16 / 16
8月11日(日)
「警戒レベル3『高齢者等避難』」の夜にわざわざ親子ゲンカ
しおりを挟む
だいたいあんたら、咲姉情報によると「えっ、こんな時に来るの?」くらいの反応じゃ無かったっけ?
うちの父は晃夫君の親父さん(咲ちゃんの舅さんでどちらもうちの遠縁)によると「大工の血筋で親戚一のきかずわらすのやきかん坊」だったと言う。
現役の時は農家だけでは食えないから、祖母の実家の家業である大工仕事を請け負う兼業農家だった。そのおかげで俺達は他の家の子のように、冬期に父が出稼ぎでいない寂しさを味合わずに済んだーーと言うべきか、おっかない親父が年中家にいて気づまりだったと言うべきか。
きょうだい四人揃って上の学校まで出してもらい、結局一番スネをかじっていたのは俺なので、そこは感謝している。
つい数年前までは部落(※)の消防団にも所属していた。若者がいないため高齢でもなかなか引退できなかったのだ。本人がいつまでも若い気でいるためそこまで悲壮感はなかったが、荷物を持ち上げた弾みか何かで肩の腱を痛めてしまった。そこで諦めたようだ。
元々性格もガキ大将的なところがあって面倒見がいいため、十刈(祖母の実家)の方の親戚からも何かと頼られたり相談されたりする。
大震災の後は自宅が被災し、ライフラインの止まった子育て中の上の姉と咲姉がしばらく厄介になっていたし、その数年後の豪雨の時は近所にいる高齢の親戚筋を呼び寄せて難を切り抜けたという。
もっともその当時、父は消防団の仕事で出ずっぱりだったので、家でみんなに対応したのは世話好きで社交的な母だった。
被害の最も酷かった地域の困難とはもちろん比べようがないが、その周辺の地域もそれなりの困難が続いた。その当時の実家は確かに大変だったが、親も俺達もも今より若かった。それに尽きる。
今回もてっきり、親父の呼びかけで「シ◯・ゴジラ」ばりのご近所対策本部が発足していて、ラジオの防災情報をBGMに客間のテーブルにバザードマップを広げて土嚢を積んだり非常用グッズをかき集めてチェックしたりの「メーデー!」状態で、呑気に帰って来た俺に(しかも客人つき)特大の雷が落ちるーーそんな事まで覚悟して敷居をまたいだのに。
何、このほぼ普段の日常ぬるま湯モード。
「今、雨が小降りになってるからって油断したらダメだべ。台風はこれから来んだから」
「ほにねえ」
と一応同意はしてくれるものの、まるで切迫感のない母。
「ごでもでやがます。まあ飲め」
父は鼻で笑って俺のコップにビールを注いでくれようとする。とても元消防団員とは思えない。
「『飲め』たってみんなで飲んでしまったら、いざ避難する時に運転できねえべや!」
「避難ったって、避難所ぁ小学校だべ。橋渡っておら家よりも川のそばだ」
母が溜息をついた。田舎のハザードマップあるあるである。ハザードマップに従って村や町を作ってある訳じゃないからな。
「鉄筋コンクリート三階建てだら、平屋のおら家よりいいべや。山からは離れてるし、今夜のうちに避難した方がいいんでねえ?」
「んだども、お盆の準備もあるし……」
「台風で浸水でもしたら、お盆どごでねえべ」
「そうだべども、晴れたら仏参りもしねえばなんねえし、十刈の本家も初盆だすけ……」
この世代の田舎の人はとにもかくにもご近所づき合いと仏事に全身全霊を注ぐ。
そこではたと気づいた。
確かに俺が住んでいた時も南に上陸した台風が縦断するように通過した時はあったし、前回の豪雨の時に台風が上陸したのは震災のダメージがより残っていた大船渡だった。
おそらくこの辺の人達は、震災(特に津波)や豪雨(浸水・土砂崩れ)への警戒感はあるが、台風の暴風域に直撃される恐ろしさを知らない。千葉や神奈川に住んでいた時はみんなもっと大騒ぎしつつ、ある意味腹を括って粛々と備えていたもの。
それで俺は自分の体験談と、車内で収集したネットの情報の受け売りをひと通り力説した。
