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知り合いに間違われる
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さて、今日は〇月〇日。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。先日、夕方過ぎに銀行のATMを利用したのですが、私一人だけだったところに後から誰かがやって来たんですね。やましいことをしているわけでもなし、普通は振り向かないと思うんですが。例のよって私も俯いた状態で画面と向き合ったままでいたら、ポンっと背中を叩かれて「お疲れ様!」とその人に言われました。ええ、この場にはさっきも言ったように私一人です。しかも背中を叩かれているので、間違いなく私に話しかけている。でも、聞いたことのない声だし、そんな気軽な挨拶をしてくるぐらいの知り合いとこんなところで会うとは思っていないので、訝しげに振り向いてみました。すると果たしてそこには知らないお母ちゃんが立っていました。私と目が合ってようやく彼女も間違いに気がついたようで、恥ずかしそうに謝られました。まぁその後の沈黙の気まずさといったらなかったですけども。
まぁ、というように、私はよく知り合いに間違われるんですね。なぜなんでしょうか。あらゆる人の知り合いに、絶対一人はいそうなフォルムでもしているんでしょうか。
短い会社員時代にも、そんなことがありました。店頭での接客業に携わっていたのですが、職場は営業部も兼ねていたんですね。カウンターの後ろに壁を隔てて営業部の部屋があったので、お客さんが出入りできる場所ではなく、お客さんは一度私たちカウンターの店員を通さなければなりませんでした。ある日、私がカウンター内で雑務をこなしていると、ある女性が入ってきました。当然「いらっしゃいませ」と言うわけですが、なんだかやたらと視線を感じるし、顔を上げるとやたらと目が合うんです。「何事?」と思いながらも、私は私の仕事があるので同僚に任せていたんですね。しばらくして、営業部の先輩のお客さんだということが判明したんですが、どうやら私がその先輩にずっと見えていたらしいんですね。確かに私とその先輩は背格好が似ていて、しかもその時期は髪型もそっくりだったんです。そりゃ間違えるのも無理はないんですが、お客さんは私を先輩だと思っているので、接客をしている同僚に対して先輩の名前を言うわけですね。視線は当然、私に向いていて。でも、私はその先輩じゃないので、名前を呼ばれても返事もしないし振り向きもしないじゃないですか。お客さんとしては「なぜそこにいるのに私は待たされているの?」という気持ちだったはずなんですが、そんなこと言われても私は私なので仕方がありません。最終的に誤解も解け、お客さんとひとしきり笑い合って、その後は似たもの同士の先輩と接客にあたった同僚たちとで、もうひと笑いしましたね。接客中の同僚にしても、お客さんが明らかに私と先輩を間違えていることがわかっても「彼女は先輩じゃありません」なんてわざわざ訂正するのも変じゃないですか。むしろお客さんに恥をかかせるし、営業所から先輩が来るまでは、誰もが気が気じゃない緊張状態でした。
同じ職場に勤めていた時、入口がガラス張りなので外からも私たちの姿が見えるのですが、自動ドアをくぐる時点で私に向かって「あ~」という、あの知り合いを見つけた時特有のトーンでもって、手を振ってくる人までいました。近づいてきて、人違いとわかると「とっても似てたから」なんて笑われたものです。
まぁ得かどうかはわかりませんが、限りなくポジティブに考えると、万人受けする雰囲気でも持っているのかもしれませんね。たとえ人違いであったとしても、誰かに声をかけられるのは嬉しいものです。だって、私の存在をちゃんと認識してくれているということじゃないですか。本当は私自身が対象であって欲しいですが、それでなくても私はちゃんと生きているんだ、ちゃんとここに立って、みんなに見えているんだ。少々オカルトチックな表現になりましたけど、それって素敵なことだと思うんですね。
