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8月11日(日)
連れの乗り鉄が、とことんマイペースな件
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振り返ると、不気味なほど静かに降る雨と薄闇に包まれるホームの景色は確かに数十年ぶりの、懐かしの八戸線だ。
二両編成の二両目、冷房完備の真新しいワンマンカーの後方に電光掲示板式の料金表が掲げられ、乗車口横に整理券の発券機と並んで交通系電子マネーの読み取り機が置かれているのには一番驚いた。
かつてのオンボロ列車のあまりのグレードアップにビビりすぎて、パスモをタッチする代わりに現金払い用の0番の整理券を取ってしまった。
一つだけ丸々空いていたボックス席の窓際に陣取ってから気づいた。圭人を置いて来たのは悪手だった。
連れを見放して気が咎めるとかそういうんじゃない。このまま乗り遅れたとしても二時間待てば最終列車が出る。もし何かの事情で八戸に足止めをくらっても、乗り鉄の端くれで行き当たりばったり旅行のプロ(?)だ。自分で何とかするだろう。
奴の立て替え分を今、払ってもらわないと請求が面倒だ。次に会うのはいつになるかわからないーーいや、もう会う事もないかもしれない。
駅で待ち構えるにはさらに二時間潰さなきゃならない。しかも奴は実家に帰るという明確な目的のある俺とは違う。途中で何か見つけてぶらりと途中下車してしまうかもしれない。
これ幸いと金を踏み倒す奴だとは思いたくないが、気を遣ってわざわざ自分から送金してくることもしなさそうだ。
昔、ギリギリで乗り遅れそうな友人を急かした時のように窓を開けてホームを探したかったが、雨の吹き込む日に空調の効いた車内では遠慮した方がよさそうだ。窓にギリギリ顔をくっつけて、ロクに見えない暗い外を不審者よろしく眺め回す。
発車ベルが鳴った。やはり俺のよく知っている、耳をつんざく非常ベルのそっくりの金属音ではなく「カラカラ……」という心臓の悪いお年寄りにも優しそうな、緊迫感に欠ける柔らかな音だ。
アナウンスが終わり、扉が閉まるギリギリに圭人が飛び込んで来た。自撮り棒型の機材に据え付けたスマホをためらうことなくリーダーにかざす。挙動不審気味にソワソワしていた俺は、知らん顔して座り直した。
「駅員さん撮らせてもらいたかったのに『さっさと乗ってください』って怒られちゃった」
圭人は悪びれる事なく息を弾ませながら、俺の向かいの席に座った。
「当たり前だろ」
「終着駅だった頃の乗り換え改札跡が撮りたかったんだけどなあ。今は待合室になってる場所だけど、よく見ると名残があるって」
「へえ……」
乗り換えだろうが他社だろうが、改札は改札だ。ビフォーアフターを知ってる奴なら若干面倒になったと思うくらいだろうがーーそれの何が面白いのかよくわからん。
列車が動き出した。数十年ぶりの我が青春の思い出の駅、滞在時間わずか八分ーーあまりに変わりすぎてて、懐かしいとか寂しいとかいう感情すら湧かないーーまあ、色んな事が予定外で、頭も身体も忙し過ぎたってのもあるけど。
「いやあ、ディーゼルカーのエンジン音っていいよねえ」
「そうか?」
「俺も『音鉄』じゃないから、聞き分けられるほどではないんだけど。旅情をかき立てるっていうかさ」
「鉄オタ」にも色んなジャンルがあり、列車の走行音や駅の発車音、など鉄道にまつわる「音」を収集して愛でる人々がいるのだそうだ。中にはレールの通過音で車両の種類を当てられる猛者がいるんだとかーー「人間とは生存に無関係な知識に快感を感じる事のできる唯一の生き物である」とか何とか、アイザック・アシモフが言ったとか言わないとかガセだとか何とか。
「俺は地元いた時には毎日乗ってたけど、考えた事もなかったな。この辺で鉄道ったらディーゼルだし。それも動いてんのが不思議なくらいの、オレンジのボロ車両で……」
「ホント!いいなあ」
「それ本気で言ってる?」
「だって伝説のキハ20だろ!」
圭人はキラキラさせた丸くした目をさらに見張った。
「キハ?何だか知らんが……おい、映すなよ」
圭人は話しながらスマホをかざして車内の様子をぐるっと撮影していた。通路を挟んだ隣席やシート席の年配の男女が時々、ちらちらとこちらを見ている。
「人には向けてないよ。万一ミスって映り込んだらモザイクかけるし」
圭人はそう言うと今度はカメラを取り出し、車窓に向けて据え付けた。
日没時間前のはずだが窓の外はずいぶん暗い。嵐の前の闇に呑まれる直前のほんの数分、市街地の真ん中の川が鉄橋の真下を轟々と流れるのが見えた。郊外の倉庫街を抜けてしばらくすると、木立の向こうに海が見えるーーはずなのだが、車窓の色は黒一色になってしまった。
山か海かトンネルか。目を凝らしてのぞき込んでも一体どこを走っているのか真闇で全く判然とせず、窓ガラスを叩く雨音だけが恐怖と不安を煽るかのようにどんどん激しくなる。
