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恋の沼に落ちるのも人の恋路を邪魔する奴が馬に蹴られるのも、きっと理由なんか要らない
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「確かに女性と交際しても違和感しかなくて、相手にも『あなたは変だ』と言われ続けてたけどーー」
「おいおい、泣くなよ」
恒星が横から肩を抱いてゆすったかと思うと、子どもをあやすようにハグして背中をトントンと叩き始めた。
「……話、聞いてた?僕は、Mで同性愛者だって、言ってるの」
「聞いてた。けど、俺、正直そういうのよくわかんねえし……」
「同情されたくない」
一回り小柄な恒星の肩で涙を拭くと玄英は膨れた。が、拒まなかった。
「辛いんだろ。吐き出して楽になっちまえ。悪口でも恨み言でも。王様の耳はロバの耳……」
「……」
「いや、俺は江戸っ子だから殿様かな。幸せになろうとして結婚したのに、自分でもどうしようもない事を非難される一方だなんてさ。俺まで何だか辛くなる」
玄英はまた、恒星の肩に顔を埋めた。
ーー「王様の耳はロバの耳」って、そんな話だったかなぁ?
無関係なところでクスリと笑いたくなる。
「でもよ。『普通の恋愛』とか『普通の人』って一体何基準なんだろうな。これは俺の持論だが、世の中の連中なんて百人いたら百人ともロクデナシか変人だ。平均もクソもあるか」
「ふふっ……ははは……」
耳元で囁かれる軽快な毒舌についに笑い出した。恒星はわしわしと玄英の髪を撫でると彼の身体を起こし、手を取って横に座らせると顔を覗き込みながらゆっくりこう言い聞かせた。
「恋愛だって、大丈夫。あんたは本当にいい男だ。頭や顔がいいからってだけじゃない。俺が心底そう思ったんだから、保証する」
「それはどうもありがとう」
玄英は苦笑した。だが、これまで胸の奥に抜けない棘のようにいつも刺さっていて、達観やセルフカウンセリングでどうにか対処して来た問題に対して、他人から素直に労わられ気遣いを示される事がこんなに気持ちが楽になる事だとも初めて気がついた。
「皮肉じゃなく、本当に嬉しい。でも、何とかしてやろうと思ってくれなくてもいいんだよ。相手が見つけづらいのは現実問題だから。この界隈、SよりMの方が供給過多なんだよ。知らないで口説いてきた人にも『縛って欲しい』って言った時点でだいたい引かれるしね」
「ーーそういうもんなの?」
きょとんとした表情の可愛らしさ。これまでの人生でまるきり縁の無かったであろう世界をなんとか理解してくれようとする誠実さも好ましい。
「ただ相手を罵っていたぶるだけじゃただのDVだからね。互いに信頼関係があって、むしろMに対する敬意と共感力がある……そういう人じゃないと、Sは務まらないんだ」
「知らなかった。意外と奥が深いんだな」
「もちろん、その道のプロが秘密を守って要求を叶えてくれるサービスもあるよーー多様性の坩堝アメリカしかり、オモテナシの国、日本しかり。でも、欲だけ満たしたいんじゃなくて、ちゃんと恋愛したいんだ。いい歳して何を夢見てんだって、自分でも思うけど」
「恋愛に夢見て、何が悪いんだよ。諦めんな」
小ぶりだが頼もしい手のひらが玄英の肩をぱん、と叩いた。
「ありがとう。恒星はやっぱりいい人だね」
玄英は柔らかく微笑して恒星を見返した。
彼は玄英の話を聞きながらベッドの上にあぐらをかき、頬杖をついていた。胸元からのぞく胸筋や露わな大腿部には脂肪と筋肉が程よく混じり、褪せた日焼けの跡が目立つーー自分の性的志向の話までしたのにこれだけ無防備でいるというのは、確かに「よくわかってない」のだと思う。
視界には入ってはいるがあくまでも無関心である風を装いながら、彼の触感を密かに想像したーーやはり触れたいし触れられたい。この美しい男がどうにかして、こちら側に転がり落ちてくれないものか。
「ところでさ。あんた、縛ったらどうなるわけ?」
恒星の思わぬ問いに、玄英はどきりとして「はっ?」と聞き返した。
「いや……嫌ならいいんだけどさ。他の事は無理だけど、縛るだけなら家業柄特技だし、ちょっと暇だし」
「……単なる好奇心?」
「いいや……」
睨みつける玄英の表情を恒星はしげしげ見返したーー焦点の定まらない目、子音の滑舌はいいのに母音の呂律が回らない中低音。
「……いや、やっぱり、そんなの嫌だよな。寝るか」
とひらひらと手を振って立ち上がり、自分のベッドに戻ろうとした恒星の手首を掴んで引き留めた。
「嫌……じゃ、……ない」
どうせ酔っ払いの気まぐれだとわかっている。なのに玄英の心臓は大きく揺さぶられ、愛の告白をされたティーンエイジャーのように顔が染まっていく。
ーーかなりの確率で、自分が傷ついて終わるのは経験上、わかっている。でも。
ーー陽当たりのいい場所と気のいい人の輪がよく似合うこの男が、これから一生誰にも見せることのないであろう顔、誰とも共有する事のない時間。
ーー傷つく事なく、それを知らずに終わるより……
人の一生にあるかないかの運命の恋に落ちる瞬間があるとするなら、何の甘さも情緒もないこの時こそが間違いなくそれだった。
「おいおい、泣くなよ」
恒星が横から肩を抱いてゆすったかと思うと、子どもをあやすようにハグして背中をトントンと叩き始めた。
「……話、聞いてた?僕は、Mで同性愛者だって、言ってるの」
「聞いてた。けど、俺、正直そういうのよくわかんねえし……」
「同情されたくない」
一回り小柄な恒星の肩で涙を拭くと玄英は膨れた。が、拒まなかった。
「辛いんだろ。吐き出して楽になっちまえ。悪口でも恨み言でも。王様の耳はロバの耳……」
「……」
「いや、俺は江戸っ子だから殿様かな。幸せになろうとして結婚したのに、自分でもどうしようもない事を非難される一方だなんてさ。俺まで何だか辛くなる」
玄英はまた、恒星の肩に顔を埋めた。
ーー「王様の耳はロバの耳」って、そんな話だったかなぁ?
