感情を表していたのに、彼女はいつの間にか頷くこと以外をしなくなった。
 それがもどかしく、ジルベールはセシルの好きな場所や物をとことん探してくるのだが、嬉しがっているくせにその感情をジルベールにぶつけてくれることはなかった。

「お前って贅沢だよな」

 男性だけが集まる夜会──というよりも歴史書好きの同好会のような集まりでジルベールは友人にそう言われた。
 ノリに乗っている商いの事、貴族と縁付けた事、そして自身の容姿を時折嫉妬も混ざって目で見られる程運が良かった自覚はある。
 そのためジルベールはぬるい返事をして交わそうとしたが、友人は思ってもみないことを口にした。

「姉妹二人とも味わえるなんてそうそうないからな。羨ましいに限るよ」

 品のない会話でもいつもだったら軽くかわすことができた。
 けれども彼の言葉は簡単に受け流すなんてできるわけもなく、ジルベールは真顔で友人に目を向ける。

「そう睨むなよ。本当のことだろ? 」

 言っていいことと悪いことの区別のついていない友人は、ジルベールの婚約を政略的な物でしかないと思っていて軽口を止めることはなかった。

「まぁ、妹の顔は確かに姉に比べればイマイチだが、それなりに綺麗だし、何より、あれだろ? あの体を堪能できるなんて・・・なぁ? 」

 友人は胸に両手を添えて卑猥に動かす。

 鈍器で頭を殴られたかのような衝撃だった。
 それと同時に込み上げる感情をコントロールできず、ジルベールは怒りを露わにした表情を見せれば、同調していた他の友人たちが慌てて話を逸らした。
 ジルベールはこれ以上彼らにセシルを語られたくなくて、わざわざ言及しなかったが、成長したセシルが男どもにどう映っているのか知り、抑え難い何かを自覚した。

 そばかすまみれの顔で走り回っていたセシルは、成長するにつれ背と髪が伸び、幼い頃の愛らしさは女性特有の美しさへと変貌していった。
 それは赤子の頃から知っているジルベールにだって意識せずにはいられなかった。
 けれど、だからといってあんな低俗な友人たちの欲に穢されていいわけがない。
 だから、社交デビューを果たした彼女が他の者たちの目につかぬように、ジルベールはできるだけ彼女を友人たちから遠ざけた。
 特にあの発言をした友人はセシルの視界にさえ入らぬよう徹底した。

「過保護すぎるだろ」

 あの場にいた他の友人の一人がそう口にするが、ジルベールはそれに同意しない。
 ただでさえ不安定に不器用に生きるセシル。
 彼女を害するものがあるなのならジルベールは排除するまでだと思っていた。
 そこには誰かがセシルを奪おうとするのではないかという焦りもあった。

「そんなところがまた令嬢たちを夢中にさせるのだろうな」

 友人は「お前も苦労するな」と肩を叩いた。
 けれど、こんなことは苦労でもなんでもなかった。
 既にいないリーナの姿ばかりを追いかけるセシルが、ジルベールを見てくれる手段にすぎないから。

 セシルが13歳の頃だった。
 セシルは不安げにジルベールを見つめ、自分のことを好きかどうか説いてきたことがあった。
 セシルの様子がおかしくなってきたばかりの頃で、ジルベールはセシルのその不安が婚約者らしいものではないとすぐに分かった。

──彼女の望む答えは、愛の囁きなどではない

 だから、ジルベールは曖昧に微笑んだ。
 そうすれば、セシルは安心したように微笑むと分かっていたから。

 婚約者の妹を愛するなんて自分でも不埒だとは十分理解している。
 リーナがなくなっているのだからいいのだとかそんなものではない。
 8歳も年下の子どもにこんな感情を持ってしまう自分がおかしい。
 けれど、自分に懐き後をついていた雛鳥が、その翼を広げ飛び出していくのを何もせずに見届けるなんてジルベールにはできなかった。
 セシルの成長とともに自分の中に芽生えた感情は、ジルベールの意思とは関係なく根をはり、ジルベールの身体中に張り巡らされてしまった。
 それらは、セシルが抑え込むように口を紡ぐだけで、ジルベールの胸を締め付け、いつの間にか彼女に触れようと手を伸ばさせる。
 既にジルベールが起こす行動は、損得に関係なくセシルを中心に回っていた。

