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8月11日(日)
閑話休題ーーツッパらないハイスクールロックンロール時代を回想する
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俺の母校は八戸にある私立高校だ。
実家のある北三陸町には現在、普通科と実業系、二校の全日制高校がある。
団塊ジュニア世代にあたる俺の世代の頃は統廃合前で、実業高校の方は農林、水産、商業の各高校に分かれていた。ちなみに全部県立校だ。隣村にも分校から独立した普通高校と工業高校まである。
目の前はリアスの断崖絶壁と遥か地球の裏側まで延々と続く太平洋ーーこれが日本海や南国の海なら、すぐその向こうには異国・異文化の存在があり交易などを通じて発展してきた歴史もあるから、そこに暮らす人々の気質や精神構造はずいぶん違うのだろうーーそして後ろはやはり急峻な北上山地。
自然災害も多く途絶しがちな平地にしがみつくように営まれている地域経済の規模を考えれば、至れり尽くせりのラインナップだ。
戦後すぐ、新制高校としてそれらの高校の母体となる総合高校が誕生した。
戦後復興と高度経済成長前夜、人々の生業は先祖代々の第一次産業が中心で公立高校卒業というステイタスには特別な価値があった。地元限定かもしれないが、いわゆるベビブーム世代である親の時代までそれは続いていたらしい。
昭和の半ばから終わりにかけて、分校設立から独立、あるいは新設と地域の高校は増え続けていた。厳しい地域事情なりに明るい未来を信じ、せめて次の世代には生きるに困らない教育を与えたいという先人達の並々ならぬ熱意があったのだと思う。
それが功を奏したのか何なのか、いわゆるポスト団塊ジュニア世代にあたる俺が受験生になる頃には「高校くらい出ていて当たり前」なのはもちろん、受験戦争と管理教育の時代から一周回ってゆとり教育が始まり、大学全入が唱えられていた。が、未来の事はさておき俺達の高校受験事情はまだまだ、かなりシビアだった。
高校が増えたとはいっても常に、地域の入学志願者全員が入学できるほどではなかった。住んでいる地域の高校に進学したくてもできない層が一定数存在する。
既に地方の過疎化と日本の少子化が問題視されていた時代だというのに、塩対応過ぎやしないか?
その頃はバブル景気もふるさと創生も恩恵を受ける事なく過ぎ去っていてーーいや、冷暖房すらなくいつ崩壊してもおかしくなかったオンボロの町民ホールが新しくなったか。
あとはスーパーとホームセンターが増えた。
その頃の俺は田舎の中学にありがちな義務的部活動を女の子にキャーキャー騒がれる妄想を支えに耐え抜きながら、ノリがよくてナンボのぬるま湯のような人間関係の中で無難に過ごす、ごくごく凡庸な田舎の中学生だった。
三年の大会でようやく部活を引退し、改めて「進路どうするんだ」と担任に詰められた俺は、咲姉や当時のメンターだったはとこの晃夫君達の卒業した地元の普通高校を受けようと思い立った。
これも田舎にありがちな話だが「公立高>私立高」「普通高>実業高」という価値観が地域には根強かった。
そうでなくても「できれば学費も通学代も安く済む地元の公立高校に通って欲しい」というのが地方に住む多くの親の素朴な本音だろう。
その頃の実家の親、特に父親はメチャクチャ怖くて誰も逆らえなかった。
高校の授業料に対する補助制度なんてのも無かった頃だから、俺の三人の姉達なんて「嫁に行く奴にそこまで金はかけられない」「公立高校に落ちたら働け」「手に職をつけろ」と常々言い渡されていた。それで姉達は地元の実業高校から専門学校に行ったり、推薦で公立の短大に進んだりした。
田舎の農村だから長男信仰が根強い。四番目に長男の俺が控えていたことが一番大きかったと思う。
そんな俺が満を持して普通高校を受けると言い出したので、両親はあからさまに浮かれたりはしなかったものの、かなり期待はしていたと思う。
先生方からも常々「お前は元々頭は悪くないんだから、やる気になればできる」とか何とか言われていたし、俺も人が変わったように猛勉強したから何とかイケると思っていたーーが、あっさり落ちた。
親父の目があるから学校もサボれず、部活もやっていたから内申だってそんなに悪くなかったはずだ。採点内容の公開制度なんかも無かった頃だから、何がどう駄目だったのかは未だにわからない。単に本気出すのが遅かったと言われればそれまでだが。