高校生の頃、私とは正反対のタイプの子と趣味が合って友達になったんです。当時、好きなバンドが同じだったんですね。彼女はわりと淡々としていて、かと思えばきゃぴきゃぴしているところもあって・・・え、死語? いいんです伝われば。ともあれ、独特なリズムを持った子なんですね。私の勝手な想像ですが、その子は私に興味があるわけじゃなく私の趣味嗜好が気に入っただけで付き合ってくれているんだと思っていました。だって、そのくらいタイプが全然違ったから。でもね、そのバンドのライブに一緒に行こうという話題になった時、当時の私は眼鏡をかけていて、スタンディングだからぶっ飛ばされないかななんて話をしていたんですね。そしたら、彼女が言ったんです。「コンタクトにしたら? せっかく泣きぼくろもあるんだし」って。私、その時初めて自分に泣きぼくろがあることを知ったんです。眼鏡をしていると、ちょうどフレームで隠れてしまう部分に。だからこそ余計に驚いたんです。彼女は私以上に私のことを見てくれていたんですよね。それこそ誤解してすみませんと謝り倒したくなりました。
他にも、少し大人になってからの話ですが、友達の友達にいわゆる絵師さんがいて、その人に似顔絵を描いてもらったことがあるんです。そうしたら、実物をだいぶデフォルメしてくれたイラストに、ちゃんと泣きぼくろがあって。やっぱり日頃から意識して観察をする人は、目のつけどころが違うんだなと感心しました。ちゃんと私にしかないチャームポイントを見つけて、描いてくれる。それが嬉しくて、いまだに大事にその絵はとってあります。
皆さんも髪を切ったら声をかけられたとか、ネイルやピアスみたいに細かなおしゃれに気づいてくれたとか、そんな経験がある方も多いのではないでしょうか。誰かにとっては取るに足りず、でも自分にとって重要であればあるほど、あるいは逆もあるかもしれませんね、私のように。自分にとっては取るに足りない、けれど相手にとって重要なことであればあるほど、その喜びはひとしおですよね。
人間とは主観で生きるものですが、時に自分にはない視点が新たな境地を見出してくれることもあります。主観は主観のままで、でも他人の意見や感想に耳を傾けてみるのもまた面白い発見があるものです。
さて、そろそろお別れの時間です。皆さんももしかしたら何気ない一言で、誰かの人生をほんの少し明るく照らしているのかもしれません。そのためにはまず、あなた自身が『あなた』という存在を認識することが第一歩でしょう。だってそうでなければ、あなたはあなたの、人に対する見方や考え方を、うまく表現できないはずだから。また来週お会いしましょう。深見小夜子でした。
まぁ、というように、私はよく知り合いに間違われるんですね。なぜなんでしょうか。あらゆる人の知り合いに、絶対一人はいそうなフォルムでもしているんでしょうか。
短い会社員時代にも、そんなことがありました。店頭での接客業に携わっていたのですが、職場は営業部も兼ねていたんですね。カウンターの後ろに壁を隔てて営業部の部屋があったので、お客さんが出入りできる場所ではなく、お客さんは一度私たちカウンターの店員を通さなければなりませんでした。ある日、私がカウンター内で雑務をこなしていると、ある女性が入ってきました。当然「いらっしゃいませ」と言うわけですが、なんだかやたらと視線を感じるし、顔を上げるとやたらと目が合うんです。「何事?」と思いながらも、私は私の仕事があるので同僚に任せていたんですね。しばらくして、営業部の先輩のお客さんだということが判明したんですが、どうやら私がその先輩にずっと見えていたらしいんですね。確かに私とその先輩は背格好が似ていて、しかもその時期は髪型もそっくりだったんです。そりゃ間違えるのも無理はないんですが、お客さんは私を先輩だと思っているので、接客をしている同僚に対して先輩の名前を言うわけですね。視線は当然、私に向いていて。でも、私はその先輩じゃないので、名前を呼ばれても返事もしないし振り向きもしないじゃないですか。お客さんとしては「なぜそこにいるのに私は待たされているの?」という気持ちだったはずなんですが、そんなこと言われても私は私なので仕方がありません。最終的に誤解も解け、お客さんとひとしきり笑い合って、その後は似たもの同士の先輩と接客にあたった同僚たちとで、もうひと笑いしましたね。接客中の同僚にしても、お客さんが明らかに私と先輩を間違えていることがわかっても「彼女は先輩じゃありません」なんてわざわざ訂正するのも変じゃないですか。むしろお客さんに恥をかかせるし、営業所から先輩が来るまでは、誰もが気が気じゃない緊張状態でした。
同じ職場に勤めていた時、入口がガラス張りなので外からも私たちの姿が見えるのですが、自動ドアをくぐる時点で私に向かって「あ~」という、あの知り合いを見つけた時特有のトーンでもって、手を振ってくる人までいました。近づいてきて、人違いとわかると「とっても似てたから」なんて笑われたものです。
まぁ得かどうかはわかりませんが、限りなくポジティブに考えると、万人受けする雰囲気でも持っているのかもしれませんね。たとえ人違いであったとしても、誰かに声をかけられるのは嬉しいものです。だって、私の存在をちゃんと認識してくれているということじゃないですか。本当は私自身が対象であって欲しいですが、それでなくても私はちゃんと生きているんだ、ちゃんとここに立って、みんなに見えているんだ。少々オカルトチックな表現になりましたけど、それって素敵なことだと思うんですね。
高校生の頃、私とは正反対のタイプの子と趣味が合って友達になったんです。当時、好きなバンドが同じだったんですね。彼女はわりと淡々としていて、かと思えばきゃぴきゃぴしているところもあって・・・え、死語? いいんです伝われば。ともあれ、独特なリズムを持った子なんですね。私の勝手な想像ですが、その子は私に興味があるわけじゃなく私の趣味嗜好が気に入っただけで付き合ってくれているんだと思っていました。だって、そのくらいタイプが全然違ったから。でもね、そのバンドのライブに一緒に行こうという話題になった時、当時の私は眼鏡をかけていて、スタンディングだからぶっ飛ばされないかななんて話をしていたんですね。そしたら、彼女が言ったんです。「コンタクトにしたら? せっかく泣きぼくろもあるんだし」って。私、その時初めて自分に泣きぼくろがあることを知ったんです。眼鏡をしていると、ちょうどフレームで隠れてしまう部分に。だからこそ余計に驚いたんです。彼女は私以上に私のことを見てくれていたんですよね。それこそ誤解してすみませんと謝り倒したくなりました。
他にも、少し大人になってからの話ですが、友達の友達にいわゆる絵師さんがいて、その人に似顔絵を描いてもらったことがあるんです。そうしたら、実物をだいぶデフォルメしてくれたイラストに、ちゃんと泣きぼくろがあって。やっぱり日頃から意識して観察をする人は、目のつけどころが違うんだなと感心しました。ちゃんと私にしかないチャームポイントを見つけて、描いてくれる。それが嬉しくて、いまだに大事にその絵はとってあります。
皆さんも髪を切ったら声をかけられたとか、ネイルやピアスみたいに細かなおしゃれに気づいてくれたとか、そんな経験がある方も多いのではないでしょうか。誰かにとっては取るに足りず、でも自分にとって重要であればあるほど、あるいは逆もあるかもしれませんね、私のように。自分にとっては取るに足りない、けれど相手にとって重要なことであればあるほど、その喜びはひとしおですよね。
人間とは主観で生きるものですが、時に自分にはない視点が新たな境地を見出してくれることもあります。主観は主観のままで、でも他人の意見や感想に耳を傾けてみるのもまた面白い発見があるものです。
さて、そろそろお別れの時間です。皆さんももしかしたら何気ない一言で、誰かの人生をほんの少し明るく照らしているのかもしれません。そのためにはまず、あなた自身が『あなた』という存在を認識することが第一歩でしょう。だってそうでなければ、あなたはあなたの、人に対する見方や考え方を、うまく表現できないはずだから。また来週お会いしましょう。深見小夜子でした。
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