 家同士の婚約などというのはジルベールがセシルを手元に置き続けれる言い訳に過ぎなかった。
 どれだけ経とうと待つつもりでいた。
 リーナへの罪悪感でセシルが苦しんでいるなんてとうの昔に分かっている。
 けれど、ジルベールはセシルの心からの笑顔を知っている。
 その笑う瞳に薄る世界がどんなに眩しく尊いものか、痛いほど知っていたから。
 だから、その時が来るまで、ジルベールは胸の中でセシルへの愛を囁き、愛を乞い続けた。





 帰る間際に、もう一度セシルの様子を見てから帰りたいと申し出ると、伯爵は快く頷いた。
 硬い信頼を勝ち取ったことを誇るべきか嘆きべきなのかとジルベールは苦笑する。
 そして、伯爵の信頼を損なわないように、部屋の扉は開けたままにし、ジルベールは深く寝ついた愛しい婚約者の横に腰を落とすと、その寝顔を堪能した。

「・・・待っていたつもりが、ただ不安にさせていたなんてな」

 彼女がそれを求めるならと思っていたが、そうではなかったのだと今更気づく。
 最初から、彼女が嫌がっても結婚するつもりでいたのだから、結局、セシルのためと言いながら自分勝手なエゴだったのだと思い知らされた。
 何もかも自分が嫌だったからしていた事で、セシルに寄り添っていたものではなかった。

 ふと、もしセシルに姉の最後の言葉を教えれば楽になるのだろうかと考える。
 けれども、ジルベールはそれでは意味がないような気がした。

『貴方はあの子に嘘がつけないから』

 リーナの言葉は現実になった。
 セシルが修道院に籠るのなら、彼女の思いを汲んで見送るべきだったのかもしれない。
 けれど、ジルベールはそんないい婚約者を演じることもできず、情けなく彼女に感情をぶつけてしまった。
 この感情に嘘をつくなんてできなかった。

 けれど、それでもまだ、セシルは自分に愛を囁いてくれていない。

 あんな風に自分を抱きしめておいて、恋焦がれたような瞳をいつもをジルベールに向けておきながら、決してそれを口にはしてくれなかった。

 だが、もう待つ必要もない。
 何もせず失うのはうんざりだ。
 もう16歳の無力で何も知らなかった自分ではない。
 彼女がその言葉を口にしてくれるまで、ジルベールは彼女に囁き続けよう。

 今は時間をくれと伯爵に頼み込んでいるが、娘たちを溺愛しているあの伯爵が今までを後悔していつ動き出すか分からない。
 17年の信頼も、セシルの意見一つで変わる恐れは十二分にあった。
 だからジルベールはそれまでにセシルを繋ぎ止めておかなければならない。

 考えたくもないが、ジルベールがセシルを諦めるのは、セシルが本当にジルベールを必要としなくなった時。
 彼女の瞳からジルベールへの信頼もあの情熱も全てが完全に消えた時だけだ。

 それまでジルベールはセシルを決して手放してはやらない。

 彼女の憂いも何もかもまとめてともに背負う。

「だから、愛してると言ってくれ」

 その権利をくれとジルベールは彼女の耳元で囁いた。
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感想 4

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みんなの感想(4件)

ののの
2024.11.11 ののの

続きが読みたいような、ここで完結がいいような。
とても、引き込まれました。
面白かった!!

解除
deko
2024.04.02 deko

素敵な作品ありがとうございました。上品さを感じるのは、作者様の力ですよね。

解除
のんの
2024.03.31 のんの

セシルがお姉ちゃんを忘れたくない、と言うところで泣きました… リーナとジルベールの2人が大好きだったんだなぁ…
ただ単に自分に自信がなくて、とかじゃなくて、修道院でお姉ちゃんのことを想いながら生きていこうと思ったのですね。
でもジルベールはセシルを手放せないでしょうから、とことん愛を囁いて口説くしかないですね。頑張れジルベール!

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