「労多くして功少なし」ーー思えばその時代が努力すればするほど報われない、低低生産と格差社会の幕開けだったのかもしれない。
八戸の私立高校を滑り止めに受けて、そっちは合格していた。それすら受けさせてもらえなかったという姉達に比べたら、家庭内で随分優遇されていたのは自分でもわかる。
そういったあれやこれやに罪悪感や鬱屈した思いが無いわけではないが、背に腹は変えられないのでありがたく脛をかじらせてもらう事にした。
いざ高校に行ってみると、噂通りそこそこにユルく指導の雑な(よく言えば自己責任で自由度の高い)高校で、数世代前はヤンキー漫画に出てくるような硬派で上下関係ガッツリのツッパリ達が闊歩してもいたらしい。
当然ながら同級生も、八戸市近辺から通ってくる生徒達が多数派で、皆垢抜けて大人びていた。単線ディーゼルカー鉄道(「キハ系」ってやつ)通いの僻地の公立落ち組なんて少数民族に過ぎなかった。
入学当初はとにかくナメられないようにーーかと言って怖い先輩に無駄に目をつけられないようにと必死過ぎて、俺史上最高値の黒歴史&トラウマ生産効率を記録した。
八戸は北三陸の何倍も大きな街だから、学校の外に少し出れば色んな人、物、コトが溢れていた。世は既に個人と個性の時代、集団でツルむヤンキーよりもユルくてチャラいギャル男の方がモテていた。そして何より、バンドブームがキていた。
過疎の町の小規模中学では、メンバーを集めるにもライブを開くにもハードルが高すぎたバンド活動に、俺はすっかりのめり込んだ。
上には上がいる同年代が群雄割拠する中、俺達のバンドは最後まで微妙なレベルだったが、あれが俺の青春の全てだったとはっきり言える。卒業ライブの時なんか、一生に後にも先にもないほどの涙の嵐だった。
そんな訳で勉強なんかロクにしてなかったが、先生方にも感謝している。しつこく尻叩いて三年でちゃんと卒業させてくれたし、何だかんだで大学にも行けたし(一浪したけど)
俺達の卒業後、我が母校はその経験を反面教師にーーした訳では決してないとは思うが、スポーツやら学業特待にメチャクチャ力をいれたらしい。
今や特進コースを有する甲子園の常連校だーー「◯ーキーズ」みたいなチームじゃないぞ。応援席の生徒だって俺達の頃よりずっと真面目そうで賢そうで何だか隔世の感だ。
世の中、本当にわからんもんだな。
実家のある北三陸町には現在、普通科と実業系、二校の全日制高校がある。
団塊ジュニア世代にあたる俺の世代の頃は統廃合前で、実業高校の方は農林、水産、商業の各高校に分かれていた。ちなみに全部県立校だ。隣村にも分校から独立した普通高校と工業高校まである。
目の前はリアスの断崖絶壁と遥か地球の裏側まで延々と続く太平洋ーーこれが日本海や南国の海なら、すぐその向こうには異国・異文化の存在があり交易などを通じて発展してきた歴史もあるから、そこに暮らす人々の気質や精神構造はずいぶん違うのだろうーーそして後ろはやはり急峻な北上山地。
自然災害も多く途絶しがちな平地にしがみつくように営まれている地域経済の規模を考えれば、至れり尽くせりのラインナップだ。
戦後すぐ、新制高校としてそれらの高校の母体となる総合高校が誕生した。
戦後復興と高度経済成長前夜、人々の生業は先祖代々の第一次産業が中心で公立高校卒業というステイタスには特別な価値があった。地元限定かもしれないが、いわゆるベビブーム世代である親の時代までそれは続いていたらしい。
昭和の半ばから終わりにかけて、分校設立から独立、あるいは新設と地域の高校は増え続けていた。厳しい地域事情なりに明るい未来を信じ、せめて次の世代には生きるに困らない教育を与えたいという先人達の並々ならぬ熱意があったのだと思う。
それが功を奏したのか何なのか、いわゆるポスト団塊ジュニア世代にあたる俺が受験生になる頃には「高校くらい出ていて当たり前」なのはもちろん、受験戦争と管理教育の時代から一周回ってゆとり教育が始まり、大学全入が唱えられていた。が、未来の事はさておき俺達の高校受験事情はまだまだ、かなりシビアだった。
高校が増えたとはいっても常に、地域の入学志願者全員が入学できるほどではなかった。住んでいる地域の高校に進学したくてもできない層が一定数存在する。
既に地方の過疎化と日本の少子化が問題視されていた時代だというのに、塩対応過ぎやしないか?