今回、岩手県太平洋岸を直撃すると言われる台風5号は、自転車並みに速度が遅い台風だ。上陸したらしたで、強い風雨の被害に長く晒される。
既に東北地方の太平洋側には大雨警報が出ていて、青森や宮城では停電した地区もある。一日で一年分の降水量を記録する可能性があるとされ、
ひとつ山を越えたあたりの部落では観測史上最大の雨量が観測された。北三陸町全域に警報3『高齢者等避難』が町内全域に出ている。
台風はまだ上陸してないが、これから明日にかけて線状降水帯が発生して洪水や土砂災害が起こるかもしれない。
岩泉の老人施設の話をしたところ、「ほに、それもそうだ」と母には響いたようだ。父の方は無言のまま手酌でビールを飲み始めてしまっている。何を思っているかはわからない。
いざとなればトラックの荷台にここいる人達と防災グッズ積んで、俺が運転すればいいかーー道交法的には問題あるし、マニュアル車運転すんのも数十年ぶりだが非常事態なので仕方がない。
「そうだ。非常用の持ち出しリュックは?」
「そんなもん無いよ」
「は?無い?クミ姉ちゃんが前に生協で二人分、買って送ってけだべ?」
「じゃがますねえ!んが、いきなり来て何だ!」
元々短気で細かい議論の嫌いな父が、ついに一喝した。
「お盆の準備ぁなじょすんば!明日ん朝ぁ、お墓の草刈りだってあんだ」
余所者呼ばわりされた気がして少し傷ついた俺だが、思わず呆れて叫び返した。
「お墓の草刈り?それどころでぁねえべ!」
※この地方では「集落」の事をこう呼ぶ。戦前からの農・漁村集落を慣例的に「◯◯部落」などと呼ぶ場合が多いが、周辺の田畑が新しく分譲地や工場になった場合には含まれたり含まれなかったり、概念としては割とざっくりしている。たぶん。
うちの父は晃夫君の親父さん(咲ちゃんの舅さんでどちらもうちの遠縁)によると「大工の血筋で親戚一のきかずわらすのやきかん坊」だったと言う。
現役の時は農家だけでは食えないから、祖母の実家の家業である大工仕事を請け負う兼業農家だった。そのおかげで俺達は他の家の子のように、冬期に父が出稼ぎでいない寂しさを味合わずに済んだーーと言うべきか、おっかない親父が年中家にいて気づまりだったと言うべきか。
きょうだい四人揃って上の学校まで出してもらい、結局一番スネをかじっていたのは俺なので、そこは感謝している。
つい数年前までは部落(※)の消防団にも所属していた。若者がいないため高齢でもなかなか引退できなかったのだ。本人がいつまでも若い気でいるためそこまで悲壮感はなかったが、荷物を持ち上げた弾みか何かで肩の腱を痛めてしまった。そこで諦めたようだ。
元々性格もガキ大将的なところがあって面倒見がいいため、十刈(祖母の実家)の方の親戚からも何かと頼られたり相談されたりする。
大震災の後は自宅が被災し、ライフラインの止まった子育て中の上の姉と咲姉がしばらく厄介になっていたし、その数年後の豪雨の時は近所にいる高齢の親戚筋を呼び寄せて難を切り抜けたという。
もっともその当時、父は消防団の仕事で出ずっぱりだったので、家でみんなに対応したのは世話好きで社交的な母だった。
被害の最も酷かった地域の困難とはもちろん比べようがないが、その周辺の地域もそれなりの困難が続いた。その当時の実家は確かに大変だったが、親も俺達もも今より若かった。それに尽きる。
今回もてっきり、親父の呼びかけで「シ◯・ゴジラ」ばりのご近所対策本部が発足していて、ラジオの防災情報をBGMに客間のテーブルにバザードマップを広げて土嚢を積んだり非常用グッズをかき集めてチェックしたりの「メーデー!」状態で、呑気に帰って来た俺に(しかも客人つき)特大の雷が落ちるーーそんな事まで覚悟して敷居をまたいだのに。
何、このほぼ普段の日常ぬるま湯モード。
「今、雨が小降りになってるからって油断したらダメだべ。台風はこれから来んだから」
「ほにねえ」
