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第一章

♯1

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街を逃げる様に飛び出して五日。
携帯食糧は充分用意していたつもりだったけれど、既に終わりが見えている。
初めての旅で知った最初の事実は、腹が凄く減るという事だった。

「どうしよう」

ぼやいても仕方ない。それでも溜め息は自然と出る。
焚き火を眺めながら、地面に敷いた寝袋の上で膝を抱える。
満天の星空への感動はもうない。
夜の寒さと人恋しさは増していくばかり。

踏み均された道から少し離れ、少し走れば森へ入れる位置に夜営を決めて、夕食を済ました。
後は、焚き火と周囲に気を配りながら休めたら休む。
初日の夜に、テントの外を野党に囲まれてから、テントは破棄した。
そして、街に着くまで心休まる時間はないと思う事に決めた。

きっと街にも、世界にも、もうそんな場所はないだろうけれど。
それでも、今は、希望や期待を出来る限り想像し心を満たす。
街に着いたらとにかくシャワーを浴びるんだ。
後、肉を食べよう。肉を。

噛めば滲む肉汁。効いた塩胡椒。堪らない。
頭の中が、幸せな想像で満ちていく。
そしてそれが故に、油断した。
宙に揺らめく灯りを見た。既に遅い。

複数の足跡。荒々しい声。どれも男性のもの。
初日の野党を思い出す。
あの時は上手く倒す事が出来た。五名の男。
今回はどうだろうか。
そっと両脇に手をのばす。
そこには、街の武具店で一番高価な短刀と、件の野党から偶然手に入れたククリナイフが置いてある。

「あれ?女?女だ!まじか!ついてるぞ!」

全身が見える位置まで近づいて来ると、野党の一人が私を指差し歓喜する。
それに次いで他の野党も騒ぎ始めた。
まぁ珍しいだろう。女性の旅人自体が少ないのに、一人旅なんてまずないだろう。この世界では。

立ち上がって両手に持った獲物を構える。
十人いた野党は既に私を囲っており、松明を地面に差し、武器を手に構えている。
統制のとれた動きだと分かる。
初日の野党と一緒と思っては駄目だろう。
自然と獲物を握る手に力がこもる。

「なぁ、ねーちゃん。取引きしないか?」

「・・・取引き?」

「おう、そうだ」

野党の一人が口元を緩めなから話しかけてくる。
他の野党連中は、私の身体を眺めるのに必死だ。
もしかしてこいつはまともな奴か、とは思わない。
ただ、金銭で何とかなるかもとは思った。

「あのな?殺さないから抵抗しないでくれるか?死姦でもいいんだよほんとは。な?股開くだけでいいからよ?」

「首領よー、口もだろ?」

「お!忘れてたわ。口も頼むわ、ねーちゃん」

間違いだった。
金銭目的の野党だろうに、女と見れば身体目的に切り替わる。
最悪。最悪だ。
この状況は勿論、世界から見たら私もこいつらと変わらないというのが不快だ。汚い人間。
腹が立つ。けれど今は冷静に現状を打開しなければならない。

まずは一呼吸。
そして、首領と呼ばれた野党へは返答せず、身体を素早く反転させた。
そうして背後に向き、目の前の野党の喉元に短刀を投擲した。
目標通り短刀は刺さり、にやけた表情のまま奇妙な声を出す野党。
ここまでの私の動きにまだ野党連中は付いてきていない。
直ぐ様その野党の前まで踏み込み、短刀の柄を掴み、裂くように引き抜く。
鮮血が吹き出すと同時、森へと走り出す。
そこでやっと、野党連中の怒号を背中に感じた。

暗闇に目は慣れている。
森に入り、なるべく木々が空けていない場所、木の間を走り抜ける。
方向感覚は狂うが言っている場合ではない。
逃げ、なるべく相手を分散させ、一人ずつ仕留めるしかない。
慣れない野宿で、逃げ切る体力がないから。

森に灯りが漂い始めた。
暗闇から見るそれは的でしかない。
息を潜め、射程に入ったそれの頭部付近目掛け、拳大の石を投げ付ける。
当たれば声が出る。近付く。獲物で喉を裂く。繰り返す。
石はいくらでも転がっているし、統制がとれているといっても、女相手で舐めきっている。

八人目までは上手くいった。
そして八人目を仕留め終わった時、背中に衝撃を受けた。
恐らく蹴られたのだろう。
転がり飛ばされながら、足を上げた首領の姿が目に入った。
何度も身体を打ちつけながら転がり、止まる。
痛みで立ち上がれず、呼吸も上手く出来ない。

「おまたせ。やっと捕まえたぜねーちゃんよー」

髪を掴まれ顔を強引に上げさせられる。
首領の手に松明はなく、後ろの野党の手に二本持たれている。
私は松明の灯りで野党の数と場所を判断していた。
単純な手にやられた。舐めきっていたのは私の方かもしれない。

首領に顔を寄せられる。息からは獣と変わらない臭いがした。
目が血走っているし、獲物を持つ手が震えている。
この後自分がどうされるか、簡単に予想できる。

「殺すのは確定として。死姦なんて楽出来ると思うなよ?・・・おい!」

首領の呼び掛けで、野党が松明を地面に差す。
まずは自害させないように布を噛まされる。
そして、私を足を前にのばすように座らせ、背中から抱えるように腕を押さえ、足を自分の足を使って開脚させる。
首領は無防備な姿を見て笑い、刃で私の上着の首もとから下に向かって裂き切る。
サラシも一緒に裂かれ、簡単に肌が露になってしまった。

「・・・潰してたのか。でけぇなぁ。顔といい胸といい、上玉だなこりゃ。なぁ?」

「首領、我慢出来そうもねぇよ!俺は!先にさぁ」

「うるせぇよ。死ぬまで、いや、死んでも使えるんだ。気長に待てよ」

下品な笑い。
正直、恐怖で身体の震えが止まらない。
旅を始める時に覚悟はしていた。
それでも怖い。
犯されるだけじゃない。殺される事が確定している。
街から逃げてまだ五日。何もしていない。何も成していない。

この美しい世界で、まだ、美しいものに出会っていないのに。

絶望していた。
だから見えた幻だと最初は思った。

「・・・おい。何か聞こえねぇか?」

「ん?まだ喘ぐには速すぎだろ?触ってもねぇし」

「ちげぇよ。なんか、近くから」

森は多少の音を消す。
木々が風に揺られざわめくからだ。
それでも、目先から発する音を消しきる事は出来ない。
なのに、その人はいつの間にかそこにいた。

漆黒のフードを被りマントを纏っている。
フードから覗く顔は月夜の様に白く、目鼻立ちも驚く程整っている。髪はおそらく黒色。
男性にも女性にも見える容姿で、背丈は私より少し高く見える。
どう見ても目立つ。なのに何故今のいままで気づかなかったのか。

今、その人は首領の直ぐ隣にいる。
顔を首領と触れ合う程に近づけ、目を真ん丸に開き、私の胸を、貫かんと言わんばかりの視線で凝視している。

「申し訳ない。初めて拝見するもので」

ゆったりとした口調。
視線は変えないままだが、確実に私に向けて話している事が分かる。
そして、理解し難い事だけれど、この人の言葉は私の耳にしか届いていないらしい。
私の耳より近い位置にある耳を持つ首領は、いまだ音の発生場所を探している。

「あの、俺の事はシークとお呼びください。少し陰が薄いだけのつまらない男です」

唐突な自己紹介。
場違いな口調と言葉に、現在の状況を忘れ、思わず頷いてしまった。
シークと名乗る男はにこりと頬笑み、私の口に噛まされている布を外した。
次いでこう言った。

「お嬢さんは、その、言いにくいんですが、その、野外で行為するのがお好き何でしょうか?」

顔を赤らめるシークの発言に一瞬言葉を失い、そして、現状を思い出し顔が熱くなった。
何を言っているんだ。何を言っているんだこいつは。なんなんだよ。そんなわけないだろ。ばか。
と、言いそうなところで、シークが私の唇に人差し指の腹で触れる。

「あ、声で応えないで下さいね?貴女の声は綺麗で、よく通りますから」

口ごもる。
確かにそうだ。理由は分からないがシークの声は聞こえないが、私のはそうはいかないだろう。綺麗とか何とかはともかく。
私は目で応えた。
首領らしき男に目を向け、その視線をシークが追う。

「確かに音が聞いたんだ。息遣いみたいのを。これから犯るってのに気になって仕方ねぇ!」

「いや、聞こえねぇけど。俺のじゃねぇのか?」

「いや、お前のじゃねぇ!この女は俺が押さえとく!いいからおめぇは周り見てこい!」

「は?やだよ!我慢出来ねぇって言ったろ!?気にせずやっちまおうぜ!」

そこまで聞いて「なるほど」とシークが呟く。
騒ぎ立てる野党の状況説明が伝わったのだろう。
シークは一度頷いてから、私の唇から指を離し、そのまま私の目の前で立てて見せた。

「俺が貴女を助けるのは当然として、一つだけ質問宜しいでしょうか?」

助ける。
その言葉の温かさに安堵し頬が緩みそうになるが、押さえて先を促す。
言葉通り、急に目の前に表れた不自然な男の言葉を信じるのもどうかと思う。
でも、シークの声は、何故だか、安心する。
こんな状況なんだ。
充分過ぎる理由じゃないだろうか。
私は、シークに向かって頷き、彼はこう言った。

「全てが済んだ後、俺が貴女の乳房に触れる機会はありますか?」

「」

呆気にとられた。
赤らめた頬。はにかんだ笑顔。
子供にも見える可愛らしい表情で発言した内容は、全く可愛くなかった。
可愛くはないし非常識である。

なのに、助ける事を確約してからのその発言がやけに紳士的に聞こえたのはこの状況下のせいなのか。
まぁ、今更胸くらいという気持ちもある。
私が喋ろうとしている言葉を未来の私が聞いたらどう思うだろう。
・・・それは後で考えようと思う。

私はシークに向かってこう言った。
声量が小さかったのか、聞き返してきたシークに、今度はもう少し大きな声でこう言った。

「・・から」

「え」

「あるからはやくしてっ」

それからは恐ろしく速かった。
まず、私の背中側にいる野党の首が胴体から離れた。
シークの振り終わった手には獲物が、私のククリナイフが握られていた。
首領はそこでやっと横を向く。
鼻が触合い、シークの笑顔がそれを向かえ、きっと首領の最後の情景はその笑顔になった。
赤が、降った。

「雨、降ってますね」

「・・・そうだね」

「あ、止みましたね」

「・・・そうだね」

「胸、見えてますよ」

「ローブ貸して」

「はい」

暫く呆けて空を見上げる。
野党が生き絶えるのより、その断面から吹き出る血液の方が長く時間がかかった。
顔から足まで滴る血液。
野党がどんな汚ならしくとも、この赤い液体が汚いとは思わない。だから今の私があるのだけれど。

「赤い雨、綺麗でしたね」

「・・・そう?」

私の心が読まれたわけではないだろう。
隣に並び立つシークは、ローブを脱ぎ、私に羽織らせた。
そうした後、私の前髪を軽く指で梳き始める。
濡れた前髪が額を擦れて、少しこしょばい。

シークはしばらくして納得したのかそれを止め、ズボンのポケットから小さな手鏡を取り出した。
そしてそれを私に向けた。
そこには当然私が写っている。
白髪で、翠色の瞳で、赤く、赤く濡れている。

「ほら、綺麗ですよ」

「・・・そうかな」

「はい。血を内に持った人間の身体に纏う血。それは美しいと、俺は思います」

シークは頬笑む。いや、先程からずっと微笑んでいる。

「この世界で俺が見つけた美しいものは二種類だけです」

「・・・この美しい世界で?」

「この美しい世界で」

「美しいもので溢れているこの世界で?」

「美しいもので溢れているこの世界で。たった二つです」

シークの両手が私の顔を挟む。
顔を寄せられ、吐息を強く感じた。

「血液と、貴女だけです」

笑顔。
私と同じくらい血で濡れた男性は、血と私を美しいと言った。
私は今、血で濡れたシークを美しいと感じている。
私は今、どんな表情をしているんだろうか。
彼と同じ様に、私も彼の顔を両手で挟み込んだ。

私は今日、美しいを見つけた。
森の中で、亡骸に囲まれ血にまみれ、そうして彼と出会った。
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