無関係なところでクスリと笑いたくなる。
「でもよ。『普通の恋愛』とか『普通の人』って一体何基準なんだろうな。これは俺の持論だが、世の中の連中なんて百人いたら百人ともロクデナシか変人だ。平均もクソもあるか」
「ふふっ……ははは……」
耳元で囁かれる軽快な毒舌についに笑い出した。恒星はわしわしと玄英の髪を撫でると彼の身体を起こし、手を取って横に座らせると顔を覗き込みながらゆっくりこう言い聞かせた。
「恋愛だって、大丈夫。あんたは本当にいい男だ。頭や顔がいいからってだけじゃない。俺が心底そう思ったんだから、保証する」
「それはどうもありがとう」
玄英は苦笑した。だが、これまで胸の奥に抜けない棘のようにいつも刺さっていて、達観やセルフカウンセリングでどうにか対処して来た問題に対して、他人から素直に労わられ気遣いを示される事がこんなに気持ちが楽になる事だとも初めて気がついた。
「皮肉じゃなく、本当に嬉しい。でも、何とかしてやろうと思ってくれなくてもいいんだよ。相手が見つけづらいのは現実問題だから。この界隈、SよりMの方が供給過多なんだよ。知らないで口説いてきた人にも『縛って欲しい』って言った時点でだいたい引かれるしね」
「ーーそういうもんなの?」
きょとんとした表情の可愛らしさ。これまでの人生でまるきり縁の無かったであろう世界をなんとか理解してくれようとする誠実さも好ましい。
「ただ相手を罵っていたぶるだけじゃただのDVだからね。互いに信頼関係があって、むしろMに対する敬意と共感力がある……そういう人じゃないと、Sは務まらないんだ」
「知らなかった。意外と奥が深いんだな」
「もちろん、その道のプロが秘密を守って要求を叶えてくれるサービスもあるよーー多様性の坩堝アメリカしかり、オモテナシの国、日本しかり。でも、欲だけ満たしたいんじゃなくて、ちゃんと恋愛したいんだ。いい歳して何を夢見てんだって、自分でも思うけど」
「恋愛に夢見て、何が悪いんだよ。諦めんな」
小ぶりだが頼もしい手のひらが玄英の肩をぱん、と叩いた。
「ありがとう。恒星はやっぱりいい人だね」
玄英は柔らかく微笑して恒星を見返した。
彼は玄英の話を聞きながらベッドの上にあぐらをかき、頬杖をついていた。胸元からのぞく胸筋や露わな大腿部には脂肪と筋肉が程よく混じり、褪せた日焼けの跡が目立つーー自分の性的志向の話までしたのにこれだけ無防備でいるというのは、確かに「よくわかってない」のだと思う。
視界には入ってはいるがあくまでも無関心である風を装いながら、彼の触感を密かに想像したーーやはり触れたいし触れられたい。この美しい男がどうにかして、こちら側に転がり落ちてくれないものか。
「ところでさ。あんた、縛ったらどうなるわけ?」
恒星の思わぬ問いに、玄英はどきりとして「はっ?」と聞き返した。
「いや……嫌ならいいんだけどさ。他の事は無理だけど、縛るだけなら家業柄特技だし、ちょっと暇だし」
「……単なる好奇心?」
「いいや……」
睨みつける玄英の表情を恒星はしげしげ見返したーー焦点の定まらない目、子音の滑舌はいいのに母音の呂律が回らない中低音。
「……いや、やっぱり、そんなの嫌だよな。寝るか」
とひらひらと手を振って立ち上がり、自分のベッドに戻ろうとした恒星の手首を掴んで引き留めた。
「嫌……じゃ、……ない」
どうせ酔っ払いの気まぐれだとわかっている。なのに玄英の心臓は大きく揺さぶられ、愛の告白をされたティーンエイジャーのように顔が染まっていく。
ーーかなりの確率で、自分が傷ついて終わるのは経験上、わかっている。でも。
ーー陽当たりのいい場所と気のいい人の輪がよく似合うこの男が、これから一生誰にも見せることのないであろう顔、誰とも共有する事のない時間。
ーー傷つく事なく、それを知らずに終わるより……
人の一生にあるかないかの運命の恋に落ちる瞬間があるとするなら、何の甘さも情緒もないこの時こそが間違いなくそれだった。
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