その頃はバブル景気もふるさと創生も恩恵を受ける事なく過ぎ去っていてーーいや、冷暖房すらなくいつ崩壊してもおかしくなかったオンボロの町民ホールが新しくなったか。
あとはスーパーとホームセンターが増えた。
その頃の俺は田舎の中学にありがちな義務的部活動を女の子にキャーキャー騒がれる妄想を支えに耐え抜きながら、ノリがよくてナンボのぬるま湯のような人間関係の中で無難に過ごす、ごくごく凡庸な田舎の中学生だった。
三年の大会でようやく部活を引退し、改めて「進路どうするんだ」と担任に詰められた俺は、咲姉や当時のメンターだったはとこの晃夫君達の卒業した地元の普通高校を受けようと思い立った。
これも田舎にありがちな話だが「公立高>私立高」「普通高>実業高」という価値観が地域には根強かった。
そうでなくても「できれば学費も通学代も安く済む地元の公立高校に通って欲しい」というのが地方に住む多くの親の素朴な本音だろう。
その頃の実家の親、特に父親はメチャクチャ怖くて誰も逆らえなかった。
高校の授業料に対する補助制度なんてのも無かった頃だから、俺の三人の姉達なんて「嫁に行く奴にそこまで金はかけられない」「公立高校に落ちたら働け」「手に職をつけろ」と常々言い渡されていた。それで姉達は地元の実業高校から専門学校に行ったり、推薦で公立の短大に進んだりした。
田舎の農村だから長男信仰が根強い。四番目に長男の俺が控えていたことが一番大きかったと思う。
そんな俺が満を持して普通高校を受けると言い出したので、両親はあからさまに浮かれたりはしなかったものの、かなり期待はしていたと思う。
先生方からも常々「お前は元々頭は悪くないんだから、やる気になればできる」とか何とか言われていたし、俺も人が変わったように猛勉強したから何とかイケると思っていたーーが、あっさり落ちた。
親父の目があるから学校もサボれず、部活もやっていたから内申だってそんなに悪くなかったはずだ。採点内容の公開制度なんかも無かった頃だから、何がどう駄目だったのかは未だにわからない。単に本気出すのが遅かったと言われればそれまでだが。
「労多くして功少なし」ーー思えばその時代が努力すればするほど報われない、低低生産と格差社会の幕開けだったのかもしれない。
八戸の私立高校を滑り止めに受けて、そっちは合格していた。それすら受けさせてもらえなかったという姉達に比べたら、家庭内で随分優遇されていたのは自分でもわかる。
そういったあれやこれやに罪悪感や鬱屈した思いが無いわけではないが、背に腹は変えられないのでありがたく脛をかじらせてもらう事にした。
いざ高校に行ってみると、噂通りそこそこにユルく指導の雑な(よく言えば自己責任で自由度の高い)高校で、数世代前はヤンキー漫画に出てくるような硬派で上下関係ガッツリのツッパリ達が闊歩してもいたらしい。
当然ながら同級生も、八戸市近辺から通ってくる生徒達が多数派で、皆垢抜けて大人びていた。単線ディーゼルカー鉄道(「キハ系」ってやつ)通いの僻地の公立落ち組なんて少数民族に過ぎなかった。
入学当初はとにかくナメられないようにーーかと言って怖い先輩に無駄に目をつけられないようにと必死過ぎて、俺史上最高値の黒歴史&トラウマ生産効率を記録した。
八戸は北三陸の何倍も大きな街だから、学校の外に少し出れば色んな人、物、コトが溢れていた。世は既に個人と個性の時代、集団でツルむヤンキーよりもユルくてチャラいギャル男の方がモテていた。そして何より、バンドブームがキていた。
過疎の町の小規模中学では、メンバーを集めるにもライブを開くにもハードルが高すぎたバンド活動に、俺はすっかりのめり込んだ。
上には上がいる同年代が群雄割拠する中、俺達のバンドは最後まで微妙なレベルだったが、あれが俺の青春の全てだったとはっきり言える。卒業ライブの時なんか、一生に後にも先にもないほどの涙の嵐だった。
そんな訳で勉強なんかロクにしてなかったが、先生方にも感謝している。しつこく尻叩いて三年でちゃんと卒業させてくれたし、何だかんだで大学にも行けたし(一浪したけど)
俺達の卒業後、我が母校はその経験を反面教師にーーした訳では決してないとは思うが、スポーツやら学業特待にメチャクチャ力をいれたらしい。
今や特進コースを有する甲子園の常連校だーー「◯ーキーズ」みたいなチームじゃないぞ。応援席の生徒だって俺達の頃よりずっと真面目そうで賢そうで何だか隔世の感だ。
世の中、本当にわからんもんだな。
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