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⭐︎密室の二人1

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 「……っ」

 ぱちん、ぱちんと音を立てながら、冷たく鋭利な金属の感触とともに創造主自らの手によっていましめが切断されてゆく。
 じわじわとやってくる開放感と甘い惜別の痛み、奇跡的に再会できた彼によって新たに刻みつけられる生々しい感触……

 普段はひた隠しにしている玄英本人の性的嗜好を、商談先のトイレの個室という一歩間違えればこれまで築き上げてきた社会的評価も地位もマイナス以下に堕としかねない場所でさらけ出す羽目になっている。
 抑えられなければ次の瞬間に全てを失うかもしれない場所で辱めを受けている時間、羞恥心と背徳感ーー感情も感覚も、何故こうもどうしようもなくたかぶっていくのだろう。

 もっとも相手には共感や共有は期待できなそうだ。うんざりを隠そうともしない素気ない態度と、正確に機械的に作業をこなす冷徹な手つき……が、またいい。

ーーよりによってこんな大事な日に、どうしてこんな……

 戸惑い、自制しようとするほどに内奥から高揚し恍惚の方向に流されそうになるので、自分のこれまでの人生のほとんどを捧げてきたと言ってもいい大事な仕事の事を考えて、何とか気を紛らわそうとする。

 世界においてSDGsが叫ばれている以上に毎年、気候変動による災害に見舞われ、海や極地の生態系までもがマイクロプラスチックに脅かされている昨今である。生産も処分も環境への負荷が少なく、リユースやリサイクルが可能で土や水に還すことのできるの素材への切り替えが急がれる。
 国によっては石油系プラスチックの使い捨てワンウエイ容器の使用を規制している。ビジネスとしても将来有望な分野である。

 が、従来の石油製品に比べ、今のところは耐久性とコスト面がネックとなり、新興国を含む世界の多くの地域では未だに普及が及ばない。
 玄英が開発した素材は、それら二つの問題をクリアできるものとして現在、世界中の各業界からの問い合わせが後を絶たない。

 D‘s theoryを立ち上げた当初から、自身のルーツである日本での展開は目標の一つだった。
 火力・原子力頼みのエネルギー政策や個包装や使い捨て消費によるプラスチック消費量の高さなど、環境系の国際会議の場では肩身の狭い場面もある国だが、リサイクルの技術の高さと市民の分娩マナーに関しては見るべきものがある。
 近年、生分解性素材を供給する企業の取り組みや消費者のニーズも徐々に高まり少子高齢化や感染症蔓延防止の自宅待機政策何やかんやの影響で、日本は空前のガーデニングブームだという。

 ガルテン松山は玄英の製品の販路としては初めての分野だが、緑化関連の商品開発も目指している玄英にとっては願ったり叶ったりだ。
 ペーパーレスやリモート化の遅れはさておき、"古き良き"伝統的日本企業ならではの商習慣などは少々気になるが、松山社長も担当者の水島も、他の取引先以上に商品についての理解を示してくれている。

 今回の商談には個人的な思いも含めて、熱が入っていた。

ーーなのに僕は、その大事な取引先の会社で一体何を……

 わかっているのに、どうにもできない。涙が止まらない。

「見るからに痛そうじゃねえか。……あんた、よほど我慢強いのか、それとも鈍感なのか?」

 空調の利かない狭苦しい個室の中、相手の男が舌打ちし、心底忌々しげに囁くたびに熱い息がかかる。肌をさする指先、くすぐる髪の毛、汗の匂いーーそれらは昨夜、確かに自分のの手の内にあって共に愉悦を分かち合いながら震えていたーーなのに肝心の彼は、愛を交わし合ったことも自分のこともまるきり覚えていないと言う。

 酷いと言えば酷いが、ショックと痛みがまた不思議と甘苦い。

「ほら、済んだから。泣かないで」

 悪態を吐きながらも、撫で続ける手つきは優しい。

「もっ……だ、大丈夫、ですから……手をっ……」
 
 赤い顔のまま震える玄英の姿に、恒星は我に返ったように手を離した。

「あっ、すみません。マッサージしたら残り方が少し違うかな、と思って……」 

 恒星の口調も丁寧語に戻っている。彼の優しさが嬉しいような、罵られなくなって物足りないようなーー距離を置かれた寂しさもあるが、それとも違う。

「必要なら自分で……します……」

 玄英はうつむいたまま言った。自分は、恒星のように一転の曇りもない明るい陽光の下の似合いそうな人間から見たら、やはり少しおかしいのだろう。

「じゃあ早く服着てここから出てください。いつまた誰が来るかわかったもんじゃないから……」

 ドアに手を伸ばした恒星の体温がさらに遠ざかる。

「あのっ……もっ……」「……も?」

「あ、いえ……」

 胸元の位置から怪訝そうに睨みつける視線が心臓の奥を抉る。

「あの……実は……」「何?はっきり言って」

 黒目がちな切れ長の目が責めるように剥かれ、薄い唇が不機嫌そうに曲がるーー耳の底に感じたことのない動悸を覚えながら、やっと言葉を吐き出した。

「下も……」「下?」

 視線が玄英の下半身に注がれると三白眼にまで比率が逆転する。
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