ふと、数年前にたまたま観た「スノーピアサー」というサスペンスホラーテイストのSF映画を思い出したがーーあれは極寒の中を走る列車だったか。
二両編成の二両目、冷房完備の真新しいワンマンカーの後方に電光掲示板式の料金表が掲げられ、乗車口横に整理券の発券機と並んで交通系電子マネーの読み取り機が置かれているのには一番驚いた。
かつてのオンボロ列車のあまりのグレードアップにビビりすぎて、パスモをタッチする代わりに現金払い用の0番の整理券を取ってしまった。
一つだけ丸々空いていたボックス席の窓際に陣取ってから気づいた。圭人を置いて来たのは悪手だった。
連れを見放して気が咎めるとかそういうんじゃない。このまま乗り遅れたとしても二時間待てば最終列車が出る。もし何かの事情で八戸に足止めをくらっても、乗り鉄の端くれで行き当たりばったり旅行のプロ(?)だ。自分で何とかするだろう。
奴の立て替え分を今、払ってもらわないと請求が面倒だ。次に会うのはいつになるかわからないーーいや、もう会う事もないかもしれない。
駅で待ち構えるにはさらに二時間潰さなきゃならない。しかも奴は実家に帰るという明確な目的のある俺とは違う。途中で何か見つけてぶらりと途中下車してしまうかもしれない。
これ幸いと金を踏み倒す奴だとは思いたくないが、気を遣ってわざわざ自分から送金してくることもしなさそうだ。
昔、ギリギリで乗り遅れそうな友人を急かした時のように窓を開けてホームを探したかったが、雨の吹き込む日に空調の効いた車内では遠慮した方がよさそうだ。窓にギリギリ顔をくっつけて、ロクに見えない暗い外を不審者よろしく眺め回す。
発車ベルが鳴った。やはり俺のよく知っている、耳をつんざく非常ベルのそっくりの金属音ではなく「カラカラ……」という心臓の悪いお年寄りにも優しそうな、緊迫感に欠ける柔らかな音だ。
アナウンスが終わり、扉が閉まるギリギリに圭人が飛び込んで来た。自撮り棒型の機材に据え付けたスマホをためらうことなくリーダーにかざす。挙動不審気味にソワソワしていた俺は、知らん顔して座り直した。
「駅員さん撮らせてもらいたかったのに『さっさと乗ってください』って怒られちゃった」
圭人は悪びれる事なく息を弾ませながら、俺の向かいの席に座った。
「当たり前だろ」
「終着駅だった頃の乗り換え改札跡が撮りたかったんだけどなあ。今は待合室になってる場所だけど、よく見ると名残があるって」
「へえ……」
乗り換えだろうが他社だろうが、改札は改札だ。ビフォーアフターを知ってる奴なら若干面倒になったと思うくらいだろうがーーそれの何が面白いのかよくわからん。
列車が動き出した。数十年ぶりの我が青春の思い出の駅、滞在時間わずか八分ーーあまりに変わりすぎてて、懐かしいとか寂しいとかいう感情すら湧かないーーまあ、色んな事が予定外で、頭も身体も忙し過ぎたってのもあるけど。
「いやあ、ディーゼルカーのエンジン音っていいよねえ」
「そうか?」
「俺も『音鉄』じゃないから、聞き分けられるほどではないんだけど。旅情をかき立てるっていうかさ」
「鉄オタ」にも色んなジャンルがあり、列車の走行音や駅の発車音、など鉄道にまつわる「音」を収集して愛でる人々がいるのだそうだ。中にはレールの通過音で車両の種類を当てられる猛者がいるんだとかーー「人間とは生存に無関係な知識に快感を感じる事のできる唯一の生き物である」とか何とか、アイザック・アシモフが言ったとか言わないとかガセだとか何とか。
「俺は地元いた時には毎日乗ってたけど、考えた事もなかったな。この辺で鉄道ったらディーゼルだし。それも動いてんのが不思議なくらいの、オレンジのボロ車両で……」
「ホント!いいなあ」
「それ本気で言ってる?」
「だって伝説のキハ20だろ!」
圭人はキラキラさせた丸くした目をさらに見張った。
「キハ?何だか知らんが……おい、映すなよ」
圭人は話しながらスマホをかざして車内の様子をぐるっと撮影していた。通路を挟んだ隣席やシート席の年配の男女が時々、ちらちらとこちらを見ている。
「人には向けてないよ。万一ミスって映り込んだらモザイクかけるし」
圭人はそう言うと今度はカメラを取り出し、車窓に向けて据え付けた。
日没時間前のはずだが窓の外はずいぶん暗い。嵐の前の闇に呑まれる直前のほんの数分、市街地の真ん中の川が鉄橋の真下を轟々と流れるのが見えた。郊外の倉庫街を抜けてしばらくすると、木立の向こうに海が見えるーーはずなのだが、車窓の色は黒一色になってしまった。
山か海かトンネルか。目を凝らしてのぞき込んでも一体どこを走っているのか真闇で全く判然とせず、窓ガラスを叩く雨音だけが恐怖と不安を煽るかのようにどんどん激しくなる。
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