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006・・・茜雨
茜雨 その2
しおりを挟む高校生活で流れる時間の中には姉の姿も光も影も無いというのに、遠慮せずに息をすることに馴染めなかった。
傷付かないようにと存在を消すことに慣れ過ぎていたのだろう。
不甲斐ない自分にウンザリしながら廊下をとぼとぼ歩くある日の放課後。
美術室の前に飾られた一枚の絵に目を奪われた。
埃舞い散る中でたたずむ風景画に琴線が揺れる。
どこか懐かしい気持を運んできた。
『帰りたい』寂しさが、なぜかどうしようもなく込み上げてきたのを今でもよく憶えている。
月の光が照らす碧い湖なんて行ったことも見たこともないのに漂ってくる涙の匂い。
どのくらいの時間、その絵を眺めていただろう。
窓から射し込む光が長いオレンジ色に変わっていた。
後ろに誰かの気配。
慌てて振り返った。
背が高く線の細い男子学生が静かに立っていた。
「そろそろいいかな?」とちょっと困ったような顔。
邪魔になっていたことを知り、もつれた唇で「はい」と呟いた。
戸惑う足をそっと後退りさせて反対の壁際まで離れた。
色褪せた世界へポトンッと絵の具が落とされたように色づいた瞬間。
カラダから力が奪われてゆくようなのに胸が高鳴る。
学ランの袖口から出た綺麗な手が廊下の壁から絵を慣れた手付きで取り外している。
壁から離れた絵を大きな袋の中へ丁寧に仕舞まっている。
一連の動きに惹きつけられて動けない。
黒い背中が廊下の向こうへ消えてゆくまで視線は捕らえられたままだった。
静まり返った灰色の廊下へは埃と私だけが残された。
絵の掛かっていた壁へ左の手のひらをそっと圧し当てる。
騒ぎ立てる胸へギュッと握り締めた右手を強く圧し当てる。
今までになく奥深いところから繰り返される呼吸を感じた。
彼は二つ上の先輩だった。
それからは、いつでもどこでも先輩の姿を探した。
移動教室へ向かう廊下で。
体育の行われている校庭で。
人の溢れかえったお昼の購買で。
不思議と先輩の姿をすぐ見つけることが出来た。
運が良ければ先輩と目が合うことが出来た。
そんな時は会釈する私へはにかんだ笑顔を返してくれるから、ココロへふんわり羽が生えて、ココロがカラダから離れゆくようになった。
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