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8月11日(日)
某新型感染症以来の帰省なんだが、あの頃のことってみんな意外と忘れてね?
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「ぎゃはははは。そうやって、二人揃ってヌボーッと立ってるの、ト◯ロの雨宿りみたーい!」
目の前にピンクのアルトラパンが一台停まり、ゲラゲラ笑いながら咲姉が顔を出した。年下とは言え数年ぶりの幼馴染と、初対面の連れに対する挨拶がそれかよーーまったくこの人、変わってねえな。
「うっせーわ」
だが「つばめ号」バスの件といい、タクシーで行くと言ったのにわざわざ迎えに来てくれた事といい、頭は上がらない。
「咲姉、ありがとう」
「お世話になります」
俺達は咲姉の指示通りバッチバックに荷物を載せ、後部座席に並んで座った。雨はまだ台風そのものの雨では無いのでいまは小やみになっているが時々、トラップのようにザッとバケツ降りが来るので要注意だ。
「ぶはははは。軽の後部座席に男二人って、むさ苦しいねっ」
咲姉はエンジンをかけながらルームミラーで俺達をのぞき込むと、また大笑いした。
「そう思うんなら、前の座席もうちょっと詰めてくれよ」
「すみません」
そんなやり取りをしているうちに車は発車し、助手席に座っていた若い女性が咲姉より背の高い女性が、ちょこんと頭を下げた。
「あ、いや、君じゃなくて咲姉がーーって、どちら様?」
「凪沙です」
「凪沙ちゃん?マジで!こんなに大きくなったの!」
「バカねえ。気がつかなかったの?」
咲姉はまたもゲラゲラとバカ笑いした。
凪沙ちゃんは咲姉と晃夫君夫妻の一人娘だ。
「だっ、だって、凪沙ちゃん……この前会った時は小学校に入ったばかりで、こんな小さくて」
俺はそう言って、肘掛けの辺りに手をかざした。と言っても後部座席でしかも座っていているから、誰にもサイズ感が伝わりそうにないシチュエーションではあるが。
「何年ぶりだと思ってんの?もう中学一年よ」
「マジか……」
俺は唖然とした。凪沙ちゃんも遠慮がちにクスクスとこらえ笑いをしている。小さい頃は咲姉そっくりだと思ったが、横顔が若い頃の晃夫君によく似ているーーけど、父親似だって言われるのって、思春期の女の子的にはやっぱり「ビミョー」なのかな?
「まあ、ソーシャルディスタンスやらステイホームやら、何やかやで五年ぶりだもんねえ」
咲姉はしみじみ言った。時間の経つのがこんなに速いなんて、どうりであっちゅー間にオッサンになる訳だ。
例の感染症騒ぎの初年、岩手県は何故か半年ほど特異的に県内の感染者がゼロだった。
県面積最大、人口密度最少で実直な県民性と田舎ならではの無言の同調圧力(?)のお陰ではないかとかなんとかテレビ識者がコメントしていたがほどなく、他地域の感染拡大の影響を受けて例外なく感染症の波に飲まれていった。
全国で感染症拡大を防ぐために人の集まるあらゆるイベントが中止となり、自宅待機やリモートワークが推奨された。
飲食店は休業要請に応じ、営業する店はテーブルにアクリル板を置き、レジにはビニールシートが張られた。
外出時はマスク着用が半ば義務化され、マスクやトイレットペーパー、麺類などを買い求める行列ができた。転売目的の輩が暗躍し、「絶対数は十分なのに、必要な人に行き渡らない」という現象が度々生じた。
インフルエンザやマイコプラズマなど他の感染症も流行り、それらに完全に感染しないようにするには、アルカトラズかポイント・ニモ辺りで一人暮らしするしか無さそうだ。安全だけを取ると経済が回らない以前に、個々人の生活の質が極端に下がる。
目に見えないウイルス相手だけに、それぞれの判断で正解だと思う事をするしかない。
俺も気をつけていたつもりだったが、一度感染した。それで懲りて翌年接種したワクチンは副反応がエグかった。後遺症なのか加齢なのか、その後しばらくめちゃくちゃ髪の毛が抜けたのがショックだった。
人の数だけ正解がある。楽観的な人もいれば慎重な人もいるし、常識も人の考え方もその時々で変わる。
結果、ネットとリアルを問わずマスク警察や自粛警察が跋扈する。
分割画面でのリモートワイドショーや、再放送ばかりのバラエティ番組にも慣れた頃、連休と帰省の季節がやってきて、今度は移動自粛を呼びかけられた。
当初はウイルスの特効薬やワクチンはなく、抵抗力の弱い持病のある人や老人の死亡率が高かった事から、圧倒的に多くの人が高齢の両親や祖父母の住む実家への帰省を断念した。
ウイルスは変異を繰り返し、新規感染者数は漸減しては爆発的に増え、二類感染症指定が三年続き、四年目から五類になった。
その間ずっと帰省を見合わせていた人もいれば、用心に用心を重ねて度々様子を見に行かざるを得なかった人もいるだろう。
今度は県外ナンバーの車をチェックする「帰省警察」が出没したり、逆に実家から「近所の目があるから」と帰省自粛を「要請」されたりする。挙句、カー用品店では「県内在住です」ステッカーが飛ぶように売れたという。
経済が活性化するのはいい事だが、もはや何が何だかよくわからない。
泥縄式に、それでも最速で開発された副作用の強い予防接種ワクチンや特効薬を巡り、接種するしないでも人々は分断した。
ちょっとした価値観の違いから、それまで何の疑問もなく円滑だった人間関係に亀裂が入ってしまい、今だに戻らないーーそんな人だっているかもしれない。
あの時、あの騒ぎが社会に残した目に見えない傷や亀裂は、もしかして災害の後のそれより深刻かもしれないのにーー俺達の多くはまるで何もかもを忘れて、日々の忙しさや目先の損得に追われ続けている。
目の前にピンクのアルトラパンが一台停まり、ゲラゲラ笑いながら咲姉が顔を出した。年下とは言え数年ぶりの幼馴染と、初対面の連れに対する挨拶がそれかよーーまったくこの人、変わってねえな。
「うっせーわ」
だが「つばめ号」バスの件といい、タクシーで行くと言ったのにわざわざ迎えに来てくれた事といい、頭は上がらない。
「咲姉、ありがとう」
「お世話になります」
俺達は咲姉の指示通りバッチバックに荷物を載せ、後部座席に並んで座った。雨はまだ台風そのものの雨では無いのでいまは小やみになっているが時々、トラップのようにザッとバケツ降りが来るので要注意だ。
「ぶはははは。軽の後部座席に男二人って、むさ苦しいねっ」
咲姉はエンジンをかけながらルームミラーで俺達をのぞき込むと、また大笑いした。
「そう思うんなら、前の座席もうちょっと詰めてくれよ」
「すみません」
そんなやり取りをしているうちに車は発車し、助手席に座っていた若い女性が咲姉より背の高い女性が、ちょこんと頭を下げた。
「あ、いや、君じゃなくて咲姉がーーって、どちら様?」
「凪沙です」
「凪沙ちゃん?マジで!こんなに大きくなったの!」
「バカねえ。気がつかなかったの?」
咲姉はまたもゲラゲラとバカ笑いした。
凪沙ちゃんは咲姉と晃夫君夫妻の一人娘だ。
「だっ、だって、凪沙ちゃん……この前会った時は小学校に入ったばかりで、こんな小さくて」
俺はそう言って、肘掛けの辺りに手をかざした。と言っても後部座席でしかも座っていているから、誰にもサイズ感が伝わりそうにないシチュエーションではあるが。
「何年ぶりだと思ってんの?もう中学一年よ」
「マジか……」
俺は唖然とした。凪沙ちゃんも遠慮がちにクスクスとこらえ笑いをしている。小さい頃は咲姉そっくりだと思ったが、横顔が若い頃の晃夫君によく似ているーーけど、父親似だって言われるのって、思春期の女の子的にはやっぱり「ビミョー」なのかな?
「まあ、ソーシャルディスタンスやらステイホームやら、何やかやで五年ぶりだもんねえ」
咲姉はしみじみ言った。時間の経つのがこんなに速いなんて、どうりであっちゅー間にオッサンになる訳だ。
例の感染症騒ぎの初年、岩手県は何故か半年ほど特異的に県内の感染者がゼロだった。
県面積最大、人口密度最少で実直な県民性と田舎ならではの無言の同調圧力(?)のお陰ではないかとかなんとかテレビ識者がコメントしていたがほどなく、他地域の感染拡大の影響を受けて例外なく感染症の波に飲まれていった。
全国で感染症拡大を防ぐために人の集まるあらゆるイベントが中止となり、自宅待機やリモートワークが推奨された。
飲食店は休業要請に応じ、営業する店はテーブルにアクリル板を置き、レジにはビニールシートが張られた。
外出時はマスク着用が半ば義務化され、マスクやトイレットペーパー、麺類などを買い求める行列ができた。転売目的の輩が暗躍し、「絶対数は十分なのに、必要な人に行き渡らない」という現象が度々生じた。
インフルエンザやマイコプラズマなど他の感染症も流行り、それらに完全に感染しないようにするには、アルカトラズかポイント・ニモ辺りで一人暮らしするしか無さそうだ。安全だけを取ると経済が回らない以前に、個々人の生活の質が極端に下がる。
目に見えないウイルス相手だけに、それぞれの判断で正解だと思う事をするしかない。
俺も気をつけていたつもりだったが、一度感染した。それで懲りて翌年接種したワクチンは副反応がエグかった。後遺症なのか加齢なのか、その後しばらくめちゃくちゃ髪の毛が抜けたのがショックだった。
人の数だけ正解がある。楽観的な人もいれば慎重な人もいるし、常識も人の考え方もその時々で変わる。
結果、ネットとリアルを問わずマスク警察や自粛警察が跋扈する。
分割画面でのリモートワイドショーや、再放送ばかりのバラエティ番組にも慣れた頃、連休と帰省の季節がやってきて、今度は移動自粛を呼びかけられた。
当初はウイルスの特効薬やワクチンはなく、抵抗力の弱い持病のある人や老人の死亡率が高かった事から、圧倒的に多くの人が高齢の両親や祖父母の住む実家への帰省を断念した。
ウイルスは変異を繰り返し、新規感染者数は漸減しては爆発的に増え、二類感染症指定が三年続き、四年目から五類になった。
その間ずっと帰省を見合わせていた人もいれば、用心に用心を重ねて度々様子を見に行かざるを得なかった人もいるだろう。
今度は県外ナンバーの車をチェックする「帰省警察」が出没したり、逆に実家から「近所の目があるから」と帰省自粛を「要請」されたりする。挙句、カー用品店では「県内在住です」ステッカーが飛ぶように売れたという。
経済が活性化するのはいい事だが、もはや何が何だかよくわからない。
泥縄式に、それでも最速で開発された副作用の強い予防接種ワクチンや特効薬を巡り、接種するしないでも人々は分断した。
ちょっとした価値観の違いから、それまで何の疑問もなく円滑だった人間関係に亀裂が入ってしまい、今だに戻らないーーそんな人だっているかもしれない。
あの時、あの騒ぎが社会に残した目に見えない傷や亀裂は、もしかして災害の後のそれより深刻かもしれないのにーー俺達の多くはまるで何もかもを忘れて、日々の忙しさや目先の損得に追われ続けている。
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