と一応同意はしてくれるものの、まるで切迫感のない母。
「ごでもでやがます。まあ飲め」
父は鼻で笑って俺のコップにビールを注いでくれようとする。とても元消防団員とは思えない。
「『飲め』たってみんなで飲んでしまったら、いざ避難する時に運転できねえべや!」
「避難ったって、避難所ぁ小学校だべ。橋渡っておら家よりも川のそばだ」
母が溜息をついた。田舎のハザードマップあるあるである。ハザードマップに従って村や町を作ってある訳じゃないからな。
「鉄筋コンクリート三階建てだら、平屋のおら家よりいいべや。山からは離れてるし、今夜のうちに避難した方がいいんでねえ?」
「んだども、お盆の準備もあるし……」
「台風で浸水でもしたら、お盆どごでねえべ」
「そうだべども、晴れたら仏参りもしねえばなんねえし、十刈の本家も初盆だすけ……」
この世代の田舎の人はとにもかくにもご近所づき合いと仏事に全身全霊を注ぐ。
そこではたと気づいた。
確かに俺が住んでいた時も南に上陸した台風が縦断するように通過した時はあったし、前回の豪雨の時に台風が上陸したのは震災のダメージがより残っていた大船渡だった。
おそらくこの辺の人達は、震災(特に津波)や豪雨(浸水・土砂崩れ)への警戒感はあるが、台風の暴風域に直撃される恐ろしさを知らない。千葉や神奈川に住んでいた時はみんなもっと大騒ぎしつつ、ある意味腹を括って粛々と備えていたもの。
それで俺は自分の体験談と、車内で収集したネットの情報の受け売りをひと通り力説した。
今回、岩手県太平洋岸を直撃すると言われる台風5号は、自転車並みに速度が遅い台風だ。上陸したらしたで、強い風雨の被害に長く晒される。
既に東北地方の太平洋側には大雨警報が出ていて、青森や宮城では停電した地区もある。一日で一年分の降水量を記録する可能性があるとされ、
ひとつ山を越えたあたりの部落では観測史上最大の雨量が観測された。北三陸町全域に警報3『高齢者等避難』が町内全域に出ている。
台風はまだ上陸してないが、これから明日にかけて線状降水帯が発生して洪水や土砂災害が起こるかもしれない。
岩泉の老人施設の話をしたところ、「ほに、それもそうだ」と母には響いたようだ。父の方は無言のまま手酌でビールを飲み始めてしまっている。何を思っているかはわからない。
いざとなればトラックの荷台にここいる人達と防災グッズ積んで、俺が運転すればいいかーー道交法的には問題あるし、マニュアル車運転すんのも数十年ぶりだが非常事態なので仕方がない。
「そうだ。非常用の持ち出しリュックは?」
「そんなもん無いよ」
「は?無い?クミ姉ちゃんが前に生協で二人分、買って送ってけだべ?」
「じゃがますねえ!んが、いきなり来て何だ!」
元々短気で細かい議論の嫌いな父が、ついに一喝した。
「お盆の準備ぁなじょすんば!明日ん朝ぁ、お墓の草刈りだってあんだ」
余所者呼ばわりされた気がして少し傷ついた俺だが、思わず呆れて叫び返した。
「お墓の草刈り?それどころでぁねえべ!」
※この地方では「集落」の事をこう呼ぶ。戦前からの農・漁村集落を慣例的に「◯◯部落」などと呼ぶ場合が多いが、周辺の田畑が新しく分譲地や工場になった場合には含まれたり含まれなかったり、概念としては割とざっくりしている。たぶん。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。


もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
十年目の結婚記念日
あさの紅茶
ライト文芸
結婚して十年目。
特別なことはなにもしない。
だけどふと思い立った妻は手紙をしたためることに……。
妻と夫の愛する気持ち。
短編です。
**********
このお話は他のサイトにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる